直野恵子展ー6度目の挑戦

2000年のグループ展以来、若い身空を個展に捧げ今年で連続6度目の個展に挑んだ直野恵子画伯。そのストイックなまでの制作ぶりに、こちらの襟も正される思いだが、果たして今年の成果や如何。
柔らかな色調と抒情、光を吸い込んで壁に広がる中間色の層にうっかり見落としそうになるが、画面から放射する世界は決して甘くはない。岩絵の具を薄く何層にも積み重ねた上から引っ掻いたり、たらしたり、飛ばしたりする、直野画伯ならではのマチエールを楽しみながら今年の作品と向き合ってみた。
ご存知の通り、具体的な何かではなく日々のこころの動きを記録するかのような微細な作風である。DM作品の「本当の話をしようよ」の人物の顔は塗りつぶされ、額紫陽花をモチーフとした花のなかで佇んでいる。誰のものでもない「自分の心」すら思うままにならない…せめて花を前にした時くらい自然な思いでいたい。そこで絵をみているあなたも。と、誘いかけてくる。直野画伯の作品が見た目より甘くない、というのはこういう本質的な問いかけを内包しているからだ。もちろん「生」な露出な恥ずかしいし、何重にもブロックした心を解除するのは不安だ。あたりさわりなく洗練という安全弁をつけて暮すうちに、ひりひりした感覚さえ忘れてしまう日常に直野画伯の作品はストップをかけてくるのだ。
無意識の領域に浮かぶあれこれをスケッチし、エスキースを起こし作品に紡ぐまでの軌跡が画面上に想像できるのも彼女ならでは。細かく引かれた「ためらい傷」のような線の集積を追いかけていると、それらを形ならしめた日々も堆積しはじめる。そのなかから立ち上がってくる夢の残り香のように儚げなものたち。それぞれ日常から生まれながら、「非日常」というものに抽出された形象だ。防御もなにもないまま、画廊にさらけだされた「非日常」たちに、ある人は困惑しある人は自分を振り返る。
パンドラの箱の底にのこった最後の言葉が「希望」だった、というのは大いなる救いだが、直野画伯のいろんな「非日常」にも根底に「希望」がしのばせてあることを、実見の方々は発見して帰るに違いない。

LABO展ー18th初日

の間15thで、あの時子供が生まれていれば高校生!と驚いていたのに、今年はもう卒業!?。いつの間にか3年ワープして18thになったLABO展。成人式まであとわずかではないか…。ベルリンの壁が壊れた年が初回で、迷路のようなビルのなかにある七丁目の篁画廊で祝杯を。
初期メンバーの阿部貢氏や會田佳恵子ちゃんが、結婚やら出産やらで長期お休みに入るまでは、八丁目のギャラリーイセヨシがその会場だった。悦子のとこが開廊してからはここをねぐらの三度笠。0型親分の平野画伯が、B型小娘の麒麟画伯と越畑みそそ画伯を上手にあやして道中を無事に捌いてきてくれている。
その平野トシ君画伯、このところの沖縄行きを反映して、今回は石垣・竹富に取材した八重山諸島編。胸深く溜め込んだ「あを」を渾身の力で描いている。画廊に入るやいなや、その色に絡めとられあなたはもう島にいるだろう。岩絵の具のみならずアクリルその他ありとあらゆる材料で描かれた海と空の「あを」。十分湿気を含んだその色は、今までのweatherシリーズやrain dropシリーズの軌跡を感じさせつつ、自在に画面を吹きわたる。誰も見たことのない、そして誰でも懐かしいような「あを」を求めて画室で格闘したのであろう。
また麒麟画伯の小宇宙もまた、多くの人を魅了している。ミニサイズの額のなかに隠れるように咲く小花たち。覗き込むように見ると、はにかんだような美しさをみせる、その姿にぐっと心をつかまれた人も。いかが?と大輪を誇るビビアン・リーも素敵だが、いやよ、と恥ずかしげなオードリー・ヘップバーンの可憐も捨てがたいってとこか?いずれ例えが古くて恐縮だが、今該当する女優が見つからずお許しを。
さらにその上を行く、越畑みそそ画伯の「白の序章」とも呼びたい模糊としたチャレンジ。形や色を極限まで追いつめて、なくなる寸前の土俵際の仕事をみせてくれた。紙の上に象嵌するかのように置かれた白が潔い。
それぞれ三人三様の実験があり、挑戦がある。ここでしか出来ない実験が、次の仕事の種になるのである。絵の上の共通項といって特にない三人が、ここまで展覧会を続けられた理由は相性だけの問題ではなく、この実験の場を自らの起爆剤として必要としていたからだろう。自分の殻を脱ぎすて続けるのは容易なことではない。また何かそういう場所がなければ、変われるものでもない。誰に文句をいわれてもやりたいことはやる、という事をそれぞれが身銭を切ってする場がLABO展なのだろう。
見た目は能天気で楽しげ、それはホントにそうなのだが、それだけではこんなに続かない。また、実際に絵が変わっていく現場を目の当たりにして、各自の取り組みが年を追う毎に「LABO」らしくなってきているような気すらするのである。
肩肘はらず自然のうちに、季節がくれば花がさくように、文化の日にはLABOがある、と。ま、その三人を支えてくれた方々が一番えらいかな。初日集まってくれたお仲間たちとトシ君画伯や麒麟画伯のご親族を今日はご紹介。ちなみにトップページに掲載の悦子は、連日の激戦に「沈没バク睡図」。起こしてくれる王子様は今更誰もなし…。

スペシャルゲストをお迎えして

初日以来連日にぎやかに明け暮れしている画廊に、ひときわ華麗なゲストをお迎えした。
山田りえ画伯が装画を担当させていただいている「六道ヶ辻」シリーズの著者・栗本薫女史が、寸暇を縫ってご来廊下さったのである。かの「グイン・サーガ」シリーズはじめ各分野にわたる縦横無尽なご活躍でつとに有名な方であるが、「大導寺家」に関わるご本を彩るりえ画伯のためにスケジュールを遣繰りして下さったという。
初対面のりえ画伯はもちろん居合わせた方々も、そのおおらかなパワーに魅せられ至福のひとときを過ごした。その余光をしばし画像で楽しまれたい。生憎所用で留守していたが、帰られたあともオーラの残り香が画廊に留まって華やかなことだった。この場を借りてスペシャルサンクスを!
また、夕方には京都の「中川胡粉絵具(株)」の中川社長が、台湾からの留学生・彭偉新君を伴ってご来廊。実は中川社長の招聘で、りえ画伯は台湾に日本画を教えにいったことがあり、彭君ともその時以来の仲。画伯から大変な天才が台湾にいる、と聞いていたがこのたび東京芸大に入るとかでなにより。バリから帰ってすぐパリに行く、大忙しのテリー&サナちゃんご夫妻も来て国際色豊かな一日でもあった。
その他りえママや教え子さんたち、ご縁のいろんな方々に激励され、りえ画伯はまた次の一歩へと進む。見えない手が背中を押して前を向かせてくれる、その手応えを一番感じているのは画伯自身だろう。そして展覧会の一番の役割はそこにある。さぁ、前へ…。

クローディア・デ モンテ展

NY在住のアーティストでメリーランド大学の教授でもあるクローディア・デモンテさんの個展が今日から。Female Fetishシリーズから今展にはハイヒールと電話、化粧箱、ドライヤー、エスプレッソポット、アイロンなど8点の彫刻と、カラー版画6点白黒版画5点が出品されている。
また、13日から22日までコレド日本橋のメリルリンチ証券6Fスカイロビーでは、クロ-ディアさんが176カ国の女性アーティストに呼びかけて企画した「Women of the World」展が開催される。この展覧会は「女性」をテーマに176人の画家が制作したもの。ホンジュラスやコスタリカ、モーリシャスなどなかなか見る機会のない国の画家たちの作品が一堂に並ぶ会場は、女性観もお国柄を映してにぎやか。準備に三年かけてようやく実現したという。アメリカはじめ世界各地で巡回したのち、新設される国際女性美術館に納められる作品たちだ。フェミニストであり世界中を旅するクローディアさんならではの企画展である。有名無名にかかわらず女性たちの発する国境を超えたメッセージに、思いがけない熱い衝撃を受けたことをご報告。
今回、悦子とのご縁を作って下さったのは、内外の美術館のワークショップ企画に携わるWonder Art Productionの高橋女史。講演やパーティで大忙しのクローディアさんとご一緒のショットを。また、メリルリンチ証券日本支社長も女性。しかも若い!。いやいや時代は変わりつつある、などと思いながら偶然在籍するいとこ旦那・光益クンのお迎えを受けてうれしい悦子だつた。

阿部清子展開幕

今日から阿部清子展。同日、富山のギャラリーNOW・結さんでわれらがシーサー王子、宮城忍君の初日というダブルヘッダー。という訳で朝開廊の準備を終えると、スタッフうぶちゃんと阿部画伯に因果を含め悦子は富山へ。初個展というのに早速受難の阿部画伯だが、けなげにも無事乗り切ってくれた。
阿部清子画伯は、1970年東京生まれ。ほぼ独学で日本画の技法を習得し、’96年には臥龍桜日本画大賞展に出品した他グループ展などで腕を磨いて来た。’05年には佐藤美術館で「万様種子展」の一員としてその独自な画風を披露。かねがね個展をと念願していたとのことで、この初個展となった次第。
ご主人の赴任先の中国や沖縄、長崎や淡路島で出会った人たちを描いて800人になるという。人それぞれに在る背景に興味をもち人を描くことをコミュニケーション手段として、起伏ある日々を送られてきた画伯。小さい頃仏画の美しさに魅せられ、電車にのれば人の動く筋肉の不思議を思ったという画伯は、当然のように「絵」を描くことを自分の表現手段として選んだ。
痛々しいまでに強い眼光を宿した作品は、自分の内面を隠すことを知らない裸の子供に似て、こちらの心も裸にするようだ。この真摯な、自分との対峙を修行のように続けてきたのだろう。初個展に向けて準備してきた作品のそれぞれが意思と惑いの間を振り子のごとく行き来する。
「眼力(めぢから)」という、最近の言い方を借りれば画伯の作品のパワーはここから発する。この「眼」が描きたくてその他の部分がある、といってもいいくらいだ。様々に起伏する感情や願いやもろもろが、この窓を通して発露されている。切羽つまったその刹那を切り取って画面に定着させようとあがく画伯の意気込みが息苦しいほど伝わってくる。
今、ここで、生きている、現場中継である。格好なんかつけていられない実感がここにある。是非はともかく、そういう初心の迫力が彼女の作品の真骨頂だ。お上手にまとまらない、この野生の力を是非目の当たりにすることをお勧めする次第である。
先日絹本の描き方講習でお世話になった吉川優画伯が飯田から出て来て下さった他、「万様種子展」メンバーの池田美弥子画伯、多摩美ーズの市川君や林君や、主体展初日に合わせてご上京の柴田周一画伯など、様々な方々をお迎えした初日ご様子を。

菊川展無事大団円

初めての個展で緊張気味の画伯だが、最終日に近くなるにつれお客様の応接にもゆとりが。もちろん父兄参観日には、お父様お母様はじめ妹さんご一家も。教師としても先輩にあたるお父様は愉快でお元気。作品のモデルとなっているのは、姪の瑠香ちゃんなので鑑賞にも力がはいる、というもの。
画伯はお仕事がら子供たちと接触する機会が多いので、「子供のなる樹」などはその実感がよくでているように思う。聞けば卒制にも子供たちを描いたのだとか。年期が半端ではない。画伯のかつての記憶に重ねて、瑠香ちゃんがいきいきと動き回る画面をみていると、画伯の目線は子供たちの目の高さなのだなぁと、しみじみ思われた。遠く失われた遊びの想い出や、世界の見え方が、エッチングのモノクロや単色のカラーの画面を通して思い出される。子供の線を大人が描くのはあざといものだが、画伯の純朴な心がそれを良質なものにしているのだろう。
また、学校の同僚の先生方が忙しいなか激励に多数お出で下さった。トライアスロンのお仲間は丁度今頃北海道のオロロン街道でレースだという。画伯のレース仲間のなかでの愛称は「まりもちゃん」なんだとか。う~んなるほど、なんだか納得。「いくの」というやや古風な名も似合うが、会期中知れば知るほどB型の血が呼び合うお人柄。「まりも」はぴったりかも。意気投合の日々も今日で最終日。いい記憶となって次の個展への意欲に繋がればうれしいのだが。まあまだレースは始まったばかり。最後まで完走する根性の人と見た。また伴走する機会を楽しみに待つとするか。まずは初戦ご苦労様でした。

菊川いくの展発進!

菊川いくの画伯の初個展が今日から。
目出たく画像もサイズアップしてリニューアル、、の予定なのだが。不備の場合はしばしまたれよ。
当然のことながら、菊川画伯は当画廊にも初お目見えにつき簡単なご紹介を。
画伯は1960年東京武蔵野市生まれ。1983年武蔵野美術大学油絵学科卒業後は、美術教師として奉職し、版画のお仲間たちとのグループ展を主な舞台に発表してこられた。初めて赴任した先の、伊豆諸島の利島という離島で健康的な生活に出会い、美大系の屈折と都会の憂愁から切り離された青春をエンジョイしたという。島で初めて覚えたものが焼酎と健康‥…。その名残でトライアスロンを始め最近までレースに出ていたらしい。
一方、絵本好きが高じて油彩から版画に転じ、2003年からは現代童画展に銅版画を出品するまでに。版画の技法は個人工房で習得、お仕事と健康的な青春の合間にぽちぽち描いていたのだという。
日も正午の位置にある頃は自分の影に気がつかないもの。しかしながら齢40の坂を越えるころには、日差しは午後の傾きを映して影を宿す。自分の影の長さに気づいた時、人は一番やりたいことに初めて向き合うのではないだろうか。
元々は内省的だった画伯が、島の自然のなかで自分の心身を鍛え、外界を十分楽しんだのちにまた絵の世界に戻ろうと思ったのは、この齢の声と無関係ではあるまい。自分が本当にやりたいことをするために勇気を振り絞って個展を、と画廊を訪ねてこられた。今展は17点の作品を用意しての版画展。
コレクションしている絵本もかなりの数とか。ちょっと見はかわいい絵なのにシュールなこわさのある「子供のなる樹」など、深層心理に働きかけるなにかが。泉屋博古館館長の川口さんがボッシュを思わせるといってくれたが、なるほど。
また、モデルとなった姪御さんと、お母さんにあたる妹さんもご来廊。トライアスロン仲間や版画のお友達もかけつけて下さり、まずは無事に幕開けを。

パソコンクラッシュでごめんなさい

長年の不養生がたたったかお腹一杯になって、悦子の部屋のページがクラッシュ!イタリア帰りのウェッブ様もお手上げに。去年の 夏休みあけから先日までの日記が消えてしまいがっくし↓の悦子だが、サーバーの許容量を超えるデータを今一度整理する機会と前向きに。
思えば、五周年から始めた画廊のサイト。まぁよくも書いたりすべったり。消えた日記の再生は難しいので、十周年で一度リニューアルするかと相談中。その間、以下のおいしい画像で許してね。左からトシ君個展記念・鶴見沖縄&ブラジル村探訪記。沖縄のセイヤ君上京熱烈歓迎記念・横浜中華街探訪記。大磯龍進君別邸訪問記念・国産超ウマ肉焼き肉&茶会の模様を

松村響子展初日

いよいよ秋の陣のはじまり。夏も食欲全開という幸せな体質のため、着ぐるみが一段と大きくなってしまった悦子。これからまたおいしい秋を迎えるというのにますます大物への道をばく進中。
それはさて、秋の陣の先陣を切るニューフェイスのご紹介から。松村響子画伯は、1969年生まれの36歳。三重で生まれて東京の高井戸で育ち、94年、武蔵美大卒業の新鋭日本画家。武蔵美の教務にお勤めの傍ら、お母様の松村多美さんの主宰する俳句結社で句作も。個展デビューは97年、二人展を2004年に開催後本格的に制作に取り組もうと今展を企てた。
自分にとってリアリテイのある身の回りの世界を描く、と決めて一年余。刻々と世界観を深めて作品たちを仕上げてきた軌跡が、画廊をひとまわりすると分かる。
最後の最後、時間との戦いのなかで仕上げた銀泥のやもりの作品がいい。これ以上、時間をかけたら窮屈になっていたかもしれない作品が、絶妙の具合で。さりげなくえもいわれぬ空間を表出しているところが心憎い。搬入の日の朝八時にこの作品の画面を洗いながら、こんなことでいいのかと途方に暮れつつ思わず笑ってしまったそうだが、絶対大丈夫!間に合うという確信はあったとか。ギリギリの神様が降りて来てくれたのだろう。この一年はこの絵のためにあったといっても過言ではないはない一作。
色んな自分の可能性は描いてみて初めて分かるものー感受性豊かな画家の内面の万華鏡を覗かせてもらったような気がした。次々と展開する響子画伯の世界はまだ統一感には欠けるが、この万華鏡なかなかに楽しい。どのしっぽを掴んで勝利の女神に微笑んでもらうか、じっくり見させてもらおうという気にも。一生懸命に手探りしつつ、自分の世界を掴もうとしている初心は清々しい、としみじみ。
いずれ目の高いご見物衆にもまれて、ますます成長することとは思うが、まずはいいスタートを自力で勝ち取った画伯に敬意を。
搬入は画伯のご主人と、多摩美ーズ油画ご出身のお姉様のご夫妻、ご学友の長尾英代画伯という力強い味方たちで。本人は徹夜続きのため、ほとんど意識なし。初日はリポビタンA二本一気呑みで気合を入れ、俳句の同人の方々はじめ、絵の関係の方々とうれし忙しの応対をぬかりなく。ほっと一息の顛末を今日は。

秋田編ーその2

夏休みといえば田舎。今年は恒例西馬音内盆踊りを東京と名古屋の画商さんが見に来る、というので万事ぬかりなくと心していたのだが、おりしも地震の影響で、後発隊のみそそ画伯、牧ちゃんと同じ電車でかえることに。
とはいえそこは困った時のA型ともだちー友子先生が万端整えて待っていてくれた。画商さんとはH田様とI藤様、そして仙台からH田パパのいとこさんもご同行。仲良し三人組でこのあと玉川温泉に足を伸ばすとのこと。奇しくもみそそ画伯のご友人宅は西馬音内の旧家、御宿のない鄙の里につきみんなでここにお泊まりで、贅沢な見物を。あとは食べたり呑んだり、温泉に入ったり。おりしも湯沢で日展開催中で、織田画伯の絵も発見。世間は狭すぎ!!ってなことですごいお客さまが帰ったあとはお馴染みゴローさんとこで、更年期三人娘(秋田美人の会改メ)の総会と称して友子先生えこちゃんとお疲れさん会を。また二学期頑張ろうと誓ったことだった。あ~ようやく夏休みの絵日記終了。あとはさんすうとこくごかぁ~、やれやれ。

涼味あふるる木彫の陰影

愛くるしい瞳がそっくりの、西山美智子画伯お兄様がご夫人同伴で。ご実家の中村家も優秀な一族につきお兄様もエリートコースまっしぐらと聞くが、並んでいるとこを見ると子供時代まで想像できちゃうような兄妹ぶり。ほのぼの感ただよう毛利夫妻もご同席で、こちらは末の弟夫婦といった役割。
阿部千鶴ご夫妻もすっかり大きくなったお嬢ちゃんと一緒に。みそそ画伯とは数年前佐藤美術館の四人展のメンバーとして旧知の仲。今日は久々のご対面。全く月日が立つのは早いもの、、。
一方、美智子画伯の小学校時代の仲間のなかでも、渋谷育ちの黒部君のお洒落度は抜群。24日夜七時から放映されるフジテレビ「爆笑問題・天才の伝説」出演のため、女画商コスプレの衣裳を着た悦子をさりげなくエスコート。このままテレビ局まで連れてって~って感じ。
最終日の今日は、野尻湖にキャンプにいっていた慧ちゃんのお手伝いもあって搬出もスムーズ。明日から夏期休廊となる画廊のお掃除まで。
怒濤の沖縄から今日まで、画廊のなかに涼しい木陰をつくってくれた西山美智子の作品と別れるのはいささか淋しかったが、作品を梱包しながら、よそのお宅でどんな木陰をつくるのか、想像すると楽しい。どんどんこの木陰を増やさなければ、と思ったことだった。

西山美智子展はじまる

台風をかいくぐり、一日も雨の日がなかった沖縄の日々。帰る時には東京は暴風圏という話で、傘の用意などない悦子、さすがに読みの甘さを反省したが、着いてみればちょうど雨の谷間でセーフ、初日の準備を済ませて待ってくれている西山美智子氏画伯のもとへ飛び込んだ。
真っ白な空間にほのかに浮かびあがる羽たちのインスタレーションに迎えられ、くたくたの身体が生き返るよう。ハイな状態のまま全身使い切ってきた疲れに、癒しの光が降り注いでくまなく潤ってくる。
年々、展示が巧みになる彼女。昨日まで展覧会だった悦子の留守に、完璧な空間を作り上げてくれていた。365日のうち、345日くらいは居る画廊なのに、画家の作品が変わる度に違う空間のように思えるのは、なんとも不思議。
昨日まで、離れた場所にいただけに今日はまた一段と新鮮に感じられた。十年一日のごとく常に展覧会を続けてきて、こう思えるのはひたすら作家の個性のたまもの。有り難し。
小さい頃、飼っていた小鳥の羽のしたを掻いてあげながら、羽を触らせてもらっていたという、西山画伯の指の記憶。この記憶によって蘇った木の羽は静かに画廊の壁にとまって清浄な空気をあたりに漂わせる。流れる時間のなかで忘れていたものたちが、拾い出されてそこに置かれている印象は、毎回の個展に通底するが、ますます純度が高まって神々しいほど。
木彫という共通項を通して語り合い、理解しあってきたお母様の中村美津先生もご来廊。画伯が木口木版に彫った版画をコラージュした作品に関心を示されていった。通常の親娘+αの関係は画伯と娘の慧ちゃんにもいえるが、個展中は野尻湖にキャンプ。子育てという大仕事をしながら台所でコツコツ彫ることを止めない画伯の後ろ姿をみながら、慧ちゃんもまた何かを始めるに違いない。女系三代が、それぞれの表現で語りあえる日が待たれることだ。
また、ひさびさのいもきん小黒氏や、ハンサム樋口画伯などがみんなお帽子だったので、一斉にお帽子大会。誰が一番似合う?

 

またもや台風ーうちな~編

東京も真夏!てことは沖縄は真々夏。ところが、台風6号にたたられて石垣に行っている後藤さんたちはホテルに閉じ込められたまま帰れないらしい。
先発隊のトシ君キリンちゃん画伯、美弥子画伯はなちゃんたちもスコールの洗礼を受けているなか、台風がいつも避けてくれる悦子とみそそ画伯は、例によって徹夜のアイロン掛けのあと、台風一過の那覇空港へ。
セイヤ役員の待つ車で早速知念村のレストランくるくまへ。ん~何度食べてもここの生春巻はおいしい!お~っと勘違いしてはいけません。沖縄は遊ぶところではないー試練の場。水着なんか絶対もっていってはいけない神聖な仕事の地、、、(ちょっとくやしい)。てなことでもちろん日焼けなどしていない画伯たちの取材をチェック。どこで何を食べたか等など聞き取り調査後、夜は「なびぃとかまど」の内装を手掛けた高良氏のお話を伺う。もちろん、あの大城美佐子先生にもご挨拶に。
見事に絵に描いたような夏の沖縄での御仕事は、あの「サスケ」という筋肉テレビを思わせる過酷なもの。あ~西海岸でリゾートしてきた恋人たちの焼けた肌がねたましい。
とはいえなつかしいきょ~でぃ~達との再会もあって、夜の部は充実の一途。仲田さんのお嬢さんにもお目にかかって、また親戚が増えたよう。宮城君も元気で、シーサー作りの合間に、北谷で土曜の夜ジャズの路上ライブをしているという。また爆睡と労働のあいまに沖縄原種豚・あぐ~をゲット!串焼き、トンカツ、焼き肉と各種試食した結果、脂の質は日本一と認定した。な~んていっている間に台風7号が接近、風雨の東京へまたもや無事に着いたのだった。えへん!!

坂田明氏と美也子ママ

あの、ジャズの坂田明氏がとうとう!登場。美也子女史の義兄・小澤氏の華麗なるご人脈の御一人である。小澤氏も大変な才能の持ち主だが、その道の達人たる坂田氏の演奏たるや、狂瀾怒濤!阿鼻叫喚?の凄まじさ。この二人のセッションは、CSの書評番組で。
また福岡からは美也子女史のお母様のご来廊。エレガントなお母様と美也子女史を囲んで、夜は昔のお仕事仲間がお食事の席を。今もそれぞれにキャリアを積んでいらっしゃる方々も、会えば新人の頃に戻ってにぎやかに歓談。友遠方より来たる、、宴は佳境へ悦子は夢境へ

 

NHK文化センター青山教室の講座で『銀座・京橋画廊めぐり』を担当し、画廊とは???と入り口で立ちすくんでいる方々を、めくるめく美の世界にご案内するお役を。
講座部の船越嬢のもつNHKの緑の御旗を借受け、京橋界隈のイベント中の画廊を次々と見て歩く。タイプの違う絵画、また画廊主が醸し出す画廊の雰囲気に自然になじむまでは、かなりの熟練がいるにしても、絵を見ることは楽しいこと。一人ではまた気がつかない銀座・京橋界隈のけもの道の魅力をこの道20年の悦子が噛んで含めるように。
ご夫婦で御参加の方も含めて20名の方たちと歩いた数時間は悦子にも新鮮な一時。写真を撮るのも忘れて最後に残った方と証拠の一枚。

 

京橋界隈画廊巡りツアー

NHK文化センター青山教室の講座で『銀座・京橋画廊めぐり』を担当し、画廊とは???と入り口で立ちすくんでいる方々を、めくるめく美の世界にご案内するお役を。
講座部の船越嬢のもつNHKの緑の御旗を借受け、京橋界隈のイベント中の画廊を次々と見て歩く。タイプの違う絵画、また画廊主が醸し出す画廊の雰囲気に自然になじむまでは、かなりの熟練がいるにしても、絵を見ることは楽しいこと。一人ではまた気がつかない銀座・京橋界隈のけもの道の魅力をこの道20年の悦子が噛んで含めるように。
ご夫婦で御参加の方も含めて20名の方たちと歩いた数時間は悦子にも新鮮な一時。写真を撮るのも忘れて最後に残った方と証拠の一枚。

 

イグナシオ・ブルゴス展初日


恒例の京橋界隈展に、悦子画廊ではスペインの画家、イグナシオ・ブルゴス氏を御紹介。これはニューヨークのM.Y.Art Prospects との交換展でもあり、来日したオーナーの吉永美也子女史を画廊に迎えてにぎやかな初日となった。
通称ナッチョと呼ばれるイグナシオ画伯は1968年マドリッド生まれ。スペインの美大を終えたあと、ドイツのベルリン芸術大学へ留学、95年から98年までニューヨークに滞在しロングアイランドのロフトで制作した。現在はマドリッドをはじめマヨルカ島、カサブランカなどのアトリエで制作、ヨーロッパ各地とニューヨークで個展を開催する。また日本では、今展が初めての御紹介となる。
吉永女史は画廊を立ち上げる以前から、彼の仕事に注目し、開廊第一回展を彼の紹介とした。いかにもラテンの人らしく明るいきさくな人柄との事だが、それとうらはらに、作品は孤独な色合いも内包する極めて深遠な印象。ドリッピングで画布にしみ込ませた色は、東洋画のたらし込みにちかい効果で、激しいがしつこさのない独特の調子を醸している。
日本の留学生はスペインの超細密画を学んでくるが、プラド美術館のお膝元で育った彼は、ゴヤやベラスケスをこよなく愛しながら、その骨格を奪回して現代を生きる自分の表現にしようとしている。古典的な要素と抽象性、西洋の表現と東洋の表現を身の内に矛盾なく持つ彼の作品には、明確な意志あるいは魂といったものが感じられ、しばし時間を止めてくれるようだ。
ご協力いただいた吉永女史のお姉様ご夫妻はじめ、ご友人,同級生の方々、また今年文化庁の派遣でニューヨークに行く画家さんたちなどたくさんの人でにぎわいを見せる画廊の画像と、芦屋の小野嬢の見目麗しい挑発につい素地を出してしまった久々ハズカシ画像を。

堀文子先生御誕生日の集い

かぞえでいえば米寿のお祝いー大正七年生まれの堀先生のお誕生会を、多摩美堀クラスの各世代が集まって。
数年前には酸素ボンベを背負ってヒマラヤに登山、幻の花・ブルーポピーを描くという念願を果たされた先生。今はほとんどが五十代四十代となった各世代の卓を回りながら、流動食を楽しげに痛飲なさる。
今日のために、軽井沢の別荘を降りてきて下さった堀先生と、箱根の山から降りて来て下さった中野嘉之先生を囲んで、宴はたけなわ。「そんな下品な事、今までしたことはございません!」という先生にして初挑戦となったバースディケーキろうそく吹き消しの顛末は以下の通り。またお祝いに送ったレースの卓布を、うちのは卓袱台だからとショール代わりに肩に羽織るなど、お茶目心全開の細かいお心遣いに生徒たちも大受け。次は白寿のお祝いと約した事だった。

水無月尽ーデビュー戦とともに

 

あ~ん、月日は百代の過客にしてもう最終日?あっという間に悦部屋の砂時計はヒックリ返るのね。千晴画伯と過ごした時間のういういした感じをお伝えしようと思ううち、今日を迎えた無念ー同じB型の哀感を語り尽くせぬまま水無月は果てゆく、、。
まあ色々ありまして、悦画廊初個展の怒濤に巻き込まれた画伯、さぞやお疲れだったろう。一家中が画家という恵まれたような恵まれないような環境のなかで、絵を描いてきた画伯のこし方はいずれまた語るとして、一人画家として立っていく決意は今展を待つまでもなく定まっていたと思う。いろんな迷いはいつも付き物にせよ、30代の頃は画家としても正念場。迷う時には迷うがよろしいーといつも迷ってばかりの悦子に説得力はないが、その末の決断は無謀に近いほど早いB型の特徴を千晴画伯も発揮して、ぐずぐず、めらめら、の道を繰り返しているらしい。

何が夢?ときいたら幸せになりたい!と。何度も絵をやめて好きな手芸をやったり絵本作家になろうとした事があったというが、結局絵に戻ってしまうのも運命か。いまのところ千晴画伯のお幸せは、猫のコウちゃんと過ごす時間に尽きる。その宝物のような時間を絵に描いて見せてくれた今展、身近にいる人にしか観察できない猫の色々な姿態に、そうそうこれよ!と頬をゆるめた人も多かったに違いない。

だが、それで終わらないのが画家の道。ていうか、それを許さないのが画商の道。もっと大きなお幸せのためにパンドラの箱を開けろーなど口走る我が身が恐い。

いずれ千晴画伯の成長と出会う人々との御縁が、今の境遇から歩を進めさせていくのだろうが、定石ではなく、大きな展望を睨んだ次の一手となるように前途を祈るものである。
今展でも日展の土屋先生、どんどんやりたいことをやれと激励のひとこと。お父様の能島和明画伯や叔父様の千秋画伯、お姉様の浜江画伯などお身内もそれぞれご来廊下さった。また、最終日には、同級生にして仲良しの高木麻里ちゃんがいらして、ひとしきり青春編。画廊回りが板に付いてきた多聞くんを連れた野地氏や本江氏、梶美術店梶氏などプロの見者も、丹念に見て下さってありがたし。多くの方に励まされ、千晴画伯にとっては大きな一歩となった個展だったと思う。さらなる健闘を!!

 


Parse error: syntax error, unexpected 'string' (T_STRING), expecting function (T_FUNCTION) or const (T_CONST) in /home/users/web13/8/0/0241308/www.shibataetsuko.com/wp/wp-content/plugins/pagebar/class-postbar.php on line 20