第二回男の墨・女の墨展

男の墨・女の墨二回展が始まった。昨年の初回にどんなことを書いたか念のため調べたら、何やらもっともらしい事が書いてある。重複する事柄なので初心を以下に記してみることにした

Gender series と銘打っての初回、「男の墨・女の墨」展を開催した。そもそも「墨」を使う画家が多いなかに、男と女で墨に対する姿勢が違うと感じたことが始まりだった。当画廊の扱い画家たちで、一度その比較が出来ないかと声をかけてみた。
Genderとは簡単にいえば社会的な意味での性差をいう。ここでは「墨」という書画にとってなくてはならない素材を対象に「男の墨」と「女の墨」と違いをみてもらった。
十数人の作品が並ぶため、男性作品の壁は黒くした。そのためもあろうが作品たちは厳しく緊張感に満ちたものに思われ、一方女性作家たちの作品はとらわれのない自由なものと感じられたことだった。
もともと中国の書画に影響を受けた日本の「墨」作品は長い時間の間に独自の発展と遂げて来た。唐渡りのものを取り込み手本としながら、宗教や文学、思想と軌を一にして進化し、固有の美意識を披瀝するものとして一段格の高い扱いを受けてきたように思う。
一枚の書画に世界観、宇宙観が込められている、というのは勿論理想とするところだが、汲み取るべき美意識は描き手や時代とともにその衣を変える。 維新以降、また戦後以降の前衛の試みはほとんど男性画家たちの仕事である。「墨」もどちらかといえば男の嗜み。
ところが、今や歴史に例のないほど女性画家たちが活躍している時代だ。「をとこのすなる」墨絵だって、ほとんどタブーを考えることなく果敢に挑戦。世界観を考える前に、描きたいものを描きたい、という欲求に従って使っている。下手も承知のコンコンチキ…といえば少し大げさだが、墨という大きな素材を自分の作品に必要な一つの材料として見ている、というところか。
一方、これまでの歴史を背負う男性画家はそうはいかない。入念に腕を磨いたうえ作品に世界観を構築していく。また世間の目も厳しい。へなちょこな墨を描いたら笑われるのである。力が入らない筈はない。
このような社会的な違いと使い方の差はあるけれど、「墨」は画家を魅了してやまない。また今回の作品はどれも私が心のなかで「名品」と名付けている品々。敢えていうまでもないがそれぞれの画家が、「墨」と格闘してできた作品たちである。それぞれの性差のなかに、自分しか描けないものを描きたいと念じた画家の自画像と思って展示させていただいた。
画家それぞれの「墨」を出会わせる機会は、団体展でもない限りなかなかないもの。「墨」という共通項のもとに年齢や性別を超えた研鑽の場があればと思い、今展を立ち上げた次第である。

いかがであろうか。趣旨は前回と一緒だが、今展では「女の墨」のボリュームをアップし、新恵美佐子・林典子の両人にお声をかけた。またニューヨークで発表した浅見貴子の作品も展示し赤い壁面にかけてみた。その結果ひとつの面白い現象がわかった。男の墨は黒く、女の墨は白い、ということである。同じ墨といっても、墨の部分と紙の部分の比率に差がある。今展の偶然の所産であるのか、その空間意識の違いなのか、一概にはいえないが、壁面を赤く覆ったことでその違いが見えて来た事が興味深かった。今展では男組に、中国の水墨画の俊才・朱海慶に加わってもらったことで深みが増した。来年は新作を揃えて、さらに鎬(しのぎ)を削ってもらおうと思っている。

 

 

万葉を描く日本画展

万葉集4500余首のなかから、それぞれの画趣に合う一首を選び描くーという企てが、さいかや川崎店のあと連休をはさんでいよいよ開催された。
周知の通り、万葉集は現存する最古の歌集で7世紀半ばから8世紀半ばにかけて詠まれた歌が20巻におさめられている。天皇から庶民まで身分や歌風をこえて幅広く蒐められた歌垣は、その後千年の時を経ても多くの人々に愛され続けている。
普段、ことさらに万葉集といって本を繙かなくても百人一首や教科書で親しんだ歌も多くあり、その驚くべき浸透力には今更ながら瞠目するばかりである。
今展を構成する画家たちも、4500余首の歌たちに分け入ってその世界を自分たちの血肉とした。また、選んだ歌も多岐にわたり一首として重なりがなかったことも申し添えよう。
それぞれ案内状用に選んだ歌を50音順に記す。

池田美弥子 美奈の瀬・鎌倉由比ガ浜(4号)
ま愛しみさ寝に我は行く鎌倉の美奈の瀬川に潮満つなむか(詠み人しらず)
磯部光太郎 万葉の銀河 (8号)
天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎかくる見ゆ(柿本人麻呂)
織田有紀子 春の耳成山 6号
香具山は畝傍を愛しと耳成と相争ひき神代よりかくにあるらしいにしへもしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき(天智天皇)
越畑喜代美 恋する時に 60×15
卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思にして(詠み人しらず)
小松謙一 ももいろの刻 6号
桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ(詠み人知らず)
鈴木強 笑うトラ 6号
虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍捕り来む剣太刀もが(境部王)
松谷千夏子  松枝  大衣
八千種の花は移ろふ常盤なる松のさ枝を我れは結ばな(大伴家持)
山下まゆみ 国見の歌(月)白虎 75×20
大和には群山あれど とりよろふ天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原はかまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島大和の国は(舒明天皇)
山田りえ  うつぎ 6号
佐伯山卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば花は散るとも(詠み人しらず)

どうだろう、この選歌は。画想から入るか、歌から発想するか。それぞれの画家の意気込みがみえるようである。おおらかな恋の歌、国褒めの歌、植物の歌、東歌、果ては天体を巡る歌まで万葉びとの自由な発想の舟にのって、画家たちは大海に漕ぎ出したようだ。
自然や風光に自身の心情を託して謳う、といういかにも日本的な表現は絵の世界にも通底するもの。これ以後、幾万の歌がうまれテクニックの堆積のなかで徐々に本来の言葉の力がなくなってくるなか、何度もこの「古拙」に戻りここから力をもらって再生してきた事を考えると、本展の画家たちの挑戦も宜なるかなと思えるのである。
本来の「言葉」の力、「絵」の力は野太く直裁でストレートに胸に届くもの。「美」という衣にそれらを包みそれぞれの世界観を託す訳だが、時代が下ると衣の方が厚くなりすぎて中身が見えてこないようになる。
本展では、万葉の歌を借りて、もっと素直にもっと自由に発想しようという画家たちの意欲をかいま見せてもらった。回を重ねるごとにこの千年の時を超えた「言葉」と「絵」の往来は楽しいものになるに違いないと期待しているが、次の展開は如何に?
画像は万葉に因んで「草の宴」。野山に若菜を摘みにでた元乙女たちによる心尽くしの一夕である。ちなみに「この岡に菜摘ます児 家告らせ 名告らさね」と言い寄る殿方はいませんでしたな、残念ながら。

三笑展ー橋本龍美・野崎丑之介・牛嶋毅

三笑展ー橋本龍美先生の命名による本展は、先生に私淑する野崎丑之助と牛嶋毅の願いが結実して実現した。古来画題となってきた中国の故事「虎渓三笑」は雪舟や曾我蕭白の筆で知られるが、次に簡単にその略意を記す。
東晋の僧、慧遠は廬山に隠棲し俗界禁足して30年山を出なかった。訪ねて来た客人を見送るときも、山の下にある虎渓の橋を越えることがなかった。ところが、ある日友人の陶淵明と陸修静を送っていって、道中話が弾み気がつくと虎渓の橋を渡ってしまっていた。そこで三人は大笑いした。
それぞれ仏教、儒教、道教の象徴的な人物として、これらが融合する唐以降に三位一体を示すものとして流布したということだ。
この故事をふまえ三人展の名とした橋本先生の含蓄は、見事に三人の関係まで示唆していて、これにうなったのは私だけではあるまい。「三笑」は自由ということである。立場を越え、年齢を越え、集う仲間が計らいなく笑い合う。そういう場に立とう、と先生は後輩画家をいざなう。
このいざないに、野崎丑之助は大島紬の生地に五不動を描き、牛嶋毅は曾我蕭白から画想を得て、板絵に挑戦した。いずれも創画会では発表していない新たな取り組みである。大胆にして不敵しかも細心ー先生の画風から大いに刺激を受けて描いた作品だった。
1927年生まれ今年齢81歳の橋本龍美先生は、新潟は加茂出身。新制作日本画部から出品。創画会の創立メンバーでもある。古典や習俗に取材した摩訶不思議な世界を奏でる画家として、唯一無二の境地にいる方なので、俗世間と交渉は絶っているとばかり思っていたところ、その先生に虎渓の橋を渡らせたのが、くだんのお二人なのである。画像は呵々大笑の証しーことのほかお優しい気骨の方であつた。
その先生が出品して下さった、国芳の「壇ノ浦」模写が素晴らしいかった。模写といえば、本画の勢いがどうしても削がれてしまうものだが、先生の取り組みは本物を凌駕するパワーを絵に与えていた。一線一描に魂を込めて描いたに違いない、と思わせる力作だった。
このような仕事を、懐中に呑んでの制作である。後輩たちに指し示す道は、笑いながらも厳しい。しかしそれに適う人材と見込んでの「三笑」展だったに違いない。どうか、来年も虎渓の橋を笑いながら渡って下さいますようにと願うや切。

男の墨・女の墨展

Gender series と銘打っての初回、「男の墨・女の墨」展を開催した。そもそも「墨」を使う画家が多いなかに、男と女で墨に対する姿勢が違うと感じたことが始まりだった。当画廊の扱い画家たちで、一度その比較が出来ないかと声をかけてみた。
Genderとは簡単にいえば社会的な意味での性差をいう。ここでは「墨」という書画にとってなくてはならない素材を対象に「男の墨」と「女の墨」と違いをみてもらった。
十数人の作品が並ぶため、男性作品の壁は黒くした。そのためもあろうが作品たちは厳しく緊張感に満ちたものに思われ、一方女性作家たちの作品はとらわれのない自由なものと感じられたことだった。
もともと中国の書画に影響を受けた日本の「墨」作品は長い時間の間に独自の発展と遂げて来た。唐渡りのものを取り込み手本としながら、宗教や文学、思想と軌を一にして進化し、固有の美意識を披瀝するものとして一段格の高い扱いを受けてきたように思う。
一枚の書画に世界観、宇宙観が込められている、というのは勿論理想とするところだが、汲み取るべき美意識は描き手や時代とともにその衣を変える。 維新以降、また戦後以降の前衛の試みはほとんど男性画家たちの仕事である。「墨」もどちらかといえば男の嗜み。
ところが、今や歴史に例のないほど女性画家たちが活躍している時代だ。「をとこのすなる」墨絵だって、ほとんどタブーを考えることなく果敢に挑戦。世界観を考える前に、描きたいものを描きたい、という欲求に従って使っている。下手も承知のコンコンチキ…といえば少し大げさだが、墨という大きな素材を自分の作品に必要な一つの材料として見ている、というところか。
一方、これまでの歴史を背負う男性画家はそうはいかない。入念に腕を磨いたうえ作品に世界観を構築していく。また世間の目も厳しい。へなちょこな墨を描いたら笑われるのである。力が入らない筈はない。
このような社会的な違いと使い方の差はあるけれど、「墨」は画家を魅了してやまない。また今回の作品はどれも私が心のなかで「名品」と名付けている品々。敢えていうまでもないがそれぞれの画家が、「墨」と格闘してできた作品たちである。それぞれの性差のなかに、自分しか描けないものを描きたいと念じた画家の自画像と思って展示させていただいた。
画家それぞれの「墨」を出会わせる機会は、団体展でもない限りなかなかないもの。「墨」という共通項のもとに年齢や性別を超えた研鑽の場があればと思い、今展を立ち上げた次第である。

 

七味展ー5度目のまことーその2

卒業して5年。それぞれに仕事のキャリアも積みながら、絵を描いて来た面々。展覧会のスケジュールが立て込んで今回は欠席となった矢島史織画伯もがんばっているが、美術館勤務で目を養いながら今回大胆な抽象作品と日本画らしい二点を仕上げて来た永田麻子画伯にも拍手を送りたい。
去年までの可愛らしい作風を捨て、フラットな画面に徹して平塗りを追求した画面は、一年間の精進を伺わせて秀逸。その大人らしさに一番驚いたのは私かも。今後さらにきわめて欲しいと期待度も大。
また、キタッキーこと北田幸恵画伯もアクリルや水彩などミックスしながら、「生命樹」という大きなテーマに挑んできた。このシリーズはこれからも追いかけていくのだろうが、単純なフォルムのなかに力強さがあって面白い。
田沼翠画伯は紙に線描の仏画シリーズを今回も。体が美女で、体が鳥という「迦陵頻伽(かりょうびんが)」は梵語で妙音鳥の事。その美声を佛の声の形容とする、とのことだが、古美術の仕事に明け暮れるなかで、このテーマに出会い、以後研鑽を積んでいる。今回の作品に「ほんとは私雀なの」という作品があり、品よくこなれた作品になったと感心した。
最後に遠方のため、会期中来廊出来ず作品だけの参加となった大里友輝画伯。彼は仕事はもちろん、結婚もし子供にも恵まれて、一番取り巻く環境が変わった一人だ。毎回違うスタイルをみせてくれるが、今展では動物がモチーフ。天を仰いで咆哮するゴリラに「が」と題名をつけたところが憎い。今展では画像に参加できないので、最終日手伝いにきてくれた同級生の市川画伯にお願いして代わりのショットを。もちろん大里画伯もナイスガイです。念のため。
グループ展も色々だが、それぞれ卒業以来生活と画業の両立に奮戦することに変わりない。卒業時にであった面々は意欲はあれど、ややこころもとなかったものだが、五年の歳月というもの、あれこれもめながらもよく気持ちをキープした。一、二度であえなく終わっていまう展覧会もあるなかで、描いていこうという意思を貫いてきたことを、改めて評価したいと思う。
お互いの仕事に刺激を受けつつ独自の画境を切り開いてほしい、と切に思う。
恩師米谷先生や先輩がたの激励を受けつつ最終日をむかえたメンバーを最後にご紹介しつつ、、。

七味展ー5度目のまこと

卒業時に、これからの航海を思って不安にならない画家はいないー2003年度の卒展と同時に旗揚げした七味のメンバーにとっても同じことだったろう。仕事をしながら描ける枚数は限られている。年に一度の研鑽の場にと会場を銀座に移してはや四年。まだ二十代とはいえ、やはりかつてとは違う面々の色々を、少し検証してみようと思う。今日は取り急ぎ、当番のメンバーの額縁ショーから。
ちなみに上から尾高佳代画伯。前年までは「足」を面白い位置から切り取った作品など、軽快なものが多かったが、今展でほしっとりと百合の気配を感じ取った作品を二点発表。清潔でリリカルな作風は本人のキャラクターと見事に重なる。
また、先頃個展を終えたばかりの手塚葉子画伯は、精力的に筆が走った作品を描いた。「望月」と題した作品は、実際の月ではなく源氏物語に通う女の後ろ姿をかいたもの。長い黒髪が刷毛の動きで表現されている。天真爛漫な手塚氏の奥底の情念なども想像されて楽しい一点。最後の和田知典画伯は昨年腰を痛めて残念リタイア。全快した今年は気合い十分の作品を持ち込んで来た。郷里に帰った恩恵か、水分をたっぷり含んだみずみずしい作となった。前回までの墨を多用した作品から、色が復活。ツタの鮮やかな色彩が渋いバックに映えて美しい。
みな若いながら荒波をかいくぐりかいてきたのだなぁ、と思えて愛しいことである。次回は、今日これなかった面々のご紹介を。

日本画四人展ー「穿」展始まる

金沢美大同窓生による東京・銀座大展覧会ー参加企画として柴田悦子画廊では俊英作家四人の展覧会をお引き受けした。以下バーチャル展の出品順にご紹介すると、鈴木良平、大澤健、松井良之、吉川尚吾の面々である。
かれらの用意したステイツメントは以下のとおり。

日本画四人展「穿」は、金沢美術工芸大学大学院 平成18年修了3名、平成19年修了1名の4名からなり、現在、日本画材を用いた表現を主として活動しています。
「真に新しいものなどなく、新しいものとは概に在るものをいかに捉えるかである」ことを理念に、物事を穿ち続け、これに賛同する者がいることを活動の主体とし、今後回を重ねていけるよう邁進していきたいと思っています。

「穿(うが)つ」は点滴石を穿つとか穿った見方とか、物事を鋭く掘り下げる意につかわれる語。あくまで実を見据えて「真」を穿とうとする 彼らの意思だろう。大真面目だけど、偏っていない見方が絵という虚を実にする。四人とも上方生まれの明るい批判精神を持ち合わせて、侃々諤々、喧々囂々、談義を重ねながらの「穿」展の道中だったに違いない。
金沢美大の諸先輩たちや後輩たちが銀座の123の画廊を占拠して繰り広げるこの度のイベント。そのなかにあって彼らの一作が、銀座にどういう点を穿つか。楽しみに反応を待つ事にしよう。

第四回 七味展始まる

多摩美を四年前に卒業したメンバーによるグループ展が今日から。昨年までのテーマ「連画」から、今年は「萬里」という言葉へと移行ー作者それぞれの心にある変わることのない真理、自然、万物を描きだそうという試みだそうである。一つのテーマから広がった自由な心理を感じて楽しんでもらいたいと願う彼らの展覧会の模様はいかに?
まずは『萬里』にかんするそれぞれの思いを画像順にご紹介しよう。大里友輝ーー「地球でしかないということ」  人の本質も単純な感覚ほど変わらないし、動物だって植物だって生きていくこと以外考えないという事は変わらない。地球の上でぶらぶらしながら、太陽があるなら真面目に生きていたい。自分の中で万里とはそういうこと。
田沼翠ーー「輪廻転生」萬里とは、すべての現象は刻々と変化するが真理は永遠に連なっているということ。
尾高佳代ーー「ひかるもの」いのちのともしびなんてことばをよくきくけれど たしかにどうももえてひかっているものがからだのどこかにあるらしい ぱちぱちとおとをたててもえあがる炎もあればろうそくみたいにしーんともえている炎もある ぼんやりしてみえないくらいの炎だとしてももえていないとはいえないでしょ ぼんやりでも、メラメラぱちぱちゴーゴーでも、きえることのない炎だということはかわらないことだとおもう
北田幸恵 「わたしのなかのかわらないもの」ずっとかわらないと思っていたものがかわってしまった。でもすぐかわるかもしれないと思っていたものが意外とねばっているような気もする。だから、さがしつづける。かわらないもの。
永田麻子ーー「流れ」 ヒトを主体としなければ変わらぬものなど何もない。 だけどわたしはヒトだから変わらぬ’何か’を決められる。長く、変わりゆく流れの中、それは見つかるでしょうか。
手塚葉子ーー「Link」萬里は存在するのだろうか。そんなことを抜きにしてもわたしは、そんなものないと思う。例えば、ひとつの出来事あった。それは長いこと時間をかけて良い思い出になったりする。当時何でもなかったことが。 それは逆にも起こる。良い思い出が、忘れてしまうほどのはなしだったりと。食物を食べる、これは一時的なこと。それを放置する。どんどん小さくなる。どんどん入りが変わって 濃縮されていく。縮んでいく。常にそれは変化しつづける。食べたという出来事そのつながりでしかない。それ以下でもそれ以上でもない。勘違いはしたくないものだ。常に変わるのだ。変わらないことが変わらない秘訣だ。私は常に変わっていきたい。変わることが変わる世の中で変わらないことになると思うからだ。
矢島史織ーー「光線」私の中に映る現象。それは光と影の世界。太陽が有り続ける限り、永遠に不変である。

PLUS#1展 初日

多摩美大日本画科OBの4人によるグループ展が今日発進。1998年に卒業したメンバーは、その後個展やグループ展など個々に画歴を重ねてきたが、卒業後まもなく十年になろうとする歳月に一つのくぎりをと今展を企図したという。
そのDMには今回の幹事古市氏の名前で以下の挨拶が書かれているー。
『展覧会という瞬間を目指し、私たちはplusという駅に集まりました。そして、それぞれの思いを表した作品はこの場所で重なり合い、またそれぞれの場所に戻っていきます。交わることは離れていくことに繋がりますが、それを恐れては得るものも、生まれてくるものもありません。10年来の友達と再びここからはじまります。』
plusは+。それぞれ違う方向からきた道が十字にクロスする時が今だ。バーチャル展画像で紹介した順にメンバーを記すと、今展幹事の古市正彦画伯。今展では静物を中心に。佛淵静子画伯は人物の微妙な表情を。小島健司画伯はリリカルな形象を平面に。また天内純子画伯は一貫して水の表現を追求する。個々の個性が際立ち、同サイズで描いた競作の壁面は一見何のつながりもないが、トータルとして見た印象に違和感はない。よく考えられた構成で、卒展のころとはまた違う画家たちの成長がみえるようだ。それぞれ仕事を持ちながら、少ない時間をやりくりして絵を書き続けてきたキャリアをどの画面からも感じる。
自分の仕事にプライドをもちつつ、交差することでさらなる刺激としていこうとする意欲がそこかしこに見られて気持ちがいい。ここがまたスタート。多くの仲間たちにその意欲がまたつながっていきますように。

半歌仙ーひろがる七味

 

以下、少々長いが曜・佐々木八感宗匠に捌きをお願いして巻いた半歌仙の記録を。また助っ人に俳句仲間のさくら、馬入。飛び入りにWeb大里氏も。
半歌仙 「ひろがる 七味」 佐々木八感捌
春寒の椀にひろがる七味かな 柴田遠見
あたたかき日を待ちて談笑す 柳田馬入
融雪のなかふきのとうあくびして 和田知典
携帯電話震えだすなり 吉野さくら
宝石の如く輝く三日月夜 北田幸恵
まぶた閉じればこおろぎの声  矢島史織
見上げれば雲ひとつなき秋の晴 幸恵
常より長く感ずる時間 手塚葉子
夏の海桜貝ひろう肌やきつ 大里友輝
アイポッドからボサノバのうた 大里俊博やきついた双眼の色君の声 田沼 �
積もりては舞う枯葉のなかに さくら
澪の筋きらきらと秋の月 永田麻子
しのび足親とのバトルさけるなり 葉子
尾を高々と恋猫のくる 遠見
散りてなお紅ほのかなる花の山 尾高佳代
古き鞦韆(ぶらんこ)ゆるりゆるりと 佐々木八感
はてさて、名残の半歌仙はいつ卷け

るやら、、。風雅の道は遠いのぉ。八感宗匠ありがとうございました!

 

メンバー紹介

学部卒業時に七人で始めた第一回展は、卒制展の意味もあり世田谷美術館の区民ギャラリーで。今回は一人加えて、社会人になったメンバー五人と大学院二年のメンバー三人の八人。

お母さんのお年が悦子と一緒というお年頃の方たちに、新鮮な息吹を感じるのもお年頃?
詳しい展覧会の日々は最終日に一挙掲載の予定につき、今日は若いタイプの違う美人の画伯たちの画像で許してね。

 

七味展始まるー七日より

沖縄での仕事を終えて画廊にたどりつくと、昨日七日から始まっている「七味展」のメンバーがもうすっかり画廊になじんで迎えてくれた。
実は八人いる「七味」。色々な個性が渾然一体となりつつ、前の絵のイメージを次々と自分味に展開していく。もともと連歌という座の文芸から触発されたもので、前の人の五七五の次の人が七七をつけて連綿と続く歌とするように、絵を描き連ねて一つの展覧会にしようと志したもの。
多摩美院二年在学の三人と社会人となったその同級生五人が10号二点ずつ16点で構成する「連画」ー趣旨はバーチャル画像でご覧あれ。今日はメンバーの御紹介から。

LABO展最終日

16回目という、グループ展としては破格の回数を誇るLABO展ながら、沖縄という共通のテーマで取材した今回は、三人三様の個性が際立った展覧会となった。
サブタイトルの「なんくるないさぁ~」は沖縄で「なんとかなるさ」「大丈夫、大丈夫」くらいのニュアンスでつかわれている言葉だが、なんとかならなくてもなんとかしちゃうのもこのメンバー。
トシ君画伯ひとりがO型で、みそそ画伯、きりりん画伯、悦子はB型という破天荒な組み合わせながら、マイペースがいいペースになっている。この間テレビでO型男とB型女の組み合わせが最高だといっていたが、取り敢えず今展に限っていえば、おおらかに構えるトシ君画伯の前で、のびのび振舞うB型女という図式が見事にはまった。
その結果、食べたいものを食べたいだけ食べて会期中全員が太るということに。まったり沖縄時間で過ごす昼下がり、トシ君画伯の描く「美ら島」が風を運び、きりりん画伯の花たちが陽光を伝え、みそそ画伯が走りまわった市場が南国の芳香をかもす。サンシンも流れる画廊内には誘われるように、次々とおいしいものをご持参の方々が。
昨日は沖縄でさんざんお世話になった牧ちゃんが、同級会でまたお里帰りして、牧志の市場でおいしいものを沢山お持ち帰り。武大人ほか茅ヶ崎組もラッキーな一夕となったことだった。悦子とみそそ画伯はS学館の黒川氏と、鴨なべを賞味に。種子島の本物の鉄砲のある座敷の鴨はまた格別で、東京タワーの下にこんな粋なお狩り場 があるとはびっくり!見事に北から南から珍味が届き、食文化の奥の深さに秋の到来をしった悦子。
LABO展が終わればもう初冬、そろそろ去年今年などとおもう頃となるのである。それなのになんと、トシ君きりりん画伯は、この後一気に北海道に飛び北の味覚を堪能するのだとか。沖縄から北海道まで、南北に長い日本の四季は様々。たまたま神奈川というへそのような位置に住う画伯たちは、それぞれの色を作品に移しながら果敢に次の猟場に向かうのであった。

LABO展ー16th沖縄出張帰り展

昨日まで展覧会の同級生・分島氏の娘花音(かのん)ちゃんが16才ーてことは生まれた年に始まったのかLABO展は。と思うと感慨深いものが。昨年の15thのDMではその期間の事件一覧を載せて振り返ったが、花音ちゃんの姿をかりて年月をみると、う~ん一言では言い尽くせぬ人生模様が浮かぶんだなぁ。
なんて走馬灯をまわしてる場合ではない。LABO恒例怒濤の当日搬入だ。前の会期を深夜に終えてよしよしと自分の頭をなでてから数時間後の午前7時。子犬タクシーたっちゃんのピンポンダッシュ!で初日が開ける。
とはいえ、16thにつきほとんどおまかせの展示。一時間前にはすべて準備完了で、悦子は秘密のおでかけ。うふふ、、。帰るころにはパーティの準備も完了して、まさに上げ膳据え膳状態。
みそそ旦那たっちゃんが家で炊き上げたご飯が釜ごと据えられたテーブルには、アンダンス~(肉ミソ)やらトシ君手製ラフティやらゴーヤやら、数度にわたる取材と称した沖縄行きがもたらした食文化の粋が。炊きたてあきたこまちにアンダンス~をのせて食せば蘇る極彩色の世界!
そう、1か月前台風のなか沖縄三越で搬入したのもこのメンバーだった。それ以後もう何か月もたったような気でいたが、それぞれに過激な日々を乗り越えて今日の再会となった次第。久々ご登場のいもきん小黒氏やトシ君の御仕事関連の松井氏西村嬢、吉村君、大里っちなどご常連ほか、祭日にもかかわらず沖縄文化の研究にいらした方々が多数。

搬入日だけどおまけ編

なにせ、エンドレスの長旅につき旅立ちの光景を。果たしてまた一年後に相まみえることができるか?
悦子は悦子の挑戦、画伯たちは画伯たちの挑戦。更なる崖っぷちの綱渡り、必ずバージョンアップして再会を!!
ーにつき、お宝画像を。トシ君画伯麒麟画伯は今日は黒いマニキュアでお揃い。悦子とみそそ画伯は、さすらいの行商・越後獅子編で。
いらして下さった皆様、また来年お楽しみに!再見!!

LABO展ー15th/最終日の怒濤!!編

いや~濃かった!今回のラボ15周年(執念?)。御紹介しきれないくらいいろんな方に来ていただいた。
トシ君画伯のお父上お母上、四日市の叔父さま叔母さま、麒麟画伯のお仕事場の同僚・岡田ナナご夫妻、トシ君画伯の中学時代の同級生さんたち。みそそ画伯の中学時代の同級生・美藤さん親子、武大人、林田パパ、彫刻家の池田氏、我等が先輩鈴木つよちゃん画伯などてんこもり。
いろいろのドラマがあった本展、画伯たちの16年目にむけての画像は、明日のおまけ編で

LABO展ー15th/同級会・のような・もの

堀文子クラス最後の学年で招集がかかればすぐ集まるわがクラスも、働き盛りのお年頃、なかなか全員集合は難しい。今日は、美術カタログのデザインをしている直ちゃん一家と、文化財の修復から漆の仕事を始めたワケさん、フクダ上海氏の奥方でもあるわこちゃんが集まってくれた。
また、八ヶ岳セレブ・アズピ夫人、一学年上だが、みんなと同い年のりえぞー画伯、悦子と予備校同期の西山美智子ちゃんなどで大にぎわい。卒業後初めてあう人たちもいて、15年記念の同級会は、場所をなだ作にうつしてさらに盛り上がるのだった。
ちなみに、昨日のエステの成果はどうよ!の画像を。衣装はあの岡本夏生似のひろちゃんが、ハワイでの会議できたボディコンシャス。派手な衣装がこんなに似合う私って?後ろはチーママ風の麒麟画伯。こういうしっかり者の人がいれば繁盛間違いなしなんだけど……。

LABO展ー15th/今回はこれがみどころー麒麟画伯編

学生時代からの愛称「きりん」を『麒麟』という雅号にしてはや二・三年。本名の直美落款の時はややおとなしめの画風だったが、名は体をあらわすもの、麒麟画伯となってからは走る走る…。
はじめて会った時は、まだおさげ髪の女学生。山脇のセーラー服がよく似合う受験生時代だった。数少ない現役合格の同級生中でも、とりわけお嬢様風だったが、描く絵は大胆そのもの。あ~思い出す、麒麟画伯の課題第一作目の百合の花。楚々とした風情のどこからこのモダンな構図と奔放な激流のような色彩がでてくるの?田舎のお嬢様だった悦子はびっくりしたもの。
その路線でいくのかと思いきや、本人の思惑はまた別なところにあったらしく、Labo15年の歴史中も絶えず模索していた感がある。実生活では、バリバリの仕事師でもあり、出世頭でもある彼女の生活は当然激務だったに違いないが、一度も休まずその都度の自分の感覚を誠実に追求してきた。
激流が伏流水となってさらにおいしくなるように、この軌跡を経ていきなり画風がバージョンアップした事を今回は特筆したい。迷いを断ち切って楽に筆を運んでるようにみえる本展の作中、まず『妖陽』が目についた。秋の日差しの中の、花々の輝き。麒麟画伯に見える陽のきらめきはいろいろな色を映し、絢爛豪華、しかも凛然としている。麒麟そのものの自画像とも言うべきこれら作品は、これが描きたいをストレートに具現化していて見事。
この歯切れの良さは、やはり江戸っ子の粋か。まさしく小股の切れ上がったいい女の啖呵を聞くような気持ちよさがある。その内に秘めた可憐さもまたいわずもがな…。

LABO展15年の軌跡

越畑喜代美・平野俊一・麒麟画伯たちによるLABO展も今年で15回目。美大卒業後来年で20年たつというから、まったく時の過ぎるのは早いもの。
ギャラリー篁での初回からギャラリーいせよしを経て悦子画廊までの長い旅路、それぞれに紆余曲折を乗り越えつつよく続けてきたものと思う。
各年のニュースを記したDMは平野画伯の制作による。あ〜あったあったと振り返る事件の数々、画廊の入り口には第一回目からのスナップが飾られ、画伯たちのわか〜い時の記録にみんなキャアキャア。
思いがけず自分の姿を発見してびっくり、うれし恥ずかしのお客さまも。もちろん、会期中に撮影した画像も次々張られていきまるで壁新聞(古い?)。
今日の初日のパーティのシェフは、みそそ画伯のご主人・子犬タクシーのたっちゃん。朝の搬入後おうちでスパゲッティをゆで、また戻ってきてくれたえら〜い愛のサポート隊。このような方たちがいて画伯たちは絵が続けられる。伏して感謝を。
みそそ画伯の丹精した青トマトや野菜は、悦子的には日本一のおいしさ。会期中は補充される予定なので食べたい方は是非!
15周年を言祝ぎ、以下の画像のかたたちが初日に駆け付けてくれた。まずはご報告。


Parse error: syntax error, unexpected 'string' (T_STRING), expecting function (T_FUNCTION) or const (T_CONST) in /home/users/web13/8/0/0241308/www.shibataetsuko.com/wp/wp-content/plugins/pagebar/class-postbar.php on line 20