待望の木村浩之展が始まった。年末の九州場所が終わって沖縄巡業を経て帰ってくる親方連を迎える時期にということでこの期間に。満を持した画家の「木村山」を待ち構えた体重だけは貫禄の「柴田部屋親方」。
モデルにお願いした元若駿河関と阿武松(おうのまつ)部屋の親方も木村浩之のために駆けつけてくれ、一気に画廊の空気は晴れがましいものになった。
よく「ハレ」と「ケ」というが、「ハレ」の場である本場所中にも「ケ」の時である朝稽古にも、木村はスケッチブックをもって日参し力士たちの姿を写して来た。一瞬も気を抜けない力士たちの動きを追い、ふでを走らせる。毎日を一期一会の機会と思い、その瞬間を積み重ねる作業が木村の作品にリアリティを与えている。
年間百番を越える取り組みに、一つとして同じ展開はない、と木村はいう。手に汗をにぎり、次の瞬間を待つ。目は土俵を追い、手はスケッチブックのうえを走らせながらつかんだものがそのまま絵になる訳ではない。多分何千枚とあるスケッチから「この瞬間」と思える時を描くのだ。
木村浩之の描く「相撲」は普通のスポーツとは違う。木村は力びとの乾坤一擲に画想を得て、紙のうえにその神聖な営みを構築し密度の濃い磁場をつくるー木村の目と手を通して描かれた「伝統」は、いきいきと脈打ち、熱気をおびた「命」として立ち上がってくる。
浮世絵以来、この魅力的な素材に向き合おうという画家は絶えてなかったといっていい中、木村は果敢に挑み道を拓こうとしている。単なる肖像画でなく、血の通った力士の生きる場を。だからこそこの伝統的なるものを描いてなお新しい感覚を伝えるのであろう。
木村がタイトルに使う「発揮揚々」という言葉は行司のおくり出す「ハッキヨーイ」という発声とともに「ことだま」としてよみがえって、千年も繰り返されてきた「相撲」という行為の意味を思わせ、翻っては作品に込めた彼の願いをしらしめるのである。
1975 東京生まれ
2003 多摩美術大学日本画科卒