個展彫刻・人形

長谷川裕子人形展ー冬の陽光

長谷川裕子の人形展は一昨年に続き二度目となる。 冬の陽光というテーマの今回の子供たちは、丁寧に手編みされたセーターに着膨れて元気な姿を画廊に現してくれた。
長谷川裕子は「心の奥底にある幼い日のせつなさを作品に重ねたい」という。母がそばにいないだけで不安だったり、けんかしてあやまれなかったり、なんとも形状できない心もとなさとともに過ごした幼い日々。
だれでも振り返れば幼い日の物語をもっている。長谷川はその一つ一つの物語に分け入るように人形をつくる。冬の日だまりのなかの昭和の残像として彼女の人形はいきいきとその時代を語りはじめるのだ。
長谷川裕子は1960年栃木県小山市生まれ。1982年に四谷シモン氏の創設した「エコール・ド・シモン」に入学、’84年には創形美術学校造形科卒業し、同年あの内倉ひとみが経営していた「スタジオ4F」で初個展。等身大の自塑像と並ぶパフォーマンスをした。その後個展やグループ展などを経て、シモン氏の作風の影響を脱し自己の表現に拘っていくようになる。
彼女の拘りとは、一つには技法上に木彫の球体関節人形という独自の路線を切り開いたことにある。またジャンル上では日本の伝統的な人形とも西洋の幻想的な人形とも一線を画し、見た目には素朴な自然体の作風をつくりあけたことも特筆すべきだろう。誰もやっていない、誰とも似ていないというのは作品としてはプラスだが、それ以上に孤独な道のりだということだ。
彫刻とも人形とも少しずつずれた場所に長谷川裕子はいる。もうジャンルという狭い枠にいれることはないかもしれない。彼女が作りたいものをつくっていけばよいだけのこと。長谷川裕子の世界が紛れもなく作品には展開されているのだから。
個人的な郷愁に留まることなく、言葉を持たなかった幼い時代の、ぬくもりと背中合わせのひりひりした哀しさを表現したいという長谷川の心情は、人形に魂を吹き込みそれぞれの作品の周囲にえもいわれない空気を醸成している。今回もその空気に惹かれ、大勢の方が見えてくださった。普段こわもての方もこの子供たちを目にした途端、なんともいえない笑顔になった。木の重み、暖かさとともに、これを削り出していった時間まで感じるのだろうか。そしてまた自身も子供の顔に戻っていくのだった。

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