個展

織田梓展ー経る時

織田有紀子から本名の織田梓へ。四年ぶりの個展となった今展では、一段と臈長けた作品世界を披露した。
織田梓は1960年長野県諏訪に生まれ、現在も在住する。1986年に多摩美大大学院日本画科修了後は精力的に個展・グループ展で発表、1995年ころから雅号・有紀子を使い始める。柴田悦子画廊では1999年に初個展ー以後連続して個展を開催してきた。
在住する長野で一貫して制作を続けてきた織田だが、順風とみえたその人生に荒波が押し寄せたのは4年ほど前。以来、制作はいったん休止された。
初めて経験する逆風を乗り越えて、ようやく絵筆を握った時、どう絵を描いていいのか途方にくれたという。それまで制作は息をすることに似て自然な営みだった。その4年のブランクを取り戻すために、織田は朝に夕に山にわけ入って自生する植物を描いたと振り返る。変転する人生に似て、山野の草花もまたその様相を変える、それを写し取っているあいだに心も手も平常の営みを甦らせたのだという。
そのようにして今展の作品たちは制作された。旺盛な生命を迸(ほとば)しらせる山の植物というモチーフは前と同じだが、描き手の世界観が違う。いわば盛んな朱夏の時期を過ぎ、玲瓏(れいろう)な白秋を迎えたすゞやかさが漂うのである。
「経る時」という今展のテーマに万感をこめた織田の想いは、それぞれの作品に格調の高さを与えて屹立(きつりつ)している。特に闇に浮かぶ竹似草の連作は、その根に毒を宿した草の花の妖しい美しさが圧巻だった。
この数年の「経る時」が織田に何を与え、何を奪ったか今はふれない。ただ一枚の絵を描く時には、織田の祖母が布を織ったように画家の「その時」が織り込まれていく。機(はた)のように「その時」「その時」を丹精こめて織り込むしか仕上げる道はないのだ。「経る時」を経て織り上げた「その時」も、また「経る時」に収束されるが、作品は残る。
そうして残ったこれらの作品に、かけらも作為や晦渋(かいじゅう)がみえないのは、「描く」という行為が祈りのようなものだったからに違いない。数多くのスケッチを繰り返しながら、静かなろうそくのゆらめきのように命を灯す山野の草花を幻視し、それをそっと絵筆に掬い出した印象だ。
今は昔、誰もいない教室で一人ユーミンを聞きながら一心不乱に絵を描いていた織田梓を思い出す。そして「空から経る時がみえる」というフレーズも。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です