個展

線と余白とその間vol.2 -それぞれの結界

2021.7.5(月)〜11(日)  12:00〜19:00
最終日は17:00

初日18:30よりトークセッション
椎野晃史✖️田野倉康一

足立正平
立尾美寿紀
直野恵子
佛淵静子

「線と余白」だけでなく「その間」までタイトルにした上、それぞれの結界という副題をつけた悦子画廊史上最長の展覧会名。

昨年の立ち上げの折には、ちょうどコロナ緊急事態宣言が施行となり途中で延期の措置となった。挫けずに7月再展示し
この年に事情で参加出来なかった直野恵子を加えてこの度はフルメンバーでの2回展である。
予告編でお伝えした各作家のコメントのうち、立尾美寿紀がコメントを書き替えてきたので、こちらに再録する。

薔薇は散りぎわ香る」ということを床に落ちたおしべや花弁を見て思い出した。
そういえば朝から良い匂いがしていた。
花殻を捨て花器を洗い終え部屋に戻ると、さっきより濃く薔薇の残香が漂っていた。
この匂いは不在の中に存在を強く意識させ可視化された。
それは黒薔薇が白薔薇へと色が抜けてと浄化する姿だった。

菊花は花弁に見えるひとつひとつが花でそれらが集まって大輪の菊になっている。
この構造からひとつの花は個人や家族のようであり、集合体はエスニーとなる。
「菊」という字がお米を掬う動作から出来ていることも、
花のうねりが群衆の伸ばした手に見えることも掬うが救うにつながった。
エスニーとエスニーは複雑に絡み合い中身の無い中空構造を造っている。

紙の裏から描く空間と表から描く空間があり、幾度となく捲り返しながら描いていると、
表と裏のその間にもう一つ空間が存在する気がしてくる。
裏から染み込んだ表から見る景色、更に表から合わせて描き加える景色の関係が出来てくることで
この第三のアモルフな空間が生まれ育つ気がする。
造形を深めるほど描けば描くほど引き込まれて中空へつながっていくのではないか。

母の郷里の富山県に「あわさい」という方言があり、間や関係という意味だけではなく、
入りにくい狭間、分かち難い境界、微妙な人間関係などの含みがこの柔らかい発音にある。

「花が生きている」とは何処までか。
そのひと花ひと花に合わせて考え、思考の末に行き着く空間を描きたい。
表と裏のあわさいに見えなかったものの存在の手触りを空間を解きほぐしながら確かめたいのだと思う。
(立尾美寿紀)

こだわり抜いた展覧会名を裏切らぬよう、各自が「線と余白とその間」に攻め入って考え、自分の結界を示した作品は、初日に学芸員・椎野晃史氏と詩人•田野倉康一氏によって新たな解釈と言葉を与えられ客体化された。

同世代の切磋琢磨が、さらに豊かな表現を生んでいくよう願ってやまない。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です