コラボレーション個展

小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.3

三度目になるアオゾラとガラス展が今日から。 年に一度この季節に帰ってくる渡り鳥ではないが、旅ガラスと洒落たのは去年。今年の「アオゾラとガラス」旅団はどんな旅のかけらを私たちに見せてくれるのか。5月の青空がひろがる中での展覧会をご紹介する。
そもそも日本画の小松謙一がガラス工芸の藤森京子とコラボレーションをするきっかけとなったのは、絵画の平面性を立体化できないかという一つのプランからだった。特に小松の作品は男の羽織のように、表は極めて渋いが裏には派手な装飾が施してある。この裏側も見せたいとかねがね思っていたという。教えにいっていた多摩美大の生涯教育の教室で、ここにかかわるスタッフだった工芸専攻の藤森にこのプランを相談したところ、思った以上に日本画とガラスの相性がよかったらしい。次々とこのユニットによる作品化が始まった。何回か小松の個展で実験的に発表したあと、三年前コラボユニットとしてデビュー。以後毎年この季節に画廊でその軌跡を見せてくれている。
違う素材とのマッチングで一番難しいのは、もともとの作品がもっている質を落とさないでそれ以上のものを作り出さなければならないことだろう。小松の一見渋い作品の裏側にある豊かなカラリストとしての資質は、ガラスという素材を得ていきいきと躍動し始めたし、藤森の精巧でクールな研磨とカットは、小松の作品を取り入れることで有機的な質感を手に入れた。
前回までの作品たちがそれぞれの異質さを喜び消化する出会いのマリアージュがもたらしたものとするならば、今展ではそれを経て自身の作品に得たものを還元したといえよう。
小松謙一は大きな骨組みの桜の古木二点をほぼ対角に配置し、青と茜の空で彩った。水墨の教室で教鞭をとった成果か、その墨の力は抜群に進化し堂々としてしかも自在だ。花が咲いていないのに花を感じる、というのはその古木に生命が宿っているからだろう。まわりの空気も奥行きも気持ちよく抜けていて、これが男の墨だとその木がいう。一方、鉄の額におさまった小品二点は遠い記憶を呼び覚まされるロマンティックな作品。鉄の額のせいなのか、鉄の匂いが呼び起こす記憶と重なる。片や横浜のガス灯通り、片や線路、、、やはり鉄?か。絵肌を鋭く抉って引いた線が、心のどこかの記憶も抉る。強い表現が違和感なく抒情へと収斂していくのも力量だ。墨の世界のダイナミックな展開とひと味違う小松謙一のまだ終わらない青春がほの見える。
一方、藤森京子は「刻」というテーマで煉瓦状に積み上げたガラスを炉で溶かし、時が堆積したようなオブジェを制作した。これが遺跡から発掘されてもおかしくないような、しかも何につかったか見当もつかない摩訶不思議なもの。金彩が施され、時折り時間が削ったと思われるような空洞もあるこれらは、もちろん藤森の入念な研磨でそれとわからないように仕上げてある。板ガラスを溶かしそれ自身の重みで凹んだ形を活かしながら作った盃などはオブジェでありながら身近において楽しめるすぐれものだ。細かくカットしたガラスを溶かし固めることで遺跡の石組みを思わせるという、小さなものから壮大なスケールへの転換は藤森の優れたイメージ力の賜物。この力はまだまだ埋蔵されているとみた。
このようにコラボによって、それぞれが自身のもつ世界を深め、また新たに展開してきたことが今展のみどころだ。コラボ作品は今回さらに自然に一体化して、それぞれの見どころ仕事のしどころの呼吸が実に合っている。日本画とガラスをつなぐ溶剤としての鉄作品も見応えのあるものに育ってきた。今後はこれらをどう進化させ、どんなものを取り込んでいくかが課題になってくる。
来年の「アオゾラとガラス」の旅団が何をお土産にもって帰ってくるのか、楽しみに待つ事としよう。


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