個展

佳き風茶会ー越畑喜代美ふすま絵展

越畑喜代美がふすま絵が描きたいという。それも柴田自宅の八畳間の三面をイメージしたらしい。それでは、と画廊が休みのゴールデンウィークを利用して人数限定のお茶会展を開催した。
何せ閑静な住宅地の合間にある苫屋である。以下、ご招待できなかった皆様にお詫びを込めて顛末記をご披露する。まず招待状の文面はかくのごとし。
青葉の候 皆様には益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。さて、このたび 拙宅の襖に越畑喜代美が絵を描き粗茶粗餐ながら一席をもってはつ夏に献じたく左記のとおり 茶会を催すことといたしました。
かねて懇意の皆様には ご存知のとおり茶会といっても 勝手流と自称するかなり怪しげな仕度でございます。昭和二十三年に建てられたつつましい住いの八畳の襖から 越畑喜代美がどのような「佳風」を送ってくれるのか お招きする皆様とともに楽しみに待つ事といたしたくご案内申し上げます。
平成二十二年 卯月吉日
阿佐ヶ谷・遠見亭柴田悦子謹白
佳い風や 遠見の稲のすこやかに  池田澄子
自宅八畳間に床の間を置き、季節はちと早いが風炉を設える。ほぼ三日徹夜で張り替えたふすまには、あわあわと咲く薄墨桜。なにせ極薄な墨なので一見何も描いてないように見えるのがミソ。昭和23年の正しい民家には五間の縁側がある。これも二日徹夜で張り替えた障子は白く五月の陽光を映すが、座敷の奥には届かない。この薄明かりでうすうすの水墨が色を出してくるのを待つのに30分はかかると踏んだ。
かかるシチュエーションを自然に演出するには、なんちゃってでもいいから茶会を催すしかない。お義理にでも黙って座るうちに、あぶり出しのように絵が浮かび上がってくる筈、と思ったのが間違いの始まりだった。
自宅茶会の最初の仕事はまず徹底的な掃除だ。武井展のため画廊を動けない柴田に変わってこの任についた牧ねえねえ、獅子奮迅の活躍も当日最初のお客さまが到着するまで続いた。まだぼろぼろのトレーナー姿で客入れをする。懐石の籠盛りはご存知・荒木町「夜市」の影丸師匠のお願いして一献差し上げている隙に用意の着物に着替える。幸い最初の御客人は、大体の見当をつけて来てくれている中野の「路傍」一行。爽やかな五月の風に吹かれながら縁側でのんびり庭を見物している。
何事もなかったように遠見亭主人に変身した柴田悦子、庭先から座敷に案内しなにやら怪しいお手前でまずは一服。怪しい手つきをごまかすにはトークしかない。あれやこれや正客とやりとりしながら絵が暗がりから浮かび上がるのを待つ。よくしたもので越畑の墨はこの季節には若葉の山に化ける。桜山に風が吹いて青々とした葉を茂らせるのである。それを一服の夢としておもてなしすることが今回の趣旨なのだった。次の席のお客さまと入れ替わる一時、いいお顔で帰られる方々をお見送りしながら、この暴挙が少し報われたと感じたのは私だけではあるまい。
二日目には二階の座敷で織田梓による煎茶の点前もあり、その夜には沖縄の島唄の神様といわれる大城美佐子先生ご一行が座敷で最高のパフォーマンスを披露して、居合わせた方々を感動させた。マイクを通さない大城先生の絹糸声を聞けた人はそう多くはない筈である。主茶碗に川喜田半泥子の石爆ぜ茶碗を提供してくれた吉田氏も大感激で、京舞いの先代井上八千代を呼んだ座敷に匹敵するとまでいって下さった。
亭主・画家双方とも余裕がないなかの遊びは、なんとも恥ずかしいような次第だが、手弁当で協力下さった牧ねえねえ、影丸さん、大城先生、吉田さんのおかげで誰にも真似できない「なんちゃって茶会」になったことに感謝。
このところめっきり太った私の帯が回らないのにいらだった牧ねえねえが、普段の温顔を忘れて思わず「このでぶがぁ!」とののしって以来、うちうちで「柴田・コノデブガー・悦子」と呼ばれる羽目になったことだけが誤算だった。
最後に「佳き風茶会」の簡単な会記を記す。
佳き風茶会々記/越畑喜代美襖絵披露目記念/お正客 初日1 関本芳明 初日2 小黒良成 2日1 林田裕介 2日2 本江邦夫 3日1 稲川均 3日2 仲山計介
主茶碗 川喜田半泥子 石爆ぜ茶碗 銘 薮礼歌舞令(やぶれかぶれ)/ 掛け物 越畑喜代美 あけび花図 梨花観月図/ 風炉先屏風 越畑喜代美 野路図/ 花入 美崎光邦 彩泥壷 /茶入れ 青山昭三 竹根棗 銘 根々竹(こんこんちき)/茶杓 青山昭三 銘 棚牡丹(たなぼたん)/ 香合 川喜田半泥子 銘 赤玉 /置物 高村光雲 鼠銅印 篆刻 足立疇邨

佳き風茶会ー越畑喜代美ふすま絵展” への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です