京都のマカロンこと、落合浩子画伯の1年半ぶりの個展が今日から。 昨日、谷川渥の「幻想の地誌学」を読んでいたら人体を風景と見立てて描いているエルンストの絵が出てきた。自然は芸術を模倣する、といったのは誰だったか。山を見て乳房を連想したり(秋田には乳頭山という山がある)、雲のかたちに龍を見たり、人は色々な想いを何かに託す。
マカロン落合画伯の描く豊かなボリュームの人体は、さしずめ大地だろうか。「記憶」と題された横たわる裸婦像からは、永遠の時を刻む地球の鼓動や、その表層を流れる砂の音がきこえるようだ。
一時も同じではない「今」の、その手からこぼれていく記憶を永遠に留めておきたいという願いが、彼女をして絵に向かわしめているのだろう。彼女の描くモノトーンの世界は、静かな祈りに似た基調音に支えられて限りなく豊かだ。
今回で三回目になる個展。創画会で初めて彼女の絵に相対した時、慈光が差しているかのような絵肌に驚いたものだった。どこの誰ともわからぬまま、いつかは連絡をとらなければ、と思っていたところ、ある展覧会の時にわざわざ京都から見に来てくれた 。「へぇ~、京都で絵を描いていらっしゃるんですか~」なんて会話をした後、ひょいと芳名帳を見たら落合浩子とかいてあるではないか。連絡先もわからず途方にくれていたのに、なんとあちらから出向いて下さったという僥倖。
悦子の驚きように、本人は鳩が豆鉄砲くらったような顔だったが、縁というのはこんなようなものだろう。けっして丈夫とはいえない身体をむち打って、毎回新しい展開を見せてくれるのはうれしい限り。
一段と深みを増した本展の作品中、一点だけ多摩美ーズフレーマー澤田氏のてがけた額がある。渋い色調の絵だけに考えに考えたろうな、と思わせてあまりあるいいお仕事。他の作品は、画伯の後輩である京都のフレーマーが額装。これまた、考えぬいたお仕事で、東西の感覚の差がとても面白い。落合画伯感心することしきり。
初日の今日は京都のお父様・お母様も御来廊。技術開発のプロであるお父様と、絵の具のウエマツ社長上田氏の、化学式をまじえた素材談義が興味深かった。また多摩美ーズ先輩の佐藤画伯、落合画伯の年上の同級生・日出節子さん、来野あぢさ画伯などめずらしい方々の御来廊も得てなにより。そんな今日の画像、ちなみに悦子着用のMOGAのスーツはアズピ画伯よりご恵贈の新作。明日は京都・竹内淳子画伯のインド土産ショールをおひろめ予定。