個展

池田一憲展

そもそもの初めは、1988年に西武百貨店で開催された「私の十大弟子展」に遡る。畠中光享画伯・齋藤隆画伯との競作で、このテーマに挑んだ池田一憲画伯の作品は、一際異彩を放っていた。それぞれが際立った画家たちではあるが、池田画伯のとらえた世界は尋常の法をはるかに越えて、突き抜けていたように記憶する。この時、池田画伯の名前を初めて知った悦子だったが、思いは通じるもの、その後お目にかかる機会を得てお人柄を知るにつけ、今度はその並はずれた真面目さに驚くことに。
今回の「十大弟子」は前述の展覧会に前後して描かれたものだが、どうしたことか、十大弟子のうち、「智慧第一」といわれた舎利弗尊者と「頭陀第一」の摩訶迦葉尊者が欠けていた。折にふれ催促してもどうしても出来てこなかったという。以来20年、この作品たちは倉庫にしまわれてきた。今回、これを世に出すべく企画を立てたところ、心にかなうものがあったのか、意外な早さで作品が出来上がり陳列の運びに。
鋭い眼光を放つ尊者の姿は、仏伝を丹念に読み、それぞれのイメージを十全に膨らませたもの。最初の頃はチベット探検の途上、行方不明になった能見寛の人生を重ねたのだとか。「原始仏教教団」の弟子たちのストイックなまでの求道精神を表現するのは、厳しい人生への問いかけなしには不可能だと思う。
見事に凝縮された尊者たちの姿は、白い紙に写しとられ、まるで実在した人のようだ。その眼光に射られ、恐いと背をむける向きもあったが、このひたむきに「求める」目こそ現代が失ってしまったものではないか、と改めて思ったことだった。
池田一憲画伯は、島根の寒村で農業をしながら、この目のまま絵を描き続けて来たたぐい稀なる画人である。最近は親鸞に心を寄せ、その思想を勉強しつつ、「曼陀羅とは動くものである」という梅原猛の言葉を具現化すべく挑んでいる。
この度の展覧会にあたっては、長年画伯を物心両面にわたって支援していらした井浦敏之氏の御協力を仰いだ。共催の富山・立山画廊堀實紀男氏とともに、お礼申し上げる次第である。
ご郷里でお母上の介護を勤める画伯に代わって初日の画廊に集って下さった熱い男たちの画像を今日は。(なんだか異常に男度が高かったのは何故?

池田一憲展” への1件のフィードバック

  1. 昨深夜、洲之内徹の「気まぐれ美術館」をぱらぱらめくってましたところ、「村を守る人」というすごい絵に出逢い、池田一憲という画家をもっと知りたくなりました。起きてネット検索を始めて、最初にこの柴田悦子画廊のホームページをクリックすることになったしだいです。池田画伯は今も島根の寒村で農業をやりながら絵を描いておられるのでしょうか?

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