凝縮した気の満ちた池田展。新作の親鸞像には妙好人・有福の善太郎さんと温泉津の才市さんが描き込まれている。学問や修業によってでなく、信心の心によって御仏に近付いた人たちだ。妙好人の「他力」にゆだねる心は、生かされている感謝とともにある。
中学の時に倉田百三の「出家とその弟子」を読んで感動し、その後「歎異抄」に挑戦したが歯が立たなかった記憶のある悦子も、妙好人ときけばなにか親しい感情が湧いてくるのは、その信心がよく見知ったものであるからだろう。
まして真宗の影響の強かった石見地方では、土地に深く根ざした宗教感があるに違いなく、田を耕すように画伯は自らの心を耕しているに違いない。今は母上の介護をしながらの日々と聞くが、「母を介護しているのではない、母の魂に導かれて、不思議な旅をしているのだ、、。」と。この親鸞像の作品写真を御覧になった岡部伊都子女史から「類い稀なほど美しい」とのご返信を受け取った、という。精神の深まりが絵に素朴な味わいを加えているのだろう。この一連のシリーズを描きながら池田画伯こそ妙好人の境地にいたるのかもしれない。益々のご精進を祈るものである。
さて、最終日の今日は池田画伯の旧知のお友達たちが大勢来て下さった。清水博・まり子ご夫妻、水上洋一郎・令子ご夫妻、また鏑木昌弥氏など、長くご交遊のある方たちに心入れの作品を見て頂き、まずはほっと一息。次の巡回先・富山でまた多くの方たちに見て頂けるよう祈りつつ、、。