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LABO展ー21th

21回目というグループ展を更新するLABO展。メンバーの麒麟・越畑喜代美・平野俊一は1984年多摩美大卒の同期生である。いかに同期といえど21回はすごい。たしか20回の時も驚いた。今回は始まった年に生まれました、というお嬢さんが来廊したのでどの位の年月だったかが形でみえた。最初から二、三回はギャラリー箼(たかむら)という7丁目の画廊で開催。場所がらか、きれいなおねえさんたちが髪をアップにする美容室が隣にあってくらくらしたものだった。その後は8丁目にあったギャラリーイセヨシで長く発表した。1997年当画廊がオープンしてからは毎年足並みを揃えさせてもらっている。紆余曲折でその後箼さんはやめ、イセヨシさんも前の場所からは移り業態も変わっているから、画廊の変遷より長いグループ展ということになる。LABOというのは実験とか研究とかいう意味の命名らしいので、各員とも自分の個展に先駆けてこれはという作品を発表する。麒麟の作品は年を追うごとにミニチュア額のなかの細かい花の描写が精妙になり目を驚かされるし、越畑喜代美の薄墨作品もそのテクニックの微妙な加減に意欲を感じる。平野俊一作品の花のバリエーションも今年は月下美人を加えてさらに磨きをかけた。毎年決まった日に作品を持ち寄って、今年はこんな感じと作品を披露するのは君子の集まりに似て心楽しい。欲も得もなく、ただ今の自分を持ち寄る。画壇から離れてそれぞれ我が道を行く三人が年に一度集まることで、また描き続けていく勇気を得るのである。最近よく読んでいる宮本常一の本に、民俗学の師の澁澤敬三から「本流にいるより傍流にいる方が物事の本質がよくみえる」とよく言い聞かされたとあり、LABO展の21年と重ねて意を強くした。細くても枯れない傍流をどのくらいもつかで本流の質も変わってくる。いささか我が田に水を引くと、傍流の方が水質が良い、ということもある。この変転する時代に、我が道を行くことがいかに難しいかは毎日を照らすと忸怩たるものがあるが、LABO展の良さはてんでばらばらに我が道を行っていることだろう。自由なスタンスだけが唯一のお約束で、君子の交わりに似た水のような付き合いである。これはこれでなかなか出来る事ではない。傍流の品の良さとでもいいたいところだが如何。

 

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