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林典子展

在住する熊本の地で、画家としてのキャリアを積んで来た林典子さんが満を持して銀座に挑んできた。
林さんは1958年熊本生まれ。幼稚園の頃見た、近所のおねぇさんの絵に憧れて以来の画家志望だから年期入りだ。長じて美術科のある高校に進学、ここでもう日本画の洗礼を受け、京都にある嵯峨美術短大の日本画科に進む。
1997年に卒業してからは故郷を発表の場として、その地に根ざした今の自分の心象を描いて来た。和紙や岩絵具といったような日本画材と墨。この長い伝統のある画材と、誠心誠意つきあってその魅力を引き出し自分の心を表現する。言葉でいうと簡単だが、実際は死にものぐるいの挑戦だ。
一説に日本画家は50才まで若造だ、といわれるのは、この画材への修練がそのくらい必要だからだろう。特に京都で伝統の技法を学び、徹底した造形への意思を高校時代から叩き込まれている林典子さんは実に真面目にこれらと取り組んで来た。途中、子育ての時期はあったにせよ、弛まず、変わらぬ熱意で作品を描いて来たであろうことが、今画廊を飾る一枚の絵から汲み取れるのである。
薄く溶いた絵の具を何度も重ね、自分の心の有り様をさぐるように描きに描く。自宅の窓から遠望する阿蘇連山の稜線ーこの線から始まるドラマがある。平凡な日々にも色々な陰影があるように、彼女は一本の線、一滴の絵具の重なりにもこだわり、堆積させていく。まるで彼女の生の証しのように。
だが、この「生の証し」には泣き言がない。自らを掘り起こし、奥へ奥へと進む意思があるだけだ。まるで風雪を経た漆喰の壁か、大名物の茶碗のようにすべてを飲み込み、またそれを滲み出させる。芭蕉がその俳論で「云いおへて何かある」と述べたような境地を思わせる。
彼女が「なんでん全部やってみんと気がすまんたい」と熊本ことばでいう時、心の機微をすべて絵に打ち込んで昇華してきた景色がみえてきる。だが、その求心的な作風と求道的な姿勢が、人に何かを強いることはない。好きなようにここから汲み取ってくれればよいとただそこにあるだけだ。
このような泣き言のなさに私はいたく感心したのだが、もし一つ期待するとすれば「もっと遊びを」ということである。積み上げて構築したものを、もう一度突き崩し自由なところに放ってやれば、林さんのなかで眠っている「野生」の力が目覚めるに違いない、と思うのだ。
なにせ50、60洟垂れ小僧の世界である。ここからが本番、ともいえるところに今林典子さんは立っている。是非、また一歩、足を踏み出してほしいと心から願うものである。

 

 

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