倉地画伯の母方の実家は、元亀三年(1572)より続く朱傘・つまおり傘の製作所。おじいちゃんは県指定の無形文化財に指定される名人、十四代目にあたる倉地画伯のいとこは扶桑町指定の無形文化財とか。先日、御来廊のお母さまに、どんなものなのかお尋ねしたら早速送ってくださった。
大きいものは、七尺(210cm)の長柄、朱傘は法会や儀式の折に、つまおり傘は大名行列や遊女の道中にもつかわれ、最近ではお茶席の野だてなどに使用される由緒正しいものとのこと。
和傘といえば、蛇の目傘しか知らない悦子。それも最後に見たのはいつだったろうか。今回はじめてしげしげ見た傘の構造!う~ん、う、美しい!押上げとよばれる内側を飾る五色の絹糸は華麗に、傘の外側にでた骨は端折(つまおり)という名の通り内に折り曲げられて典雅に、一分の隙もなく造作されている。
さすが秀吉の醍醐の花見にもつかわれたという傘だけあって、朱の色も品がよくはなやか。一度この傘をつかって大見得を切りたいもの、と構想(妄想?)は膨らむ。いやいや、初代尾張公御用達の格調高い御傘、これは是非さしかけてもらいたいもの。くるしゅうないぞぇ。