未分類

越畑喜代美展ーお茶会風味 枯竹庵編

越畑喜代美展もかれこれ12回を数えることとなった。思い起こせば13年前に独立開業した折りのどたばたを、徹夜でつき合ってくれたのも彼女だった。初個展から数えて3度目の1998年に悦子画廊デビュー。以後、毎年個展を続けている。
この数年のテーマは、お茶会風味。正式なお茶会を名乗るには力不足だが、こんな面白いことを遊ばない手はないと、ままごと流台所茶会の旗揚げをすることにしたのだ。お釜は花柄のホーローの鍋、柄杓はレードル、茶巾はフキン、茶杓はパフェスプーン、茶碗は水玉の飯茶碗と、それぞれに銘までつけて盛り上がったものだった。
 こんな不埒なやからを本物のお茶人の友人たちが面白がってくれて、サポートして下さるようになったのが5年前。去年は念願のなんちゃって茶室までできた。越畑の母方の里の竹山から様子のいい青竹を伐り出し、越畑旦那と大本の旦那という粋人が組み立てた「青竹庵」は、気恥ずかしいほど緑の濃いまっすぐな庵だった。一年たった今年、さぞいい色にあがっているだろうという目論見とおり、見事な枯れっぷりをみせて「枯竹庵」は組み上がった。文字通り一夜城ならぬ十夜庵である。
こおろぎの鳴き声を集めたCDをかけて鄙びた二畳台目に、今年のお道具仕立ては盆略手前一式。秋草の鉄瓶にしゅんしゅんと湯が湧き一飄斉の四君子蒔絵のなつめが花を添える。床のお軸は細身の「吾亦紅(われもこう)想月図」。風炉先屏風は山ホトトギスと枯れた竹の葉を描いた「野路中秋」。名月を呼び込むしつらえに菓子器は銀の丸盆、水差しは芋頭をかたどった波照間焼き壷、主茶碗はロイヤルコペンハーゲンのサラダボールと洒落た。替え茶碗は天現寺さん由来の信楽と伊賀を用意して、お客様を待つ。<br>枯竹庵を囲む空間には、「樹々名月図」や「林々迎月」「迎月風径」など月をめぐる越畑喜代美のうす明るい世界が広がっている。絵には向こうから押し寄せてくるものと、こちらからのりだすものと二種類がある。越畑の作品はいうまでもないが、こちらの準備が整わないと見えてこない絵だ。薄明かりに目を凝らして静かに待っていると、徐々にその豊かな世界が見えてくる。ちょうどお茶を一服喫した頃が頃合いか。
その一瞬のために、「枯竹庵」を構想した。あえて大げさに禅語の「誰家無明月清風」を引用したが、どんな人の上にも月は照り風は吹くという自然のことわりと恩恵を、多忙にまぎれてつい忘れてしまう。越畑の作品は「一服して空を見上げてみようよ」とただ誘っているだけだ。何を感じ何を思うかは見た人にまかせる。いわば見た人が作品を作り上げる絵なのだ。誘い水に誘われて水が湧出するように、越畑の月から何か汲み出していってくれる人が一人でもいてほしいと一椀の茶を立てる。<br> かつて茶友の摂子さんが越畑の軸のお披露目にと夜話の茶事を催して下さった時、 菜種油のかそけき燈明のもとで鼻は炭の香に、舌はお椀に、目は床の軸に、と五官を総動員して味わうという経験をした。何かを失えばそれを補うために人は今まで使わない機能を使う、という事は知られているが、日本の文化はそこまで踏み込んで削ぎ落とす。空腹な時にご飯が美味しいのは自明な理で、求めている時は暗くても見えるもの。暗闇に近いなかで求め見た越畑の軸のなかの花のなんと可憐だったことか。
見えるものの奥にもう一つなにか隠されていないとつまらないと越畑が考え始めたのは、これ以降のような気がする。作品は同じでも、見る人によって汲み方が違うのは作者も考えが及ばないところで、摂子さんによって示された作品の解釈は、以後わたしたちを駆り立てて「遊び」も病膏肓(こうこう)の域に入ってきた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です