平坂常弘が石見のふるさととともに銀座にやってきた。
1955年島根県浜田市三隅町に生まれた平坂さんは、’79年多摩美大・日本画科を卒業すると郷里に帰り起業、市会議員などを経て浜田市立石正美術館の館長として活躍されている。 仕事のかたわら再び絵筆をと思い立ったのは50代を目前にした頃ときく。思いがけぬ大病が、その契機となった。郷里の先輩画家・石本正先生のお近くにいて旺盛な制作意欲を目の当たりにしていた事も勿論あっただろう。繁忙な日々をぬうように再び制作を始め、画家復活ののろしは’06年銀座・文芸春秋画廊であげられた。
以後、長い空白を埋めるかのごとく怒濤の進軍、今年は故郷・浜田の草花舍ギャラリー、この度は当画廊で発表、さらに来春は京都のギャラリー蒼い風での個展と意欲をみせるのである。 一貫してテーマは「ふるさと」。自分を育み、今も日々を送るふるさとへの讃歌は尽きる事がない。今展の案内状の作品「初冬」は、秋の収穫のあわただしさを残す田の中の轍(わだち)とその水たまりに映る初冬の空を描いたもの。画面上部に小さく抜ける青空をもつこの大地は、営々と続く実りの象徴でありながら人の営為から離れて自然に立ち戻っていく。その一瞬の枯れ詫びた彩りを繊細にうつし取り、清澄な空へと解き放つ感性の奥底には詩がある。
日常の顔から画家の顔になる時、平坂さんの胸中には詩があふれているに違いない。「流(たび)」と題したスコットランド薊の作品には重層的な時間の流れが抒情的に描かれて秀逸だし、また「壊村」の壊れ行く家屋の壁にも草花を揺らす「風」にも、悠久の時間とともに、限りある命への愛惜がこめられている。
平坂さんにとっての詩はとは生と死を見つめた先にある余情なのではないか、と作品を見ながら思った。いわば燃え尽きたあとまだすっくと立つ生命力の美しさ、である。一瞬滅びとみえるなかに、命の力強さや真の骨格を見ようという意思を感じるのである。
みずからの母胎であるふるさとや親しいものの姿をかりて、生死を超えた普遍の時間を画面に刻もうとする平坂さんの仕事はこれからまたさらに充実の度合いを深めるであろう。そんな予感をはらんだ展覧会であった。