個展

松村響子展ー十七字の世界 其の二

三度目の松村響子展が始まった。1994年武蔵野美術大学日本画科を卒業すると、教師などの仕事をこなしながら果敢に個展に挑戦し2005年から当画廊で発表しはじめたのも記憶に新しい。
今では無所属も珍しくもないが、彼女が学生だった頃はさかんに団体展に出品していた頃。そのなかで一人我が道をゆく行路を選んだ。当然、手探りの道である。2005年の個展時には岩彩の色鮮やかな作品も多くならんだ。今まで描いて来た歴史を一度吐き出したのであろうと思われる多彩な作調だった。
それら作品と一週間ともにいて、墨彩の作品になにか手応えを感じたのであろう。これを究めてみたいと、果敢に墨に挑戦したのが昨年だ。

また、お母上が主宰する俳句結社の編集に携わることになり、二足のわらじを履いて怒濤の日々に突入することになる。俳句総合誌から、投句の依頼も受け若手俳人として誌面を飾る事も多々。その二つの世界の境を超え、自分のなかで言葉と絵画を出会わせたいと願って今展の作品たちは制作されたときく。よく自画自賛というが、文字通り自画に自賛を付ける。その試みがされなくなってもうどの位たつのか。もちろん手放しの賛とは違って、俳句を付ける場合はつかず離れず。絵と詞の間に微妙な距離が必要だ。
これをするにはそれぞれの世界に深い知識が必要とされる他、当世では専門化が著しく、絵は絵、書は書、詞は詞の領分を侵さないことになっているから、ここに敢えて手をだす人はいなかった。
江戸期の蕪村先生を持ち出すまでもないが、近くは玉堂先生がその道の名人で、達者な筆の解読が私の仕事だった時もある。名人が絶えて鶴太郎先生の世になったが、誰も異を唱えない。これでいいのかと思っていたら、松村響子が手を上げてくれていた。
大変な道である。まず付け立てからだ。しかも女文人だ。えてがみもいい世界だが、なにか甘い。楽しい!から苦しい!へいってまた肩の力がぬけて楽しい!だろう。まぁ、創作上のことは人には見せないほうが美しいから、これからの松村響子の精進は秘密裡に行われると思うが、絵画と詞と両方ご縁があった境遇を、運命のようなものと思って極めてほしいと思っている。
ちなみにDM作品の画題ー夏月夜 たましい千里の 旅にたつーは墨と銀彩の移ろう作品と相まって玄妙な世界観を表現している。幽界とのさかいめをつなぎ、しかも心が自在に行き来する、というのは絵画と詞の出会いを願う松村響子の一つの境地を示す好例と思うが如何。

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