人物個展

西村亨人形展 スーパ—ソリッドドールズ II

第二回西村亨展のご紹介。昨年の初個展時、センセーショナルな反響を巻き起こした西村氏のソリッドドール。満を持しての新作25点が所狭しと居並ぶ今展も見どころ満載。
昨年に引き続き、DMの添え文は熱烈美術探索者の常磐茂氏のお願いした。まずはそちらから。

人形に命を吹き込む瞬間人形に命を吹き込む瞬間

60年代、日本でもモータウンサウンドがかかりまくり、弘田三枝子や中尾ミエが漣健児訳詞のパンチのきいたアメリカンポップスを大らかに歌いまくった。この時代、アメリカからくる音楽とファッションは両輪でまわっていた。
西村亨は自分をワクワクドキドキさせたそんな60年代から70年代をロマンティックな時代であったとし、当時をイメージさせるアメリカの人間像、それもごくありふれた人々を造形する。そしていささか奇異なしぐさの全体像とともに、リアリスティックな足の爪や指先、唇、機械の錆びや傷など思わぬ細部へのこだわりを発揮してみせる。さらに艶かしい肌、毛髪や着衣の質感、まなざしの方向などに目がとまるとき、対峙した者はそこに千差万別の寓意を抱くことだろう。「人形」に命が吹き込まれた瞬間だ。

如何だろうか。さすが、熱血!と自称するだけのことはある。私は彼らが往時を語る席に同席したことがあるが、例えば「太陽がいっぱい」という映画のどのシーンも克明に記憶し、どこにどの音楽がつかわれていたかで異様に盛り上がっていたものだった。
西村作品について語るときは、作品の細部と時代の記憶が分ちがたく結びついているため、見る人の技量もまた試される。作者のくすぐりどころ、おとしどころがわかるとさらに作品が生き生き動き出すのだ。単に懐かしむというだけでなく、妙にクールに眺め渡している感覚が西村流。スーパ—ソリッドドールと謳っているが、彫刻とも人形とも微妙にずれつつ、時代を俯瞰して立っている。
映画や写真で残る記録と、自分の記憶。西村氏の創作はこれらを踏まえた上で、どこにもない理想郷を目指す。「ロマンチックの残像」と題された展覧会のテーマは、いまや失われた「夢の国・あめりか」への揶揄に満ちた愛の告白に他ならない。

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