ニコール・シュメルツァー展

スイスはバーゼル出身のニコール・シュメルツァーの二度目の展覧会である。前回から4年の歳月を経てさらに進化した彼女が今展のために用意したステイトメントを以下にご紹介しておこう。

私はは異なった色を一緒に遊ばせたり、対比させたり、それらの振る舞いと相互作用の中で異なった微妙さに向かって挑戦することを好む抽象画家である。
いかにして色が画面や構築特質をつくりあげるのかを見ている。
飛行機におけるム-ブメントの異なる層を同時に示す可能性は絵画に対する私の好奇心をそそり、興奮させることである。
色の明度のためにカンバス及び紙上に油彩で仕事をするが大好き。
光と、色と絵の具が放ち創造する光に惹きつけられ、私は色の層を重ねてゆく。
したがって、私にとっていかに絵の具が画面上で処理されるかは非常に重要である。
作品の表面を”モデリング”している。
手や、へらで絵の具をおき、画面にすり込む。
このようにして、私が本格的に行動を開始する前に、いくつもの層が出来上がってゆく。
ある中間の位置から現れるかも知れないように、下塗りしたバックグラウンドに色を押し戻すため、絵の具の層を洗い落とす、擦り取る、あるいはみがくことにより、”元に戻す(あるいは取り消す”テクニックを見出したのである。

 

甲斐扶佐義・写真展

京都の伝説的人物、ほんやら洞及びBar八文字屋主人にして写真家の甲斐扶佐義氏の「生前遺作集」発売記念展が始まった。生きながら遺作集というところが甲斐伝説の伝説たる所以であるが、ご本人は今日の止まり木も決めず風の向くままふらりと登場といった態。
とはいえ久々の東京、旧知の方々が待ち構えてお祝いの宴となった。甲斐氏の傍らには、八文字屋スタッフにして歌姫の北園紗世ちゃんが控え、アカペラで独自構成のミニライブを。母方が奄美という紗世ちゃんの唄声は島唄の小節のようにパワフルながら微妙。挑むような唄声に、甲斐氏ご友人のくまさんや八田氏がコラボして思いがけぬセッションの場となった。その合間を縫うように甲斐氏の相棒ニコンのシャッター音がする。そのさりげなさを見て、甲斐氏の作品の被写体が自然な訳が解ったような気がした。撮る方が構えていないと、撮られる方も構えない。素顔をさらして許している顔である。印画紙のむこうの美女たちそれぞれが多様な人生を抱え、魅力的に生きているーそれらはある時はBar八文字屋のカウンターの中の、ある時は猫を見に行こうと誘った街の路地での「一瞬」に過ぎないが、そこに留められた彼女たちの姿は永遠のミューズのようだ。
まして画廊中に張り巡らされたそれら「一瞬」の重層を眺める時、京都というフィールドを彷徨うように歩いた甲斐氏の人生が降り積もって作った「時代」ともいうべき空間になっていることに驚く。
1970年代から2007年までの数十年、彼が出会った膨大な数の人間たちを思う。すでに鬼籍に入った方々も含めて、甲斐氏の指がシャッターを押した、彼が選んだ人々だ。彼の指の正直さにまずは敬意を、そして甲斐氏が「生前遺作集」として改めて検証しようとした世界にわたしも分け入ってみようと思う。
甲斐氏が自分のプロフィールとして用意したものは以下の通り。
1949年大分生まれ。同志社大学入学するも即除籍。1972年、岡林信康らと喫茶店「ほんやら洞」開店。一旦抜けるが現在カムバック。1985年木屋町通りにヤポネシアン・カフェ・バー「八文字屋」開店。写真集「京都猫さがし」(中公文庫)。「笑う鴨川」(リブロボート)。「八文字屋の美女たち」(八文字屋本)。また、近日刊行予定に「青春のほんやら洞・京都`68~74(月曜社)。

越畑喜代美展

越畑喜代美のお茶会風味と題された10度目の展覧会が今日から。お茶会風味とは何?、、。と思し召される方にご説明すると、先年より超お見立ての「なんちゃってお茶会」を催しているわれら台所茶会派の黒幕・みそそ画伯が、くれぐれも本物のお茶会と間違われないための用心に「なんちゃって」風味を加味したもの。
世の中は「松茸風味」だの「ホタテ風味」だの貧しいものたちへの愛に満ちたフェイクが溢れている。いつか本物の松葉蟹を思い切り食べたい!と思いつつ、カニかまぼこをかじる時、おや意外にもこの身の裂け方は本物以上と思われた人はいないだろうか。
大真面目に本格の挑戦をする時、大真面目にやったのではこの画伯の本領は発揮できない。遊んでいるのかと思わせて、いきなり核心をつく戦法がみそそ流。よっておのおの方油断召されるな。カニかまが蟹を越える日がくるかも。
今展では、バージョンアップした描き表装の作品他、カメラの画像ではとても捉えきれない繊細な描画の墨彩がメイン。カメラはおろか、人間の目でも五分や十分では捉えられない作品だと思う。たっぷり水を含んだ薄墨がどこにどう流れて、どういう溜まりをつくっていくのか。画家が作品と十全に語り合い遊んだあとがほのかにみえるまで、見るほうにもしばらく時間がいる。
ゆっくり、お菓子をいただきお薄を喫茶して壁に目がなじんだころ、紙から立ち上がってくる世界こそ彼女が今展で目指した挑戦だ。うす明るく清浄な空気がたちこめた桜の丘は、今までの絵の骨格を持ちながら過去のどの作品にも見えなかった奥行きがある。
前に冗談で「あぶりだし」のような絵だといったことがある。紙から立ち上がってくる空気が見える時まで見えないからだ。秘めやかに慎み深くその表情を隠しているが、一旦この空気に同調するや、うす墨は色をもち楽しげにその奥へと人をいざなう。
絵の半分は見る人が作る、と言ったら大げさだろうか。もちろん完成度は必要だが、隅から隅まで手が入った作品は私には鬱陶しい。隙間から風がはいらないとつまらないと思う。見る人が入れる絵ー越畑喜代美の作品の魅力はそこに尽きる。ただ、年々作家の遊ぶフィールドの奥行きが深まるにつれ、その冒険の旅のお供も成長を促される。
彼女の遊びたい場ー自由に水が流れていく方向は間違いなく本格の道だ。だが、まだそれをいうには恥ずかしい。だから本格風味。こちらも眼を磨いて彼女ならではのあざやかな切り口をみせてもらうこととしよう。

十周年記念―ちっ茶なお座敷遊び

毎年恒例みそそこと越畑喜代美画伯の個展が今日から。ところが、パソコンが再びクラッシュの憂き目に。前回の栗木画伯のアップもできないまま、パスワード探しの旅に出た悦子。積み重なった書類の、ジュラ紀やら白亜紀の層を彷徨いながら途方に暮れていた。

しかし、容赦なくやってくる初日。しかもお座敷モード、、、。急遽、応急処置の仕様で泥縄作戦(?)。なんとかならなかったことはない!とはいえ皆様にはご心配おかけしました。(ぺこり)。

またDMには以下の文をみそそ画伯に捧げさせていただいた。

画廊の歩みと軌を一にし、ここを挑戦場として、毎回小さな風呂敷をそっと広げてみせる越畑喜代美。恥ずかしそうにその中から取り出すものは、時に何も描いていない空間であったり、「る・る・る」とか「ら・ら・ら」とかいう

意味不明の言葉だったりする。みかん汁のあぶり出しや虫の音のように、目を凝らしたり耳を澄ましたりすることで、絵の中に仕掛けられた秘密のサインに気づく時、「越畑の世界」が思いがけない深さを湛えて目の前に立ち上がってくる。あるいは鼻歌をうたうように肩の力が抜けた時に見えてくる、その世界に誘うために、今展では座敷に描き表装の軸をしつらえ、お茶を供して遊んでもらおうとたくらんでいるらしい。 立ったり座ったり寝転んだりしながら、越畑喜代美の絵を楽しんでいただけたら望外の幸せである。

そして怒濤のオープニング!お茶会のそこはかとなくお上品な感じは、瞬く間にマトリョーシカ大会に。大きい順に並んでいる筈だが、順番にあたっていささかの齟齬があったこともご報告。ともあれロシアだかモンゴルの少数民族の家族会議のような有様に爆笑の嵐。絶滅種だの、みそそ画伯はその村の最後の小学生だの喧しいこと。ラテン文学の巨匠ガルシア・マルケスの「族長の秋」という小説を思い出しつつ、この中で族長は誰?と見渡したことだった。

日本画四人展ー「穿」展始まる

金沢美大同窓生による東京・銀座大展覧会ー参加企画として柴田悦子画廊では俊英作家四人の展覧会をお引き受けした。以下バーチャル展の出品順にご紹介すると、鈴木良平、大澤健、松井良之、吉川尚吾の面々である。
かれらの用意したステイツメントは以下のとおり。

日本画四人展「穿」は、金沢美術工芸大学大学院 平成18年修了3名、平成19年修了1名の4名からなり、現在、日本画材を用いた表現を主として活動しています。
「真に新しいものなどなく、新しいものとは概に在るものをいかに捉えるかである」ことを理念に、物事を穿ち続け、これに賛同する者がいることを活動の主体とし、今後回を重ねていけるよう邁進していきたいと思っています。

「穿(うが)つ」は点滴石を穿つとか穿った見方とか、物事を鋭く掘り下げる意につかわれる語。あくまで実を見据えて「真」を穿とうとする 彼らの意思だろう。大真面目だけど、偏っていない見方が絵という虚を実にする。四人とも上方生まれの明るい批判精神を持ち合わせて、侃々諤々、喧々囂々、談義を重ねながらの「穿」展の道中だったに違いない。
金沢美大の諸先輩たちや後輩たちが銀座の123の画廊を占拠して繰り広げるこの度のイベント。そのなかにあって彼らの一作が、銀座にどういう点を穿つか。楽しみに反応を待つ事にしよう。

西村亨人形展ー銀座デビュー展

古き良きアメリカンピープルをややシニカルにとらえた西村亨の展覧会が今日から。
展覧会に先立ち、常磐茂氏より以下の文章をお寄せいただいた。
ーどのキャラクターにもユーモアがある。アメリカの映画、というよりTV映画のアメリカに魅了されたTV草創期世代には、西村亨のもたらす一作一作はいつかどこかで出会ったことがあるような郷愁を抱かせる。それは、たとえGHQの3S政策にはまったのであったとしても、アメリカ、そして日本からも失われつつある人間の温かさや希望や夢を作品に見てとるからだろう。この感覚は世代、国境をこえて分かち合えるものと信ずる。ー常盤 茂(美術探索者)
ちなみにGHQの3S政策とはスクリーン、スポーツ、セックスだそう(念のため)。まさしく世は三種の神器の時代ーテレビにはアメリカの冷蔵庫と車が富を象徴するごとく映され、豊かな生活を夢見させていた。
なぜ西村亨がこの時代に固執し、今はもうどこにもいない幻影の人々を表現するのか、それは知らない。ただ、単なる郷愁をこえた愛惜と、それさえ笑い飛ばしてしまいそうなシニカルな目線が作る「実在感」に圧倒されるばかりだ。細部まで見事に作り込まれたスーパーソリッドドールたちは、明るい目を虚空に向けながら華やかに笑い続ける。深刻さも情念も一切感じさせない彼らの姿は「彫刻」とも「人形」とも「フィギィア」とも一線を画し、一体一体にかれらの人生のドラマがあり飽きる事がない。
彼らの個人情報が、表情や持ち物や服装から読み取れ、幸せで豊かな人生を信じきっていた希有な時代の足下に広がるある種の不健康さも思わせる。
ともあれ、今はその時代から遠く離れ、その後時代がどう動いたかよく知る位置にいる訳だが、いまだに魅了され続けて脳内にシックスティーズを構築していた作家とその世界を紹介できることはうれしいこと。ドールたちの透き通った青い目を通して、幸せなアメリカや1960年代ともう一度出会えるかも。あなたは一体いくつだった?

インターナショナルアート/9人の作家たち

2000年の板東里佳とイザベル・ビゲローのご紹介から始まった海外作家展。銀座の一隅から世界が覗ける機会を作ろうと、年に一人か二人の作家の個展を開催してきた。今展はその中から9人の作家をセレクトしてその仕事の一端をご紹介する、
イザベル・ビゲローはニューヨーク、プーラン・ジンチはイラン、ロドニー・ディクソンはアイルランド、イグナシオ・ブルゴスはスペインのバルセロナ、庄漫は中国上海、ニコール・シュモルザーはスイスのバーゼルと出身地はそれぞれ。一方、海外に渡った日本人作家としてはニューヨークの板東里佳、ドイツベルリンからカナダのトロントに移住した斉藤典子、ポーランドのクラカウの宮永匡和を。
銀座にいながら世界漫遊している気分になるこの贅沢。それぞれ作家のたつ表現の手法は違うが、その出自に従った良質の美を伝えている。かれらの個展に立ち会った日々も懐かしく思い出されるが、言葉も不自由ななか新しい出会いがもたらす新鮮な驚きに満たされていた。
われながらチャレンジャーだったと思うが、幸いありがたい協力者に恵まれ才能ある作家たちに出会えた。特にニューヨークの板東里佳とM.Y.Art Prospectsの吉永美也子女史とご縁が結べた事の意味は大きい。彼女たちに今またスペシャルサンクスを。
折りにふれ書いてきたが、今から20年程前、離婚の慰謝料の半金と一年不眠不休で稼いだお金をもってニューヨークへ画商修行の見聞の旅に。そこで見た最前線のアートシーンは、まさしく私の画商としての原点だった。きらぼしのように才能のひしめく地で、今まさに生まれようとする次代の作家たちの仕事を見る喜び、楽しさ。おにぎりを作ってニューヨーク中を歩き回った。そんな私に適切な紹介をしてくれたのが板東夫妻だった。アートスクールの同級生や話題の展覧会を紹介してくれ、初めて会う私にニューヨークのあちこちを案内してくれたことは忘れがたい。また帰国後、本格的に画商修行に入り10年後に独立開廊した私の前に作家・板東里佳として登場した時の驚き。それぞれ夢を捨てずに努力した10年間がそこにあった。
美也子女史もまた、紹介状ももたず、いきなりアーティストの交換展をして下さい、と申し込んだ私に快く応じてくださった。ニューヨークの現場でのシビアなギャラリーワークを思うと奇蹟に近いことだった。お蔭でたくさんの作家たちを知る機会を得、良質の展覧会を東京でも開催できたと思う。
また、海外で制作を続ける日本人作家にとっては、本国での発表の場の確保が難しい。年に一度帰国したおりに成果を発表できる場としてお役にたてば、と思い定期的に続けている。
普段、日本画の展覧会が多い画廊だが、ささやかな世界への窓を開けておこう。きっと新しい風がここから入り、またここからも世界へ出て行くだろう。

瓜南直子展後期ー今昔物語

11日からいよいよ後半の会期に入り、19日まで。新作の制作でおおわらわだった瓜南画伯も京都から鎌倉入りし、デビュー当時の作品とともにご上京。一夜にして今から昔へと画廊空間はワープした。
瓜南画伯はなにせこの兎神国の主につき、最初から最新の「ものたち」の上に君臨しておられる。画伯がご光臨になるやいなや「ものたち」がざわざわ騒ぎ始め、にわかにいきものの気配で濃密な空間になった。
前半の今物語の時は整然と統制のとれていた兎神国の臣下たちも、昔物語のつわものたちの前ではお行儀よくしていられないようだ。
1990年代前半作の橋姫シリーズ3点は左からTOBI、UZUME、TACHIHIと名付けられているお方たち。この橋を守る重大なお役を担い、飛んだり、蹲ったり、立ったりしていらっしゃる。なにか物憂いそのお顔を眺めているといつの日かこの橋を渡って旅立ちたいようにも思えてしみじみする。
また根の国の方は赤いむくむくした雲を握りしめてなにやらお仕事中。本展の中では一番古株につき迫力もそれなりに。圧倒的に兎神国では女たちが多いのだがこのお方は気は優しくて力持ち系らしい。やはり「根の国」はこういう方に守られていたか。
「信太」は1994年作。繰り返し狐の面のこの子は兎神国のあちこちに現れるが、これが初出。異空間から突然現れるのが特徴。
等々、一つ一つの「ものたち」にはそれぞれの由来やら物語があるのだが、その全貌が明らかにされるのはまだ先。主たる瓜南画伯のご機嫌をうかがうとしよう。
画伯の「けものへん」たちに呼ばれたか、「アニマルシリーズ」で有名な河嶋淳司画伯が表敬に。奇しくも同じ鎌倉エリアのご近所のけもの道に引っ越されたとか。「けもの」と「アニマル」の遭遇をかいま見た悦子は大満足。また瓜南カレンダーご愛用という村田・岡本太郎美術館館長が、現代美術資料センターの佐々木氏と。また沖縄で大変お世話になっている那智ひとし氏も、古代文明には大変お詳しい方。いずれも瓜南帝国の生成と展開に満足して帰られた。

瓜南直子展前期ー今昔物語

瓜南直子の今と昔をつなぐ展覧会が前期~10日までと後期19日までに分けて今日から。
会期に先駆けて皆様にお届けしたパンフレットには、以下の文章を。

今は昔、絵と物語・詞は分ちがたく結びついていました。
絵から言の葉が流れ出し、言の葉から絵が紡ぎだされるーその蜜月の時代は遠くなりましたが、二十世紀末・一九九○年に豊饒な物語世界を孕んだ作品を携えて絵師・瓜南直子が画壇に登場、太古のおおらかな精神を汲んだ絵巻を少しずつ広げては心躍る世界へと誘ってくれています。
「絵でなくては伝わらないものを、なんとかしてやらなければならない」と初めて絵筆を握ってからの歳月、瓜南直子のたらした矛の先のしずくは色々な「たましい」を生み出し、歴史や自然のあわいに漂う精霊となって長大な時間や空間を流離するという暗喩に満ちた「物語」となりました。
本展は、二〇〇〇年以降「仮名絵草紙」「けものへん-その一」「けものへん-その二」「月こそ神よまどかにて」と続いた柴田悦子画廊での連作から最新作までを前期の日程で「今」、初個展から一九九九年までの作品を後期の日程で「昔」として展示し、吟遊する絵師・瓜南直子のいまだ止まぬ旅の道程をご 紹介するものです。
今ハ昔、東ニ女アリケリ‥‥。

まずは画像で2000年から最新作までをご覧あれ。

TOKYO MILKY WAYーろうそくの光で

「100万人のキャンドルナイト2007夏至」と題して銀座でも夜のギャラリー巡りが午後7時から。青山、赤坂、銀座の都内3ヶ所で電気が消され、「東京で銀河をみる」というイベントに連なる企画だ。
ろうそくの光で絵を見る、という機会はなかなか無いもの。特に安住画伯の金箔は入念な盛り上げが施されているから、ろうそくの揺らめきが絵の表情を変えていく。普段の照明と違う画廊はまるで異空間。祭壇画のように変化した画面にろうそくの灯が映り込み絵の一部のように。
イベントツァーのお客人が帰ったあとは、キャンドルを真ん中にお約束のドリンクタイム。たまたま上京していた秋田のよっちゃんとそのご学友の久美ちゃんや、ギャラリーモテキで個展開催中の蓮村さんもご一緒にスペシャルナイト。真夏のクリスマスの様な一夜だった。
ちなみにこの日のイベントは28日(木)日本テレビ(4ch)お昼過ぎの番組「ザ・ワイド」で特集される。わが安住画伯が映るかどうかは編集の具合次第だが、お時間のある方は要チェック。

安住小百合展

安住小百合画伯の悦子画廊デビューは2000年。以来毎年この季節に個展をして8回目になる。モデルのお小さかったお嬢ちゃんも年ごとに成長(当たり前だが)し、画面でも美しさを加えている。
はじめの頃を思い出せば、まだ手の離せないお年頃だったお二人のお嬢ちゃんを抱え絵筆をとるのも大変だったはず。にもかかわらず 、着々と歩を進め2003年からは日展に再び出品し春秋に大作を描くという離れ業まで。それも髪を振り乱して、という訳ではなく淡々と優雅にこなしている(ようにみえる)。
その努力の甲斐があって着々と安住ファンは増え続け、色々なジャンルの方のご来廊で画廊は花が咲いたよう。人を大事にし花を愛し絵を描く喜びを天命として日々を過ごす画伯のお人柄の賜といえよう。
連作で描き続けている菱形に円窓の作品も個展を重ねて20点ばかりになるという。背景の漆の黒も年々深みを加え、花たちはますますあでやかで神秘的なたたずまいを見せてくれるようになった。いつかまとめて格天井のように展示したいと思っている作品群である。昨年から描きだした菊の絵の、闇に溶けいるような葉には凄みすら感じられた。このまままっすぐ思うさま描くうち、きっと画伯しか描けない境地が出てくるに違いない、と思わせて余ある絵だ。もっと奥へもっと奥へと、私たちをいざなって欲しい。優雅さの底から、生命の不思議へと導かれ画伯のまなざしはいよいよ深くなっていく。

古市正彦展ー三度目の挑戦

古市画伯の三度目の個展が今日から。
まずは、彼の用意したコメントをご紹介。
まだ街の灯が少なかった頃は、月明かりが家路を照らしてくれたと言う話を聞くことがあります。私が物心つく頃には、街には光があふれ全てのものを映し出し、その先には確かに欲しいものが存在している。欲しいもの全てが、手に入るかは別として、そんな風になっていた気がします。だから私自身、正直に言うと月がきれいに出ているとか、雲がかかっているとか思うことは有りますが、月明かりがそれほど明るいものと思うことはかなり少ないと言えるでしょう。そんなことを考えながら、夜の空を眺める日々が続きました。そして今回、「月明かりが照らし出すもの、イメージやストーリー」ということをテーマに絵を始めることは出来ないかと思ったのです。太陽の光が反射して出来た間接的なその静かな光は、時に悲しく、時に優しく物事を照らし出してくれるのではないか。そして大切なものほど、小さく光るのではないかと。月明かりというよりは、街灯に照らさた家路の毎日なのですが、大きな光の中で、小さな光に照らされているこのときを、見つめ続けていきたいと、思うのです。皆さんに今日見たこの絵を、いつか思い出していただければ、幸いです。

落合浩子展ー祈りの人

一年半ぶりの落合浩子展ーストイックなまでに絵肌を研ぎすました作品たちがまた画廊に並んだ。
「祈りの人」ーーここ数年画伯の主題として「祈り」が表現されている。半眼の目は遠目には閉じられているように見えるが、近くに寄るとかすかに開かれた目の際に金のラインが施され、なんとも神秘的な目の色がうかがわれる。自分の内面を覗き込んでいるかような、放心しているような、一心に祈りを捧げる表情に俗なものはない。
一年半から二年の間隔をあけて今回は五度目の個展。創画会での発表も含めるとかれこれ十数年仕事ぶりを見せて頂いているが、懈怠も慢心もなく心の命ずるままに作画を続けてきた印象である。
2000年「passage」と題した最初の個展。通底する静謐さにちがいはないが、以後画面は緊密さを深め、人物たちの顔や手が何かから掘り起こされたように露になってきた。
前回、目鼻もくっきりと描かれた横顔を披露。今回は真正面から祈りの姿をとらえた作品が秀逸だった。絵の具で象嵌されたような人物の表情が、深い黒のなかから浮かび上がる。すでに生身の体を越えて、精神の結晶にまで昇華された姿だ。なにか尊いものに捧げられたような象徴的な作品ともいえる。一筆一筆を重ね、どのくらいの思いをここに込めたのだろう。
画伯の遅々とした作画の歩みは、呼吸の速度と無関係ではあるまい。緊張したりあせったりして呼吸の早い時に描ける絵ではない。 見るこちら側も呼吸を合わせてみる。体の奥底にある時計が動きはじめ、眠らせていた記憶のどこかがはじけるころ、もの言わぬ絵が何かを語りだす。
落合画伯の作品はそういうスイッチを内在させていて、見た目より手強い。透徹した意思ともいうべきものが、一見暗い画面を暗くは感じさせないのだ。重すぎも軽すぎもしないが深い。「祈り」とはそういうものなのだろう。
困った時の神頼み専門の悦子は少し反省し、この境地に早く至りたいものと引っ越したばかりの家にもれなくついていた神棚に手を合わせた。
落合画伯は初日のあと一日在廊、一旦京都に帰って、31日からまた上京予定。お留守中にいらした方々ほかの画像をみながらきっと悔しがるに違いない。

山田りえ展ー10度目の個展

十度目の個展は朝から波乱含みの展開。ぎりぎりの女が二人揃えば怖いものはないが、今回もまた奇蹟のように障害をクリア。無事初日の幕が開いた。
今展のメインはやはり「立夏扇面図」と題された二曲一隻風炉先屏風。夏のはじめを彩るクレマチスとスズランを清楚に描いた。砂子と金線の地に品良く並んだ扇面はりえ画伯の近年の成熟ぶりを表して余白が美しい。また、白い露草の背景など薄墨をはいた空間が何とも玄妙。フラットなのに深い奥行きの空間のなかで、根付きの草花が命を謳歌している。
この生命感がりえ画伯の作品の本領。画面が絢爛豪華な箔でも渋い薄墨でも、中に描かれた命は溢れんばかりのエネルギーを発している。花の形を借りて、見えない生命の秘密を描いているかのようだ。
花を花ならしめている要素と自分との間に何の違いもない、という画伯の筆先からは万華鏡のように華麗にイメージが紡ぎだされる。大胆にときに細心に彩られたその画面を見ていると生命の躍動のなかに、滅びの予感ともいうような豪奢な気分が潜んでいることに気づく。
季節のうつろいは日々のうちに自然の摂理を教えてくれるが、その変転の相も含んでの美なのだとりえ画伯の絵に凝縮したものたちは語る。毒にも薬にもなる植物たちの、その内に生成のドラマを抱えつつなにも知らぬ気に風にそよぐ姿はなんとも優雅。
今展ではいつもの目を圧倒する大きさの作品に変わって、江戸期の草木画を思わせる静かな光をたたえた作品たちが画廊の空気を清浄にしてくれている。十年経た成熟をご覧あれ。

 

長谷川裕子展発進!

桂の木を彫刻した長谷川裕子氏の人形展が今日から。1960年栃木の小山生まれ。創形美術学校で油画を学ぶとともに、四谷シモン氏の主宰するエコール・ド・シモンで人形作りを学び、卒業後は人形作家として個展やグループ展など全国で発表を続けている。
そんな彼女に転機が訪れたのは2000年。どうしても木で作品が作りたくなったのだという。一から木彫を学び直しコツコツ作りためた作品を今回一堂に展示している。
今回のテーマは「橋の上の子供」。展覧会にあたり、彼女が書いてきた一文をご紹介しよう。ーー子供の頃住んでいた家と学校の間には川があった。家のある側と学校のある側のちょうど真ん中にある橋。守られている世界と外界の世界の真ん中の場所  幼い日の思いを重ね『橋の上の子供』というタイトルにした。  個人的な郷愁に留まらず誰の心の奥底にもあるようなせつなさを人形に投影したいとおもっている。ーー
生まれ育ったところにある川は「思川」という名。幾度となくこの川にかかる橋を往来しながら、初めて内側と外側を意識したのは幾つの時のことだったろうか。橋は二つの隔たる世界をつなぐ架け橋であるとともに、外界を意識させる装置でもある。この橋の合間にいて行くもならず帰るもならず、途方にくれる日暮れー子供たちはその下に逆巻く水流をみて、はじめて孤独ということを知るのではないのか。
自分で歩かないと渡れぬ川。エイっと目をつぶって渡る橋もある。がんこに口をむすんで立つ彼女の人形たちは満身に決意ににたなにかを漲らせている。「人形」という言葉が醸す甘さではなく、あえて「ひとがた」と呼びたいような実在感に彩られたその世界は、自身で語るように泥のついた野菜の野太さに近い。そのごろごろとした手応えのある子たちの醸すせつなさはなんとしたことか。
これらは子供ゆえに知る悲しみをまるごと抱きしめたいと願う心が作らせた作品であり、作者もまたその光と闇を今も抱え続けているに違いない。今展を見てそんな思いを抱いた。桂の木を丹念に彫りあげながらその中にある無垢なものを拾いだしたーその重みを手に感じてほしい、と願う次第。

 

特報!イベリコ豚いよいよ上陸!

突然ですが、ここで明日の開廊10周年記念スペシャル、イベリコ蓋祭りのご案内を。

明日五時より

 

、専門シェフにより入刀。36ヶ月熟成、末端価格数十万の豚の解体薄切りショーが行われる。7キロの巨体で悦子の太もももかくやの品につき、堪能めされよ。海よりも深い皆様方へのお礼にはいささか足りないが、悦子のすねも一緒ということでお許しを。以下、その効能書き。
スペイン・イベリア半島原産種のイベリコ豚は、古代に棲息していた野生種の豚の子孫です。黒っぽい毛と皮、細長い足と黒い蹄、どんぐりを求めて歩き回るため筋肉に脂肪が霜降り状に混ざっているのが特徴。コヴァップではイベリコ豚を、アンダルシア地方コルドバ県の北部、ペドロチェス・ヴァレーの名で知られる世界最大のトキワガシの森である「デエサ」(スペイン語で牧草地の意味)で、伝統的な粗放牧畜法に従い自然飼育しています。200万ヘクタールの広さがあるこのデエサは、常緑樹と落葉樹のオーク(ナラ類)が点在する生態系であり、ハーブや穀物が自生する、特殊なアグロフォレストリー(

農牧林業融合)システムです。どんぐりが大変豊富なこの生態系では、イベリコ豚は欠くことのできない重要な構成要素となっています。ていねいに育てられたイベリコ豚は次の過程を経て加工されます。まず、生のモモ肉を短期間塩の中に漬け込み、その後、塩をていねいに洗い流したあと、塩を肉の内部に浸透させるために、重さに応じて40~60日おきます。次に、天然の乾燥室で自然乾燥させてほとんど水分のなくなったハムを地下室に吊るし、丘の上の清涼な空気にさらして長期間熟成させ、ハムの旨みと香りを引き出します。このようにコヴァップでは、豚の誕生から飼育、飼料の生産、放牧、屠殺、ハムの製造までの全工程を自社によって行っています。また、スペインに数あるイベリコ豚の産地の中で、ペドロチェス・ヴァレーは認定されている4ヶ所のイベリコ豚のDO(原産地呼称)のひとつとなっています。100%どんぐりだけを飼料に育てられたイベリコ豚で作られる、イベリコハムの最高峰です。熟成期間も36ヶ月と長く、これによって上質な脂と独特のふくよかな香り、口中でとろけるような味わいが生まれます。

 

柴田悦子画廊ー十年の歩みを展観

お蔭様で十執念(周年)年間が最後の追い込みに。21日には11年になるカウントダウン記念パーティを控え、皆様に感謝しつつ粛々と十年の歳月からなる作品を展示した。感無量のメッセージに先駆けて、届いたお花からご紹介を。

平野俊一展 4th

画廊ではおなじみの顔・平野俊一画伯の4度目の個展。え~まだそんな回数だったっけ?と思うが、毎年開催のラボ展で存在感を示しているせいだろう。
さて、今回のテーマは「blur」。ちなみに意味は、[名]かすんでぼんやり見えるもの、思い出などぼんやりしてるもの。[動]光景・意識などをぼんやりさせる、書き物をにじませる。などのことをいう。
平野画伯のコメントによると、「夕暮れから夜にかけて 眼鏡に頼らず裸眼で見たその風景は さらにかすんで または滲んで 事物の在処を消されてしまう しかし その時にはすでに私のメモリーには その光景がしっかりと焼き込まれているようなのだ」とのこと。
自宅近郊の散歩コースが取材地。夜の帳が街を覆い、人工の光が太陽に変わって瞬きだす頃からが平野画伯の今回の世界だ。都会のありふれた街に毎日繰り返される光景ながら、この美しさはどうだろう。郷愁のようになにか物悲しさをともなう懐かしさを思う。夜の世界を照らす光源はそれぞれだが、太陽のようにあまねくという訳ではない。その一灯の及ぶ範囲はおのずと決まっているからだろうか、孤独に何かを守っているようにも見える。その夜に向かって溶け出していきそうな人工の光のドラマを、自身の心象として描いたのが今展の作品たちだ。
滲む、歪む、ぼやける、世界はいろいろに表情を変え、確かな像を結ぼうとする意識を翻弄し続けるのだ。その流動する自由さこそ画伯が希求するものなのだろう。変幻する世界を彼は見続けて、そして描き続ける。

 

矢島史織展スタート

前回の七味展メンバーである矢島史織が銀座個展デビュー!。春の日差しとともに、長野の茅野から現れた。
1979年長野生まれ。地元諏訪二葉高卒業後、2005年多摩美大学院美術研究科(日本画専攻)修了。同年より個展、グループ展など精力的に活動を始める。
銀座でのデビュー戦になる今展では「光と影」をテーマに80号、50号、30号の他、20号の連作、4号、0号など9点の新作を発表した。
地元紙の取材に「光と影のみが存在する空間の中で現実世界をリアルに感じる一瞬を表現したいと思っている。」と答えた画伯。「光と影のコントラストの強弱や、木漏れ日の動きを見ていると、自分が社会で感じているあいまいさに重なってみえる。」とも。
ナイーブな色感で描いたその世界は、実は強烈な観察眼に支えられている。定まらない「曖昧」のうちに真実が隠されているのを本能が知っているのかもしれない。その匂いを追いかけるように取材を重ねている。一見抽象にみえる「光線」シリーズも、ガラスの浮き球を透過する光の変化を丹念に記録したもの。夕方の斜めの光線が作り出す色と形のドラマは神秘的なものだが、手にしたと思ったら砂のように零れだすーそのあやふやな残像を印した。
「dream」と題された作品は木漏れ日が家の外壁に揺れ動く景を描いているが、これもまた幾重にも重なった記憶の集積のような幻想的な作品。「虚」と「実」のはざまが作りだした「白昼夢」とも。
いずれ日常のありふれた光景でありながら、定かならぬものー時間であれ、光であれーの美しさの秘密に迫りたいと願う心はいかんなく作品に投影されて奥行きを与えている。特にケレンのない透明感は、彼女の特質として讃えられてもよいだろう。描くという行為が必然性に支えられているとするなら、人が聞き取れず、見えない周波数の領域に心が動く種類の一人だと思うが如何。

 

第四回 七味展始まる

多摩美を四年前に卒業したメンバーによるグループ展が今日から。昨年までのテーマ「連画」から、今年は「萬里」という言葉へと移行ー作者それぞれの心にある変わることのない真理、自然、万物を描きだそうという試みだそうである。一つのテーマから広がった自由な心理を感じて楽しんでもらいたいと願う彼らの展覧会の模様はいかに?
まずは『萬里』にかんするそれぞれの思いを画像順にご紹介しよう。大里友輝ーー「地球でしかないということ」  人の本質も単純な感覚ほど変わらないし、動物だって植物だって生きていくこと以外考えないという事は変わらない。地球の上でぶらぶらしながら、太陽があるなら真面目に生きていたい。自分の中で万里とはそういうこと。
田沼翠ーー「輪廻転生」萬里とは、すべての現象は刻々と変化するが真理は永遠に連なっているということ。
尾高佳代ーー「ひかるもの」いのちのともしびなんてことばをよくきくけれど たしかにどうももえてひかっているものがからだのどこかにあるらしい ぱちぱちとおとをたててもえあがる炎もあればろうそくみたいにしーんともえている炎もある ぼんやりしてみえないくらいの炎だとしてももえていないとはいえないでしょ ぼんやりでも、メラメラぱちぱちゴーゴーでも、きえることのない炎だということはかわらないことだとおもう
北田幸恵 「わたしのなかのかわらないもの」ずっとかわらないと思っていたものがかわってしまった。でもすぐかわるかもしれないと思っていたものが意外とねばっているような気もする。だから、さがしつづける。かわらないもの。
永田麻子ーー「流れ」 ヒトを主体としなければ変わらぬものなど何もない。 だけどわたしはヒトだから変わらぬ’何か’を決められる。長く、変わりゆく流れの中、それは見つかるでしょうか。
手塚葉子ーー「Link」萬里は存在するのだろうか。そんなことを抜きにしてもわたしは、そんなものないと思う。例えば、ひとつの出来事あった。それは長いこと時間をかけて良い思い出になったりする。当時何でもなかったことが。 それは逆にも起こる。良い思い出が、忘れてしまうほどのはなしだったりと。食物を食べる、これは一時的なこと。それを放置する。どんどん小さくなる。どんどん入りが変わって 濃縮されていく。縮んでいく。常にそれは変化しつづける。食べたという出来事そのつながりでしかない。それ以下でもそれ以上でもない。勘違いはしたくないものだ。常に変わるのだ。変わらないことが変わらない秘訣だ。私は常に変わっていきたい。変わることが変わる世の中で変わらないことになると思うからだ。
矢島史織ーー「光線」私の中に映る現象。それは光と影の世界。太陽が有り続ける限り、永遠に不変である。


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