2024.12.6(金)〜14(土)
12:00〜19:00 日曜〜18:00
最終日〜17:00
孤高の画家・斎藤隆もいよいよ傘寿を超えた。コンテ・鉛筆・墨と時々に様々な「黒」の表現に挑んできた画家が、近年打ち込んでいる銅版画。
ライフワークの「面構え」を通して人の内奥に迫る白と黒のドラマをご紹介します。
15歳で絵を描くために東京を離れ、新聞配達や魚河岸で仕事を見つけながら、全国各地を転々と流浪。
描き溜めた絵を持って銀座で個展を開催するうち、八重洲画廊に認められその独特の画風が世に知られることとなった齋藤隆。
その後、会津を皮切りに糸魚川に4年、佐渡に4年、秋田の男鹿を経て再び福島に戻り、三春から川内村「風騷居」に居を定める。バス停まで2時間という山中で独酌の日々は脆くも家の崩壊で終わりを告げる。伝手を求めて転居した天栄村で東日本大震災に被災。終の住処として名付けた「閑花邨舎」は分水嶺の地・勢至堂に移転し、この地で傘寿を迎えた。
この間65年余。若き日には詩人の三好豊一郎、会田綱雄に愛され共に遊んだという。その後、梅原猛の推挙で「釈迦十代弟子」を描く機会を得て畠中光亨、池田一憲と競作した他、「横の会」創立メンバーとして10年間大作を発表し続けている。
独酌独吟の日々がもたらした内省は、自己の「面構え」として結実し、コンテから墨、鉛筆から銅版画へと得物を変えながら進化し続けている。
「悪老」という今展のテーマは中国の詩人・袁枚の詩に発想を得たものだが、「老」を「悪(にく)」むだけではなく画題とした「悔恨」「懺悔」など人間の諸相を自らのうちに見据え「面構え」の皺の一本一本や目に宿る絶望・狂気を描き切る事で「浄化」を願っているようにも思える。
案内に寄稿してくださった江尻氏が「蘖(ひこばえ)」と評してくださったことに感謝したい。いのちを使い切った後にも花は咲く。