越畑喜代美展

越畑喜代美のお茶会風味と題された10度目の展覧会が今日から。お茶会風味とは何?、、。と思し召される方にご説明すると、先年より超お見立ての「なんちゃってお茶会」を催しているわれら台所茶会派の黒幕・みそそ画伯が、くれぐれも本物のお茶会と間違われないための用心に「なんちゃって」風味を加味したもの。
世の中は「松茸風味」だの「ホタテ風味」だの貧しいものたちへの愛に満ちたフェイクが溢れている。いつか本物の松葉蟹を思い切り食べたい!と思いつつ、カニかまぼこをかじる時、おや意外にもこの身の裂け方は本物以上と思われた人はいないだろうか。
大真面目に本格の挑戦をする時、大真面目にやったのではこの画伯の本領は発揮できない。遊んでいるのかと思わせて、いきなり核心をつく戦法がみそそ流。よっておのおの方油断召されるな。カニかまが蟹を越える日がくるかも。
今展では、バージョンアップした描き表装の作品他、カメラの画像ではとても捉えきれない繊細な描画の墨彩がメイン。カメラはおろか、人間の目でも五分や十分では捉えられない作品だと思う。たっぷり水を含んだ薄墨がどこにどう流れて、どういう溜まりをつくっていくのか。画家が作品と十全に語り合い遊んだあとがほのかにみえるまで、見るほうにもしばらく時間がいる。
ゆっくり、お菓子をいただきお薄を喫茶して壁に目がなじんだころ、紙から立ち上がってくる世界こそ彼女が今展で目指した挑戦だ。うす明るく清浄な空気がたちこめた桜の丘は、今までの絵の骨格を持ちながら過去のどの作品にも見えなかった奥行きがある。
前に冗談で「あぶりだし」のような絵だといったことがある。紙から立ち上がってくる空気が見える時まで見えないからだ。秘めやかに慎み深くその表情を隠しているが、一旦この空気に同調するや、うす墨は色をもち楽しげにその奥へと人をいざなう。
絵の半分は見る人が作る、と言ったら大げさだろうか。もちろん完成度は必要だが、隅から隅まで手が入った作品は私には鬱陶しい。隙間から風がはいらないとつまらないと思う。見る人が入れる絵ー越畑喜代美の作品の魅力はそこに尽きる。ただ、年々作家の遊ぶフィールドの奥行きが深まるにつれ、その冒険の旅のお供も成長を促される。
彼女の遊びたい場ー自由に水が流れていく方向は間違いなく本格の道だ。だが、まだそれをいうには恥ずかしい。だから本格風味。こちらも眼を磨いて彼女ならではのあざやかな切り口をみせてもらうこととしよう。

十周年記念―ちっ茶なお座敷遊び

毎年恒例みそそこと越畑喜代美画伯の個展が今日から。ところが、パソコンが再びクラッシュの憂き目に。前回の栗木画伯のアップもできないまま、パスワード探しの旅に出た悦子。積み重なった書類の、ジュラ紀やら白亜紀の層を彷徨いながら途方に暮れていた。

しかし、容赦なくやってくる初日。しかもお座敷モード、、、。急遽、応急処置の仕様で泥縄作戦(?)。なんとかならなかったことはない!とはいえ皆様にはご心配おかけしました。(ぺこり)。

またDMには以下の文をみそそ画伯に捧げさせていただいた。

画廊の歩みと軌を一にし、ここを挑戦場として、毎回小さな風呂敷をそっと広げてみせる越畑喜代美。恥ずかしそうにその中から取り出すものは、時に何も描いていない空間であったり、「る・る・る」とか「ら・ら・ら」とかいう

意味不明の言葉だったりする。みかん汁のあぶり出しや虫の音のように、目を凝らしたり耳を澄ましたりすることで、絵の中に仕掛けられた秘密のサインに気づく時、「越畑の世界」が思いがけない深さを湛えて目の前に立ち上がってくる。あるいは鼻歌をうたうように肩の力が抜けた時に見えてくる、その世界に誘うために、今展では座敷に描き表装の軸をしつらえ、お茶を供して遊んでもらおうとたくらんでいるらしい。 立ったり座ったり寝転んだりしながら、越畑喜代美の絵を楽しんでいただけたら望外の幸せである。

そして怒濤のオープニング!お茶会のそこはかとなくお上品な感じは、瞬く間にマトリョーシカ大会に。大きい順に並んでいる筈だが、順番にあたっていささかの齟齬があったこともご報告。ともあれロシアだかモンゴルの少数民族の家族会議のような有様に爆笑の嵐。絶滅種だの、みそそ画伯はその村の最後の小学生だの喧しいこと。ラテン文学の巨匠ガルシア・マルケスの「族長の秋」という小説を思い出しつつ、この中で族長は誰?と見渡したことだった。

日本画四人展ー「穿」展始まる

金沢美大同窓生による東京・銀座大展覧会ー参加企画として柴田悦子画廊では俊英作家四人の展覧会をお引き受けした。以下バーチャル展の出品順にご紹介すると、鈴木良平、大澤健、松井良之、吉川尚吾の面々である。
かれらの用意したステイツメントは以下のとおり。

日本画四人展「穿」は、金沢美術工芸大学大学院 平成18年修了3名、平成19年修了1名の4名からなり、現在、日本画材を用いた表現を主として活動しています。
「真に新しいものなどなく、新しいものとは概に在るものをいかに捉えるかである」ことを理念に、物事を穿ち続け、これに賛同する者がいることを活動の主体とし、今後回を重ねていけるよう邁進していきたいと思っています。

「穿(うが)つ」は点滴石を穿つとか穿った見方とか、物事を鋭く掘り下げる意につかわれる語。あくまで実を見据えて「真」を穿とうとする 彼らの意思だろう。大真面目だけど、偏っていない見方が絵という虚を実にする。四人とも上方生まれの明るい批判精神を持ち合わせて、侃々諤々、喧々囂々、談義を重ねながらの「穿」展の道中だったに違いない。
金沢美大の諸先輩たちや後輩たちが銀座の123の画廊を占拠して繰り広げるこの度のイベント。そのなかにあって彼らの一作が、銀座にどういう点を穿つか。楽しみに反応を待つ事にしよう。


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