曽根隆一・深雪二人展「花巡礼」

曽根隆一と深雪夫妻による二人展が始まった。

奥様の深雪さんは、昨年のクリスマスに小番今袴さんと二人展を開催し、長年眠っていた画家魂がふつふつと甦ってきたらしい。写真をワイフワークとするご主人を誘っての夫妻展となった。 深雪さんは多摩美大日本画科卒で長らく教員生活をしてきた。その傍ら勉強したというセラピーの仕事を今も続けている。また、初めて絵を描く方のためにパステルを用いた絵画教室も開催するなど意欲的に啓蒙活動をしているという。

一方、ご主人の隆一氏は仕事の合間に素人離れした写真を撮りためていた。画像でご覧の通り、白黒の調子が美しい抒情的な作品である。聞けば機械マニアであり骨董のコレクターでもあるという。その審美眼とこだわりが、銅版画の如き黒の質感とクリアな精度を写真上に追い求めさせることとなったのだろう。三脚は使わず必ず指でシャッターを切る、というのも対象を撮る一瞬に自分の美学を入魂するという意味なのだと理解した。

ただ、こだわりのあまりそれを人に見せるという行為には及ばないでいたところ、深雪さんが二人展をと土俵に乗せてくれたのだという。真面目でシャイなご主人と会うのは今展が初めてだったが、その幅広い造詣には驚くばかり。

常に人の心に寄り添い、その人生と向き合う仕事をしている深雪さんのそばに、こういう含蓄のある方がいるのはむべなるかなであるが、作品上のコラボをするという関係になるとは昨年までは思っていなかったに違いない。

展覧会を開くという行為は、自分のアトリエの窓を開き、風を入れることだ。自分だけではわからなかった自分の姿を人の目を借りて知る。何を与え、何を与えなかったか、作品の持つ力を冷静に判断するチャンスでもある。

自宅内で完結せず、多くの目に作品をさらすことで自作がまた見えてくることがある。さらに踏み込んでいえば、見る人の目が作品を完結させるのである。この可能性を持つ人との出会いが展覧会の醍醐味といえるだろう。

骨董をよくする方ならば、「もの」と「ひと」との出会いの吸引力とでもいう何かを知っておられると思う。人の生み出したものが、人の何かを引き出すーということ。この出会いの瞬間こそが人生の妙味というもの。

「花巡礼」という大きなテーマでそれぞれの今を競作したお二人は、これからまたそれぞれのスタイルで自分の表現をされていくだろう。この「花」が大きく開いて色々な人に種を運んでもらえるよう、心からのエールを。

小林身和子展

久々に小林身和子が銀座に再デビューした。04年の個展以降、結婚、出産、子育てと女の大事業に励み、五年間ほとんどまとまって絵筆を取る時間がなかったにもかかわらず、初志をまげずこのたび前線に復帰したことをまずは言祝ごう。

1972年東京生まれ1999年に女子美大日本画科を終了。在学中から創画展に入選するなど旺盛に作品発表を続け、2000年には村越由子・直野恵子と文月展を開催。当画廊とはこれが縁で02年と04年に個展の運びになった。

以後、今展までの道のりは並大抵のことではなかったと思う。しかし、小林はそれすらも力に変えてみずみずしい作品を仕上げてきた。岩絵具を重ね、何層にも盛り上げては金やすりで彫り、磨く。傍らで子供が遊んでいるというが、本人も夢中になって絵の層を掘り進んでいるに違いないと思わせる。

絵肌はまるで荒い麻布。布目のような方眼状の彫りを丹念に施した画面は複雑な色目をみせ、下の隠された層を想像させる。岩絵具の重厚なマチエールを彫って磨き、さらに重ねて彫るという気の遠くなるような作業を進めるに従って、次第に作品に密度がましもうこれ以上手が入らないところまでやりたいのだ、という。

50号の「刻む」と題された作品には、古代の壁画のような線が残る。堆積した時代やその風化まで思わせる絵肌だ。何度も繰り返された塗りと削りが見る人の心象と重なる瞬間を待つのだろう。この線と層の中に分け入って自由に想像の羽を広げればよい。 白い紙を前に時間を刻み、記憶を刻み、全てを刻み込んで描いた今展の作品は5年のブランクを感じさせないばかりでなく、更に進化していた。ストレートに飛び込んでくる印象と純化された色彩。思うように動けない日々さえ栄養にしておのれの世界を深めていったのであろう。

大河のゆるく深く流れる水のように描き続けていって欲しいと思う次第である。

 

西村亨人形展 スーパ—ソリッドドールズ III

馬上のプリンセスを引き連れて西村享の三回目の個展が始まった。西村のマニアックともいうべきアメリカ60年代への偏愛に応えて、常磐茂氏が以下のような文を寄せてくれた。

西村亨作品の幅ーーこんどはおなじみの美女たちが、さまざまな動物にまたがって登場するという。それをきいただけで、なんだかサーカスの開幕を待つときのような気分になり、カタルシスさえ覚えてしまう。アフリカ象やガラパゴスゾウガメ、カバもいるらしい。言わずと知れた、絶滅危機動物。と、そうなってくると、これは考えるところもあるかなと考えたりもする。こんなふうに、少したってから、もしやと、かすかだがメッセージのようなものを憶測させるところは、ちょうど落語の考え落ちというのに似ている。また上質な喜劇作品につきものの要素でもある。登場人物個々の性格までわかる描写力にも驚くが、自由に想像させる許容力にもハッとする。どちらも西村亨作品の持ち味だ。

2007年の悦子画廊デビューから、連続三年続けた個展。今展では上記の通り、動物に乗ったドールたちが勢揃いした。

西村亨は1961年生まれ鎌倉で育つ。1987年多摩美大油画専攻修了後は、日本デザインセンターでイラストレイターの仕事についた。その後CG全盛の世相に反逆するように、リアルな手仕事にのめりこむようになったという。

もともとミリタリープラモに夢中な子供時代を過ごし、成長期にはテレビでアメリカのホームドラマや、ヨーロッパの映画等から大きな影響を受けたというから、制作の種は足下にあったという訳だ。 映画「アメリカングラフティ」にとどめをさすアメリカの黄金時代をアイロニカルに、またコミカルにドールに託して表現している西村の仕事は今展でまたバージョンアップした。

アルミ線を軸にスタイロフォームで肉付け、粘土で細部を仕上げたあと丹念に着彩という過程を経て完成するこれらドールたちは、小さすぎず大きすぎず絶妙なサイズをキープしているが、西村は今展で巨大化をもくろんだ。ドールを下支えする駆体に動物を選んだのである。しかも馬や象、カバやらくだにガラパゴスゾウガメという大きなものばかり。

往年のハリウッド映画を彷彿させる美女たちは、それぞれの物語を背負い遠い彼方へ目線を投げる。一見ありそうで、絶対あり得ないシチュエィションを作り上げ、クスリとくすぐるとともに圧倒的な存在感を示すこれらの作品は西村の面目をまた一新させた。

さらに得意のワザをくり出し、メッサーシュミットやジープを精巧に作り上げ、紙と粘土で鉄のさびや匂いまで写し取るという離れ業をみせた。これらデティールへの異様なこだわりは、このドールたちの存在する時代へのリアリティとなって西村の仕事を支えている。

時代はザ・ロネッツの BE MY BABY が流れる底抜けに明るい時代。ドールたちはみな遠くを見つめ、未来にも幸せしかないと信じていた時代だ。わずか10年にも満たないようなピンポイントの時代に、西村の全感覚は集中する。日本に生まれて、ブラウン管やスクリーン、ラジオの音声からアメリカを吸収して育った世代ーいわば戦後に生まれたものたちが無作為に享受したアメリカ文化が、今こういう形で凝縮されて出て来たことが興味深い。しかも、諸手をあげて礼賛している訳ではなく全くの皮肉でもなく。ただここに時代を取り出してみせているだけなのだ。

西村は「クールに」作っている、という。いたずらに思い入れることなく無心に細部を追うという作業の果てにでてくるもの。幸せな未来を追うように強い視線を投げかけるドールたちは、その先に待ち受けている不毛な時代をしるよしもない。


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