塩出周子日本画展

福井在住の日本画家・塩出周子の展覧会が初日を迎えた。まずはにぎやかにバスで駆けつけて下さった応援団の皆様と初日に合わせて開催のミルキィウェイのイベントの画像からご覧いただこう。
塩出さんは、多摩美大・堀文子教室の一期生。愛媛は新居浜のご出身ながら、ご主人の郷里である福井県に嫁がれたのちは、ここを制作の場として創画会や県展などに出品している。もちろん画家としての長いキャリアのある方だけに、地元での個展やグループ展にお忙しい。一昨年から始まった「堀教室同窓展」でも力の入った作品が印象的だった。
勉強会などで月に一度上京される機会に、銀座で個展でもという話になったことから今展の運びになった次第だが、さすが日々一点のスケッチをと心がけている方だけに話は早かった。
大作4点を含んだ十数点をわずか一年余の間に用意していらして、画廊はまさに塩出ワールド。こんなに作品が並んだのは、須田剋太展以来か。しかも色々なニュアンスの赤に彩られた作品に囲まれながら、いささかも疲れない。丹念に重ねた仕事の賜物だろう、熟成した色彩のハーモニーは実に品がよい。
画廊の明かりを消して、ろうそくで絵を見ようという、トウキョウミルキィウエイのイベントに日本美術史を学ぶクレアさんとそのお友達も来て下さった。経済を学びにきているウズベキスタンの留学生は、塩出さんの赤い色彩の奥に隠されている更紗の文様に反応した。郷土の歴史や風物が巧みに染め出された更紗が絵の一部になって、ろうそくの灯に浮かびあがる…あたかも洞窟で遺跡を発見するように。
花と更紗やバテックの文様を巧みに重ね、作品に時間の深みと厚みを与えている塩出さんの世界が、その布が生み出された土地の方に感銘を与えた、というのは偶然の出会いにしてもうれしいこと。遠くインドや南アジアから旅してきた布たちも日本に来た甲斐があったというもの。
今展では搬入も搬出も福井から駆けつけて下さった応援団のかたがたのお手を煩わせた。お陰様で大作も難なく展示することができた。伏してお礼申し上げる次第である。次回はまたどんな作品を見せてくださるか、待ってますよ、塩出さん!

瓜南直子展ー今昔物語 Part2

今展に先立ち、瓜南直子画伯より以下の文章をよせていただいた。まずそちらから。
春はふきのとうから始まった。辛煮や胡麻味噌にしたらお酒がすすむ。 土筆は鴨とすき焼きに。 嫁菜、 はるじおん、 野かんぞう、ほととぎす、うちの町の名でもある雪の下、野蕗、石蕗、たんぽぽ、虎杖、ギシギシ。さらに、野蒜にみつば、ぎぼうし、枇杷、柿の若葉にヤブガラシ、露草にいたるまで。昔からなじみの原っぱや家のまわりで、食べられる草がこんなにある。今は庭で桑の実を拾っている。気がつけば、花の絵を描いていた。 瓜南直子

珍味堂日乗にも記したが、瓜南直子画伯は野草のみならず季節の品を佳肴にする名人。絵を描くことと食べることはどこかでつながっていると見えて、気に入った材料をみつけるや、とことん追求して料理する。胡麻を煎って入念に摺るように絵具の粒子を混ぜ合わせ、そのものが本来の味を出すまで、洗い、たたき、干しを繰り返す。その様子をみてからひらめくインスピレーションが彼女の本領。今生はおろか、前世の記憶まで総動員して味付けにかかる。
ナマコを初めて食べた人類が誰かは知らないが、瓜南画伯はその末裔に違いない。木の根を堀り、薬草を探し、洞窟に線を描き、草の汁で爪を染めた一族に生まれた媛という印象は拭えない。数千年も続く一族の記憶は、今彼女の手で絵画によみがえり、その歴史を刻み続けている。
今展で二度目になる「今昔物語」は1990年の画家デビューから今までの画業を検証し、今と昔を行き来しながら絵師「瓜南直子」の生きる物語を、絵を通して辿る試みである。今展の前半では初個展の折り発表していらい陽にあたる、嬉し恥ずかしの5点から二回展、三回展、四回展までの軌跡を辿った。初めての絵が一点出来上がった喜びで、一年後の個展を予約してしまってから今に至る疾風怒濤の物語は、いずれ伝記(奇?)として刊行されるのを待つとして、悦子画廊の画家として登場と相成った2000年から現在までの作品を、後半の部ではご紹介した。
牡丹、河骨、蓮、椿、十薬など鎌倉に在住して日々目にする花々を「瓜南花卉図」として見事に描き上げた画伯。作品のなかに花を描き込むことはあっても単独の「花卉」を描くのは昨年の一点が初めて。まるで初個展時のようにその一点をてこに今展では怒濤の花卉連作となった。よほど花の精に愛されたと見えて、その一作一作は古格すら感じさせる完成度。百合と花いばらの精「いすゞ媛」「いばら媛」も登場して愛嬌を添えてくれた。「しろきほのをのたつをみる」と題された蓮など、そのほむらが月光を浴びて浮かびたち玲瓏の音が聞こえてきそうな出来映え。お見事な腕の冴えでござった。
この新たな種を得て、また今後の活躍の具合が楽しみになってきた。足下の畠を耕して花を咲かせ、若芽や実を食べ種を鳥に運ばせ、という自然のサイクルに身を添わせて、天然の子は絵を紡ぐ。はるか昔から遠い未来まで一つの道でつながっている、という「絵師・瓜南直子」という運命の子だ。しばし彼女の奏でる夢のなかでまどろむとしようか。

池田美弥子展

池田美弥子の沖縄をテーマにした個展が今日から。
数年前、沖縄の百貨店で沖縄を描く日本画展を企画したことがあった。画廊にご縁の数人の画家たちにお声をかけ、ほとんど手弁当のような展覧会だったが、気持ちよくこの雲をつかむような話に乗ってくれた一人が池田美弥子である。
以来、こつこつと取材を進め南国に通い続けてきた成果を今展で披露してくれた。主な取材は本島北部の喜如嘉。芭蕉布の材料である糸芭蕉が生い茂る地に滞在し、スケッチを重ねてきたという。住む人の気配が色濃く漂う赤瓦の家を俯瞰し、縁側や店先に島の暮らしのあれこれを想像させて楽しい絵に仕上げた。
地面の色は赤。今展で一番目につく色である。なぜ赤なのか聞いてみたところ、初めて冬の季節に沖縄を訪ねた折り、夏の強い日差しでは見えなかった土の色の印象だという。なるほど日中は光が強すぎてほとんどの色は消し飛んでしまう。冬になって幾分光が弱くなった頃、見えなかった色が出てくるというのも不思議なワザだが、沖縄ではさもありなん。
しかもこの赤を使ったことで、逆に南国のエネルギーが横溢し、誰にも真似できない池田ワールドが出現した。池田の故郷・新潟では冬は当然雪に閉ざされ、白と黒の世界になる。万物が枯れ果てる冬のさなか、沖縄の土は本来の赤さをとりもどし、白さから免れるという発見は、ひとえに池田の観察眼のたまもの。B型的乱暴力を駆使ししつつ、この「赤」のリアリティを絵にしたことは特筆すべきだろう。いきいきとした島の生命力がこの赤によって象徴され、神話的な世界をも伴った楽園の様相を描き出した、とも。
武蔵美大を卒業する頃には俯瞰する構図の絵を描いていたという池田美弥子だが、近年は学習院大学で源氏物語絵巻のゼミを聴講するなど、絵巻の空間の研究にも余念なく、ますます俯瞰の腕に磨きをかけているらしい。けっして器用とはいえない作風ながら、独自の世界を切り開く突進力は彼女の大きな力となり、今展でも思いがけない世界を展開してくれた。さらに突き抜けて、未知なる物語を見せてほしいと願ってやまない。

平野俊一展 in the garden

平野俊一展が6月7日までの会期で始まった。
in the garden と題された空間には濃密な花のかおりが漂い、丹念に抽出された花のエッセンスともいうべき色彩が目に飛び込んでくる。
二年前からぽちぽち描き始めていた花だが、ここにきて急速に深化。花々が一斉に花開くように平野俊一の秘められたパワーが解放されたと感じた。個展を毎年開催しながら、注意深く自分の進むべき水路を探ってきた彼だが、水滴が集まって大河になるように今展では「花」にひかりと水分を与えてこの10年の集大成としたように思う。
ただ花鳥画というのではない。気象という常に動くものを平面に描こうと色々な挑戦をしてきた果てに、生きているものとしての「花」が見えてきたのだ。実際、朝から刻々と花は変化し続ける。普通はその一瞬を象徴化して絵画にするが、彼は変化し続ける総体としての花を捉えたいーあたかもシャッターを開け放したまま写真をとるように。ピントを合わせない、という捉え方もあるのだ。
我々の目は、ものの形を正確にとらえるために絶えず瞳孔を収縮させているが、お年頃になるとその能力の劣化が始まる。一つの能力が失われると、不思議なもので別の能力が生まれるようで、彼の場合は「はっきり見えないほうが美しい」ということに気がついた。常に形と結びつく色が、「色」単体として立ち上がってくると幻想的なまでに不思議なオーラを発する、ということか。
ものを正確に写すことが画家の仕事だった時代が過ぎて、様々な絵画表現を試みる過激な時代に美大生だった平野にとって、50代近い自分が「花」を描くなどとは想像できなかったに違いない。だが、この10年制作に打ち込んできたことで、絵画と自分の垣根がすこしずつ取り払われて自然に身のうちのものになってきたようだ。まさに平野俊一しか描けない、平野の「花」のリアリティが今展では立ち上がって、見物衆を魅了した。
この花園では、見ようと思って頑張らなくてもいい。そこにある花の存在感を感じればいいのだ。花は十分にひかりと水を得てそこにある。頑張らない目でみると、平面に描かれている筈の絵が動きだすーその不思議さに身を委ねているうち、見えるものの裏側にある、見えないものに人は感動するのかも、と思い至った。そしてその見えないものは、見る人それぞれの心のなかにある。
平野俊一の今回の仕事は、この花園を通してその普遍のボタンを共振させたことに尽きる、と思うが如何。


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