柴田悦子画廊 18周年展

会期 2014年4月21日(月)から30日(水)

銀座桜通りに八重桜が満開のころ開廊して18回目の春です。
それにちなみ昨年登場していただいた画家たち18人の作品
を選び展示いたすこととしました。
花見かたがたどうぞお出かけくださいませ。
                柴田悦子

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黒田さかえ展ーイタズラな花びら

京都生まれの画家、黒田さかえの二度目の個展。銀座デビュ―だった二年前の前展のテーマはーdream dreamer dreamestという夢多き黒田さかえらしいものだった。奔放な色彩とキュートな人物が魅力的な作風、本人もエキサイティングな人だけにこういう方を生み出した京都の底力に驚いたことも思い出される。
黒田さかえは1958年京都・西陣生まれ。1983年嵯峨美術短期大洋画科専攻卒業後は油画・テンペラ・版画・水彩など幅広いジャンルで活躍しはじめる。現在は成安造形大や川島テキスタイルスクールで講師を勤めながら個展中心の発表を続けている。
油画中心だった前展から比べると、今展では水彩や版画作品をバランスよく配置し軽やかな構成、おしゃれな空間となった。そもそも代々続いた上京の家に育ちながら小学生の頃には外国を夢に見て、長じるとパリ、ロンドン、ウィーン、ベニス、バルセロナなど欧州各都市を漫遊した彼女は、和風より洋風、和菓子より洋菓子をとことん愛す画家となった。
女の子の夢を満載した砂糖菓子のようなラブリーな画面に、一滴毒をたらしたような濃さをもつ黒田作品は、「イタズラな花びら」に代表されるようにやんちゃ心を放射しつつ、見る人を楽しさ溢れる世界に巻き込んでいる。
お菓子好きが嵩じて、絵本まで作ってしまった黒田さかえの描いた「クリスマスプディング」というお菓子は、クリスマスの何ヶ月前から用意して少しずつ熟成させていくのだという。個展というハレ舞台でプリマドンナのようにオーラを放つさかえさんも、この日を迎えるための日々は「クリスマスプディング」を作るように遅々とした歩みだったに違いない。作品に一切の苦渋を残していないが、その天真爛漫な画面の裏に大変な格闘があったことはいうまでもなかろう。そしてまた、それだけ入念な準備をしたからこそ出来上がった作品が光り輝くのである。
クリスマス当日に合わせて熟成されたケーキをテーブルの上に見る時のときめきに似て、大事にラッピングされた黒田さかえの作品たちは、今キラキラしたものをまといながら画廊にある。スカートのなかに素敵な物語をかくしながら、、。
ロンドンからの長い飛行でややよろよろしながら画廊にたどり着いた私を迎えてくれたのは、絵のなかから飛び出してきたような赤い帽子の黒田さかえとスタッフ産賀のグラン・パ・トゥドウ。さらにめくるめいたのはいうまでもない。

 

牛尾卓巳展ー羊力ー

当画廊初登場の牛尾卓巳のご紹介をする。
牛尾卓巳は1969年広島生まれ。1995年武蔵野美大大学院デザイン専攻を卒業すると、テキスタイルアート分野のコンクールや賞に出品し、ファイバーアーティストとして活躍を始める。在学中の個展をはじめに、主にフェルト素材をもちいたインスタレーションを発表、羊毛の縮絨がもたらす皮のような凝縮された肌合いや絞りによる形態の変容を作品化してきた。
「ひとがた」といえばいいのか、そのオブジェは人がまとう「衣」の形を造形するが、なかに「人」は不在である。その空虚感と、「衣」の妙な実在感が、不思議な磁場を空間に成立させていた。
そんなクールな作品を発表している牛尾卓巳だったが、その素材でマフラーを織っているという。暖かい羊毛を使いながら、あちこちに隙間があるその「役にたつんだかたたないんだかわからない」マフラーをみて一目で気に入った私は、是非にと個展を依頼したのだった。
思えば一目惚れした去年の黒羽よしえさんのフェルトの帽子に続き、羊ものの第二弾であるが、年に一度くらいは触れるものがやりたいと「手」がうずくのである。
「羊力」といみじくも題された今展だが、まさしく私が魅了されているのは、この「羊」の持つ力なのだろう。毛に縮絨を掛けると「布」に変化する。その魔法のような力は、洋の東西を問わず古来から人類を寒気から守って来た。その素材に魅せられ、新たに違う可能性を引き出そうとするのもまた人類である。
牛尾作品はこのフェルトに隙間を与えた。本来隙間なく繊維が密着し板状になるのがフェルトである。そこに穴をあけてレースのような装飾性を加味したのである。あまり寒いときにはこの隙間のあるマフラーはものの用に立ちそうではないように思える。が、用から離れた美の独立というほど、とんがってもいない。さりげなく空気のすきまを創り出す自由さがその本領だろう。
実際首の回りに巻いて見ると、思いがけずふんわりとやさしい感じでまとわりついてくる。隙間はフェルトの特徴ともいえる硬さを、たくみに柔らかさに変える装置でもあったのだ。織りや編みの風合いを残しながら縮絨する技術がどのくらい大変なものか、わたしにはわからない。だが、直接はだにふれる感じで作者が空気まで計算しながら、この柔らかさを醸し出しているのだ、ということは実感できた。
現在、女子美大と家政大、東京デザイナー学院で講師を勤める牛尾卓巳は、テキスタイルという専攻のため学生時代から今にいたるまで女性陣に囲まれて制作している。精緻で美しいのに甘さがない、彼の制作にむける真摯な姿勢は女子学生たちのいい刺激になっていることだろう。今展でもマフラーという、ありふれた素材にあらゆる可能性を織り込んでみせてくれた。その前衛性と、目立たぬように隠された抒情性を矛盾なく成立せしめているのは、ひとえに彼の賢さによる。
すきま風すら取り込んで、牛尾卓巳のマフラーは人を温めるのである。

羅漢工房展最終日

羅漢工房の第一回展最終日の今日も、最後まで多くの方が。かれらがほとんど二年を費やした渾身の仕事を、ご来廊の方に丁寧に見て頂くのは本当にうれしい。
浦野氏の大学時代の恩師・瀬田勝哉先生も丹念に御覧下さった。美術工芸史を専攻していた浦野氏の、学識に裏付けられた仕事はかねて定評のあるところではあるが、創作という形で学問が具現化した姿をみるのは瀬田先生も少ないのだろう、大変喜んで下さったことだった。
また、分島氏の恩師・米谷清和先生も、日展のパーティの前に汗を拭き拭きのご来廊。かねて分島氏の才を喧伝してはばからない先生のこと、この度もしきりに感心して御覧に。
初日に駆け付けてくださった西村氏の奥様とお嬢さんもご来廊、熱心に見てくださった。NASAで使われているスーツケースを漆で仕上げ、中に友禅を張り込むというような数寄の極みの仕事を手掛ける西村氏、今展にも大きなエールを送ってくださった。御紹介で写真家の藤森氏や浦上満氏など大物のご来廊も。
いろんな方に激励の言葉をいただき、応接の合間にもやって来た事が間違いではなかったとかみしめている様子の両氏、また次に向かう力が湧いて来たと感無量。
展覧会は、自分を振り返る一里塚という。この会期中これからやりたい事も、今までやりたりなかった事も胸中に去来したことであろう。かけがえのない仕事上のパートナーを得て、夢と思っていた事を実現した手応えは十分あったはず。これをスプリングボードにして更なる展開を祈るものである。

突然ですがー羊たちの沈黙コスプレ

文化財の補修などを手掛ける方々のご来廊も多い中、今日突然久々のコスプレをする事になったのは、両羅漢様の元同僚・高野晴生氏制作のすんばらすぃ~フィギュアを拝見したため。
さすが、芸大日本画科卒の実力か、10cm大のミニチュアサイズで作られた長島茂雄だの志村喬だの黒沢明だのが、非常に精緻に作られている。その中にふくまれていた『洋たちの沈黙』としゃれて題された一枚の紙。切り線通りに切ってのりづけすると、な~んとレクター・ハンニバルの仮面が。
そのあまりにも素敵な仮面を見たら、もう我慢なんねえ状態の悦子。居合わせたテリーと佐名ちゃんとともに、かのレクター博士にヘンシ~ン!
れっきとした紳士のテレンス・コールマン氏も、さすが切り裂きジャックを生んだ国イギリスの御人。見事変身して以下の通りに。まぁ佐名ちゃんと悦子はせいぜいミュージカルの『キャッツ』ぐらいのことで、、。まずは御覧あれ。

羅漢を支えた人たち

今日のご紹介は、長きにわたり両羅漢を支えてきてくれた方々を。まずなんといっても殊勲はお二人の奥方ー浦野夫人田鶴子さんと分島夫人せい子さん。このお二人の支えなくしては、羅漢といえども今展を迎える事はできなかったであろう。両夫人とも学生時代からのお付き合い。田鶴子さんは浦野氏の学部の先輩にして、泣く子も黙る才媛。民俗学の教科書などもかるーく執筆しちゃう学者さま。また、せい子夫人は、な~んと分島氏予備校時代から彼を食べさせていたという。彼女が弾くチェンバロを作ろうと学生時代頑張っていた分島氏を思い出す。(ちなみに彼は悦子の多摩美ーズ同級生)。しかもそのチェンバロに絵を描いていたというのが、また今回の漆の仕事に繋がってくるのが凄い。多分貧乏だったその頃、奨学金を注ぎ込んでの製作だったというから、愛情のいかばかりだったかいわずもがな。
また、岡山から分島氏妹さん・お父様のご来廊。お祖父さまの代には瀬戸内に島も持っていたという家系だけあって、美男美女の一族だ。
むし関係では、伊藤弥寿彦氏が伊藤博文氏のひ孫、大久保氏は大久保彦三衛門の直系とか。なんだかすごい方たちに応援してもらってお幸せなお二人を。

羅漢の恩人たち

羅漢工房は、仏像や伎楽面など文化財の修理と出土漆製品や土器などの埋蔵文化財を主に手掛ける浦野氏が立ち上げた会社である。
翌年、屏風や襖絵などの文化財の復元修理や模写に携わった分島氏が入社し、それぞれの分野をいかした作品づくりをしていこうと、共通する漆の師をもつ二人の共同作業による作品制作が始まったのだという。
漆芸家・村井養作氏のもとで、浦野氏は1987年から変わり塗りを、また分島氏は1992年から蒔絵を学び、今展では下塗りまでを浦野氏が、蒔絵を分島氏が受け持つ形で制作した。
工房として発表する初めての作品展となった今展のテーマは厨子と龕(がん)。お母さまを亡くした分島氏が長年暖めていた思いから構想は始まったのだという。本来は正倉院の玉虫厨子にみられるように、神仏を納める函といった意味合いのものだが、彼等の意図はそれに留まらず、大切なものとの「対話装置」として企図したもの。
古典作品の復元模写を通して培った美意識と技術を生かし、現代の感覚で作品を創造するというチャレンジに二年を費やした二人は、今、満身創痍ながら大きな喜びにつつまれているようだ。
おおげさにいえば、彼等の今までの人生の集大成ともいえる作品は、それぞれの生き方を反映して美しく凛然と画廊にあって訪れる人の目を奪い、驚かせている。
厨子の中の宇宙は、それが空洞であることでさらにその奥行きをひろげ、華麗に施された外側の装飾にいっそうの荘厳さをあたえている。
一体ひとは函を開ける時、心のなかに何を思うのだろうか。そして、この宇宙になにを置きたいと念じるのだろうか。この厨子を見る人たちの背中に、そんな問いかけをしてみたくなる。
今日はお二人の漆の師・村井先生のご来廊を得た。また、卒制も買い上げてくれたという分島氏奥様のご両親、虫好きのお仲間で、10代から兄弟のような親交という伊東弥寿彦氏とお母さまもご来廊。長い間、そしてきっと今もお世話になっているに違いない方たちに、今回の成果を見て頂く両氏の恍惚と不安の表情を御紹介

怒濤の初日ー羅漢様たちの饗宴

案の定、初日だというのにぎりぎりの時間に滑り込む悦子。画廊の前には心配そうに佇む浦野羅漢とそのいとこさんで北海道でギャラリーどらーるを営む坂本氏の姿が。
大車輪で開幕した画廊には続々と今回の羅漢様たちのためにお祝いにかけつけてくれた。中野でシルクラブという呉服ギャラリーを経営なさっている西村氏はいきなりのお買い上げ。浦野羅漢の地元加須からは内田様ご夫妻も迎え、分島羅漢もアドレナリンが出っぱなしのご様子。
浦野羅漢は縄文時代出土漆製品や仏像修理を、分島羅漢は瑞巌寺の障壁などの復元模写を中心に、数多くの文化財を手掛けて来たエキスパート。かねて旧知のふたりが、羅漢工房として、初めて作品を発表する今展。はやくもそのただならぬ技量と美学に注目が集まりつつある。
怒濤の初日はやはり怒濤だけあって、お二人の広い交際範囲を示すかのように各界の方が多数ご来廊。詳しくはあとで述べるとして、今日は画像でその一端を。

めくるめく搬入作戦ー初日にたどりつくか?

明日からの第一回羅漢工房展。搬入日にいたる道のりは遠かった。まず、23日の宮永画伯搬出日の中越地震。震源地であのような事になっていたとは露しらず、赤帽さんの待つ前で梱包作業。なんとか絵を支えつつ無事送り出した頃、羅漢工房ではまさに展示台の制作中。埼玉は加須という関越に近い場所だったため150年の古民家に住む浦野家はゆれにゆれていたらしい。
浦野氏は最後の作品の仕上げに徹夜作業、分島氏は初めての展覧会に興奮気味で一睡もできず搬入の日を迎えたという。
浦野氏夫人田鶴子さん、両氏の元同僚・伊東尚子ちゃんなど三人のお手伝いで侃々諤々、喧々囂々、阿鼻叫喚、疾風怒濤の搬入作戦は無事終了。これで悦子が明日の朝ちゃんと起きれれば初日が迎えられる、と一息ついた頃、初日と間違えてご来廊のご家族連れが。
こういうところがさすが多摩美ーズてなことで、同級生には超うけそうなお方の名は永本君。奥方と一粒種のお嬢ちゃまの御披露目も。悦子は卒業以来会ってなかったが、分島氏の初展覧会とあって勇み足もヤムを得ず。
一足早く同僚会と同級会となって、早くも初日前に宴が催されることになった次第で、ますます明日ちゃんと起きられるか危ぶまれる事となった。お父さんの事が心配そうな、分島画伯令嬢・花音(かのん)ちゃん16才とともに今日のご報告。


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