越畑喜代美展ー枯竹庵茶会

2014年11月7日(金)~15日(土)

名月の頃の恒例となっていた越畑喜代美展ー枯竹庵茶会を今年から霜月に変えて開催いたします。
薄墨の名月から転じて、小春の気配を宿した山茶花などわずかな季節の移り変わりを映した作品へと趣向をかえ、頃合いに枯れた竹の茶室で秋を惜しむおあそびをいたしたくお誘い申し上げます。

1986年多摩美大・大学院日本画専攻修了 神奈川在住

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奥山加奈子日本画展

2014年8月21日(木)~30日(土)
奥山加奈子は絹本の地に日本画の岩絵具で花を描く若手日本画家です。
古典的な技法によりながら、清新な息吹を伝える画風で知られ個展やグループ展でも活躍しています。
本展では、画家の代表的な絵柄である「利久梅」をメインに15点出品致しますが、圧巻は巻物に見立てた「利久梅」の四季図。5メートルを越す大作に蕾から枯れて行くまでの刻々を愛情込めて描写しています。
幼い頃から兄弟の様に育ってきたという「利久梅」の大木に寄せる画家の深い思いが、たぐいまれな生命讃歌をつむぎ出していると言えましょう。

略歴
1974年 東京生まれ
2008年 武蔵野美術大学造形学部通信教育過程日本画コース卒業
2010年 早見芸術学園専門学校造形研究所日本画塾卒

展覧会歴
2000年 第85回二科展入選 ’01
2008年 第44回神奈川県美術展入選
2009年 ロクのいろどり (鎌倉芸術館 )
漣の会 (藤沢さいか屋) ’10、’12、’13
2011年 Three Rings(SAKuRAギャラリー 清澄白河)
俊英女流作家日本画展 (そごう柏店)
2012年 個展 (柴田悦子画廊 銀座)
2013年 手の上の渺渺展 (はぐろ堂 湯島)
渺渺展(東京銀座画廊)
渺々日本画小品展(いよてつ高島屋)
個展(そごう柏店)

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森田晴樹展

2014年6月10日(火)〜18日(水)

花が\咲きました
いっぱい花が咲きました
今年は蛍も飛んでます
悦ちゃんの画廊で
今年も白い花を咲かせます
見てやって下さい
      花咲爺 晴樹

会場3 蛍 92×182 立葵 185×165 百合 50号 牡丹 30号 会場2 浜木綿 98×145 百合1  8号 会場1 牡丹 6号 花菖蒲 8号 浜木綿 部分

越畑喜代美展 お茶会風味

9月20日(金)~28日(土)

枯竹庵と称した一夜作りの茶室に「御勝手流」の看板をかかげた「お茶会風味」展。越畑喜代美の薄墨の「名月」は年々歳々深みを加えつつ、相変わらず其処此所の草はなを照らし続けている。今年は北欧風とも見える墨のシンプルなラインを生かした風炉先屏風や、おおらかな風合いを大切に描いた旬のものたち二十余点とともに皆様をお待ちする。

越畑会場1 夏が来る 会場2 会場3 会場4 会場5 月光小径 種便りー空木 種便りー山杜鵑 種便りー栴檀草 種便りー百日紅 秋唄譜 われもこう 想季図 葡萄図 仏蘭西梨図 木陰の言葉ーどくだみ 遊草図ー石実皮 遊草日ー野ぶどう 葉々観月図

頴川麻美子ー小さな日本画展ー

2012年3月19日(月)~25日(日)

 

頴川麻美子経歴
1983 学習院女子短期大学卒業
1987 京都芸術短期大学日本画専攻科修了
1987 京展(’88 ’89 ’97 ’98 ’99 ’00 ’01)
1993 個展(京都’95 ’98 ’00 ’02 ’04 ’07)
(横浜’96 ’99 ’02 ’05 ’08)
1994 京都新聞日本画賞展
1996 花鳥画展(’98 ’03)
1997 京都美術工芸展( ’98 ’00)
2001 滋賀県展特選
2002 院展
2004 日本画今日の京展
2007 全関西展

一一一小さな日本画展に寄せて一一一
この度、初めて柴田悦子画廊で頴川麻美子一小さな日本画展ーを開く事になりました。
2008年に思いがけない交通事故を被り、右肩鍵板断裂、手術。
その後の経過も悪く、4 回の入院治療を経ましたが今もCRPS( 復合性局所疼痛症候群)と言う病の中にあります。
痛みにすべてのエネルギーを奪われ、長い間筆を持つ事が来ませんでした。
やっと何とか痛みと共存しながら、少ししか動かない肩と手で描き上げた小さな作品違です。
まだまだ病との闘いは後きますが、多くの方々に励まされ、心折れることなくζ こまで来れたことに感謝して、今出来ることを精一杯に、と思う日々です。
ご高覧いただければ嬉しく思います。

頴川麻美子

越畑喜代美展ー再び春へ

春一番といえば風だが、たんぽぽの綿毛とともにやってくるのがみそそな世界。ようやく水温む、とか、長閑とかいう言葉と季節が一緒になった感じの今日この頃、毎度っ!という声とともに始まったさわやか朝搬入ーこのぎりぎり感がいいのよねっっっっっ!と、独り言。
しかもメインのちび巻物が届いてないぞ!きゃあきゃあ騒ぐわりには手が進まない女どもに目もくれず、淡々と作業を進める子犬便・タッチャンにまずは感謝。
なんとかならなかった事はない、と呪文のように繰り返しながら、われらB型チームが存続できるのはA型様とO型様のおかげです。
それはさて超ミニサイズの大作・みそそな巻物は机の上に鎮座ましましているが、これを繙いた人は必ず「欲しい~!」と叫ぶ。題して「御猫日日図」。画伯愛用のトルクメン族のアンティーク絨緞の上に置かれた中国の文机(しかも酒臭い)の前に座れば、宗次郎の曲とともに悠久の時間が流れはじめる、筈。岩瀬家の御猫様たちの、しどけなくも愛らしい姿態を余すところなく伝えるの図は、右から左への時間軸を得てさらに縦横無尽なものとなった。もう一度もう一度とご開帳をおねだりしたくなるこの超ミニ大作は是非実見でご覧を。
明石と大分からのお客様とともにひょっこりひょうたん島の人形制作者・片岡昌氏をお迎えしたの図も。

松谷千夏子展ー人・植物

二年ぶりに松谷千夏子が帰ってきた。2001年よりほぼ二年おきの個展も今展で五度目。華麗なモデルさんを得ていよいよ佳境の女性像に取り組んでいる。
個展に先駆けて開催された日本橋・高島屋の女性画家たちによるグループ展「グラマラス」にもメンバーとして参加した松谷千夏子だが、百戦錬磨の画家たちの間でも独特の存在感を示していた。
今展のテーマは「人・植物」。松谷のライフワークである茫漠とした瞳をもつ「人」が今展でも「植物」の作る空間のそこかしこに佇み、えも言われぬ視線を投げかけている。
近年は余白と線を意識して、和紙の地を残すような仕事にチャレンジしているが、このたびの植物シリーズ「松と蘇鉄」では見事にその挑戦が効を奏し、抑制の利いた空間に引かれた水平の波涛の線が空と地に奥行きを与えるまで広がりをみせた。初めて人物が入らない風景を描いた6年前の作品も勇気のたまものだったが、さらに完成度が高まり松の幹、葉の表現などこれ以上足すところも引くところもないぎりぎりの感覚を伝えている。
また人物と花を同時に描いた作品「牡丹花」には金箔が空間をつくり、軽快な豪奢さというテイストを矛盾なくあらわしてあらたな人物像を作り上げたことが今展の見どころのひとつだった。
いつも乾いた風が吹くようだった女性のたたずまいも、箔の金属の輝きを与えられて意思的ですらある。何も映していないと思われた瞳に、挑発するような光が与えられている。蜃気楼のように実体の定かでない「なにか」を投げかけて、美しい頽廃の夢に誘うようだ。
まだ、人物を描く日本画家も少なかった頃から、創画会や個展で、画面の4分の3が顔というような独特の女性像を発表してきた画家が30年かけて今まさに佳境にいる。時代がようやく追いついて来たのだ。彼女が敢えて描き込まない瞳に、これからどんなものが映り、いかなるものが宿るのかまだまだ目が離せない。松谷千夏子のシャープな感性がとらえる、時代という「蜃気楼」をこれら女性像が体現しているように思えるのである。

平野俊一展 in the garden

平野俊一の満開の桜が画廊いっぱいに広がった。今年は花冷えのことが多く爛漫の桜もどこか白々と見えたが、八重桜の咲き始めた画廊の前の通りに呼応するように平野桜はピンクに輝いて来る人たちを喜ばせている。
2002年から定期的に個展発表するようになった平野は、雨や雲など気象をテーマに一時も同じ姿を留めない空気を描いて来た。近年は身の回りに咲く花を取材し、輪郭の不確かな「存在」としての花を、丹念に集めた画像と自身の記憶により再現している。
ある時眼鏡を外して見た花が、輪郭やディティールを失って不思議なリアリティのある「存在」として立ち上がってきたという。その時の驚きそのままに今わたしたちの前にある「さくら」は、見る人の「さくら」の記憶とも繋がって見事に「あぁ桜ってこうだよね」と思わせてくれるのである。
世の中に桜の名画は数々あるけれど、平野桜は名もない分だけ、各自がそれぞれの心に秘めている「さくら」の記憶を引き出してその気分を再体験できる希有な「さくら」なのである。
大振りな花の下で溢れる春の気分を満喫して花見の宴を行う。日本人ならば物心つく頃からこのどこか浮かれた、しかしどこか儚い季節を体験してくるであろう。平安の歌人も室町の隠者も天下人も江戸の熊さんも、同じ花と季節に酔いしれた。こんな国が他にあるだろうかと毎年の巡りの度に思う。
いささか話はシリアスになるが、特攻隊の方の辞世とされる「さくら散る 残るさくらも 散るさくら」という句にあらわれているような死生観が華やかな宴の背後にあればこそ、このひとときを全身全霊で楽しもうとするのではないか。この世のものとは思われぬような「花」が一斉に咲いて一斉に散る。念仏のように掲句を口ずさみながらさくらを見ていると、花びら一枚一枚と命が重なって人の巡りを思わずにいられない。
そしてまた、お約束のようにソメイヨシノが散ると八重さくらが咲き出す。これはぽってりと妖艶な遅咲きで、宴果てた人の心にぽっとまた灯を点すのである。この見事な連携は一体誰が考えたのであろうか。
平野俊一は今展でこの桜花に深く分け入り、雲のように捉えどころのない茫洋とした花の有り様と、まさに今朝ひらいた花弁のみずみずしさを同じ画面に共存させるという離れ業をしてのけた。たしかに人間の目は花の細部もかたまりも同時に認識するものだが、表現する段になるとどちらかに偏って矛盾のないように整理しがちだ。だが、平野は目に見えるままある部分は詳細に、ある部分はおおまかに、見事な緩急をつけてこれを表現した。平面を3Dで現したようなものである。おおまかに見せながら画面のすみずみまで配慮がされている、この視点の複雑化は平野の独壇場ともいえるだろう。
画家に専念するまえ平野は建築のパースを描くプロとして細かい図面と取り組んでいた。その反動ともいえる輪郭を失った描写であったのだが、そのなかにあっても微妙な神経は潜んでいて、大画面の遠近のバランスにその培った実力をいかんなく発揮している。
一見、なんでもないようでいて何故か引き込まれる理由は、この矛盾をみせないバランスのよさによる。さらにいえばそれ以上に、この花たちの美しい夢のような有りようが私たちをして「春の気分」に浸らしめるのである。
この季節にふさわしい、まさしく豪気なIn the gardenであった。

黒田さかえ展ーイタズラな花びら

京都生まれの画家、黒田さかえの二度目の個展。銀座デビュ―だった二年前の前展のテーマはーdream dreamer dreamestという夢多き黒田さかえらしいものだった。奔放な色彩とキュートな人物が魅力的な作風、本人もエキサイティングな人だけにこういう方を生み出した京都の底力に驚いたことも思い出される。
黒田さかえは1958年京都・西陣生まれ。1983年嵯峨美術短期大洋画科専攻卒業後は油画・テンペラ・版画・水彩など幅広いジャンルで活躍しはじめる。現在は成安造形大や川島テキスタイルスクールで講師を勤めながら個展中心の発表を続けている。
油画中心だった前展から比べると、今展では水彩や版画作品をバランスよく配置し軽やかな構成、おしゃれな空間となった。そもそも代々続いた上京の家に育ちながら小学生の頃には外国を夢に見て、長じるとパリ、ロンドン、ウィーン、ベニス、バルセロナなど欧州各都市を漫遊した彼女は、和風より洋風、和菓子より洋菓子をとことん愛す画家となった。
女の子の夢を満載した砂糖菓子のようなラブリーな画面に、一滴毒をたらしたような濃さをもつ黒田作品は、「イタズラな花びら」に代表されるようにやんちゃ心を放射しつつ、見る人を楽しさ溢れる世界に巻き込んでいる。
お菓子好きが嵩じて、絵本まで作ってしまった黒田さかえの描いた「クリスマスプディング」というお菓子は、クリスマスの何ヶ月前から用意して少しずつ熟成させていくのだという。個展というハレ舞台でプリマドンナのようにオーラを放つさかえさんも、この日を迎えるための日々は「クリスマスプディング」を作るように遅々とした歩みだったに違いない。作品に一切の苦渋を残していないが、その天真爛漫な画面の裏に大変な格闘があったことはいうまでもなかろう。そしてまた、それだけ入念な準備をしたからこそ出来上がった作品が光り輝くのである。
クリスマス当日に合わせて熟成されたケーキをテーブルの上に見る時のときめきに似て、大事にラッピングされた黒田さかえの作品たちは、今キラキラしたものをまといながら画廊にある。スカートのなかに素敵な物語をかくしながら、、。
ロンドンからの長い飛行でややよろよろしながら画廊にたどり着いた私を迎えてくれたのは、絵のなかから飛び出してきたような赤い帽子の黒田さかえとスタッフ産賀のグラン・パ・トゥドウ。さらにめくるめいたのはいうまでもない。

 

山田りえ展ー12度目の個展

深紅の薔薇の女王・山田りえが一年ぶりに登場した。越畑喜代美同様当画廊最長不倒距離を更新しつつ、デパートや画商さんの企画展に引っ張りだこの人気画家とあいなった。多忙からか一昨年昨年は腰痛に苦しんだが、養生の甲斐あったか今年は快調。繊細なタッチを画面に加えつつ山田りえらしい切れを見せてくれた。  山田りえは1961年京都に生まれ、1983年多摩美大日本画科を卒業すると神奈川県立西湘高校に奉職。勤務の傍ら制作をはじめる。その後約十年二足のわらじをはくが、画作に専心するため職を持し旺盛に発表を始め今に至る。 12回目を数える今展では秋草や山野草など自宅の庭で育てた花々を描いた。初回から数年は個展時期が春だったせいか春の花々のきらびやかな色彩が豪華な展覧会だったが、近年は調整上秋の時期のせいか、比較的秘めやかな彩りの印象だった。荒々しいまでにエネルギッシュなタッチから、画面の隅々まで気配の行き届いた調子に変化し、堂々の風格を湛えるようになってきた。 金箔地に赤の薔薇と緑の葉叢という取り合わせは、ともすると下品になりがちな派手な取り合わせだが、今展の山田りえの真骨頂はいとも簡単にそれをすっきりとモダンに変えたことだ。その間然するところのない切れ味は誰も真似出来ないところ。かつて暑苦しいほどに濃密だった作品の空気が、クールに張りつめたものに変化して我々に迫ってくる。今展では小品ながら「あけび」の空間処理に奥行きと成熟をみた。 画家も刻々と変化する。毎年見逃せないその変化は一年では気がつかないが十年の歩みを振り返ると歴然となる。当画廊の十年選手は、それぞれにその跡を見せて来た。無我夢中で制作に追われながら残した軌跡はある時は停滞しある時は飛躍する。年々歳々発見し挑みながら山田りえの嚢中にはまだまだ画想の種が詰まっている。それをどう育んでいくのかがこれからの仕事だ。 画家の師の加山又造氏は、なんどもその画風を変えている。ただそのどれをとっても加山又造の仕事である。先達の画家の残した足跡は大きな道標だ。ある時は風景、ある時は裸婦、ある時は花鳥、ある時は水墨とその豊かな才を惜しまなかった。もちろん師は師、であるがどこかでそのDNAを受け継ぐ資質が山田りえにはある。いよいよ50代をま間近に控えてこれからどういう画世界を紡いでいくのか、かたずをのんで見守りたい。

 

曽根隆一・深雪二人展「花巡礼」

曽根隆一と深雪夫妻による二人展が始まった。

奥様の深雪さんは、昨年のクリスマスに小番今袴さんと二人展を開催し、長年眠っていた画家魂がふつふつと甦ってきたらしい。写真をワイフワークとするご主人を誘っての夫妻展となった。 深雪さんは多摩美大日本画科卒で長らく教員生活をしてきた。その傍ら勉強したというセラピーの仕事を今も続けている。また、初めて絵を描く方のためにパステルを用いた絵画教室も開催するなど意欲的に啓蒙活動をしているという。

一方、ご主人の隆一氏は仕事の合間に素人離れした写真を撮りためていた。画像でご覧の通り、白黒の調子が美しい抒情的な作品である。聞けば機械マニアであり骨董のコレクターでもあるという。その審美眼とこだわりが、銅版画の如き黒の質感とクリアな精度を写真上に追い求めさせることとなったのだろう。三脚は使わず必ず指でシャッターを切る、というのも対象を撮る一瞬に自分の美学を入魂するという意味なのだと理解した。

ただ、こだわりのあまりそれを人に見せるという行為には及ばないでいたところ、深雪さんが二人展をと土俵に乗せてくれたのだという。真面目でシャイなご主人と会うのは今展が初めてだったが、その幅広い造詣には驚くばかり。

常に人の心に寄り添い、その人生と向き合う仕事をしている深雪さんのそばに、こういう含蓄のある方がいるのはむべなるかなであるが、作品上のコラボをするという関係になるとは昨年までは思っていなかったに違いない。

展覧会を開くという行為は、自分のアトリエの窓を開き、風を入れることだ。自分だけではわからなかった自分の姿を人の目を借りて知る。何を与え、何を与えなかったか、作品の持つ力を冷静に判断するチャンスでもある。

自宅内で完結せず、多くの目に作品をさらすことで自作がまた見えてくることがある。さらに踏み込んでいえば、見る人の目が作品を完結させるのである。この可能性を持つ人との出会いが展覧会の醍醐味といえるだろう。

骨董をよくする方ならば、「もの」と「ひと」との出会いの吸引力とでもいう何かを知っておられると思う。人の生み出したものが、人の何かを引き出すーということ。この出会いの瞬間こそが人生の妙味というもの。

「花巡礼」という大きなテーマでそれぞれの今を競作したお二人は、これからまたそれぞれのスタイルで自分の表現をされていくだろう。この「花」が大きく開いて色々な人に種を運んでもらえるよう、心からのエールを。

安住小百合・林茂夫展

安住小百合とご夫君・林茂夫の二人展が始まった。

2000年から毎年当画廊で個展開催の安住小百合は、’82年多摩美大大学院日本画科を修了すると、主に日展を舞台に発表し始め、郷里宮城の河北美術展では各賞を受賞するなど旺盛に活躍。その後結婚と出産・子育ての時期を経て’00年から本格的に個展に挑み始めたという経緯を持つ。お二人のお嬢さんを育て上げ、画家としてのみならず女性としても豊かな人生を送ってこられた訳だが、いよいよこれから全開の画家生活を迎えるにあたり、今展では今までバックアップに回ってくれていたご夫君・林茂夫の仕事をあらためてご紹介し、それぞれが一個の作家として次のステップに繋がる契機としていただく事を企図した。

林茂夫は山梨に生まれ、早稲田大学では日本史専攻。その当時は抽象の油画を描いていたそうだ。その後銅版画なども手がけていたが、一家の柱として塾の経営に専心。チーム林としては、安住小百合をバックアップすることに徹して来た。

その間、野山の草花を取材する安住に同行して山へ出掛け、山野草を見る機会が増えるにつれ持ち前の絵心と探究心が芽生え、植物図鑑を片手に撮影し記録することに夢中になったらしい。折からコンピュータグラフィックスの技法もマスターした頃で、ここから一直線に作品化がはじまつた。もともと油画と版画の素養があったところへ、パソコン上の細かい作業が苦にならない性質があいまって、CGという新しいジャンルでの制作を一人静かにコツコツ続けてきたという。 同じ素材を取材しても作家の目と手が違えば、全く別の作品になるのは自明の理ではあるが、日本画という千年の歴史を持つ技法と、最新の機材によるおそらく一番新しい技法が「植物譜」という共通のテーマで競演されるというのは非常に画期的な試みではないかというのが、一つの狙いでもあった。

期待にこたえて安住小百合の岩絵具と金箔と漆黒の世界はあでやかな中におだやかな気品をたたえ、林茂夫は油画の明暗のメリハリと版画の技法を取り入れた構成のモダンさが光るクールな画面を作り上げた。 ただ双方とも「植物」へのなみなみならぬ愛は共通し、それぞれにここから広がって自分の高みを目指していくのだなぁとあらためて感得させていただいた。

一枚の葉のなかに宇宙があるーと看破した小倉遊亀先生ではないが、その中に没入してそこを生きる人にしか見えない世界がある。何を求めて人は描くのか、一本一木の草花が私たちに語りかけてくる事は多い。この二人もまたその「命」の根源にふれたいと願う人たちであろう。

会期中、そんなお二人の応援団の方たちがたくさんご来郎下さった。この「植物譜」の種が、この大勢の方に運ばれてあちこちに芽吹きますように心から願ってやまない。

 

平野俊一展 in the garden

満開の八重桜のもと、平野俊一の花シリーズin the gardenが始まった。足下に広がる野の花を描くようになってからかれこれ4年はたつだろうか。今展、紛れもなく「Hiranoの花」といえる世界になっていることにあらためて気付いた。
2002年、当画廊での初個展。以後ほぼ毎年その歩みに同道してきた。平行して開催するグループLABO展では、毎年果敢に違う画風に挑んできた平野だが、「花」シリーズは意識して歩をとどめ、集中して描いて来た。昨年あたりから焦点をぼかした印象の花を「ゆらゆら」と描きはじめる。
この作風を「目の括約筋が頑張らなくてもいい」と評した人がいたが、まさしく滲んでいく色がやさしく目にひろがる。
仕事でミリ単位の細かい作業を重ねる平野が、ある時目を上げると別の景色が広がっていたのだという。老眼というお年頃になっていたのだ。その目に映る花々の美しさ。細部の見えない、純然とした色の塊として「花」を認識した時が、平野の「花」とのファーストコンタクトだった。
以前から、雨や雲、空といった気象の変化ーあえていえば「時間」を描いてきた平野。刻々と変化する気象を肌で感じ、その行方に目をこらすことで心の揺れと共振させてきた。
一秒とて同じ時間はない、が絵を描くという行為はその流れ行く時を切り取り「永遠」に孵化させる力をもつもの。
変わっていきたい平野が「花」のもとにしばし留まろうと思ったのは、美しい色の塊として見た花に「一秒」と「永遠」と同時に感じたからではないだろうか。
風にゆらぎ、刻々と開花し散るという営為を一枚の絵に留める、というのは至難なことではあるが、お年頃の目は細かいところがよく見えないため、大局がつかめるという利点がある。
今展での平野の筆は目の代わりになって、一枚の絵の中に複数の見え方を同居させた。よく見えたり見えなかったり、近づいたり遠ざかったりする視点が混在する不思議な画面だ。「花」そのものというより、「花のある空間と時間」ということなのだろう。-in the garden-とはいいえて妙である。
またしても不肖柴田は、この秘密の花園に踏み込んだあげく迷って出られなくなってしまった。時間と空間が奇妙に入り組んだ「花」たちの間を彷徨う黄金週間となりそうだ。どうか探さないでね。

山田りえ展ー11度目の個展

画廊最多登場の一人・山田りえの11度目の個展が始まった。昨年秋に腰を痛めて一ヶ月余の入院を余儀なくされた山田りえだったが、見事苦難を乗り越え、奇跡の復活とあいなった。この11年を振り返れば様々な事が思い浮かぶ。しかしどんな時でも絵筆は捨てなかった。逆にそれをバネに絵に打ち込んできた、ともいえる。
この力がどこから出てくるものなのか、そばにいながら摩訶不思議なことと舌を巻いてきた。特に締め切り間際のミラクルは本人も訳が分からないという。
今年は前半に百貨店での個展を開催、腰の不調を感じさせないほど多くの作品を生み出した。今展の作品もまた小振りながら成熟した気品を感じさせるものたちだ。細微にわたる描写は、花と葉の密度をよくとらえ間然するところがない。
暑苦しいほど迫る量感がなかったのは少し残念だが、心技体ともに変わり目を迎えている時期ということなのだろう。じっくり構えて次の一手を考えることも必要なこと。走るばかりがいい訳ではない。
山田りえが次に何をしてくれるのか、わくわくしながら楽しみにしている人は多い。かくいう私もその一人だ。まだ見た事もない、途方もない美しいもの。目を奪われ心をわし掴みにされるもの。かつて彼女のお父上が外国のお土産を広げてみせた時、そのきらきらしたものたちが彼女を虜にしたように、魔法にかけて欲しいと願っているのだ。
この道は長い道のりー次の道中に何がでてくるか、りえ姫の道中双六はまだまだ続く。

山田りえ展ー10度目の個展

十度目の個展は朝から波乱含みの展開。ぎりぎりの女が二人揃えば怖いものはないが、今回もまた奇蹟のように障害をクリア。無事初日の幕が開いた。
今展のメインはやはり「立夏扇面図」と題された二曲一隻風炉先屏風。夏のはじめを彩るクレマチスとスズランを清楚に描いた。砂子と金線の地に品良く並んだ扇面はりえ画伯の近年の成熟ぶりを表して余白が美しい。また、白い露草の背景など薄墨をはいた空間が何とも玄妙。フラットなのに深い奥行きの空間のなかで、根付きの草花が命を謳歌している。
この生命感がりえ画伯の作品の本領。画面が絢爛豪華な箔でも渋い薄墨でも、中に描かれた命は溢れんばかりのエネルギーを発している。花の形を借りて、見えない生命の秘密を描いているかのようだ。
花を花ならしめている要素と自分との間に何の違いもない、という画伯の筆先からは万華鏡のように華麗にイメージが紡ぎだされる。大胆にときに細心に彩られたその画面を見ていると生命の躍動のなかに、滅びの予感ともいうような豪奢な気分が潜んでいることに気づく。
季節のうつろいは日々のうちに自然の摂理を教えてくれるが、その変転の相も含んでの美なのだとりえ画伯の絵に凝縮したものたちは語る。毒にも薬にもなる植物たちの、その内に生成のドラマを抱えつつなにも知らぬ気に風にそよぐ姿はなんとも優雅。
今展ではいつもの目を圧倒する大きさの作品に変わって、江戸期の草木画を思わせる静かな光をたたえた作品たちが画廊の空気を清浄にしてくれている。十年経た成熟をご覧あれ。

 


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