第1回ルヴァンドラヴィル展

2016.5.16(月).〜22(日)
12:00〜19:00 最終日〜17:00

金井ノリオ
栗林恒郎
斎藤弥
平岡栄二

 

多摩美大日本画科八王子校2期の卒業生で若かりし上野泰郎先生の教えを受けた同窓のメンバーを中心に。
画家として、美術教師として豊富な経験を積まれた方々の、卒業以来初めての顔合わせ展は40年近い歳月を感じさせない和やかなハーモニーを醸し出しています。
展覧会名は、同級生だったユーミンこと荒井由美の「あの日に帰りたい」の歌詞、光る風、のフランス語訳という。
すっかり大人のお年頃ながら、青年の心は未だ健在、お若い頃の上野先生のお写真とともに意気軒昂の四人です。

ルヴァンドラヴィル003 ルヴァンドラヴィル014 ルヴァンドラヴィル001 ルヴァンドラヴィル010 ルヴァンドラヴィル006 ルヴァンドラヴィル007 ルヴァンドラヴィル002 ルヴァンドラヴィル004 ルヴァンドラヴィル008 ルヴァンドラヴィル013 ルヴァンドラヴィル012 ルヴァンドラヴィル011 ルヴァンドラヴィル005 ルヴァンドラヴィル009

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=dR4PuXeYJbc[/youtube]

NORTH meets SOUTH vol.1
北と南の出会い展 -旅するキモノ篇-

2014.11.16(sun.)~22(sat.)
12:00~19:00 最終日は17:00まで

南の布に出会った北の作家が服を作りました。
大島紬や黄八丈、琉球絣など魅惑の布を織った南の女の力に敬意を込めて、北の女がその新しい可能性を切り開きます。
北と南の真ん中でお披露目をいたしますので、どうぞこの素敵なマリアージュを体験にいらして下さい。
また、これに併せて東北の技ー山葡萄と沢胡桃の籠もご紹介いたします。

azu4azu5りか1りか2りか3azu1azu会場1会場2籠1籠2 1533782_653248308129929_8929309794068306585_n 10678711_653248318129928_8576873580685044001_n 541571_653248341463259_348255607401956709_n

10013823_411635935650935_5775918813564501471_n 10257674_411635992317596_8156841030222379467_n 10410794_411635918984270_4358125638526362797_n

軌跡ー15年目の春

15周年の記念にあたり、旧知の本江邦夫氏から以下の原稿をいただいた。

≪銀座の画廊めぐりで疲れ果て、柴田悦子画廊に立ち寄るとき、砂漠でオアシスに出くわした気分になるのは私だけではあるまい。分け隔てなく満ち溢れる歓待の心。ここには他者が存在しない。人と人との親密な一体感に包まれた場所、いやまさに「場」があって、藝術作品は初めて自らの深さと豊かさを見出す。不思議なのは、かけがえのない場の主人たるべき人にほとんどその自覚がなく、すべてを達観した、どこか彼方を見遣る気配のあることだ。柴田悦子が「場の芸術」俳句をよくし、遠見の俳号をもつことと、おそらくこれは無縁ではあるまい。―本江邦夫(多摩美術大学教授)≫

明日をもしれぬ命と、その存亡を心配された画廊も はや15年。
このわがままを通すために、いろんな方のお力をお借りした。まず支えてくれた画家たちと、コレクターのみなさま、友人たちに心からお礼を申し上げる。 画廊の立ち上げの時にはまだ30代なかばだった画家たちは50代を迎えた。また今新人として押している画家たちはそのころ小・中学生だったことを思うと感慨深いものがある。 ともあれご縁あって、柴田悦子と仕事をともにしてくれた画家たちの作品を画廊中に飾って、今までの展覧会を回顧してみたいと思った。 それぞれの画家の個性を一枚の絵として画廊の空間に配置してみるー時代もキャリアも別々の画家たちの作品がもたらすハーモニーは格別だった。

15年という節目にたった一里塚は、今までの道筋が誤っていなかったことを示してくれたと思う。次の一里はこの先に続いていると教えてくれる展覧会だった。 手前勝手なことだが、10日間余 心から愛する作品たちとともに過ごせたことを感謝をこめてご報告させていただく。

柴田悦子画廊15周年絵画集

小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.3

三度目になるアオゾラとガラス展が今日から。 年に一度この季節に帰ってくる渡り鳥ではないが、旅ガラスと洒落たのは去年。今年の「アオゾラとガラス」旅団はどんな旅のかけらを私たちに見せてくれるのか。5月の青空がひろがる中での展覧会をご紹介する。
そもそも日本画の小松謙一がガラス工芸の藤森京子とコラボレーションをするきっかけとなったのは、絵画の平面性を立体化できないかという一つのプランからだった。特に小松の作品は男の羽織のように、表は極めて渋いが裏には派手な装飾が施してある。この裏側も見せたいとかねがね思っていたという。教えにいっていた多摩美大の生涯教育の教室で、ここにかかわるスタッフだった工芸専攻の藤森にこのプランを相談したところ、思った以上に日本画とガラスの相性がよかったらしい。次々とこのユニットによる作品化が始まった。何回か小松の個展で実験的に発表したあと、三年前コラボユニットとしてデビュー。以後毎年この季節に画廊でその軌跡を見せてくれている。
違う素材とのマッチングで一番難しいのは、もともとの作品がもっている質を落とさないでそれ以上のものを作り出さなければならないことだろう。小松の一見渋い作品の裏側にある豊かなカラリストとしての資質は、ガラスという素材を得ていきいきと躍動し始めたし、藤森の精巧でクールな研磨とカットは、小松の作品を取り入れることで有機的な質感を手に入れた。
前回までの作品たちがそれぞれの異質さを喜び消化する出会いのマリアージュがもたらしたものとするならば、今展ではそれを経て自身の作品に得たものを還元したといえよう。
小松謙一は大きな骨組みの桜の古木二点をほぼ対角に配置し、青と茜の空で彩った。水墨の教室で教鞭をとった成果か、その墨の力は抜群に進化し堂々としてしかも自在だ。花が咲いていないのに花を感じる、というのはその古木に生命が宿っているからだろう。まわりの空気も奥行きも気持ちよく抜けていて、これが男の墨だとその木がいう。一方、鉄の額におさまった小品二点は遠い記憶を呼び覚まされるロマンティックな作品。鉄の額のせいなのか、鉄の匂いが呼び起こす記憶と重なる。片や横浜のガス灯通り、片や線路、、、やはり鉄?か。絵肌を鋭く抉って引いた線が、心のどこかの記憶も抉る。強い表現が違和感なく抒情へと収斂していくのも力量だ。墨の世界のダイナミックな展開とひと味違う小松謙一のまだ終わらない青春がほの見える。
一方、藤森京子は「刻」というテーマで煉瓦状に積み上げたガラスを炉で溶かし、時が堆積したようなオブジェを制作した。これが遺跡から発掘されてもおかしくないような、しかも何につかったか見当もつかない摩訶不思議なもの。金彩が施され、時折り時間が削ったと思われるような空洞もあるこれらは、もちろん藤森の入念な研磨でそれとわからないように仕上げてある。板ガラスを溶かしそれ自身の重みで凹んだ形を活かしながら作った盃などはオブジェでありながら身近において楽しめるすぐれものだ。細かくカットしたガラスを溶かし固めることで遺跡の石組みを思わせるという、小さなものから壮大なスケールへの転換は藤森の優れたイメージ力の賜物。この力はまだまだ埋蔵されているとみた。
このようにコラボによって、それぞれが自身のもつ世界を深め、また新たに展開してきたことが今展のみどころだ。コラボ作品は今回さらに自然に一体化して、それぞれの見どころ仕事のしどころの呼吸が実に合っている。日本画とガラスをつなぐ溶剤としての鉄作品も見応えのあるものに育ってきた。今後はこれらをどう進化させ、どんなものを取り込んでいくかが課題になってくる。
来年の「アオゾラとガラス」の旅団が何をお土産にもって帰ってくるのか、楽しみに待つ事としよう。


小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.4
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.2
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラス

堀文子教室同窓展プラス新年会

第四回堀文子教室同窓展プラス新年会が今年も。年明け一番に堀文子先生をお迎えし、その講評を受けるという背筋が伸びるような時間をもてるのはなんと幸せな事だろう。
今年のDMに先生が寄せてくれた言葉は以下のようなものだった。
「同窓展も年始の恒例となり4回目と聞き、またあたふたと時の早さに驚いています。私は相変わらず三途の川を行ったり来たりしていますが、皆さんの一年の成果、あかしを期待し拝見できることを楽しみにしています。」
齢91才にして毎日感動を新たに制作に打ち込む先生に、一年のあかしを期待する、といわれると突然身がすくむ。一年一年を、いや一日一日を濃密に過ごされているに違いない先生の時間とわれわれの時間に物理的な違いはないが、その差は歴然としている。 その貴重な時間を惜まず一人一人の作品と対峙してくれた先生にまず感謝したい。
さて、去年はエスパーのように絵を見ただけでその人に何かあったのを察した堀先生。今年も絵を見ながら、その作者の人生に分け入って一人一人に声をかけて下さった。長らく絵から離れていて今年初めて出品した方も有名な画家になった方も一列に並び、先生の前では二十歳の小僧・小娘に戻る。昭和50年卒の一期生から昭和62年卒の五期生まで約20年、多摩美大で教えていらした頃の先生はちょうど今の一期生の年頃。
たまたま長年先生を撮り続けていらした方の写真展が近くであり拝見する機会を得たが、当時から今に至るまで凛とした印象は変わらない。軽井沢の雪原で一人スケッチブックを手に何かを見つめる先生の眼差しは徹頭徹尾孤独だ。この道しかない、と我々に示される道ははるか厳しいものだが、巡り会ったものの心に深く刻まれていく。
たとえばお酒の出し方ひとつにも堀先生流の流儀がある。いわずもがなのその心配りを心配りと思わせぬ天衣無縫さこそ「品」というものだろう。不肖の教え子の一人として真似はできないまでも、その先生の姿を心に留めておきたい。
その後の新年会では、三々五々自分が覚えている先生の一言を披露し、おおいにもりあがった事だった。

クリスマスアートフェア

初めてのクリスマスアートフェアが今日から。銀座・京橋の42画廊が12月18日から25日までの期間一斉にアートフェアを、というイベント。ギャラリーツアーのガイドさんもいて、初めての参加者を引率して来て下さるとの事で、画廊も盛り沢山の布陣で。
まず入口でお出迎えは平野俊一のラブリーな薔薇。そして翡翠のような瞳をもつ山田りえの猫とその対角線に、まだうら若いキュートな白井弓の猫が。
台には暖かい色をたたえた牛尾卓巳のマフラーと長谷川裕子のきかん気な人形、おなじみ越畑喜代美と織田梓は縦長の画面を揃ってならべ、コーナーには中川雅登のクリスマスローズが禀として控える。
対面の壁には麒麟の人気ミニアチュールの花たちと黒田さかえのインパクトあるカメリア、お菓子の残像をとらえた手塚葉子、お菓子そのものをリアルに描いた平野俊一と華やかな彩りがきらめく。
そして正面には、個展を終えたばかりの木村浩之の関取たちが全てを受け止めて堂々と鎮座する。
その合間を福留鉄夫による針金の立体作品が浮遊し、まさに画廊自体をクリスマスツリーに見立てた満艦飾の展示となった。
クリスマスシーズンを迎えた銀座は深夜までさんざめくが、画廊もまたいろんな作品と出会いたい人々を迎え、今年最後のイベントにふさわしい週間となった。
このにぎわいに惹かれてシカゴからのお客人も引き寄せられるようにいらして、作品をお求め下さったことをご報告しておこう。

曽根隆一・深雪二人展「花巡礼」

曽根隆一と深雪夫妻による二人展が始まった。

奥様の深雪さんは、昨年のクリスマスに小番今袴さんと二人展を開催し、長年眠っていた画家魂がふつふつと甦ってきたらしい。写真をワイフワークとするご主人を誘っての夫妻展となった。 深雪さんは多摩美大日本画科卒で長らく教員生活をしてきた。その傍ら勉強したというセラピーの仕事を今も続けている。また、初めて絵を描く方のためにパステルを用いた絵画教室も開催するなど意欲的に啓蒙活動をしているという。

一方、ご主人の隆一氏は仕事の合間に素人離れした写真を撮りためていた。画像でご覧の通り、白黒の調子が美しい抒情的な作品である。聞けば機械マニアであり骨董のコレクターでもあるという。その審美眼とこだわりが、銅版画の如き黒の質感とクリアな精度を写真上に追い求めさせることとなったのだろう。三脚は使わず必ず指でシャッターを切る、というのも対象を撮る一瞬に自分の美学を入魂するという意味なのだと理解した。

ただ、こだわりのあまりそれを人に見せるという行為には及ばないでいたところ、深雪さんが二人展をと土俵に乗せてくれたのだという。真面目でシャイなご主人と会うのは今展が初めてだったが、その幅広い造詣には驚くばかり。

常に人の心に寄り添い、その人生と向き合う仕事をしている深雪さんのそばに、こういう含蓄のある方がいるのはむべなるかなであるが、作品上のコラボをするという関係になるとは昨年までは思っていなかったに違いない。

展覧会を開くという行為は、自分のアトリエの窓を開き、風を入れることだ。自分だけではわからなかった自分の姿を人の目を借りて知る。何を与え、何を与えなかったか、作品の持つ力を冷静に判断するチャンスでもある。

自宅内で完結せず、多くの目に作品をさらすことで自作がまた見えてくることがある。さらに踏み込んでいえば、見る人の目が作品を完結させるのである。この可能性を持つ人との出会いが展覧会の醍醐味といえるだろう。

骨董をよくする方ならば、「もの」と「ひと」との出会いの吸引力とでもいう何かを知っておられると思う。人の生み出したものが、人の何かを引き出すーということ。この出会いの瞬間こそが人生の妙味というもの。

「花巡礼」という大きなテーマでそれぞれの今を競作したお二人は、これからまたそれぞれのスタイルで自分の表現をされていくだろう。この「花」が大きく開いて色々な人に種を運んでもらえるよう、心からのエールを。

安住小百合・林茂夫展

安住小百合とご夫君・林茂夫の二人展が始まった。

2000年から毎年当画廊で個展開催の安住小百合は、’82年多摩美大大学院日本画科を修了すると、主に日展を舞台に発表し始め、郷里宮城の河北美術展では各賞を受賞するなど旺盛に活躍。その後結婚と出産・子育ての時期を経て’00年から本格的に個展に挑み始めたという経緯を持つ。お二人のお嬢さんを育て上げ、画家としてのみならず女性としても豊かな人生を送ってこられた訳だが、いよいよこれから全開の画家生活を迎えるにあたり、今展では今までバックアップに回ってくれていたご夫君・林茂夫の仕事をあらためてご紹介し、それぞれが一個の作家として次のステップに繋がる契機としていただく事を企図した。

林茂夫は山梨に生まれ、早稲田大学では日本史専攻。その当時は抽象の油画を描いていたそうだ。その後銅版画なども手がけていたが、一家の柱として塾の経営に専心。チーム林としては、安住小百合をバックアップすることに徹して来た。

その間、野山の草花を取材する安住に同行して山へ出掛け、山野草を見る機会が増えるにつれ持ち前の絵心と探究心が芽生え、植物図鑑を片手に撮影し記録することに夢中になったらしい。折からコンピュータグラフィックスの技法もマスターした頃で、ここから一直線に作品化がはじまつた。もともと油画と版画の素養があったところへ、パソコン上の細かい作業が苦にならない性質があいまって、CGという新しいジャンルでの制作を一人静かにコツコツ続けてきたという。 同じ素材を取材しても作家の目と手が違えば、全く別の作品になるのは自明の理ではあるが、日本画という千年の歴史を持つ技法と、最新の機材によるおそらく一番新しい技法が「植物譜」という共通のテーマで競演されるというのは非常に画期的な試みではないかというのが、一つの狙いでもあった。

期待にこたえて安住小百合の岩絵具と金箔と漆黒の世界はあでやかな中におだやかな気品をたたえ、林茂夫は油画の明暗のメリハリと版画の技法を取り入れた構成のモダンさが光るクールな画面を作り上げた。 ただ双方とも「植物」へのなみなみならぬ愛は共通し、それぞれにここから広がって自分の高みを目指していくのだなぁとあらためて感得させていただいた。

一枚の葉のなかに宇宙があるーと看破した小倉遊亀先生ではないが、その中に没入してそこを生きる人にしか見えない世界がある。何を求めて人は描くのか、一本一木の草花が私たちに語りかけてくる事は多い。この二人もまたその「命」の根源にふれたいと願う人たちであろう。

会期中、そんなお二人の応援団の方たちがたくさんご来郎下さった。この「植物譜」の種が、この大勢の方に運ばれてあちこちに芽吹きますように心から願ってやまない。

 

男が描く男・女が描く女展

前回の墨展に続きジェンダーシリーズと銘打っての第二弾「男が描く男・女が描く女展」が始まった。
男組の大将は伴清一郎に、女組の姉御は松谷千夏子にと布陣も完璧!と思っていたところ、当の姉御から「え〜全裸シリーズ?」と聞きまつがい、、。ジェンダーですって!。
同性が描く同性ー異なる性がみるものとどんな風に違うのか見てみたい、と企画したが、ふたをあけたら男組は祭りモード。その晴れがましいことといったら前代未聞。一方、女子はクールにさっぱりきっぱり、取り立てて騒ぐ事ではありませんわ、と顔色も変えない
意図したことではないが、画廊上に一本の線が引かれたかのように、熱い男と醒めた女が火花を散らしている構図は非常に興味深いものがあった
男組組長の伴清一郎は周知の通り、童子をモチーフにして御伽草子の世界を描く油画家である。大和心を体現した童子は子供のなりなのに筋肉隆々。画家本人も日々肉体の鍛錬を怠ることのないますらおぶり。昨今の世相を怒りつつ、日本のあるべき男子のありようを絵に託して描く。散歩の度に愛でていたたんぽぽを、あるとき心なき隣人が踏みつぶしたのを「わしの大事なたんぽぽを粗末にして!」と悲しんだ心やさしいもののふである。
また久々にセルフポートレイトに取り組んだ平野俊一は当画廊でもおなじみだが、近年は花をモチーフに制作。かつてLABO展で描いた後ろ姿の自画像をもう一度、と依頼した。CG画像を丹念に描き起こす作業は、花と同じだが、自分の体がモチーフとなれば自ずから視点が変わってくる。1997作のリライト版は30代の凛々しい身体に草の影を重ねて入れ墨風に、2009年版はやや緩んだ肌色が艶かしい。
相撲の力士を描く木村浩之は、本場所ばかりでなく相撲部屋の朝稽古に顔を出し、精力的に男達の発する戦いの気を絵具に写し取っている。鍛えられた筋肉を持つ力士たちの裂帛の気合いが画面からのぼり立つようだ。
今展で初登場の勝連義也は沖縄芸大デザイン科卒、今も地元で制作する画家である。平井和正の幻魔対戦の表紙と挿絵でご承知の方もおられると思うが、銀座では初めてのご紹介となる。今回は糸満漁師や祭禮衣装の男たちをチョイスして展示したが、幻想的な女性像も得意として描いている。本来勇猛なはずのエイサーやハーリーなど祭りの男たちは、彼の手にかかると憂いを帯びて凄艶な伊達姿となる。鬱屈とハレが同居するもどかしさが美に変わる一瞬を狙っているようだ。唯一、漁師と描かれたきじむなぁ(沖縄のいたずら魔物)がいきいきと彼本来の無邪気さを伝えているような気がする。
さて、男組最後の画家は奥津直道。華奢な指からなぜこんなマッチョが生み出されるか不思議だが、ボデイビルダーもかくや、と思われるアニキたちが今展では風神・雷神となった。しかも雷神の手には鉄アレイが、、。こんなユニークな発想は奥津画ならでは。強烈な色気まんまんのアニキの背に花かごがあったり、なにか可愛い。サブカルチャー誌にカットなどを寄せながら、淡々と我が道を行く奥津のファンも多く昨年末には北斎のアニキ版のような作品がパリのエロティック美術館に展示されたとか。日本美術の古典を吸収しながら奥津の描くアニキ達はどこまでも飛翔する。
このような濃い男組を乾いた目線で茫漠と見つめる位置に女組代表姉御・松谷千夏子の描く女たち。何時にも増してクールなその目の脇にはかすかな涙のかけらが。でも、これを涙と思ってはいけない。なにせかけらである。いつの涙か判然としないしろものなのである。色々な記憶が風化してもうはがれ落ちそうなぎりぎりを松谷は描く。生なものは松谷の美意識が許さないのだ。そうやって記憶の底に沈ませ浮かび上がったかすかなささやきこそ松谷のリリシズムであり、強烈な存在感の所以なのである。女というのはここまでしぶとく見るかと思わせるリアリティが彼女の作品を立たしめている、といっても過言ではないだろう。
阿部清子もまた一撃で相手をリングに沈める。アラフォー世代の荒波を乗り越え、ようやく画家として獣道に乗りこんできたばかり。だが、気弱そうなその外観にだまされてはいけない。極端に単純化した筆ながら、一気に相手の心を射抜く作品の目ぢからはただ事ではない。哲学や禅に小さいころから興味を持ち、墨の絵に惹かれていたという。人間とは何だろう、という問いをいつも心に持ちながら自分の居場所を探して来た阿部が、自分を表現する手段として選んだのが女性像だった。おばぁさんから子供まで、自分を託すような気持ちで描いて来たのだろう。それが画面から溢れて人を立ち止まらせるのだ。
そして女組の最年少は佛淵静子。いつも友人のダンサーや画家仲間など気心のしれた人をモデルに女性像を描いて来たが、今展では教え子に制服を着てもらっての制作だ。先般の個展では看護婦の制服をきたモデルにダンスの動きをしてもらったもので見物衆の度肝を抜いたが、今度は女子高生ときた。佛淵の線は生真面目で清潔だ。丹念に繊細に形を追って硬質な透明感のある人物を描く。制服という一種特別な装置ともいうべきイメージの力を借りつつ、そこを突き抜けた人物の表現を目指す、理知的な描写でそれを裏切る人間の表情をとらえるところが面白い。
今展では異性だったらこうは見ないこうは描かない、と思われる視点をあぶり出したいと企図したわけだが、それぞれの作品を見ていくと、やはり同性ならではのありたい佇まいや姿があるのだなぁと思えた。本当に男らしい人は女性的なナイーブさをもち、本当に女らしい人は男性的な果敢さを持つ、という。男組は男らしさを描く事でより浪漫的になり、女組は女を描く事により、現実的実感を描きたいと願っているように感じたが、ご見物衆はどう思われただろうか。
ともあれ、世の中は男と女とプラスアルファ。バランスで成り立っているともいえるが、時にはそのバランスを崩したくなる時もある。絵画はそれぞれの画家の心から出て普遍に繋がるもの。それぞれが自由に心を広げて遊びたいものである。

小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.2

小松謙一と藤森京子による日本画とガラスのコラボレーション展が始まった。このユニットで制作する『アオゾラとガラス』たちが今年も画廊にやって来てくれた。サーカスではないが旅する一座のように、決まった季節にやってきて、ポケットから「はいっ!」とアオゾラの詰まったガラス玉を取り出してみせてくれる‥。それを覗き込むとかれらの旅した一年の記憶が幾重にも堆積してきれいな層をなし、光に包まれて表れてくる、といった塩梅だ。
1959年生まれの日本画家・小松謙一は水の流れや雲の動きなど、一時も同じ表情を留めないものをモチーフとして、微妙な心の揺れなどを託して描いて来た。また余白を意識した空間表現でどこまで万象の存在の大きさに迫れるか、意欲的に大作に挑んでいることで知られている。
一方、藤森京子は1977年生まれ、小松と同窓の多摩美で工芸デザインを専攻し、卒業後は繊細なカットを特徴とするガラス作家として道を歩み出している。
常に新しい表現はないかと制作を進める小松が絵を立たせる事は出来ないか、と考えたのがそもそもの発端らしい。平面の限界を突き破りたいと絵の裏側を見せる工夫を藤森の仕事に託したという。和紙に重ねた絵具の層がガラスに挟まれて光を透過させる。岩の粒子の窓、箔の層、何層にも重ねられたガラスが鉄の台の上に直立する。 あるいは寄木細工のようにカットされては組み立てられた色の砕片による家。そして何よりもの収穫は、絵具が乾いては消えてしまう濡れた色をガラスに封じ込める事に成功したことだろう。
平面という制限を乗り越え、タブーをタブーと思わない果敢な挑戦はガラスという異素材と出会うことで、不可能と思われていたことを可能にした。のみならず、二人のコンビネーションはそれぞれの世界から違う魅力を引き出して、さらに別の世界へと向かおうとしている。
孤立した制作からユニットとして試行をはじめた二人の今回の仕事では、今まで材料を投げかけていた小松が初めて受け取る仕事をした。個々の仕事から派生して自分の仕事以上のものを相手から受けるーあるいは自分が与えるというのはお互いの信頼と尊敬がなければ成り立たない。その希有な関係があればこそのコラボレーションといえよう。
目指すのはアオゾラ。水や空気が単体では透明なように、日々の営みを一枚一枚ベールにして重ね、奥行きのあるアオにしていく。一個の作品を生み出すための葛藤や錯誤、発見や喜びを幾重にも重ねたさきに深みのあるアオゾラが生まれる。ガラスに重ねられる色彩もまた、そのアオゾラに至るための道しるべなのだろう。こうして気宇壮大な世界観を持つ小松謙一の中に潜む繊細なロマンティズムと、針の先ほどの感覚に耳を澄ます藤森京子がもつ不屈の合理性は一つの作品のなかにらせん状に絡まり、アオゾラの結晶として銀化していくのである。
そして今、ガラスを包んでいた風呂敷をひろげ、一つ一つアオゾラを取り出しては画廊に窓を穿ってくれた。日本画とガラスという異素材をさりげなくマリアージュさせてくれる額の役割にはさび色も美しい鉄。小松にアトリエを提供し、懇切に溶接やら腐食を教えて下さった鍛金家のご夫妻・市岡さんと留守さんもご来廊、出来映えを見て下さった。また、空手の上達のため見事ダイエットに成功してさらに美女度をあげたちさと嬢の鎖骨あたりには、アオゾラガラスペンダントがキラリ。わたしも小さな手乗りアオゾラが欲しくなった。みなさまはいかが?


小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.4
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.3
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラス

画廊コレクション展

今年は画廊開廊から13年目の春。正確にいうと4月開廊なので12年と9ヶ月になる。四百回にはちょっと欠けるが、まぁよく走ってこれたもの。しかもこのご時勢にだ。
自画自賛にはまだ早いとしても、ひとえに画家たちの魅力と、応援団があればこその自走。今回は普段振り返れない道のりを、作品とともに一部ご紹介した。特に去年の個展時に力作ゆえ間に合わなかった瓜南直子の大作と、伴清一郎の作品を並べて展示することができたのは、ちょっとうれしい。
これまでお付合いした全画家の作品を並べることができたらもっとうれしかろうと思うのだが、いかんせん壁面がたりない。いずれ15周年の節目にでも大きく振り返って見ることとしよう。まだまだ先の長い道のり。
今展のプチコレクションでは、やはり十年単位の時間の経過を感じた。画家が第一線で頑張り、作品を残し続けていると画風の厚みとなって風格となる。いい仕事は時間が経過してさらによくなる、という事を再認識させていただいた。
いずれ時の審判がそれぞれの作品に下されるにせよ、今行くこの道が間違っていないと改めて勇気をもらった展覧会だった。さぁ、また頑張ろうっと。

 

第三回堀文子教室同窓展

多摩美大・堀クラスの同窓有志による第三回展が始まった。今展のために体調万全の構えでおこし下さった堀文子先生をお迎えし、会場はひときわ華やいだ。
堀文子先生が多摩美大にこられた53歳当時初めて受け持たれた学生たちもはや当時の先生のお年を超して久しい。退任なさる最後の二年を教わったという五期目の青山・加藤・新恵三名を今回は加えて20年にわたる堀教室の全学年が揃って顔を合わせ、一点一点を先生に講評して頂く貴重な機会を得た。
卒業後はそれぞれ様々な人生を送ってきたなか、画家を職業としている人もいれば、この展覧会に出すために年に一度制作する人もいる。その一人一人の人生と出会うかのように問いかけ感想を述べられるのは大変なことと思われるが、先生はほぼ一時間立ったままで語り続けた。
絵は正直に内面をあらわすとかいうが、先生の直感は絵を通して目の前の人の心の有り様や迷いを一瞬にして見分けるようで、皆一言一言を胸に刻み付けるように聞いている。
絵は教えられるものではない、と常々明言されている先生のことだから、ここをこうしなさいという事はおっしゃらないけれど、その人が何をどう表現したかったのか深く切り込んで胸にすとんと落ちる一言を下さった。
制作上の野心はともかく、媚びたもの品のないものに対する潔癖さは当時から一貫して厳しく、学生当時からこの美意識だけは叩き込まれたような気がする。この道をすすめばお金とか権力とは縁がなくなるから、皆様にはお気の毒だけれどもこの道しかありません。と言い切る先生の美意識の片鱗を同窓の面々はそれぞれに分ちもって、今展で合わせてみているのではないかとも思う。
90歳になる今も月二回の連載の締め切りに追われ、日々のアトリエの明け暮れもお忙しいとお聞きするなか初日に立ち会って下さったのはなににも替え難い喜びだった。
年々歳々ー明治はおろか昭和も遠くなりにけりだが、大正から昭和平成を絵筆一本で生き抜き洋の東西をまたぎ70代からイタリア移住、80代にはエベレストと獅子奮迅の活躍をしてこられた先生の透徹したエネルギーを受けて、同窓の面々も奮起したに違いない。さらにここから次代へ大事なものが引き継がれますように。

インターナショナルアート/9人の作家たち

2000年の板東里佳とイザベル・ビゲローのご紹介から始まった海外作家展。銀座の一隅から世界が覗ける機会を作ろうと、年に一人か二人の作家の個展を開催してきた。今展はその中から9人の作家をセレクトしてその仕事の一端をご紹介する、
イザベル・ビゲローはニューヨーク、プーラン・ジンチはイラン、ロドニー・ディクソンはアイルランド、イグナシオ・ブルゴスはスペインのバルセロナ、庄漫は中国上海、ニコール・シュモルザーはスイスのバーゼルと出身地はそれぞれ。一方、海外に渡った日本人作家としてはニューヨークの板東里佳、ドイツベルリンからカナダのトロントに移住した斉藤典子、ポーランドのクラカウの宮永匡和を。
銀座にいながら世界漫遊している気分になるこの贅沢。それぞれ作家のたつ表現の手法は違うが、その出自に従った良質の美を伝えている。かれらの個展に立ち会った日々も懐かしく思い出されるが、言葉も不自由ななか新しい出会いがもたらす新鮮な驚きに満たされていた。
われながらチャレンジャーだったと思うが、幸いありがたい協力者に恵まれ才能ある作家たちに出会えた。特にニューヨークの板東里佳とM.Y.Art Prospectsの吉永美也子女史とご縁が結べた事の意味は大きい。彼女たちに今またスペシャルサンクスを。
折りにふれ書いてきたが、今から20年程前、離婚の慰謝料の半金と一年不眠不休で稼いだお金をもってニューヨークへ画商修行の見聞の旅に。そこで見た最前線のアートシーンは、まさしく私の画商としての原点だった。きらぼしのように才能のひしめく地で、今まさに生まれようとする次代の作家たちの仕事を見る喜び、楽しさ。おにぎりを作ってニューヨーク中を歩き回った。そんな私に適切な紹介をしてくれたのが板東夫妻だった。アートスクールの同級生や話題の展覧会を紹介してくれ、初めて会う私にニューヨークのあちこちを案内してくれたことは忘れがたい。また帰国後、本格的に画商修行に入り10年後に独立開廊した私の前に作家・板東里佳として登場した時の驚き。それぞれ夢を捨てずに努力した10年間がそこにあった。
美也子女史もまた、紹介状ももたず、いきなりアーティストの交換展をして下さい、と申し込んだ私に快く応じてくださった。ニューヨークの現場でのシビアなギャラリーワークを思うと奇蹟に近いことだった。お蔭でたくさんの作家たちを知る機会を得、良質の展覧会を東京でも開催できたと思う。
また、海外で制作を続ける日本人作家にとっては、本国での発表の場の確保が難しい。年に一度帰国したおりに成果を発表できる場としてお役にたてば、と思い定期的に続けている。
普段、日本画の展覧会が多い画廊だが、ささやかな世界への窓を開けておこう。きっと新しい風がここから入り、またここからも世界へ出て行くだろう。

TOKYO MILKY WAYーろうそくの光で

「100万人のキャンドルナイト2007夏至」と題して銀座でも夜のギャラリー巡りが午後7時から。青山、赤坂、銀座の都内3ヶ所で電気が消され、「東京で銀河をみる」というイベントに連なる企画だ。
ろうそくの光で絵を見る、という機会はなかなか無いもの。特に安住画伯の金箔は入念な盛り上げが施されているから、ろうそくの揺らめきが絵の表情を変えていく。普段の照明と違う画廊はまるで異空間。祭壇画のように変化した画面にろうそくの灯が映り込み絵の一部のように。
イベントツァーのお客人が帰ったあとは、キャンドルを真ん中にお約束のドリンクタイム。たまたま上京していた秋田のよっちゃんとそのご学友の久美ちゃんや、ギャラリーモテキで個展開催中の蓮村さんもご一緒にスペシャルナイト。真夏のクリスマスの様な一夜だった。
ちなみにこの日のイベントは28日(木)日本テレビ(4ch)お昼過ぎの番組「ザ・ワイド」で特集される。わが安住画伯が映るかどうかは編集の具合次第だが、お時間のある方は要チェック。

武井・井手尾二人展ー那覇リウボウ

武大人こと武井好之画伯が、初めて沖縄上空をセスナで飛んだ時、隣にいたのは悦子ではなく、今回の相方・井手尾摂子画伯だった。セスナの体重制限は200キロ。悦子がのると重量オーバーになるので泣く泣く搭乗を断念したのだが、その200キロ以内(内訳は不明)コンビが今展のメンバー。
あれから4年。それぞれに沖縄と縁を深め、取材を重ねて今展に臨んだ。「うるまの人と花を描く」と題した展覧会は、武井画伯が「人」、井手尾画伯が「花」を主に担当し、沖縄を美しい島たらしめている魅力の根源を描こうというもの。実際、武井画伯は知り合う島の人々から多くの啓示をもらい、井手尾画伯は島の花の生命力を知って目を見張るような新鮮な喜びを得た。この展覧会は島と二人のコラボレーションともいえるが、ともあれラリーのスタートは切られ、会場のリウボウ美術サロンにはモデルになって下さった方々や知り合いの方々を大勢お迎えした。
土曜日には、井手尾画伯ご縁の朗読の会の方が、彼女が描いた沖縄の花にまつわる民話を朗読して下さり、花と風土との深い結び付きを感じさせてくれた。
また今回も合宿所を提供のセイヤ取締役はじめ、お仲間を呼んで歓迎会をセットして下さった上間氏ご夫妻、仲田氏など多くの方のお力添えをいただいたことを感謝したい。もちろん唄者大城美佐子先生と島思いのスタッフの方々にもスペシャルサンクスを。
尚、この展覧会は形を少し変えて12月に里帰りをする。多分忘年カチャーシーナイトを開催することとなるのでユタシクウニゲエサビラ~。

美ら島展の後にはシーサーが

今回の美(ちゅ)ら島展に参加していただいた画伯たちの中で、まだ悦部屋に登場いただいていなかった清水操画伯の御紹介。画伯の島通いは十数年に及ぶ筋金入り、院展で長年沖縄の海を描く作品群を発表している。その色の美しさに魅せられて是非今展にとお願いしたいきさつと地元の方達に見て頂きたいと承知していただいた事は九月にも書いた。
バーバーナイルを描いた「時の扉」という作品がそのご家族の手もとに納まった事はもちろん、大城先生をしてこの絵からは唄が聞こえるといわしめた「島唄」など、深くその地に身を寄せた人しか表せない作品たちが地元の方々の心に届いたことをうれしく思う。今日は誰も南の島々を描く人のいなかった頃、海の底の色を出そうと試行錯誤した話など。
最近沖縄に行ったばかりという、森氏夫妻も今日は一人娘のまつりちゃんとご来廊。森氏は大城先生ご来廊時に、島唄を先生に御披露した勇気ある御人。久々ご登場のりこちゃんとともに。
そして、搬出の時間には麒麟画伯が。よくこの長い旅に付き合ってくれた、と画伯たちに心からの感謝を。種が風にのって海をこえるように、島の海に落とした一滴の水が東京湾に届くように、旅から何かが始まれば幸いである。

 

湘南VS富山ー絹本軸装対決

新春第二弾は、お待ちかね武大人こと武井好之画伯と富山の堀敏治画伯の一騎討ち展。しかも初めて取り組む軸装絹本による地元風景展といえば、画伯らをしる方々には驚きの企画、のはず。
そもそもなんでこんなリスキーな御仕事の話になったかというと、一年前の偶然の出会いから。昨年の丁度今頃、悦子と共催展を数多く手掛けている僚友・富山の立山画廊堀實紀男氏に武大人を紹介したところ、t武大人は堀さんの扱い画家の堀敏治画伯と予備校時代の親友だったという因縁が。もとより画家に軸装の仕事をしてもらいたかった我々画商連盟にうまうま乗せられ、ついうっかりやりますと応えた画家連盟のお二人、以来塗炭の苦しみを味わう事に。
また表具もそれぞれの御縁の方にお願いし、同世代のバトルというかコラボレーションとなった。搬入にはわざわざ武大人の表装を手掛けた岡崎の文経堂渡邉行之助氏も立ち会い入念な展示を。表具の打ち合わせをしていた訳でもないのに、奇しくも湘南は白に縦の線、富山は黒に横の線と対象の妙となったのは不思議。
画家二人にとっても、20年の歳月を経てお互いの仕事を振り返るいい機会となった事とおもう。堀画伯は多摩美の先輩でもあるので、初日の今日は多摩美ーズ後輩たちも沢山かけつけてくれてお祝いを。また先発隊の湘南組も。
てさぐりで初めての絹本軸装に果敢に挑戦してくれたお二人の挑戦を是非御覧あれ!

美ら島を描くー日本画展(沖縄)

ニューヨークへ帰る里佳画伯と別れ、悦子はみそそ画伯と次の展覧会開催地・沖縄へ。現地で夕方トシ君キリン画伯たちと集合して搬入大作戦!
なにせ世間は台風一色。わが身柄だけはなんとか無事に那覇に着いたが、作品の一部がまだ届いていないというアクシデントはいかんともしがたい。う~ん、沖縄ではなく、またもや泥縄。いや、なんとかならなかったことはない!と、このまま泥縄作戦突入。
作品が出来なかったことを考え、多めに作品を送っていたのが幸いして、会場は一見泥縄とは思えぬ仕上がり。見よ、この堂々の泥縄ぶり。初日会場にはモデルになってくれた歌姫・大城美佐子先生や、そのお弟子さんたちがご来場。花をそえて下さった。また、夜の部は後で御紹介するが、とりあえず無事開幕のお知らせまで。


Parse error: syntax error, unexpected 'string' (T_STRING), expecting function (T_FUNCTION) or const (T_CONST) in /home/users/web13/8/0/0241308/www.shibataetsuko.com/wp/wp-content/plugins/pagebar/class-postbar.php on line 20