山田りえ展

2013年11月18日(月)~24日(日)

毎年恒例となりました山田りえ展ですが、今展ではライフワークの花とともに若い頃から手掛けてきた人物の表現に挑戦していただく事となりました。
物語性を秘めた女性像に託された山田りえの新しい世界をご覧いただきたくご案内申し上げます。

柴田悦子

赤い薔薇

会場3

会場2

からすうり

えびねWSM

序章30号

山田りえ 854

会場1

明け方の月50F 猫3 会場4 音は聞こえない50F すみれ35cm角 さまざまな夢50F

木村浩之展 はっけよいー相撲人形と墨絵ー

2012年7月12日(木)~7月21日(土)

木村氏の相撲に対する思いは熱い。
歴史上の力士の探求から朝稽古のスケッチ取材、自身で実践する稽古まで
多岐にわたる。その原点は、「相撲の美を表現したい」この言葉に尽きる。
好きなればこそ作品からにじみ出る剛さと優しさ。
木村浩之氏のここ一番の取り組み、ご高覧ください。

阿曾光紘(美術愛好家)

中 千尋 美人画展ー女人抄ー

2011年 12月19日(月)ー 25日(日)

鏑木清方、上村松園、伊東深水など美術史に残る先人たちが伝統を耕し、かつては当時の風俗文化を受け入れて画布に新しい華を咲かせたように、日本舞踊や文学作品に残された美学に寄り添いながら、現代的で清新な表現を「女人抄」と題して試みています。

また絹本着彩という伝統的な技法を独学で学び、絹ならではのなめらかな筆触と、鮮やかな発色により、のびやかに華やいだ女たちの表情がいきいきと描かれています。
今展では日本舞踊の演目や泉鏡花の小説から画想を得た作品など、およそ20点を展示し、今や失われつつある「美人画」の復興を願い、その魅力をお伝えするものです。

伴清一郎展 ーひかりを見る。ー

会期12月9日(金)から17日(土) 12:00から19:00 日曜は18:00 まで 最終日は17:00 まで

 

稲妻の光る雲聞から光りが地上に降りてくる。
柔らかい光りに包まれた童子たちが、優しい無常感の中に佇んでいる。
私は日本絵画の情感はこの「優しい無常感」に有ると思っている。

 

伴清一郎画伯個展に寄せて

 

伴清一郎の絵を前にたたずむと、絵画というものが二次元の平面であることを失念することがある。そして、同時に、その静けさにも打たれる。
何なのだろう、この不穏な静けさは。たしかに絵画は静止している。ひとつの動作が完了したのだろう。だが、画面は静止のなかに鎮まりかえって行こうとしてはいない。それは、次の爆発的なまでの動きへの待機の瞬間なのではあるまいか。
筋骨隆々たる童子たちは、日本の風光のなかで、虚心に遊び、ときには怒りを爆発させようとしている。それは、伴清一郎その人の似姿でもある。
現実の画家は無意味に筋肉を鍛えては、画業とともに酒を飲むのに専念している。自称「女好き」で、「悪い男」と呼ばれたいらしいが、女よりは酒を好み、悪事よりは憂国に身をやつす。
伴清一郎の絵画もまた、ひとつの国の姿を描くものなのだと思う。それは、私たちの血よりも深いところを何千年も流れ続ける無意識の大地としての国にほかならないだろう。
今、その国が怒りに震えている。怒りが、風を呼び、風が光の形を変えて、絵画は平面から立ち上がろうとしている。
城戸朱里(詩人)

 

1950 滋賀県に生まれる
1973 京都精華短期大学中退
1982 安井賞展( ’87)
1991 現代日本絵画展(北京)
1998 個展「逢国J- 日本のかたち-(日本橋三越) (’95’97’00)
2009「ざ・てわざ」
2011「観○光」ART EXPO 2011出品

押元一敏展 -KA・RA・DA-

例年なら桜の開花予想のニュースが聞かれる頃なのに、東北の被災は原発の不安と相まってますます深刻化している。

とはいえ、被災地ですら復興に立ち上がろうとしている時である。銀座まで灯が消えたようになっているのはいかがなものかと、貧者の一灯をともしているところ。
佛淵静子に続き、今日から始まった押元一敏もまた常に変わらぬ灯火を絵に点している。中世のキリスト教絵画や日本の仏像に啓発されたという押元の人体のフォルムは、ますますその洗練を加え極限に近づいているようだ。
女性の姿形を借りながら、その曲線は限りなく自然と相似して来ている。豊かな女性への憧憬は象徴に高められ、黒と黄土に塗り分けられた平面として静かにしかも意思的にここにある。
存在するものを、掴みたい現したいという押元の意思が、千年眠っていたかのような像に結集したのである。あこがれとも情緒とも決別した、ごろんとそこにある「本質」に迫る仕事といえよう。

木村浩之展

待望の木村浩之展が始まった。年末の九州場所が終わって沖縄巡業を経て帰ってくる親方連を迎える時期にということでこの期間に。満を持した画家の「木村山」を待ち構えた体重だけは貫禄の「柴田部屋親方」。
モデルにお願いした元若駿河関と阿武松(おうのまつ)部屋の親方も木村浩之のために駆けつけてくれ、一気に画廊の空気は晴れがましいものになった。
よく「ハレ」と「ケ」というが、「ハレ」の場である本場所中にも「ケ」の時である朝稽古にも、木村はスケッチブックをもって日参し力士たちの姿を写して来た。一瞬も気を抜けない力士たちの動きを追い、ふでを走らせる。毎日を一期一会の機会と思い、その瞬間を積み重ねる作業が木村の作品にリアリティを与えている。
年間百番を越える取り組みに、一つとして同じ展開はない、と木村はいう。手に汗をにぎり、次の瞬間を待つ。目は土俵を追い、手はスケッチブックのうえを走らせながらつかんだものがそのまま絵になる訳ではない。多分何千枚とあるスケッチから「この瞬間」と思える時を描くのだ。
木村浩之の描く「相撲」は普通のスポーツとは違う。木村は力びとの乾坤一擲に画想を得て、紙のうえにその神聖な営みを構築し密度の濃い磁場をつくるー木村の目と手を通して描かれた「伝統」は、いきいきと脈打ち、熱気をおびた「命」として立ち上がってくる。
浮世絵以来、この魅力的な素材に向き合おうという画家は絶えてなかったといっていい中、木村は果敢に挑み道を拓こうとしている。単なる肖像画でなく、血の通った力士の生きる場を。だからこそこの伝統的なるものを描いてなお新しい感覚を伝えるのであろう。
木村がタイトルに使う「発揮揚々」という言葉は行司のおくり出す「ハッキヨーイ」という発声とともに「ことだま」としてよみがえって、千年も繰り返されてきた「相撲」という行為の意味を思わせ、翻っては作品に込めた彼の願いをしらしめるのである。
1975 東京生まれ
2003 多摩美術大学日本画科卒

阿部清子展ー結婚

阿部清子の四度目の個展が今日から。阿部は1970年東京に生まれ、独学で日本画の技法を習得、1996年臥龍桜日本画大賞展に出品した後、南京、島原、淡路島、沖縄など各地に移住し、その場所の人々を描くことを通じてコミュニケーションの手だてとしてきた。

期間の長短はあろうが、その間多くの出会いと別れを繰り返してきたことは想像に難くない。2005年東京に戻ったのち、佐藤美術館でのグループ展「万様種子展」に出品した作品を一見して、そのひりひりするような孤独を思わずにはいられなかった。

縁あって2006年から当画廊で毎年個展を続け、冒頭に書いたように今年で4回目となった。今展のテーマは「結婚」。第一回は粗い岩絵具で描き込んだ作品が多かったが、第二回の「劇場」、第三回の「多感のすすめ」と回を重ねるにつれ和紙の余白を生かしたドローイング風の作品が多くなる。その墨作品について最近「趣味の水墨画」に寄稿した阿部の文章があるので少し長くなるが引用する。

墨との対話 私にとっての墨の魅力は、「ニュートラル」だということだろうか。発色も色味も動きも線も、描き手の意思や品性、性格までもありのままに映し出す。そこが怖さでもあり、震えるような喜びを感じるところでもある。

描くことは、筆をいれる側の私の画材への一方的な支配や制圧ではなく、あくまでも対話である。まるで意思があるかのように自由に動き展開する墨に対し、「ああそうですか、そういきますか…」と驚きを感じつつ受け入れ、「しかしここはどうしてもこういたしますよ」と応じつつ通す。そんなやりとりの中で、自分を知り、対象への理解と興味を深めていく。人としての日々もそんなものかもしれない。(中略)生きることと連動した描くという行為の良き伴侶としての墨が静かに、時に劇的に私を導くような予感がしている。今後も自分と制作に正直に、学びと対話を重ねていきたい。阿部清子阿部が制作にあたって一番気をつけているのは、自分がどこにいきたいのかをしっかり自覚しているかどうかだという。ゆえにタイトルをはっきり決めてから、そこに向かって走りはじめるのだそうだ。今展の「結婚」も上記の理由から構想された。

小説に「私小説」という一体があるが、阿部の作画もそれに似て作者自身の生活感情を披瀝しながら突き進む。ときに生すぎて、驚くほどであるが、余計なフィルターがない分ストレートに伝えたいことが胸に届く。「これっていいの?」と自問自答しながら作品を一巡する。個展空間があたかも劇場に見立てられたかのように、それぞれの作品の目線がからみ、結婚の諸相が浮かび上がる仕掛けだ。

「私絵画」という言い方は適切ではないかもしれないが、墨の一線がまるで果たし合いの刃のように、紙と自身に引き下ろされた現場に立ち会っていると、いささか厳粛な気分になってくる。このような「生々しさ」は、現代人が意図的に隠そうとしてきた何かに触れるものであり、知性や揶揄のカーテンで遮ってきたものである。そのほぼ忘れかけたものーいわば「生きる熱情」のようなものを、いきなりカーテンを引いて見せたのだから衝撃的だ。

本人はおそらく満身創痍ながら、これしか出来ない道を歩んでいる。いや、求めている。ためらい傷とおぼしき墨の線も見受けられる中、迷わず進んで闇から「玉」を探し、光のなかに出てくる日を楽しみに待つとしよう。

 

阿部清子展

柴田悦子画廊では三度目の個展が今日から。人物、時に顔と手を描くのが好きという阿部清子の今回の仕事は墨の比重が高かった。
阿部は1970年東京生まれ。現在も鬼子母神近くに住む地元ッ子だ。小さい頃から墨絵や掛け軸など古い日本画に触れるのを好んでいたというから「三つ子の魂」を今も大事に持ち続けているのだろう。今回聞き出したところによると、母方のお祖父さまは嘉納治五郎門下の柔道師範で千住に道場をもってらしたとか。父方のキリスト教文化と日本の武道文化の織り成すところに記憶の原点を持ち、感性を養った彼女は長じて「人」を描くことによって自分を表現する画家として発表し始めた。
ご夫君の転勤に従って沖縄や中国・長崎や淡路など転々としながら各地で人の顔を描くワークショップを開催し、初めて出会う人々の顔を描きながらコミュニケーションを深めその地の空気を絵にしてきたが、数年前に佐藤美術館でグループ展デビュー。それを期に個展を志し、三年前の初個展と相成った。
描きたいものがストレートに全面に出てくる斬新な作品には強さと弱さが混在し、不思議な存在感を伝えていたものだったが、今展では墨のグループ展を控えているため、墨による線描作品が多く描かれすっきりした印象だ。
その白と黒のシンプルな壁面に、ひときわ強い存在感をしめすのは、個展サブタイトルとなった「多感のすすめ」8号。「学問のすすめ」やら「家出のすすめ」やら色々世の中には啓蒙本があるが、「多感」を勧められるとは…。なるほど目は口より心を伝えるもの。この少女の目線が投げかけるものは、それぞれの心に落ち着いて各自の中で増幅していく質のものだ。紙と絵具に過ぎないものが、このような聡明で多感な感情を伝えるとは絵ってなんと面白いのだろう。
大胆な墨つかいと抑えた岩絵具のバランスが今展の見どころ。阿部の成熟に従って絵のなかの人物も刻々とその表情を変えていくのを、展覧会ごとに追いかけていくのも「生きている画家」の作品を見ていくもう一つの楽しさ。いくつもの山や谷を乗り越えることによって成長していくタイプの画家と思うが如何?

西村亨人形展 スーパ—ソリッドドールズ II

第二回西村亨展のご紹介。昨年の初個展時、センセーショナルな反響を巻き起こした西村氏のソリッドドール。満を持しての新作25点が所狭しと居並ぶ今展も見どころ満載。
昨年に引き続き、DMの添え文は熱烈美術探索者の常磐茂氏のお願いした。まずはそちらから。

人形に命を吹き込む瞬間人形に命を吹き込む瞬間

60年代、日本でもモータウンサウンドがかかりまくり、弘田三枝子や中尾ミエが漣健児訳詞のパンチのきいたアメリカンポップスを大らかに歌いまくった。この時代、アメリカからくる音楽とファッションは両輪でまわっていた。
西村亨は自分をワクワクドキドキさせたそんな60年代から70年代をロマンティックな時代であったとし、当時をイメージさせるアメリカの人間像、それもごくありふれた人々を造形する。そしていささか奇異なしぐさの全体像とともに、リアリスティックな足の爪や指先、唇、機械の錆びや傷など思わぬ細部へのこだわりを発揮してみせる。さらに艶かしい肌、毛髪や着衣の質感、まなざしの方向などに目がとまるとき、対峙した者はそこに千差万別の寓意を抱くことだろう。「人形」に命が吹き込まれた瞬間だ。

如何だろうか。さすが、熱血!と自称するだけのことはある。私は彼らが往時を語る席に同席したことがあるが、例えば「太陽がいっぱい」という映画のどのシーンも克明に記憶し、どこにどの音楽がつかわれていたかで異様に盛り上がっていたものだった。
西村作品について語るときは、作品の細部と時代の記憶が分ちがたく結びついているため、見る人の技量もまた試される。作者のくすぐりどころ、おとしどころがわかるとさらに作品が生き生き動き出すのだ。単に懐かしむというだけでなく、妙にクールに眺め渡している感覚が西村流。スーパ—ソリッドドールと謳っているが、彫刻とも人形とも微妙にずれつつ、時代を俯瞰して立っている。
映画や写真で残る記録と、自分の記憶。西村氏の創作はこれらを踏まえた上で、どこにもない理想郷を目指す。「ロマンチックの残像」と題された展覧会のテーマは、いまや失われた「夢の国・あめりか」への揶揄に満ちた愛の告白に他ならない。

瓜南直子展ー今昔物語 Part2

今展に先立ち、瓜南直子画伯より以下の文章をよせていただいた。まずそちらから。
春はふきのとうから始まった。辛煮や胡麻味噌にしたらお酒がすすむ。 土筆は鴨とすき焼きに。 嫁菜、 はるじおん、 野かんぞう、ほととぎす、うちの町の名でもある雪の下、野蕗、石蕗、たんぽぽ、虎杖、ギシギシ。さらに、野蒜にみつば、ぎぼうし、枇杷、柿の若葉にヤブガラシ、露草にいたるまで。昔からなじみの原っぱや家のまわりで、食べられる草がこんなにある。今は庭で桑の実を拾っている。気がつけば、花の絵を描いていた。 瓜南直子

珍味堂日乗にも記したが、瓜南直子画伯は野草のみならず季節の品を佳肴にする名人。絵を描くことと食べることはどこかでつながっていると見えて、気に入った材料をみつけるや、とことん追求して料理する。胡麻を煎って入念に摺るように絵具の粒子を混ぜ合わせ、そのものが本来の味を出すまで、洗い、たたき、干しを繰り返す。その様子をみてからひらめくインスピレーションが彼女の本領。今生はおろか、前世の記憶まで総動員して味付けにかかる。
ナマコを初めて食べた人類が誰かは知らないが、瓜南画伯はその末裔に違いない。木の根を堀り、薬草を探し、洞窟に線を描き、草の汁で爪を染めた一族に生まれた媛という印象は拭えない。数千年も続く一族の記憶は、今彼女の手で絵画によみがえり、その歴史を刻み続けている。
今展で二度目になる「今昔物語」は1990年の画家デビューから今までの画業を検証し、今と昔を行き来しながら絵師「瓜南直子」の生きる物語を、絵を通して辿る試みである。今展の前半では初個展の折り発表していらい陽にあたる、嬉し恥ずかしの5点から二回展、三回展、四回展までの軌跡を辿った。初めての絵が一点出来上がった喜びで、一年後の個展を予約してしまってから今に至る疾風怒濤の物語は、いずれ伝記(奇?)として刊行されるのを待つとして、悦子画廊の画家として登場と相成った2000年から現在までの作品を、後半の部ではご紹介した。
牡丹、河骨、蓮、椿、十薬など鎌倉に在住して日々目にする花々を「瓜南花卉図」として見事に描き上げた画伯。作品のなかに花を描き込むことはあっても単独の「花卉」を描くのは昨年の一点が初めて。まるで初個展時のようにその一点をてこに今展では怒濤の花卉連作となった。よほど花の精に愛されたと見えて、その一作一作は古格すら感じさせる完成度。百合と花いばらの精「いすゞ媛」「いばら媛」も登場して愛嬌を添えてくれた。「しろきほのをのたつをみる」と題された蓮など、そのほむらが月光を浴びて浮かびたち玲瓏の音が聞こえてきそうな出来映え。お見事な腕の冴えでござった。
この新たな種を得て、また今後の活躍の具合が楽しみになってきた。足下の畠を耕して花を咲かせ、若芽や実を食べ種を鳥に運ばせ、という自然のサイクルに身を添わせて、天然の子は絵を紡ぐ。はるか昔から遠い未来まで一つの道でつながっている、という「絵師・瓜南直子」という運命の子だ。しばし彼女の奏でる夢のなかでまどろむとしようか。

月星よ、さらば

炎熱の東京。連日の熱風の中来廊の皆様に御礼を。山あり谷ありの会期中も過ぎてしまえば、一瞬。毎日緊張感のある作品とともにいたせいだろうか、暑さを忘れて毛穴も引き締まる思いを。
お別れに、今回の作品「月星」とのコラボを各種ご紹介。作品との一体感をそれぞれに表現してもらった画像を。
もちろん最初は悦子。また、九月にカナダ展を控えている杉本洋画伯ご夫妻、先日画伯がお邪魔した高円寺のお店のマスター(前衛舞踏家)、俳句仲間の松助・磨女の一同。さらに俳友で俳優の伊藤洋三郎氏とCMディレクターX氏及び女優Y嬢も怪しい姿を。ちなみに洋三郎は先頃団鬼六原作「花と蛇」に出て杉本彩をさんざんいぢめた。その妖気が消えないうちに。またX氏は今、放映中の船越桂氏のCMを撮ってる方。これらの方々と別れを惜しんだ「月星」は、これから次の任務地へと旅立つことに。いざ、さらば!

齋藤隆 秩父路を行く

三年ぶりにご上京の画伯。もとより密着ご接待は覚悟の上だが、この度は、ご接待方々顔見世興行の旅。秩父三十ニ番札所法性寺ご住職ご夫妻は、ご自身達たちも絵を描かれることもあって、かねてから画伯のファン。秩父入りともなれば是非御訪ねしなければとのことで、旧知の浅見画伯と。
また、秩父ワイン社長も酒蔵を改造して美術館にする構想をお持ちだとか。懇意にしているドーベルマン村山氏ご夫妻とともにご挨拶に。コレクションや秘蔵のワインを堪能後改装中の酒蔵を見学。外は37度を越す暑さというのに、さすが土蔵は涼しい。朴訥な中に必死で秩父ワインを育てた気骨を偲ばせる社長夫妻の饗応を受けながら、こういう方たちにこそ画伯の作品を、と思う。
夕方からは長瀞一番星ミュージアムにて名画に囲まれながらの一献。星社長自慢のあれこれは話にはきいていたが、これほどだったとはと感心しながら、銚子から届いたばかりという絶品の目刺で冷酒を。昼間のワインにほろ酔いのうえ、渓流の流れを聞きながらのお酒とくればめくるめかない筈はない。ご主人の星社長が日本橋のお店からわざわざ戻って来て下さった頃には、青木繁の絵の下のソファですやすや。もちろん、人家のない秩父路にもカラオケ屋はある。今日の御宿・新木鉱泉に辿り着いたのは午前三時だったか。誰一人帰ろうと言わないのは、みんな只の御人ではない証拠?
瀬を早む音や蛍の来ては消へ  珍味堂遠見


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