黒羽よしゑ—夢みる帽子展

フェルトを素地にしたアートフルな夢見る帽子を制作する黒羽よしゑの銀座初個展が今日から。
現住する岩手盛岡にほど近い小岩井農場に産する羊毛を手染めしたフェルトは、脂をほどほどに含んでいるため汚れにくく柔らかい。気の遠くなるような工程を経て丁寧に叩き込まれたフェルトの繊維が作り出す色彩のハーモニーに魅了され、九州から東北まで多くのお客さまが集まって下さった。
作家の黒羽さんはデザイナーを経て、故郷でこの素材に巡り会った。ご夫君の経営する家業の傍ら、台所でコツコツ制作を続けてきたのだという。もともとが美術ファンであり、私淑する画家さんの作品に啓発されたことから現在のような作風を紡ぎだした。
夢見る帽子ーと題された作品たちは、帽子という形態はとっているが、そのまま壁に飾って鑑賞に耐えうるもの。そのうえ頭の乗せるとその人を別世界に連れていってくれる。自由で想像力を刺激する要素に満ちた装置なのだ。
帽子という、考えると不思議なものー。防寒や日よけのみならず、その人の位階を表したり、孔雀のように異性を引きつける役割や逆に存在を隠す役割をになう。それでいて、なくても別段困らない。フェルトという素材を使うなかに「帽子」を表現手段に選んだ黒羽さんは、この役に立たないーというところに美の本質を見ているような気がしてならない。役に立たないが美しいもの。純粋を突き詰めると役などという所を通り過ごしてしまう。しかしその純粋さは、用いる人の内面の美しさをひきだすもの。出会うーエンカウンターということは作品と人を結びつける魔法だ。
黒羽さんが、台所でコツコツフェルトを絡ませながら作る帽子は、まだ見ぬ、それを手にする人へのラブレターともいえよう。自分の希求する美しいものと響きあってくれる人へー仕事を全て終えた深夜にその作業は始まる。夢を紡ぐにふさわしい時間だ。
右画像はその夢を支え続けて下さっているご夫君とご子息・しんちゃんほか大事なお友達たち。ご来廊の皆様のお顔が、帽子をかぶる度に明るくなっていくのを不思議な感動とともに目撃させていただいた。スペシャルサンクスを!

木下めいこ展

京橋の林田画廊さんとの共催による木下めいこ展が二会場ではじまった。木下さんは1977年東京生まれの鎌倉育ち。2000年多摩美大日本画専攻卒、2002年に同大学院を卒業したのちはグループ展や個展、コンクールなどで才能を発揮してきた。
学部時代に国際瀧富士美術賞、大学院時代には第三回ノキア・アート・アワード アジアパシフィック2001では日本グランプリを受賞、卒業後の2003年には第一回奈良万葉日本画大賞準大賞を受け、キラ星のように開花した画才と意欲は結婚・出産という人生の一大イベントを経験したあとも弛むことなく伸び続け、今展の二会場同時展覧会へと繋がってきたのである。
たまたま縁あって卒業制作時の多摩美大のアトリエに足を運ぶ機会があった私に、重厚でゴージャスなインパクトを与えた木下さんの画風は、その後林田画廊さんでの個展で再会したおりには華麗で洗練されたものに変わっていた。
毎回進化も深化も遂げている彼女に、もっと引き出しを開けてほしいと願って依頼した今展では、カラフルで平面的な構成の作品に挑んできてくれた。この空間でなければ出来ないことを、と考えて入口には柿渋で染めた黒い花と白い花のインスタレーション。錫箔に岩絵具のたゆたう空間とした「空」という作品に絡ませて風の動きを感じさせた。
また、100号大の作品を40cm角に切り取り、それを重ねて下の墨線を見せるなど随所に才覚を感じさせる仕事が光った。一方、林田画廊さんでは墨色をベースに箔を随所に使い、従来の仕事の重厚さを見せる展示。まだまだ彼女の頭には、色んな構想が詰まっているに違いない、と思わせて余りあることだった。
時間が有り余っている時ばかりに絵を描く訳ではない。どんなに繁忙でも、描くという熱意につき動かされる時、時間は縦横無尽に伸び縮みする。懸命に生きている人にだけ与えられる神様の贈り物というものだろう。更なる飛躍を祈るものである。

越畑喜代美展ーお茶会風味 お月見編

越畑喜代美のお茶会風味 お月見編と題した展覧会がはじまった。今回は特に竹製のなんちゃってお茶室を設営。秀吉の一夜城のごとく、越畑旦那と大本の旦那が魔法のように竹の茶室をしつらえ、お茶の姉弟子・摂子さまが風炉を置くと、あらまぁ素敵な二畳台目の空間に。
恒例となったなんちゃってお茶会も、今年は茶友のご参加もあって本格的なお手前に。お花は遠州流のまぁちゃんが立花を供えてくれたほか、吉田氏が家蔵のゆかしい品々を添えてくださり気分はすっかりお茶人風味。
去年はカニを超えるかもしれないカニ風味、と例えたが、やはり風味で抑えておかないと、越畑画伯の気分とは違う。もっと寛いで、スローなお茶会が目指すところ。お月見的な作品を目の端に入れながら、間違いだらけのお手前に笑い楽しんでもらうのが「風味」の境地。
今展では桐の木を削って和紙をはり、秋のものたちをお月様に供えた。そういえば、越畑画伯の絵のなかに必ずあった「月」がない。どうやら、「月」の季節である秋には絵の外にでて静かに作品のなかの世界を照らしているらしい。なるほど月光のさやけき気配が絵に染み渡って美しい。結界のように並んで茶室の空間を作っている竹が、絵の脇でいい彩りとなっている。
この結界の隙間から見立ての茶室が見え、茶室から外界にかかる月の絵をみるとき、一瞬でも幻の世界が立ちあらわれて、「月と遊ぶ」空間となってくれないものか、と願うものである。
右画像は霊長類・ヒト科の檻となつた茶室と解き放たれたものたち。

嗚呼!大正浪漫

初日が明治、次はいきなりお江戸にとんだ悦部屋。今日は大正ということで。役者には事欠かないこの画廊だが、思いの他サハラ画伯の成長が著しいので、今日は一本立ちの記念の画像。
相方は、新人ながら悦部屋志願の気配濃厚の綾ちゃん。大正期の着物を胸高に着て駆け付けてくれた。先月、高村木綿子画伯の時にお手伝いにきてくれたのが最初の出会いで、ニコール展のときには青学で専攻したフランス語を駆使して見事な通訳を。
気合い入れてきてくれた綾ちゃんのためにも、何かいい絵をとらなくちゃと悦子もメラメラ。幸い、三浦のお姐御が届けてくれた慶応の学生服と帽子がある。早速、サハラ画伯に着せたらバッチリ。
大正はロマン、昭和初期はモダンという。港屋から出てきたばかりといった風情の綾ちゃんは「綾小路浪子」という令嬢に、画伯は帝大の学徒・実は明日には特命で渡欧する「伊集院武雄」に。
サハラ画伯の作品、-Bordering point-(向こうとこちらの接点)の前で、思いきり向こう側にいってしまった二人…あ~どないしよ。
遣る瀬ない
釣鐘草の夕の歌が
あれあれ風に吹かれてくる。
まてどくらせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
「おもふまいとは思へども」
われとしもなきため涙
今宵は月も出ぬさうな。
(宵待草)

後藤真由美展ー華ー

後藤真由美の初個展が今日から。2005年に武蔵野美大の日本画科を卒業したばかりのういういしい新人だ。
記念すべきデビュー展のテーマは「華」。今まで学んできた技法を踏まえつつ、具象や抽象、また映像など多彩な表現を試みたという。墨や金箔など古来からの素材を用いモダンな感覚で描いた作品や、自ら舞妓となった自画像「華」の50号など意欲的な作品が並ぶ。
 それらの華やかな金銀に彩られた空間は、後藤真由美という若々しい画家の色んな側面を映して楽しい。クリスタルのカットに光が乱反射する、そのきらめきを思った。 

西村亨人形展 スーパ—ソリッドドールズ II

第二回西村亨展のご紹介。昨年の初個展時、センセーショナルな反響を巻き起こした西村氏のソリッドドール。満を持しての新作25点が所狭しと居並ぶ今展も見どころ満載。
昨年に引き続き、DMの添え文は熱烈美術探索者の常磐茂氏のお願いした。まずはそちらから。

人形に命を吹き込む瞬間人形に命を吹き込む瞬間

60年代、日本でもモータウンサウンドがかかりまくり、弘田三枝子や中尾ミエが漣健児訳詞のパンチのきいたアメリカンポップスを大らかに歌いまくった。この時代、アメリカからくる音楽とファッションは両輪でまわっていた。
西村亨は自分をワクワクドキドキさせたそんな60年代から70年代をロマンティックな時代であったとし、当時をイメージさせるアメリカの人間像、それもごくありふれた人々を造形する。そしていささか奇異なしぐさの全体像とともに、リアリスティックな足の爪や指先、唇、機械の錆びや傷など思わぬ細部へのこだわりを発揮してみせる。さらに艶かしい肌、毛髪や着衣の質感、まなざしの方向などに目がとまるとき、対峙した者はそこに千差万別の寓意を抱くことだろう。「人形」に命が吹き込まれた瞬間だ。

如何だろうか。さすが、熱血!と自称するだけのことはある。私は彼らが往時を語る席に同席したことがあるが、例えば「太陽がいっぱい」という映画のどのシーンも克明に記憶し、どこにどの音楽がつかわれていたかで異様に盛り上がっていたものだった。
西村作品について語るときは、作品の細部と時代の記憶が分ちがたく結びついているため、見る人の技量もまた試される。作者のくすぐりどころ、おとしどころがわかるとさらに作品が生き生き動き出すのだ。単に懐かしむというだけでなく、妙にクールに眺め渡している感覚が西村流。スーパ—ソリッドドールと謳っているが、彫刻とも人形とも微妙にずれつつ、時代を俯瞰して立っている。
映画や写真で残る記録と、自分の記憶。西村氏の創作はこれらを踏まえた上で、どこにもない理想郷を目指す。「ロマンチックの残像」と題された展覧会のテーマは、いまや失われた「夢の国・あめりか」への揶揄に満ちた愛の告白に他ならない。

奥津直道展ー破天場HATTENBAー

奥津直道による悦子画廊デビュー。奥津氏は1976年神奈川県小田原近郊で生まれ育ち、東京工芸大学芸術学部デザイン学科を卒業すると、絵の道に入った。描くのは主に勇猛でエロティックな男たち。金箔をバックに浮世絵にも似た絢爛の「男振り」を見せる。
そもそもこれらの華麗な男たちを描くために写真学科からデザイン科に転じたというから筋金入りだ。「男伊達」とか「婆娑羅」とか男が孔雀のように絢爛豪華に彩られた時代は遥か昔になってしまったが、奥津氏は独自の世界観をもってこの幻想の「男」たちを今に甦らせた。
もともと、生まれ育った地方は、足柄の金太郎伝説の地。子供から兄貴になった金太郎が、鯉と格闘していると思えば祭りめいたこれら作品の力強さも納得。また、一連の作品に通底する禁断の理想絵図としてのなまめいた風姿も、彼を特徴づける。あくまでもマッチョな筋肉が日本の古典的な絵柄を背に大暴れする。あぁ三島にみせたかったなぁ。ちょっと脛が短いのが日本人的かも、と思うが聞けば漁師をイメージしてるとのこと。
まだまだ、これから華麗に展開するであろう彼の画業に、思い切り弾けてつきぬけろとエールを送りたい。濃密なエロティズムと斬新な古典のデザインはまだまだ追求する余地がある。奥津ワールドとして世界に類のない境地を是非追い求めていってほしいと思うのみ。健闘を!

小橋川共男写真展

沖縄の海が画廊に来た!ー小橋川氏の愛情に満ちた目がとらえた沖縄・泡瀬の海を三十数点の写真作品によってご紹介する。
そもそも、今展が画廊で開催されるに至った端緒は5年前にさかのぼる。悦子画廊が沖縄の那覇で開催した「沖縄を描く日本画展」の会場に、まだ退官なさる前の今展代表・水野氏が、松谷画伯のご友人の紹介でいらしたのがご縁。漫湖水鳥センターで、渡り鳥の保護や研究をしていらっしゃる方と承知した。
ご仕事柄全国を一周半渡り暮らしたという水野氏は退官後、沖縄北部の今帰仁に住まいを定められ、悠々自適の暮らしをされている、、と思いきや、火のように熱くなって「泡瀬干潟」の危機を訴え、是非東京のみなさんにもこの事実を知ってほしいと、小橋川共男氏が記録した泡瀬の写真集を送ってきてくださった。
年に何度も沖縄を訪れながら、泡瀬の干潟に関しては何の知識もなく、また埋め立ての事実も知らなかった私が、なにかもの申すのはおこがましいが、小橋川氏の写真が捉えた泡瀬の海の豊かさは、何より雄弁にここで何が行われているかを知らせるに十分な説得力をもつものだった。
自ら、泡瀬を記録しながら訪れる人々にこの海にすむ生物を紹介する地道な活動を、小橋川氏や水野氏らこの会の方々は手弁当でやっておられるという。鳥や草花、はては蜘蛛やミジンコの生命に感動し、「人間よりえらい!」と断言する我らが堀文子先生は、切られる運命だった樹齢700年のホルトの木を救うために私財を投げ出して守ったが、人間のすぐそばにある自然をもなかなか大事にできないのが現実だ。
だが、小橋川氏は写真をもって、水野氏は行動をもってこの現実を動かそうとしておられる。泡瀬の海の美しさに感動する多くのかたたちやご縁の方達から、さらに推進するエネルギーをいただいて、泡瀬の「守り人」のお役を全うせられますよう祈るや切。

瓜南直子展ー今昔物語 Part2

今展に先立ち、瓜南直子画伯より以下の文章をよせていただいた。まずそちらから。
春はふきのとうから始まった。辛煮や胡麻味噌にしたらお酒がすすむ。 土筆は鴨とすき焼きに。 嫁菜、 はるじおん、 野かんぞう、ほととぎす、うちの町の名でもある雪の下、野蕗、石蕗、たんぽぽ、虎杖、ギシギシ。さらに、野蒜にみつば、ぎぼうし、枇杷、柿の若葉にヤブガラシ、露草にいたるまで。昔からなじみの原っぱや家のまわりで、食べられる草がこんなにある。今は庭で桑の実を拾っている。気がつけば、花の絵を描いていた。 瓜南直子

珍味堂日乗にも記したが、瓜南直子画伯は野草のみならず季節の品を佳肴にする名人。絵を描くことと食べることはどこかでつながっていると見えて、気に入った材料をみつけるや、とことん追求して料理する。胡麻を煎って入念に摺るように絵具の粒子を混ぜ合わせ、そのものが本来の味を出すまで、洗い、たたき、干しを繰り返す。その様子をみてからひらめくインスピレーションが彼女の本領。今生はおろか、前世の記憶まで総動員して味付けにかかる。
ナマコを初めて食べた人類が誰かは知らないが、瓜南画伯はその末裔に違いない。木の根を堀り、薬草を探し、洞窟に線を描き、草の汁で爪を染めた一族に生まれた媛という印象は拭えない。数千年も続く一族の記憶は、今彼女の手で絵画によみがえり、その歴史を刻み続けている。
今展で二度目になる「今昔物語」は1990年の画家デビューから今までの画業を検証し、今と昔を行き来しながら絵師「瓜南直子」の生きる物語を、絵を通して辿る試みである。今展の前半では初個展の折り発表していらい陽にあたる、嬉し恥ずかしの5点から二回展、三回展、四回展までの軌跡を辿った。初めての絵が一点出来上がった喜びで、一年後の個展を予約してしまってから今に至る疾風怒濤の物語は、いずれ伝記(奇?)として刊行されるのを待つとして、悦子画廊の画家として登場と相成った2000年から現在までの作品を、後半の部ではご紹介した。
牡丹、河骨、蓮、椿、十薬など鎌倉に在住して日々目にする花々を「瓜南花卉図」として見事に描き上げた画伯。作品のなかに花を描き込むことはあっても単独の「花卉」を描くのは昨年の一点が初めて。まるで初個展時のようにその一点をてこに今展では怒濤の花卉連作となった。よほど花の精に愛されたと見えて、その一作一作は古格すら感じさせる完成度。百合と花いばらの精「いすゞ媛」「いばら媛」も登場して愛嬌を添えてくれた。「しろきほのをのたつをみる」と題された蓮など、そのほむらが月光を浴びて浮かびたち玲瓏の音が聞こえてきそうな出来映え。お見事な腕の冴えでござった。
この新たな種を得て、また今後の活躍の具合が楽しみになってきた。足下の畠を耕して花を咲かせ、若芽や実を食べ種を鳥に運ばせ、という自然のサイクルに身を添わせて、天然の子は絵を紡ぐ。はるか昔から遠い未来まで一つの道でつながっている、という「絵師・瓜南直子」という運命の子だ。しばし彼女の奏でる夢のなかでまどろむとしようか。

直野恵子展ー今年も大とり

直野恵子の恒例年末大とり個展がはじまった。2000年に村越由子・小林身和子とともにグループ展で初めて悦子画廊デビュー。翌2001年から怒濤の連続個展を決行して、今年七回目になる。 女子美大日本画科を卒業したのは1997年だから、悦子画廊の歴史と重なり二十代の直野恵子も今年35歳という。最初の個展の時は緊張のあまり、顔をあげられず椅子の上でフリーズしていた。せっかく絵を見に来てくれたお客様に、恥ずかしさのあまり「見ないでくださいっ!」と叫んでいたのも今は昔。繊細な画風も時とともに彩りを加えたが、年々の変化をさてなんと呼ぼうか。成長というには遅々として、だが内心の鬱屈を絵によって浄化しているような時はもう過ぎた。一人こもって絵を描く日々はそのままだが、毎年の個展の度に荒波をかぶり少しずつ心に筋力がついてきたのだろう。自虐的なイメージが払拭され、少し遠くから呼びかけるような印象の絵になってきた。
「優しい関係」と題された80号は、窓のように穿たれたものが絶妙のバランスで呼びかけ合い離れ合っている。ほんのいたずら書きのように引かれた線にも、このバランスを心地よいものにするべく十全の注意が払われているのだろう。
「灯送り」は、精霊流しのようなものを描いてみたかった、という意図から生み出された象徴的な作品。宙にういて漂う「灯」はまさしく魂の印。墨の合間に見え隠れする赤い色が、画面したの水に映るのも美しい。
作者は、目にみえるものより、その奥に隠されている意味を考え続けている。それが時にわかりにくかったり、一人相撲になったりするのだが、七転八倒しながらその奥のものを見ようとする意思が、「春望」という作品のような澄んだ光線を感じさせる世界を生み出す。
前の個展が終わって、さぁ今度こそ違ったものを描こう、と決意しても絵をいじっているうちにいつもの自分の作風になってしまうのだ、というがやはり一年一年の軌跡は同じではない。
「見ないで」と叫んでしまうほど内面をさらけだしてやってきた作者に、せめていい風が吹いたり美しい光が注いだりして、一日を豊かにしてくれますように‥‥。

ニコール・シュメルツァー展

スイスはバーゼル出身のニコール・シュメルツァーの二度目の展覧会である。前回から4年の歳月を経てさらに進化した彼女が今展のために用意したステイトメントを以下にご紹介しておこう。

私はは異なった色を一緒に遊ばせたり、対比させたり、それらの振る舞いと相互作用の中で異なった微妙さに向かって挑戦することを好む抽象画家である。
いかにして色が画面や構築特質をつくりあげるのかを見ている。
飛行機におけるム-ブメントの異なる層を同時に示す可能性は絵画に対する私の好奇心をそそり、興奮させることである。
色の明度のためにカンバス及び紙上に油彩で仕事をするが大好き。
光と、色と絵の具が放ち創造する光に惹きつけられ、私は色の層を重ねてゆく。
したがって、私にとっていかに絵の具が画面上で処理されるかは非常に重要である。
作品の表面を”モデリング”している。
手や、へらで絵の具をおき、画面にすり込む。
このようにして、私が本格的に行動を開始する前に、いくつもの層が出来上がってゆく。
ある中間の位置から現れるかも知れないように、下塗りしたバックグラウンドに色を押し戻すため、絵の具の層を洗い落とす、擦り取る、あるいはみがくことにより、”元に戻す(あるいは取り消す”テクニックを見出したのである。

 

甲斐扶佐義・写真展

京都の伝説的人物、ほんやら洞及びBar八文字屋主人にして写真家の甲斐扶佐義氏の「生前遺作集」発売記念展が始まった。生きながら遺作集というところが甲斐伝説の伝説たる所以であるが、ご本人は今日の止まり木も決めず風の向くままふらりと登場といった態。
とはいえ久々の東京、旧知の方々が待ち構えてお祝いの宴となった。甲斐氏の傍らには、八文字屋スタッフにして歌姫の北園紗世ちゃんが控え、アカペラで独自構成のミニライブを。母方が奄美という紗世ちゃんの唄声は島唄の小節のようにパワフルながら微妙。挑むような唄声に、甲斐氏ご友人のくまさんや八田氏がコラボして思いがけぬセッションの場となった。その合間を縫うように甲斐氏の相棒ニコンのシャッター音がする。そのさりげなさを見て、甲斐氏の作品の被写体が自然な訳が解ったような気がした。撮る方が構えていないと、撮られる方も構えない。素顔をさらして許している顔である。印画紙のむこうの美女たちそれぞれが多様な人生を抱え、魅力的に生きているーそれらはある時はBar八文字屋のカウンターの中の、ある時は猫を見に行こうと誘った街の路地での「一瞬」に過ぎないが、そこに留められた彼女たちの姿は永遠のミューズのようだ。
まして画廊中に張り巡らされたそれら「一瞬」の重層を眺める時、京都というフィールドを彷徨うように歩いた甲斐氏の人生が降り積もって作った「時代」ともいうべき空間になっていることに驚く。
1970年代から2007年までの数十年、彼が出会った膨大な数の人間たちを思う。すでに鬼籍に入った方々も含めて、甲斐氏の指がシャッターを押した、彼が選んだ人々だ。彼の指の正直さにまずは敬意を、そして甲斐氏が「生前遺作集」として改めて検証しようとした世界にわたしも分け入ってみようと思う。
甲斐氏が自分のプロフィールとして用意したものは以下の通り。
1949年大分生まれ。同志社大学入学するも即除籍。1972年、岡林信康らと喫茶店「ほんやら洞」開店。一旦抜けるが現在カムバック。1985年木屋町通りにヤポネシアン・カフェ・バー「八文字屋」開店。写真集「京都猫さがし」(中公文庫)。「笑う鴨川」(リブロボート)。「八文字屋の美女たち」(八文字屋本)。また、近日刊行予定に「青春のほんやら洞・京都`68~74(月曜社)。

西村亨人形展ー銀座デビュー展

古き良きアメリカンピープルをややシニカルにとらえた西村亨の展覧会が今日から。
展覧会に先立ち、常磐茂氏より以下の文章をお寄せいただいた。
ーどのキャラクターにもユーモアがある。アメリカの映画、というよりTV映画のアメリカに魅了されたTV草創期世代には、西村亨のもたらす一作一作はいつかどこかで出会ったことがあるような郷愁を抱かせる。それは、たとえGHQの3S政策にはまったのであったとしても、アメリカ、そして日本からも失われつつある人間の温かさや希望や夢を作品に見てとるからだろう。この感覚は世代、国境をこえて分かち合えるものと信ずる。ー常盤 茂(美術探索者)
ちなみにGHQの3S政策とはスクリーン、スポーツ、セックスだそう(念のため)。まさしく世は三種の神器の時代ーテレビにはアメリカの冷蔵庫と車が富を象徴するごとく映され、豊かな生活を夢見させていた。
なぜ西村亨がこの時代に固執し、今はもうどこにもいない幻影の人々を表現するのか、それは知らない。ただ、単なる郷愁をこえた愛惜と、それさえ笑い飛ばしてしまいそうなシニカルな目線が作る「実在感」に圧倒されるばかりだ。細部まで見事に作り込まれたスーパーソリッドドールたちは、明るい目を虚空に向けながら華やかに笑い続ける。深刻さも情念も一切感じさせない彼らの姿は「彫刻」とも「人形」とも「フィギィア」とも一線を画し、一体一体にかれらの人生のドラマがあり飽きる事がない。
彼らの個人情報が、表情や持ち物や服装から読み取れ、幸せで豊かな人生を信じきっていた希有な時代の足下に広がるある種の不健康さも思わせる。
ともあれ、今はその時代から遠く離れ、その後時代がどう動いたかよく知る位置にいる訳だが、いまだに魅了され続けて脳内にシックスティーズを構築していた作家とその世界を紹介できることはうれしいこと。ドールたちの透き通った青い目を通して、幸せなアメリカや1960年代ともう一度出会えるかも。あなたは一体いくつだった?

古市正彦展ー三度目の挑戦

古市画伯の三度目の個展が今日から。
まずは、彼の用意したコメントをご紹介。
まだ街の灯が少なかった頃は、月明かりが家路を照らしてくれたと言う話を聞くことがあります。私が物心つく頃には、街には光があふれ全てのものを映し出し、その先には確かに欲しいものが存在している。欲しいもの全てが、手に入るかは別として、そんな風になっていた気がします。だから私自身、正直に言うと月がきれいに出ているとか、雲がかかっているとか思うことは有りますが、月明かりがそれほど明るいものと思うことはかなり少ないと言えるでしょう。そんなことを考えながら、夜の空を眺める日々が続きました。そして今回、「月明かりが照らし出すもの、イメージやストーリー」ということをテーマに絵を始めることは出来ないかと思ったのです。太陽の光が反射して出来た間接的なその静かな光は、時に悲しく、時に優しく物事を照らし出してくれるのではないか。そして大切なものほど、小さく光るのではないかと。月明かりというよりは、街灯に照らさた家路の毎日なのですが、大きな光の中で、小さな光に照らされているこのときを、見つめ続けていきたいと、思うのです。皆さんに今日見たこの絵を、いつか思い出していただければ、幸いです。

山田りえ展ー10度目の個展

十度目の個展は朝から波乱含みの展開。ぎりぎりの女が二人揃えば怖いものはないが、今回もまた奇蹟のように障害をクリア。無事初日の幕が開いた。
今展のメインはやはり「立夏扇面図」と題された二曲一隻風炉先屏風。夏のはじめを彩るクレマチスとスズランを清楚に描いた。砂子と金線の地に品良く並んだ扇面はりえ画伯の近年の成熟ぶりを表して余白が美しい。また、白い露草の背景など薄墨をはいた空間が何とも玄妙。フラットなのに深い奥行きの空間のなかで、根付きの草花が命を謳歌している。
この生命感がりえ画伯の作品の本領。画面が絢爛豪華な箔でも渋い薄墨でも、中に描かれた命は溢れんばかりのエネルギーを発している。花の形を借りて、見えない生命の秘密を描いているかのようだ。
花を花ならしめている要素と自分との間に何の違いもない、という画伯の筆先からは万華鏡のように華麗にイメージが紡ぎだされる。大胆にときに細心に彩られたその画面を見ていると生命の躍動のなかに、滅びの予感ともいうような豪奢な気分が潜んでいることに気づく。
季節のうつろいは日々のうちに自然の摂理を教えてくれるが、その変転の相も含んでの美なのだとりえ画伯の絵に凝縮したものたちは語る。毒にも薬にもなる植物たちの、その内に生成のドラマを抱えつつなにも知らぬ気に風にそよぐ姿はなんとも優雅。
今展ではいつもの目を圧倒する大きさの作品に変わって、江戸期の草木画を思わせる静かな光をたたえた作品たちが画廊の空気を清浄にしてくれている。十年経た成熟をご覧あれ。

 

平野俊一展 4th

画廊ではおなじみの顔・平野俊一画伯の4度目の個展。え~まだそんな回数だったっけ?と思うが、毎年開催のラボ展で存在感を示しているせいだろう。
さて、今回のテーマは「blur」。ちなみに意味は、[名]かすんでぼんやり見えるもの、思い出などぼんやりしてるもの。[動]光景・意識などをぼんやりさせる、書き物をにじませる。などのことをいう。
平野画伯のコメントによると、「夕暮れから夜にかけて 眼鏡に頼らず裸眼で見たその風景は さらにかすんで または滲んで 事物の在処を消されてしまう しかし その時にはすでに私のメモリーには その光景がしっかりと焼き込まれているようなのだ」とのこと。
自宅近郊の散歩コースが取材地。夜の帳が街を覆い、人工の光が太陽に変わって瞬きだす頃からが平野画伯の今回の世界だ。都会のありふれた街に毎日繰り返される光景ながら、この美しさはどうだろう。郷愁のようになにか物悲しさをともなう懐かしさを思う。夜の世界を照らす光源はそれぞれだが、太陽のようにあまねくという訳ではない。その一灯の及ぶ範囲はおのずと決まっているからだろうか、孤独に何かを守っているようにも見える。その夜に向かって溶け出していきそうな人工の光のドラマを、自身の心象として描いたのが今展の作品たちだ。
滲む、歪む、ぼやける、世界はいろいろに表情を変え、確かな像を結ぼうとする意識を翻弄し続けるのだ。その流動する自由さこそ画伯が希求するものなのだろう。変幻する世界を彼は見続けて、そして描き続ける。

 

矢島史織展スタート

前回の七味展メンバーである矢島史織が銀座個展デビュー!。春の日差しとともに、長野の茅野から現れた。
1979年長野生まれ。地元諏訪二葉高卒業後、2005年多摩美大学院美術研究科(日本画専攻)修了。同年より個展、グループ展など精力的に活動を始める。
銀座でのデビュー戦になる今展では「光と影」をテーマに80号、50号、30号の他、20号の連作、4号、0号など9点の新作を発表した。
地元紙の取材に「光と影のみが存在する空間の中で現実世界をリアルに感じる一瞬を表現したいと思っている。」と答えた画伯。「光と影のコントラストの強弱や、木漏れ日の動きを見ていると、自分が社会で感じているあいまいさに重なってみえる。」とも。
ナイーブな色感で描いたその世界は、実は強烈な観察眼に支えられている。定まらない「曖昧」のうちに真実が隠されているのを本能が知っているのかもしれない。その匂いを追いかけるように取材を重ねている。一見抽象にみえる「光線」シリーズも、ガラスの浮き球を透過する光の変化を丹念に記録したもの。夕方の斜めの光線が作り出す色と形のドラマは神秘的なものだが、手にしたと思ったら砂のように零れだすーそのあやふやな残像を印した。
「dream」と題された作品は木漏れ日が家の外壁に揺れ動く景を描いているが、これもまた幾重にも重なった記憶の集積のような幻想的な作品。「虚」と「実」のはざまが作りだした「白昼夢」とも。
いずれ日常のありふれた光景でありながら、定かならぬものー時間であれ、光であれーの美しさの秘密に迫りたいと願う心はいかんなく作品に投影されて奥行きを与えている。特にケレンのない透明感は、彼女の特質として讃えられてもよいだろう。描くという行為が必然性に支えられているとするなら、人が聞き取れず、見えない周波数の領域に心が動く種類の一人だと思うが如何。

 

松崎和実展ー箔画ーの魅力

誰もが一見して驚く、迫力の作品が今年も画廊を彩った。作者は去年デビューの松崎和実画伯。その折は会期中結婚式という趣向で、夫人となった小林米子画伯との二人展。今度は満を持してのソロデビューとなった。昨年の仕事が林田画廊さんの目にとまり、東京美術倶楽部「正札会」への出品とつながって、多くのプロたちの間で話題に。
箔の上に着彩、丹念にカットした作品をアクリルにはさんで額装と、簡単にいえばこうだが、薄い箔扱いは入念な用意と集中力が必要で誰にでも出来る訳ではない。かつては水墨画の世界で気を吐いていた松崎画伯ならではの気合いが、この仕事上に見事に結実した。
難しければ難しいほど彼の闘争心を刺激するのか、今展ではアロワナの群れの大作に挑戦、見事な造形美をみせてくれた。鱗の肌合いが自然な迫力を生み出し、額の底のマットに映る影と相まって水面の中に見る人を引きずりこむ。
見えない苦労もずいぶんしたと思うが、細部に神が宿るがごとく行き届いてしかもりきみが見えない。一年の間にずいぶん腕をあげたようだ。軽井沢のフレンチの名店エルミタージュ・ドゥ・タムラのオーナーシェフ田村氏の店で絵を展示させてもらったり、多くの方の前に作品をさらすことで自身も発見することがあったに違いない。
随分魚河岸にも通いつめ卸のお兄さんたちにも可愛がってもらったようで、画面の魚はまことにいい姿のものばかり。しかも新鮮で美味しそうだ。見るたびにおなかのすく絵というものも初めてだが、画伯がいかにこの魚たちを愛しているか伝わろうというもの。
絵を切り取るという、なかなか勇気のいる仕事をここまで大胆に、それも細心の注意を払いつつやり遂げた画伯の展覧会は13日まで。是非実見をお薦めする。

武井好之展―島紀行II

十月の沖縄での二人展を終えるやいなや、今展の制作にかかった武井画伯。実質1か月の時間をどう遣繰りしたのか、奇跡のように新作が揃った。
今展にあたりDMにご紹介した文は以下の通り。

沖縄の海と島影をセスナ機上から見て以来、魅せられたように通い、取材を重ねて来た武井好之。あれから はや四年の歳月が立つ。 二年前に「島紀行」と題して個展を開催。瑞々しい海と、沖縄という文化に遭遇した喜びに満ちた展覧会だった。
柳田國男や折口信夫が研究し、岡本太郎が驚き、鎌倉芳太郎が記録したかの地は、美しい自然のみならず、豊かな「人間」の宝庫でもある。今回の「島紀行」では、島を島たらしめている「人」を描くという。
回を重ねた沖縄行も、琴線に触れる「人」やものに出会う「戦い」であり、七転八倒のアプローチである。この島 の魅力と不思議に絡めとられつつ、彼しか描けない何かを捜しているに違いない。
今展にあたり、 親しく沖縄学をご指南いただいている 那知ひとし氏より檄文を賜った。謹んでご紹介する次第である。
柴田悦子

はじめに言葉があり
この次にあるのが文字だという。文字はホモ・サピエンスの最大の発明だと。
これが文明をリードして数千年。
知恵ある人々はなにかを知った ことばの前にあったもの。
それは想い。
おのおの一人一人がもっている目に見えないスピリッツ。
会いたいなぁと思った瞬間にかかってくる電話。
WHY?
瞬間に7回半この地球を駆け巡るあなたの情(こころ)。
これを凝縮せよ。
明日を生きる絵の誕生。
那知ひとし
沖縄の人を一万人描く!と高らかに宣言した画伯は、大城美佐子先生や平良敏子先生を出発点にして、長い旅路を歩き始めた。
沖縄の会期中には会場でスケッチを重ね、東京でも在住のネエネエを描き、スケッチブックは4冊になった。
だが、まだ100人に届かない。
計算すると沖縄県民の100人に一人を描く勘定になるという。
わずか10分のスケッチの間、その人の人生に触れ思いを託す。
この積み重ねの記録が、画伯の目指すところだろう。
一万人の先に何が見えてくるのか、私も伴走者として見極めてみたい。
初日の今日は忘年会もかねていたため大変な盛況。
沖縄から来てくれた仲本セイヤ氏や、NHKの収録を終えた美崎光邦夫妻、ハヤブサCGの池下章裕画伯など懐かしいお顔ぶれなどに加え、沖縄の「島思い」に勤めていたアイちゃんの三線演奏で画廊はムンムンの熱気で沖縄気分。
フルメンバーの台所部隊がくりだす、これでもかの御馳走パンチにみんなへろへろ。そんなようすを実況で。

武井好之展ー島紀行VI
武井好之展ー島紀行Ⅲ
武井好之展ー島紀行

森栄二展 スタート

11月は立体の作家のご紹介が続く。当画廊では初個展の森栄二氏は、多摩美のグラフィックデザインを卒業したあと、東京芸大の大学院保存修復彫刻コースを終了の気鋭。終了制作には安倍文殊院の善財童子像を模刻した。その後も木彫を中心に制作を続けているが

、この一、二年自宅のリ二ューアルに専心、茅ヶ崎美術館プティサロン以来久々の発表になる。

作の心境について尋ねたところ「自分でも気付けない、自分にとっての本当に大事なもの。それを探りあてるために彫り出した。」という。 樟に油絵の具で彩色された作品は、細部まで入念に仕上げられ、かすかな遠い記憶の匂いをまといながら静かに佇む。「裸の王子様」と名付けられた作品は実は女の子。すっかり男の子思い込んでいた悦子は驚いたが、シャンプーハットを王冠に見立てた洒落らしい。モデルは小さかった頃の姪御さん。かれこれ5年越しの作品という。どこから見ても完璧な仕上げ。スポットライトを使えばさらに劇的になるだろうと思ったが、ここは敢えて自然な色の仕上げを見てもらいたい、と蛍光灯の照明だけで。
にわかに違った空間になった画廊で、作品たちが絶妙なバランスを醸し出している。画廊のミニチュアまで作って配置を思案した森氏のセンスにまずは脱帽。できればこの空間は体験して、彼女が女の子だという印を確認してほしいところ。
奥様の森京子画伯も今日は内助の功、かいがいしくご接待につとめてくれた。まずは作品を囲んだ皆様のお姿を。

 


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