軌跡ー15年目の春

15周年の記念にあたり、旧知の本江邦夫氏から以下の原稿をいただいた。

≪銀座の画廊めぐりで疲れ果て、柴田悦子画廊に立ち寄るとき、砂漠でオアシスに出くわした気分になるのは私だけではあるまい。分け隔てなく満ち溢れる歓待の心。ここには他者が存在しない。人と人との親密な一体感に包まれた場所、いやまさに「場」があって、藝術作品は初めて自らの深さと豊かさを見出す。不思議なのは、かけがえのない場の主人たるべき人にほとんどその自覚がなく、すべてを達観した、どこか彼方を見遣る気配のあることだ。柴田悦子が「場の芸術」俳句をよくし、遠見の俳号をもつことと、おそらくこれは無縁ではあるまい。―本江邦夫(多摩美術大学教授)≫

明日をもしれぬ命と、その存亡を心配された画廊も はや15年。
このわがままを通すために、いろんな方のお力をお借りした。まず支えてくれた画家たちと、コレクターのみなさま、友人たちに心からお礼を申し上げる。 画廊の立ち上げの時にはまだ30代なかばだった画家たちは50代を迎えた。また今新人として押している画家たちはそのころ小・中学生だったことを思うと感慨深いものがある。 ともあれご縁あって、柴田悦子と仕事をともにしてくれた画家たちの作品を画廊中に飾って、今までの展覧会を回顧してみたいと思った。 それぞれの画家の個性を一枚の絵として画廊の空間に配置してみるー時代もキャリアも別々の画家たちの作品がもたらすハーモニーは格別だった。

15年という節目にたった一里塚は、今までの道筋が誤っていなかったことを示してくれたと思う。次の一里はこの先に続いていると教えてくれる展覧会だった。 手前勝手なことだが、10日間余 心から愛する作品たちとともに過ごせたことを感謝をこめてご報告させていただく。

柴田悦子画廊15周年絵画集

中川雅登展

二年ぶりの東京個展となった今展、豊橋からワンボックス車で作品とともにやってきた中川雅登(まさと)は早速余震の洗礼を受けた。
個展前の画家は、作品が会期に間に合うかぎりぎりの崖っぷちを渡っているため、アトリエの外に疎くなりがちであるが、中川もまた東京の状況は来てから認識したもよう。
自粛に傾きがちなこの世相にあって中川がすごいのは、毎日デパートの屋上から山野草の鉢を買って来てスケッチに余念がないことだ。画廊にあっても日々描くことのペースを変えず、晴れても曇ってもちいさな花びらの形に感心し、葉脈を追いかけている。
 目を壁に転じれば、そこには二年の歳月をかけて蒐集した草花の繊細な作品の園。山川草木悉皆仏性とはよくいったもので、草の花の造形の可憐さはまさに神のわざである。
豊橋の自宅におよそ600鉢もの山野草を育て、その数は家人の制止がなければまだ増えそうな勢いと聞く。 まだ弱冠43歳ー心やさしい大男の挑戦はまだまだ続く。

越畑喜代美展ー再び春へ

春一番といえば風だが、たんぽぽの綿毛とともにやってくるのがみそそな世界。ようやく水温む、とか、長閑とかいう言葉と季節が一緒になった感じの今日この頃、毎度っ!という声とともに始まったさわやか朝搬入ーこのぎりぎり感がいいのよねっっっっっ!と、独り言。
しかもメインのちび巻物が届いてないぞ!きゃあきゃあ騒ぐわりには手が進まない女どもに目もくれず、淡々と作業を進める子犬便・タッチャンにまずは感謝。
なんとかならなかった事はない、と呪文のように繰り返しながら、われらB型チームが存続できるのはA型様とO型様のおかげです。
それはさて超ミニサイズの大作・みそそな巻物は机の上に鎮座ましましているが、これを繙いた人は必ず「欲しい~!」と叫ぶ。題して「御猫日日図」。画伯愛用のトルクメン族のアンティーク絨緞の上に置かれた中国の文机(しかも酒臭い)の前に座れば、宗次郎の曲とともに悠久の時間が流れはじめる、筈。岩瀬家の御猫様たちの、しどけなくも愛らしい姿態を余すところなく伝えるの図は、右から左への時間軸を得てさらに縦横無尽なものとなった。もう一度もう一度とご開帳をおねだりしたくなるこの超ミニ大作は是非実見でご覧を。
明石と大分からのお客様とともにひょっこりひょうたん島の人形制作者・片岡昌氏をお迎えしたの図も。

押元一敏展 -KA・RA・DA-

例年なら桜の開花予想のニュースが聞かれる頃なのに、東北の被災は原発の不安と相まってますます深刻化している。

とはいえ、被災地ですら復興に立ち上がろうとしている時である。銀座まで灯が消えたようになっているのはいかがなものかと、貧者の一灯をともしているところ。
佛淵静子に続き、今日から始まった押元一敏もまた常に変わらぬ灯火を絵に点している。中世のキリスト教絵画や日本の仏像に啓発されたという押元の人体のフォルムは、ますますその洗練を加え極限に近づいているようだ。
女性の姿形を借りながら、その曲線は限りなく自然と相似して来ている。豊かな女性への憧憬は象徴に高められ、黒と黄土に塗り分けられた平面として静かにしかも意思的にここにある。
存在するものを、掴みたい現したいという押元の意思が、千年眠っていたかのような像に結集したのである。あこがれとも情緒とも決別した、ごろんとそこにある「本質」に迫る仕事といえよう。

地震ーそして佛淵静子展IV

Webサイトリニューアルをにらみながら、昨秋よりすっかりご無沙汰していた悦子の部屋。すっとばした画家さんの記録は夏休みの宿題のごとく粛々とやるにしても、この度襲った地震に関しては発信せずばなるまいとようやく思い立ちました。
画廊は平常通り営業しております。お茶等の用意もありますので、何かありましたらお立ち寄り下さい。また画廊掲示板に近況など書き込んで下さると、それぞれの情報が伝わると思いますので閲覧の方は出来るだけご協力お願いします。
さる11日、渡辺夏子展のさなかに画廊で大きな揺れを感じ、画家お客様とともにビルの外に避難。近くの三角ビルが大きく揺れるのを目の当たりにして大変なことになったと呆然とするも、たまたま居合わせた立野ただし氏が画廊内トイレに散乱したこもごもを掃除してくれるなど、力強いご協力を得た。幸い絵も食器類もことごこく無事。深夜11時には地下鉄が復旧したので帰宅もかなった。翌日も最終日にあたる翌々日もご来廊のお客様あり、こもごも情報交換やら無事を確認し合うやら。
日曜の入れ替えで渡辺夏子展を終了させたのち、佛淵静子が町田より搬入。色々情報が錯綜するなか今日初日の画像を皆様にお目にかける。まずは緊急のご報告まで。

武井好之展ー沖縄百景・那覇リウボウII

本土が軒並み炎暑記録を更新するなか、沖縄はゆうゆうと32°をキープし涼しい顔。昨年の沖縄百景に続く第二弾となった、沖縄は那覇りうぼう美術サロンでの今展で武井好之は一年の歳月をかけて取材した二十数点を発表した。
知る人ぞ知る地から、日常の生活の場までその筆は休むことなく描き続ける。その迫力は海の青に集約して現れているが、それぞれの景に島への敬愛が満ちているため見る人の心になにがしかの郷愁を呼び起こすようだ。
「子供の頃、浜のこの辺までくると裸足で海にかけたのよ」と石垣島からの人がいう。道の向こうにわずかに見える海に人は駈けるーまるで希望と置き換えてもいいような心のはずみをそこに見て。
武井好之がここまで打ち込んで描こうとしているものが何なのか、「百景」を描き終えるまでその道筋を楽しみに伴走してみようと思っている。

 

秋田・湯沢七夕展

郷里・秋田湯沢の七夕絵灯籠祭りに協賛して毎年開催している「現代の美人画展」。
一昨年は阿部清子、去年は佛淵静子がこの祭りに参加してくれているが、今年は中千尋が来湯(おふろみたいですが、、)。華やかに会場入りしてくれた。
例年のことながら、佐藤友子礼法・着物着付教室の社中が場を盛り上げてくれた他、柴田栄子さんのご協力で、アートギャラリーも確保。やはり地元の友人は有り難し、とこの場をかりて感謝を。
地元には絵灯籠を専門に描く画家さんたちもいて表敬してくれた他、全国から観光でいらしている方々で、毎晩にぎやかなことだった。
この後、25日から沖縄・りうぼうデパート美術サロンで「武井好之・沖縄百景展」のため沖縄巡業の準備に入る予定につき、さわりの画像のみご紹介しておく。

第二回三笑展

三笑展ー橋本龍美先生の命名による本展は、先生に私淑する野崎丑之介と牛嶋毅の願いが結実して実現した。古来画題となってきた中国の故事「虎渓三笑」は雪舟や曾我蕭白の筆で知られるが、初回にならい簡単にその略意を記す。
東晋の僧、慧遠は廬山に隠棲し俗界禁足して30年山を出なかった。訪ねて来た客人を見送るときも、山の下にある虎渓の橋を越えることがなかった。ところが、ある日友人の陶淵明と陸修静を送っていって、道中話が弾み気がつくと虎渓の橋を渡ってしまっていた。そこで三人は大笑いした。
それぞれ仏教、儒教、道教の象徴的な人物として、これらが融合する唐以降に三位一体を示すものとして流布したということだ。
この故事をふまえ三人展の名とした橋本先生の含蓄は、見事に三人の関係まで示唆していて、これにうなったのは私だけではあるまい。「三笑」は自由ということである。立場を越え、年齢を越え、集う仲間が計らいなく笑い合う。そういう場に立とう、と先生は後輩画家をいざなう。
このいざないに、初回展では野崎丑之介は大島紬の生地に五不動を描き、牛嶋毅は曾我蕭白から画想を得て、板絵に挑戦した。いずれも創画会では発表していない新たな取り組みである。大胆にして不敵しかも細心ー先生の画風から大いに刺激を受けて描いた作品だった。
1927年生まれ今年齢81歳の橋本龍美先生は、新潟は加茂出身。新制作日本画部から出品。創画会の創立メンバーでもある。古典や習俗に取材した摩訶不思議な世界を奏でる画家として、唯一無二の境地にいる方なので、俗世間と交渉は絶っているとばかり思っていたところ、その先生に虎渓の橋を渡らせたのが、くだんのお二人なのである。
橋本龍美先生が出品して下さった今展の作品は7点。昔聞いた夜話の匂い濃い「蛇娘」が圧巻である。神聖なものとおどろおどろしいものが隣あって醸す摩訶不思議な世界を描くのに先生の筆はいきいきと踊る。おそろしいまでに美しいというが、これを見たものは魂を奪われるに違いない。また三笑にかけて七福神やもろもろの魑魅魍魎が一堂に笑う「大笑」も素晴らしい。
これを受けて今年野崎丑之介が描いた「1936年北京地図」も素晴らしかった。先輩の奥様が北京で見つけてきてくれた古地図を原典に、野崎の飄々とした筆がかろやかにしかも味わい深い世界を醸し出した。絵絹にしたのは最高級のワイシャツ用シルク。古拙な趣きをこの人らしく「やっつけシリーズ」と名付けて洒脱だ。
牛嶋毅の今年の板画はどこか自身に似た風貌の神々たち。中国の古代創造神といわれる「盤古」をはじめ、インドのシバ神が中国を経由して大黒天になったいわれを感じさせるどこか怖いおもむきの大黒様など、これは先生の「大笑」と呼応して面白い試みだった。
このように三人三様の個性が際立ちながら濃厚な空気を醸す今展は、お盆の季節が実に似合っている。未曾有の熱波に地獄の窯が開く季節、熱気に誘われて神々と魑魅魍魎が降臨してしている画廊は、今見逃せないスペクタルの場となっている。

戸張良彦写真展ー「十勝rera図鑑」

東京生まれながら十勝在住30年という戸張良彦の銀座初個展が開かれた。
日大芸術学科写真専攻卒の戸張が帯広に縁ができたのは卒業して間もない頃。弱冠24歳にしてかの地に渡り、鍬の代わりにカメラを携え営々と耕した大地は、いまこの真夏の銀座にあって涼風を送ってくれている。
最初に目にしたのは2004年に発表した「黒と白ノ覚醒図鑑」のシリーズだった。凝結し続ける「黒」と拡散し続ける「白」の接点が絵画的な余情を漂わせていて美しい写真だと思った。
今展でもこの延長の仕事を見せてくれるのかと楽しみにしていたところ、意外にも「青」の諧調が絶妙な「ノカビラマトリックス」という氷結した気泡を接写した作品をメインに展開してきた。聞けば個展開催が決まってから得た素材だという。
不思議なことに、いつも通っている道にある素材なのに目に入らない時は気がつかないもの。今回も突然目の前に現れたのだとか。ノカビラ湖というダム湖が氷結して出来た断層に封じ込められていた気泡の摩訶不思議な形象を発見したとき、「十勝rera図鑑」はスタートを切った。
そもそもreraという聞き慣れない言葉はアイヌ語で「風」を意味するらしい。零下30度という厳寒期の十勝を渡る風が作る様々な形象を、現場で記録する。この丹念な仕事を図鑑のように並べたのを見た時、「自然は芸術を模倣する」というどこかで読んだ言葉が浮かんで来た。アーティストは自然から多くのものを学ぶが、自然もまたあらかじめわかっていたかのように芸術を真似するという、この逆説を思い出したのだ。
すでにそこにあるものーただそれを見いだすのはヒトの力だ。見えるヒトの前にしか現れてこないものを戸張良彦はずっと探し続けているのだろう。今回は氷結した気泡という形で私たちの前に取り出してくれた。
この作品の前で見る人は何を思うだろう。ある人にはクラゲを思い、ある人は樹氷を想像する。実寸でわずか5cmに満たない世界が内包している世界は、写実を越えなにか細胞レベルのものに変化して私たちの遠い記憶をくすぐる。自分を生成する細胞を覗き込む「井戸」のような装置とでもいうのか。
帯広の風が作ったさまざまな形象が、有機体のように変化して色々なものを想起させていく「経験」をこれら作品群は提供してくれた。このreraシリーズが、さらに変幻自在に進化していくことを「図鑑」の採集者に期待しているところである。

万葉を描く日本画展ーvol.2

昨年立ち上げた万葉歌と日本画のコラボレーション企画が今年も。京橋界隈の参加展覧会のため初日からにぎわいをみせた。昨年のオープニングのテーマは万葉草祭りで山菜尽くし。今年は瓜食めば、から万葉瓜祭りとした。胡瓜、西瓜、干瓢、隼人瓜、ついでにマンゴーまで。画像はその顛末である。
さて、五十音順に画家ごとの一首をご紹介しよう。
池田美弥子
鎌倉の 見越しの崎の 石崩の 君が悔ゆべき 心は持たじ」巻14 3365 (東歌)訳 鎌倉の見越しの崎(稲村ガ崎)の岩が崩れるような、あなたが悔やむような、そんな心は私は持ちませんよー 東歌から稲村ケ崎を詠んだこの一首の他、沖縄の店先と雲湧く山を描いた。
織田梓
山振の立ち儀ひたる山清水酌みに行かめど道のしらなく158高市皇子尊  訳ー山吹の花が美しく飾っている山の泉を酌みに行って蘇らせたいと思うのだが、道を知らぬことよ。この他、雪に春の気配を隠らせた「眠る岡」を描いた。
越畑喜代美
高円の野辺の容花面影に見えつつ妹は忘れかねつも  大伴家持 8巻 1630 訳 高円の野辺の容花(ヒルガオ)のように、面影にばかり見えつづけて、あなたは忘れることができないよ。 もう一点は月読の歌に犬を添えた。
小松謙一
あしひきの山河の瀬の響るなべに 弓月が嶽に雲立ち渡る 柿本人麿 巻7 1088  訳:河の瀬音が高く響くにつれて弓月が嶽に雲が沸きあがって動いてゆく 小松はガラスとのコラボ作品とともに水墨の軸と扁額を描いた。
鈴木強
神奈備の山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや 2162 詠み人しらず 訳 山の下を流れる水のおとに呼応するように蛙が鳴いている。秋になったのだなあ。 蛙の他、白いネズミも描き縁起の良い三作とした。もちろん額も金箔。
松谷千夏子
風莫の浜の白浪いたずらに此処に寄せ来る見る人なしに 長忌寸意吉麻呂(巻9-1673)訳:この風なしの浜辺に白波は飽きずに寄せては返している。それを見ている人の姿もないのに。軸装の海景二点の他、松を描いた。
山下まゆみ
あかきひのかたむくのらのいやはてにならのみてらのかべのゑをおもへ 會津八一 訳 茜色に染まった空の彼方を眺めていると奈良時代の人々の生活模様がみえる 万葉ぶりの歌人・會津八一の歌二首に猫を絡ませて「万葉猫」と命名した山下まゆみはただものではない。
山田りえ
夏の野の茂みに咲ける姫由理の知らえぬ戀は苦しきものぞ 巻8 1500 坂上郎女 訳 夏の野の茂みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は、苦しいことです。他一点は夏草に恋の歌をかけて止まぬ恋心を草に託した。
万葉の歌は感情を豊かに歌い上げてしかも素朴に伝わる。歌とこれら絵のあいだによこたわる空間を読み取り、そこにもう一つの世界を作り上げるのは、むしろ観客たるわれわれの仕事であろう。

三谷綾子展ーParedeー

ー憧憬ーと名付けた初個展からはや二年。三谷綾子が今展では水彩の作品を世に問うてきた。前回は渾身の力みなぎる油絵作品を発表して「ここに我あり」と名乗りをあげたものだったが、その後地元秋田での展覧会を経て、水彩画にも新境地をひらいた。
Paredeパレードというテーマは、一列に並ぶ林檎の群れからイメージしたというが、80号から3号まで大小14点余りの作品はすべて林檎にちなむ作品で統一されている。
三谷綾子が住む秋田南部は青森や長野の並んで林檎の産地である。寒暖の差がその実にぎっしり詰まっているような凛冽とした味は忘れ難いものであるが、今展の三谷作品を見ていると、味覚とともに林檎を収穫する頃の蕭条とした気配や風の匂いまでよみがえってきて、「ノスタルジア」というタルコフスキーの映画まで思い出すことになった。そのエンディングに、現在いるローマの廃墟ともう帰る事の出来ない故郷ロシアの小屋が重なり、なんとも美しい心象の幻視が映像化されているのだが、三谷のダブルイメージの画面もまた写実を越えた深さを追求してやまない。
DMの作品「Parede」は林檎とその作業小屋のイメージを組み合わせた作品である。また「寂光」は林檎と作業小屋の入口のビニールを取り合わせた。絵画ではダブルイメージというが、俳句では異なる主題を取り合わせることを二物衝撃という。それぞれをある配慮のもとにぶつけた時、単体をこえた深さ、高みを得る効果がある。明治期、正岡子規は西洋絵画の「写生」から俳句にもそれを取り入れて新境地をひらいたが、映像でよく使われるオムニバスという手法はフランスのヌーベルバーグの監督が俳句の簡潔な言葉を取り合わせる事からヒントを得てはじめたと聞くと、洋の東西を問わず人間の新しい表現への意欲というものは凄いものだと思わずにいられない。
三谷綾子もまた、目の前にあるものを描くにとどまらずその奥にもう一つの世界を見たい人種であるようだ。「夢想する力」と名付けたいようなその意欲は、林檎の樹と小屋のイメージを重ね、その奥に営々と続く土地の記憶をも思わせる。だが、その筆さばきは軽快で透明感のある光に満たされている。北方の光というのは別格で、緯度のせいなのかものがクリアにみえる。写真家が朝と夕方のひかりがいいというが、三谷綾子の目はこの祝福されたようなひかりを感じる能力に優れていて画面に爽やかで豊かな詩情を与えているのだ。
久々の東京滞在であちこちの美術館を堪能し、泰西名画を見ては、あぁまた油絵が描きたい!とひとりごちる三谷綾子は、乾きが悪くて描けない冬の間水彩を描き、梅雨明けから炎天になる夏の間油絵に打ち込む二期作の画家である。今度はどんな収穫をみせてくれるのか、今はそれぞれに結婚して一子を得ている二人のお嬢さんがたと一緒に楽しみに待つこととしよう。

松谷千夏子展ー人・植物

二年ぶりに松谷千夏子が帰ってきた。2001年よりほぼ二年おきの個展も今展で五度目。華麗なモデルさんを得ていよいよ佳境の女性像に取り組んでいる。
個展に先駆けて開催された日本橋・高島屋の女性画家たちによるグループ展「グラマラス」にもメンバーとして参加した松谷千夏子だが、百戦錬磨の画家たちの間でも独特の存在感を示していた。
今展のテーマは「人・植物」。松谷のライフワークである茫漠とした瞳をもつ「人」が今展でも「植物」の作る空間のそこかしこに佇み、えも言われぬ視線を投げかけている。
近年は余白と線を意識して、和紙の地を残すような仕事にチャレンジしているが、このたびの植物シリーズ「松と蘇鉄」では見事にその挑戦が効を奏し、抑制の利いた空間に引かれた水平の波涛の線が空と地に奥行きを与えるまで広がりをみせた。初めて人物が入らない風景を描いた6年前の作品も勇気のたまものだったが、さらに完成度が高まり松の幹、葉の表現などこれ以上足すところも引くところもないぎりぎりの感覚を伝えている。
また人物と花を同時に描いた作品「牡丹花」には金箔が空間をつくり、軽快な豪奢さというテイストを矛盾なくあらわしてあらたな人物像を作り上げたことが今展の見どころのひとつだった。
いつも乾いた風が吹くようだった女性のたたずまいも、箔の金属の輝きを与えられて意思的ですらある。何も映していないと思われた瞳に、挑発するような光が与えられている。蜃気楼のように実体の定かでない「なにか」を投げかけて、美しい頽廃の夢に誘うようだ。
まだ、人物を描く日本画家も少なかった頃から、創画会や個展で、画面の4分の3が顔というような独特の女性像を発表してきた画家が30年かけて今まさに佳境にいる。時代がようやく追いついて来たのだ。彼女が敢えて描き込まない瞳に、これからどんなものが映り、いかなるものが宿るのかまだまだ目が離せない。松谷千夏子のシャープな感性がとらえる、時代という「蜃気楼」をこれら女性像が体現しているように思えるのである。

小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.3

三度目になるアオゾラとガラス展が今日から。 年に一度この季節に帰ってくる渡り鳥ではないが、旅ガラスと洒落たのは去年。今年の「アオゾラとガラス」旅団はどんな旅のかけらを私たちに見せてくれるのか。5月の青空がひろがる中での展覧会をご紹介する。
そもそも日本画の小松謙一がガラス工芸の藤森京子とコラボレーションをするきっかけとなったのは、絵画の平面性を立体化できないかという一つのプランからだった。特に小松の作品は男の羽織のように、表は極めて渋いが裏には派手な装飾が施してある。この裏側も見せたいとかねがね思っていたという。教えにいっていた多摩美大の生涯教育の教室で、ここにかかわるスタッフだった工芸専攻の藤森にこのプランを相談したところ、思った以上に日本画とガラスの相性がよかったらしい。次々とこのユニットによる作品化が始まった。何回か小松の個展で実験的に発表したあと、三年前コラボユニットとしてデビュー。以後毎年この季節に画廊でその軌跡を見せてくれている。
違う素材とのマッチングで一番難しいのは、もともとの作品がもっている質を落とさないでそれ以上のものを作り出さなければならないことだろう。小松の一見渋い作品の裏側にある豊かなカラリストとしての資質は、ガラスという素材を得ていきいきと躍動し始めたし、藤森の精巧でクールな研磨とカットは、小松の作品を取り入れることで有機的な質感を手に入れた。
前回までの作品たちがそれぞれの異質さを喜び消化する出会いのマリアージュがもたらしたものとするならば、今展ではそれを経て自身の作品に得たものを還元したといえよう。
小松謙一は大きな骨組みの桜の古木二点をほぼ対角に配置し、青と茜の空で彩った。水墨の教室で教鞭をとった成果か、その墨の力は抜群に進化し堂々としてしかも自在だ。花が咲いていないのに花を感じる、というのはその古木に生命が宿っているからだろう。まわりの空気も奥行きも気持ちよく抜けていて、これが男の墨だとその木がいう。一方、鉄の額におさまった小品二点は遠い記憶を呼び覚まされるロマンティックな作品。鉄の額のせいなのか、鉄の匂いが呼び起こす記憶と重なる。片や横浜のガス灯通り、片や線路、、、やはり鉄?か。絵肌を鋭く抉って引いた線が、心のどこかの記憶も抉る。強い表現が違和感なく抒情へと収斂していくのも力量だ。墨の世界のダイナミックな展開とひと味違う小松謙一のまだ終わらない青春がほの見える。
一方、藤森京子は「刻」というテーマで煉瓦状に積み上げたガラスを炉で溶かし、時が堆積したようなオブジェを制作した。これが遺跡から発掘されてもおかしくないような、しかも何につかったか見当もつかない摩訶不思議なもの。金彩が施され、時折り時間が削ったと思われるような空洞もあるこれらは、もちろん藤森の入念な研磨でそれとわからないように仕上げてある。板ガラスを溶かしそれ自身の重みで凹んだ形を活かしながら作った盃などはオブジェでありながら身近において楽しめるすぐれものだ。細かくカットしたガラスを溶かし固めることで遺跡の石組みを思わせるという、小さなものから壮大なスケールへの転換は藤森の優れたイメージ力の賜物。この力はまだまだ埋蔵されているとみた。
このようにコラボによって、それぞれが自身のもつ世界を深め、また新たに展開してきたことが今展のみどころだ。コラボ作品は今回さらに自然に一体化して、それぞれの見どころ仕事のしどころの呼吸が実に合っている。日本画とガラスをつなぐ溶剤としての鉄作品も見応えのあるものに育ってきた。今後はこれらをどう進化させ、どんなものを取り込んでいくかが課題になってくる。
来年の「アオゾラとガラス」の旅団が何をお土産にもって帰ってくるのか、楽しみに待つ事としよう。


小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.4
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.2
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラス

佳き風茶会ー越畑喜代美ふすま絵展

越畑喜代美がふすま絵が描きたいという。それも柴田自宅の八畳間の三面をイメージしたらしい。それでは、と画廊が休みのゴールデンウィークを利用して人数限定のお茶会展を開催した。
何せ閑静な住宅地の合間にある苫屋である。以下、ご招待できなかった皆様にお詫びを込めて顛末記をご披露する。まず招待状の文面はかくのごとし。
青葉の候 皆様には益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。さて、このたび 拙宅の襖に越畑喜代美が絵を描き粗茶粗餐ながら一席をもってはつ夏に献じたく左記のとおり 茶会を催すことといたしました。
かねて懇意の皆様には ご存知のとおり茶会といっても 勝手流と自称するかなり怪しげな仕度でございます。昭和二十三年に建てられたつつましい住いの八畳の襖から 越畑喜代美がどのような「佳風」を送ってくれるのか お招きする皆様とともに楽しみに待つ事といたしたくご案内申し上げます。
平成二十二年 卯月吉日
阿佐ヶ谷・遠見亭柴田悦子謹白
佳い風や 遠見の稲のすこやかに  池田澄子
自宅八畳間に床の間を置き、季節はちと早いが風炉を設える。ほぼ三日徹夜で張り替えたふすまには、あわあわと咲く薄墨桜。なにせ極薄な墨なので一見何も描いてないように見えるのがミソ。昭和23年の正しい民家には五間の縁側がある。これも二日徹夜で張り替えた障子は白く五月の陽光を映すが、座敷の奥には届かない。この薄明かりでうすうすの水墨が色を出してくるのを待つのに30分はかかると踏んだ。
かかるシチュエーションを自然に演出するには、なんちゃってでもいいから茶会を催すしかない。お義理にでも黙って座るうちに、あぶり出しのように絵が浮かび上がってくる筈、と思ったのが間違いの始まりだった。
自宅茶会の最初の仕事はまず徹底的な掃除だ。武井展のため画廊を動けない柴田に変わってこの任についた牧ねえねえ、獅子奮迅の活躍も当日最初のお客さまが到着するまで続いた。まだぼろぼろのトレーナー姿で客入れをする。懐石の籠盛りはご存知・荒木町「夜市」の影丸師匠のお願いして一献差し上げている隙に用意の着物に着替える。幸い最初の御客人は、大体の見当をつけて来てくれている中野の「路傍」一行。爽やかな五月の風に吹かれながら縁側でのんびり庭を見物している。
何事もなかったように遠見亭主人に変身した柴田悦子、庭先から座敷に案内しなにやら怪しいお手前でまずは一服。怪しい手つきをごまかすにはトークしかない。あれやこれや正客とやりとりしながら絵が暗がりから浮かび上がるのを待つ。よくしたもので越畑の墨はこの季節には若葉の山に化ける。桜山に風が吹いて青々とした葉を茂らせるのである。それを一服の夢としておもてなしすることが今回の趣旨なのだった。次の席のお客さまと入れ替わる一時、いいお顔で帰られる方々をお見送りしながら、この暴挙が少し報われたと感じたのは私だけではあるまい。
二日目には二階の座敷で織田梓による煎茶の点前もあり、その夜には沖縄の島唄の神様といわれる大城美佐子先生ご一行が座敷で最高のパフォーマンスを披露して、居合わせた方々を感動させた。マイクを通さない大城先生の絹糸声を聞けた人はそう多くはない筈である。主茶碗に川喜田半泥子の石爆ぜ茶碗を提供してくれた吉田氏も大感激で、京舞いの先代井上八千代を呼んだ座敷に匹敵するとまでいって下さった。
亭主・画家双方とも余裕がないなかの遊びは、なんとも恥ずかしいような次第だが、手弁当で協力下さった牧ねえねえ、影丸さん、大城先生、吉田さんのおかげで誰にも真似できない「なんちゃって茶会」になったことに感謝。
このところめっきり太った私の帯が回らないのにいらだった牧ねえねえが、普段の温顔を忘れて思わず「このでぶがぁ!」とののしって以来、うちうちで「柴田・コノデブガー・悦子」と呼ばれる羽目になったことだけが誤算だった。
最後に「佳き風茶会」の簡単な会記を記す。
佳き風茶会々記/越畑喜代美襖絵披露目記念/お正客 初日1 関本芳明 初日2 小黒良成 2日1 林田裕介 2日2 本江邦夫 3日1 稲川均 3日2 仲山計介
主茶碗 川喜田半泥子 石爆ぜ茶碗 銘 薮礼歌舞令(やぶれかぶれ)/ 掛け物 越畑喜代美 あけび花図 梨花観月図/ 風炉先屏風 越畑喜代美 野路図/ 花入 美崎光邦 彩泥壷 /茶入れ 青山昭三 竹根棗 銘 根々竹(こんこんちき)/茶杓 青山昭三 銘 棚牡丹(たなぼたん)/ 香合 川喜田半泥子 銘 赤玉 /置物 高村光雲 鼠銅印 篆刻 足立疇邨


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