池田美弥子展

池田美弥子の沖縄をテーマにした個展が今日から。
数年前、沖縄の百貨店で沖縄を描く日本画展を企画したことがあった。画廊にご縁の数人の画家たちにお声をかけ、ほとんど手弁当のような展覧会だったが、気持ちよくこの雲をつかむような話に乗ってくれた一人が池田美弥子である。
以来、こつこつと取材を進め南国に通い続けてきた成果を今展で披露してくれた。主な取材は本島北部の喜如嘉。芭蕉布の材料である糸芭蕉が生い茂る地に滞在し、スケッチを重ねてきたという。住む人の気配が色濃く漂う赤瓦の家を俯瞰し、縁側や店先に島の暮らしのあれこれを想像させて楽しい絵に仕上げた。
地面の色は赤。今展で一番目につく色である。なぜ赤なのか聞いてみたところ、初めて冬の季節に沖縄を訪ねた折り、夏の強い日差しでは見えなかった土の色の印象だという。なるほど日中は光が強すぎてほとんどの色は消し飛んでしまう。冬になって幾分光が弱くなった頃、見えなかった色が出てくるというのも不思議なワザだが、沖縄ではさもありなん。
しかもこの赤を使ったことで、逆に南国のエネルギーが横溢し、誰にも真似できない池田ワールドが出現した。池田の故郷・新潟では冬は当然雪に閉ざされ、白と黒の世界になる。万物が枯れ果てる冬のさなか、沖縄の土は本来の赤さをとりもどし、白さから免れるという発見は、ひとえに池田の観察眼のたまもの。B型的乱暴力を駆使ししつつ、この「赤」のリアリティを絵にしたことは特筆すべきだろう。いきいきとした島の生命力がこの赤によって象徴され、神話的な世界をも伴った楽園の様相を描き出した、とも。
武蔵美大を卒業する頃には俯瞰する構図の絵を描いていたという池田美弥子だが、近年は学習院大学で源氏物語絵巻のゼミを聴講するなど、絵巻の空間の研究にも余念なく、ますます俯瞰の腕に磨きをかけているらしい。けっして器用とはいえない作風ながら、独自の世界を切り開く突進力は彼女の大きな力となり、今展でも思いがけない世界を展開してくれた。さらに突き抜けて、未知なる物語を見せてほしいと願ってやまない。

平野俊一展 in the garden

平野俊一展が6月7日までの会期で始まった。
in the garden と題された空間には濃密な花のかおりが漂い、丹念に抽出された花のエッセンスともいうべき色彩が目に飛び込んでくる。
二年前からぽちぽち描き始めていた花だが、ここにきて急速に深化。花々が一斉に花開くように平野俊一の秘められたパワーが解放されたと感じた。個展を毎年開催しながら、注意深く自分の進むべき水路を探ってきた彼だが、水滴が集まって大河になるように今展では「花」にひかりと水分を与えてこの10年の集大成としたように思う。
ただ花鳥画というのではない。気象という常に動くものを平面に描こうと色々な挑戦をしてきた果てに、生きているものとしての「花」が見えてきたのだ。実際、朝から刻々と花は変化し続ける。普通はその一瞬を象徴化して絵画にするが、彼は変化し続ける総体としての花を捉えたいーあたかもシャッターを開け放したまま写真をとるように。ピントを合わせない、という捉え方もあるのだ。
我々の目は、ものの形を正確にとらえるために絶えず瞳孔を収縮させているが、お年頃になるとその能力の劣化が始まる。一つの能力が失われると、不思議なもので別の能力が生まれるようで、彼の場合は「はっきり見えないほうが美しい」ということに気がついた。常に形と結びつく色が、「色」単体として立ち上がってくると幻想的なまでに不思議なオーラを発する、ということか。
ものを正確に写すことが画家の仕事だった時代が過ぎて、様々な絵画表現を試みる過激な時代に美大生だった平野にとって、50代近い自分が「花」を描くなどとは想像できなかったに違いない。だが、この10年制作に打ち込んできたことで、絵画と自分の垣根がすこしずつ取り払われて自然に身のうちのものになってきたようだ。まさに平野俊一しか描けない、平野の「花」のリアリティが今展では立ち上がって、見物衆を魅了した。
この花園では、見ようと思って頑張らなくてもいい。そこにある花の存在感を感じればいいのだ。花は十分にひかりと水を得てそこにある。頑張らない目でみると、平面に描かれている筈の絵が動きだすーその不思議さに身を委ねているうち、見えるものの裏側にある、見えないものに人は感動するのかも、と思い至った。そしてその見えないものは、見る人それぞれの心のなかにある。
平野俊一の今回の仕事は、この花園を通してその普遍のボタンを共振させたことに尽きる、と思うが如何。

松谷千夏子展ーGARDEN

松谷千夏子の展覧会が今日から。二年ぶり五度目の登場となった今展、どんなチャレンジをみせてくれるか楽しみにしていたが、その期待を裏切らず果敢に挑んできた。
ドローイングの調子を残したいと限りなく描かない絵を描いた前回と比べ、金箔という素材を使いはしたが、生の紙の素地をそのまま残して作品化した技量とセンスにまずは敬意を。昨今の日本画は重量化が著しく、凝ったマチエールをみせる仕事が多いなか、ここまで軽量化してしかも十分完成度があるというのは珍しい。いかに一本の線にリアリティをもたせるかに全神経を投入してきたかがしのばれる、というもの。
前回のDMで千夏子は文字通り千の夏を集めた女で、作品から流れる乾いた温度感が五月という季節にふさわしい、という意味のことを書いたが、まさしく「聖五月」とでも呼びたいような美しい花園を展開してくれた。
ぎりぎりまでシェイプされた人物と花々を画廊空間に配置するセンスもまた松谷千夏子ならでは。空間全部が額縁で、そのなかを彷徨いながら大きなひとみに吸いこまれそうになったり、魅せられたり。この秘密の花園は本当に魅惑にみちている。
今回のドローングはドレス部分にドライポイントの技法を駆使し、さらに切れのいい仕事ぶりだった。版画ならではのエッジの鋭さと、フリーハンドの鉛筆の線がいい具合にマッチし、全く間然するところがない。墨のたらし込みとは同じ黒でも質感が違うところが面白い。
今展の初日には、たまたまコンサートで沖縄から大城美佐子先生が上京してらして花を添えて下さった。思えば初めての個展の折り、伊江島から見た光景を描いた作品が、縁あって名護のお宅に納まり今は対岸にあるというのも不思議。今回のクレマチスも沖縄にお持ち帰りいただくこととなり感謝感謝。
またこの度の作品のモデルとなって下さったあずみちゃんもご紹介者のたっちゃんこと立野氏と一緒にご来廊。チャーミングな一輪となってくれた。画廊では月に一度、若い画家たちが中心となってデッサン会を開催しているが、松谷千夏子の尽力があってのこと。学生時代から何千枚も描き続けた、その弛まぬ努力が今開花して、今展の花園につながっていることを思う。その何千何万の線の中から、今さりげなく一本の線が、あたかも生きているように立ち上がってくるのである。

小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラス

日本画とガラスのコラボ展。まずは彼らが用意したステイツメントから
「くりかえす季節の景色や記憶の重なりを描いた作品。岩絵具をガラス板に接着することで湿度のある光をもつオブジェ。それらの組み合わせによって織り成す空気感を発表します。」
柴田悦子画廊では久々二度目の登場となる日本画家・小松謙一。かれが今回コラボレーションの相手として選んだのは、多摩美大の後輩にあたる藤森京子。工芸科でガラスを専攻した気鋭の作家である。
そもそも平面作品である日本画を立たせたい、と思った小松の発想がこのユニットの始めとか。小松の作品には箔が多用されるが、その上に様々な岩絵具の層が重なるため、作品として仕上がった時にはわずかな光が箔を偲ばせるばかりだ。絵を裏側から見せたい、と思う人は多いが実際にやった人はいない。ガラス作家の藤森と出会ったことで、この発想が実現されることとなった。
今展に遡ること数回、ガラスと日本画の融合を目指して様々な試行がなされ、今展ではついに展示台やマットとして「鉄」にも挑戦。さらに魅力的な空間を作り出すこととなった。
藤森が普段制作に使うのは、硬質な工業用ガラス。それを入念にカットし、寄木細工のように構築していく。その合間に透過度が違う様々な和紙に描かれた日本画を挿み、二人のイメージに添った作品に仕上げていくのだという。絵具はガラスによって隔てられ、艶をたもったまま幾重にも重ねられ、またガラスは作品の色を閉じ込めることによって、柔らかに光を変化させる。
そこに封印されたものは記憶の断層。断片が重ねられることによって、それぞれの層が表とうらで違う顔をみせながらイメージを深めていく。
硬いものが柔らかくなり、柔らかいものが硬くなるー異質なものが出会う時稀にそれぞれの特性が変化し、生かし合う場合があるが今回の作品群はまさしくそれにあたる幸せなマリアージュだ。
この封印された記憶の断層をもって旅に出たい。色んなところで、様々な光でこのなかを覗き込んでみたい。その景色を映しこんでこれらは手の中でどんな変化を遂げるだろう。その解放された世界を見てみたいと思うのはいち私だけではないと思う。デュシャンの大ガラスをもじって、旅ガラスと洒落てみようか。


小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.4
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.3
小松謙一・藤森京子展ーアオゾラとガラスvol.2

森直子展「陶に游ぶ」

7年ぶりという森直子さんの陶芸展が今日から。器だけでなく、篆刻や俳句も陶でという試みにー游ぶーと名付けた。しんにょうの「遊」とほぼ同じ意味だが、こちらの「游」には游永とか浮游とかさんずいならではの語感が。今回の仕事にはこちらの語がぴったりときたのだろう。
幅広い森さんの世界だが、陶芸の道では土ものを島田猛先生に、磁器を川崎忠夫先生について修めた本格派。大きい柄の蕪の器はたっぷりとして使い勝手がよさそうだ。色使いも品良く、食卓での出番が多いに違いないと思われる器の数々は毎回大人気という。茶道も嗜まれる方だけに、いいものを見てもいらっしゃるのだろう。絵付けの具合も心にくい。
また俳句の世界では中原道夫宗匠が主宰する「銀化」の中心メンバー・水内慶太師のもとで研鑽を積まれた。師直筆の「風呂敷に 月をつつみし 耳ふたつ 」という句を陶板にし、三歩下がった位置に自句「肩双べ 渉るポンヌフ 冬銀河」を並べた具合もよし。実家寒河江家の叔母さまとともに始めた俳句というが、打ち込んでこられた様子が思われる。
さらに陶印を彫り、押印して亡きお母様の形見の着物で表装した塩梅もまたただ人ではない。大正時代から昭和にかけて謳歌したであろう時代の名残を思わせる美しい意匠の着物である。傷んだところを外して布取りし表具されたこれらの軸は、また100年の命を得た。
「陶」という一つの素材を使って、今までご自身が打ち込んでこられた様々な世界を統合しようという試みはー「游ぶ」ーという一言にくくられ、涼しく立ちあらわれた。プロでもアマでもない、いわば「文人」のような自由な境地に遊ぶー森さんの美意識は着物の趣味にも表れ、京呉服の老舗「志ま亀」さんのご主人丹精のはんなりした型染めの着尺に、富本憲吉の陶印を描いた塩瀬の帯で出で立ってらした。陶印の柄という、珍しい帯の発想を、先代とご縁が深かった富本憲吉の印を展示した京都の美術館で得たという「志ま亀」のご主人もお見事なら、この展覧会にこの帯でと、躊躇いもなく購われた森さんも見事。
美意識というのは一朝一夕に培われるものではなく、着物ひとつのお見立てにも丁々発止のやり取りがあるときく。陶芸や俳句、茶道、篆刻など日本の文化に深く根ざした世界に遊んで来た森さんならではの「おこのみ」を展覧会を通して観させていただいた。
これを教養と呼ぶのだと思う。さらに楽しく游泳して、自由な文人魂を発揮してほしい、と願うや切。

森京子展

2002年、2005年と続けた森京子の三度目の個展が今日から。33歳の時に独立美術協会の会員に推挙され、以後着々と地歩を築いて来た森京子。変型の額から鉄のオブジェが飛び出したり、作品に色々な冒険を施してきたが、今展では身辺のものたちを軽いタッチで描いた。
画廊全体を一枚のキャンバスに見立て、縦横に展示された作品たち。入口には画廊の模型が置かれ、タイトルと作品位置が示されている。模型の玄関から本物の画廊を覗く、という二重の構造が面白い仕掛けとなっている。
大作が並ぶ団体展では、寸分の隙もない完成度の高い作品を求められるため、個展では肩の力を抜いたスケッチ風の作品を並べたいという意図をもって制作されたものたちは、森京子の普段の生活のなかから抽出された。昨年から飼い始めたというシーズー犬の「チャイ」君や、ご夫君の彫刻が並ぶ玄関の風景など、身近なモチーフを中心に0号から、100号まで怒濤の31点が並ぶ画廊の一隅には、制作のもとになった画想のメモやら、エスキースやら、作品一歩手前の鉛筆デッサンやらコピーやらが、アトリエの壁のように展示されている。
普段、アトリエから出てこない「絵になる始め」の色々な資料とともに完成図をみるという試みだが、このなかには秘蔵の写真も含まれ、これら作品の卵のどれが孵化しどれが揺籃のなかなのかを探るのも楽しい。
普通の光景と見えつつ、異次元の世界へと誘う仕掛けは変わらぬまでも、葉山での暮らしが穏やかな光に包まれたものに違いないということだけはわかる。赤褐色の鉄さびの色調から明るい緑のバリエーションに変わり、不安や孤独の影は奥へ隠された。自分らしさというオリジナリティを求めていくうちに、一番大切な生活のありかに気がついたのかもしれない。
日々変わっていく自分、その有りどころが作品に反映されていくーだから、生きている作家には目が離せない。描く方も見る方も日々が真剣勝負だと思う次第。

 

越畑喜代美展ー京王百貨店にて開催

四度目の春の京王百貨店シリーズ開催中の越畑喜代美。以下、この展覧会のために賜った佐藤美術館学芸員・山川望氏の文章である。
日々の呼吸
確かにその絵は呼吸をしていた。
それはとても密かにおこなわれているらしい。だから絵の前では普段より少し目を凝らして耳を澄ますといい。そうして心穏やかに絵を見ていると、いつの間にか自分の気持ちがすっと軽くなったように感じた。その絵の作者である越畑さんご本人も当然そんな心地よさ、周囲にいつも人が集まる魅力を持っている。越畑さんは希有な眼を持つ人で、普通の人なら見逃してしまいそうな日々の機微をしっかりみつけてくる。きっと慌ただしい暮らしのなかにあっても、小さな幸福感をたくさん手にすることに長けているのだろう。このことは絵の世界まで繋がっていて、世界観の構成と無関係とは思えない。小さな幸福感を契機とする作品はそのひとつひとつが大切に描かれているに違いなく、そうでなければこの幸福感のお裾分けにあずかることは難しいはずなのだ。
そんな日本画家の手がける絵には、何代にも渡って大切にされてきた骨董品のような趣がある。流行とは無縁、派手さも前面にこそ感じられないが、絵肌から感じられる独特の暖かみ、じわじわと利いてくる味わいの深さはいまだ底をみせていない。今回の展示にも期待してしまう所以だ。

また、越畑喜代美のこんな文章も是非味わってほしい。
樹々の小枝から透ける空
こっそりポケットに入れて 連れて帰りたくなるような風景
ゆっくりと変って往く雲のかたち
風に乗る旅の仕度をしている草々の種
時の順番を律儀に守る 小さな虫たち
ガラス越しに のんびり並ぶ誰かのおみやげ

どうか私も仲間に入れてほしいと 焦がれてみるが
ちっぽけな私に 誰も気づきはしないだろう。
片思いの恋文のように スケッチしたり 絵にしてみたり。
今の気持ちを描いてみる。

季節の変わり目にうきうきするのは新たな出会いの予感と 再会の歓びがあるからなんだと思う。
明日吹く風のにおいを 今日も楽しみにしている。

斉藤典子展ー光の種

二年ぶりに典子さんがトロントから帰ってきた。ベルリンからカナダのトロントに移住しておよそ10年。画家として生きていこうと決意して20年目の節目になるという。
昨年、典子さんはトロントの国際交流基金で「Waterscape」と題して武満徹へのオマージュ展を開催した。その期間中、グレン・グールドスタジオで録音をしていたピアニストの福間洸太朗氏と出会い、彼の収録した「武満徹ピアノ作品集」CDのカバーに典子さんの作品が使われるという、うれしいご縁を得た。武満徹という偉大な作曲家が出会わせた、絵と音楽のコラボレーションは昨秋日本で試みられたが、今後の武満シリーズの展開も楽しみなことである。
それはさて、今回驚いたのは画像では詳らかではないが、画面の絵具を凍らせて作ったマチエール。零下30度にもなるという厳冬期のトロント。その乾いて寒い気候に水分を含んだ作品をさらすことによって出来る結晶を軸に絵を仕上げた。カンバスに結晶した絵具の景色は偶然の産物だが、3年程前から試行していたとのこと。以前より雪の結晶に惹かれその不可思議な紋様を作品に出来ないかと考えていたらしい。
「精霊」と名付けられたシリーズは、雲煙のように微妙に変化し奥行きのある画面。凍った水の跡が美しいアクセントとなって陰影を与えている。また青を基調とした「frost flowers」「frost work」「ice flowers」の連作も透明度の高い美しさ。画面の随所に画家とともに旅をする「種」たちが見える。この種のようにあるいは雪のように軽やかではるかな旅を続けたいもの。
「種」は野を越え山を越え海峡を越え、昼も夜も静かに私たちの上に降る。時限装置のように時を経て開花するその命の煌めきを、典子さんは幻視している。土中とも空中ともつかぬ絵画空間に「種」を解き放ち、光の祝祭のなかで芽吹きを待つかのようだ。
画家もまた日本からドイツへ、そして何かに突き動かされるようにトロントへと住処を変え、自在にしかし真摯に「作品」という種を蒔き続けている。この旅はまだ途中だが、確実に人の心に届いてどこかで花が開いているに違いない。
今展でもご縁のかたがたが大勢来て下さり、久方ぶりのご対面となった。氷紋をベースにした典子さんの新作を前に、旅の後半へギアチェンジした画家の意欲をかいま見たのは私だけではあるまい。

イェンス・キリアン展ー西と東の共振

ドイツ・デュッセルドルフから愛妻里美さん愛嬢クラリッサちゃんとご一緒にイェンス・キリアン氏のご登場と相成った。このご家族とご縁の皆様が、待ち構え日本での初個展を祝福して下さった。
生まれ育ったハルーツ地方はドイツ中央部に位置し、有名なブロッケン山を擁する山地という。15世紀に遡る由来をもつ古い村の、風光明媚な場所に育ったキリアン氏が、銀座で個展を開くにいたった経緯については里美夫人の内助の功をぬきには語れない。
主に故郷の風景から受けたインスピレーションをもとに制作を続けていたキリアン氏が、夫人の里帰りの折り、奈良京都や伊勢など日本の原風景ともいうべき古都のたたずまいにおおいに刺激を受け、猛烈に創作意欲をかきたてられた事が発端。
西と東、東と西、の文化の差異は、歴史の記憶が刻み込まれた自然を前にした時、さらに大きい驚きとして彼の前に立ち上がって来たに違いない。夢中になって制作する彼の傍らで、これらの作品を日本で見てもらう機会を作りたいと夫人の内助心が発動し、語学学校の学友が悦子画廊の作家だったご縁をたどって登場。晴れて、銀座にお目見得の運びになった次第。
キリアン氏は、それぞれの土地のもつ生命力を感じるまま、ピュアな心で写し取った。ためらいなく筆が躍り、斬新な色彩となって昇華した作品たちは、今画廊に清新な空気を送り込んでくれている。
造形的にもドイツ表現主義につながると思われる骨太な骨格をもつキリアン氏は、今後も精力的に活動されるだろうが、今回に止まらず西洋と東洋をつなぎ、それぞれの場に息吹を吹き込むような制作をライフワークとして続けていただきたいと願う次第である。
先にもふれたが今展は日本でのデビューということで、ご縁の方が大応援団になって迎えてくれた。キリアン夫妻に代わって心からの感謝を申し上げたい。

ひこばえ展伴走記

蘖(ひこばえ)とは、いいグループ名をつけたもの。この二人の画伯たちはともに2007年多摩美大の日本画科を卒業した学友である。大木の根元にひそやかに芽を出し、ちゃんと花なども咲かせたりもする蘖(ひこばえ)の心意気をデビュー戦にあたる今展でも見せてくれた。
代島千鶴画伯は1983年、藤林麻美画伯は1984年生まれというから、なんと私が多摩美大を卒業した年に生まれている計算だ。しばし呆然と懐古するこの24年‥…。いやいや、気を取り直して、このういういしいお二人のデビュー戦伴走記と参ろうか。
まず学校から離れて初めて展覧会をする二人が最初に遭遇した作家が、ニューヨーク在住の彫刻家・板東優氏だった、という幸運から報告しよう。板東氏は彼女らの年頃には単身ローマに渡り、エミリオ・グレコの教室に学んだ人。ローマからニューヨークへと転進し、自らを掘り起こすように制作し続けている。次の瞬間の予測もできなければ、保証もない作家稼業のいわば先達だ。堀文子先生流にいえば、「作家という運命を生きている」人のうしろ姿を見せてもらったというのが、幸運という意味だ。
いつから、なにをもって画家になる、というのか、まだ私にもわからない。稀に表現する喜びが見る人にも伝わるような普遍性と、必然性がうまく噛み合った時、なにかオーラのようなものが作品に現れるーこれが見たい一心でこの仕事を続けているようなものだが、方程式がある訳ではないから困ったもの。
卒業時に、二人展を一年後にやろうと決心した二人の印象は記憶に新しい。真面目に取り組んできた足跡がみえるファイルだった。仕事をしながら制作した日々は、これまでの許された環境とは違い大変だったと思うが、ようやく今展で最初の一里塚。日本橋を出て、品川の宿というところか。
今回出会った色んな方の励ましや率直な意見を胸に刻んで、次の一歩にとりかかる、長い旅路の始まりだ。画家道中双六のどこまで伴走できるか、なにこちらも画商道中双六の半ばにすぎないから、いきつ戻りつのなかでの供歩きだが。
ひこばえ嬢たちののこれからの人生に、こころよりのエールを!体力つけてまたかかってらっしゃい!

七味展ー5度目のまことーその2

卒業して5年。それぞれに仕事のキャリアも積みながら、絵を描いて来た面々。展覧会のスケジュールが立て込んで今回は欠席となった矢島史織画伯もがんばっているが、美術館勤務で目を養いながら今回大胆な抽象作品と日本画らしい二点を仕上げて来た永田麻子画伯にも拍手を送りたい。
去年までの可愛らしい作風を捨て、フラットな画面に徹して平塗りを追求した画面は、一年間の精進を伺わせて秀逸。その大人らしさに一番驚いたのは私かも。今後さらにきわめて欲しいと期待度も大。
また、キタッキーこと北田幸恵画伯もアクリルや水彩などミックスしながら、「生命樹」という大きなテーマに挑んできた。このシリーズはこれからも追いかけていくのだろうが、単純なフォルムのなかに力強さがあって面白い。
田沼翠画伯は紙に線描の仏画シリーズを今回も。体が美女で、体が鳥という「迦陵頻伽(かりょうびんが)」は梵語で妙音鳥の事。その美声を佛の声の形容とする、とのことだが、古美術の仕事に明け暮れるなかで、このテーマに出会い、以後研鑽を積んでいる。今回の作品に「ほんとは私雀なの」という作品があり、品よくこなれた作品になったと感心した。
最後に遠方のため、会期中来廊出来ず作品だけの参加となった大里友輝画伯。彼は仕事はもちろん、結婚もし子供にも恵まれて、一番取り巻く環境が変わった一人だ。毎回違うスタイルをみせてくれるが、今展では動物がモチーフ。天を仰いで咆哮するゴリラに「が」と題名をつけたところが憎い。今展では画像に参加できないので、最終日手伝いにきてくれた同級生の市川画伯にお願いして代わりのショットを。もちろん大里画伯もナイスガイです。念のため。
グループ展も色々だが、それぞれ卒業以来生活と画業の両立に奮戦することに変わりない。卒業時にであった面々は意欲はあれど、ややこころもとなかったものだが、五年の歳月というもの、あれこれもめながらもよく気持ちをキープした。一、二度であえなく終わっていまう展覧会もあるなかで、描いていこうという意思を貫いてきたことを、改めて評価したいと思う。
お互いの仕事に刺激を受けつつ独自の画境を切り開いてほしい、と切に思う。
恩師米谷先生や先輩がたの激励を受けつつ最終日をむかえたメンバーを最後にご紹介しつつ、、。

七味展ー5度目のまこと

卒業時に、これからの航海を思って不安にならない画家はいないー2003年度の卒展と同時に旗揚げした七味のメンバーにとっても同じことだったろう。仕事をしながら描ける枚数は限られている。年に一度の研鑽の場にと会場を銀座に移してはや四年。まだ二十代とはいえ、やはりかつてとは違う面々の色々を、少し検証してみようと思う。今日は取り急ぎ、当番のメンバーの額縁ショーから。
ちなみに上から尾高佳代画伯。前年までは「足」を面白い位置から切り取った作品など、軽快なものが多かったが、今展でほしっとりと百合の気配を感じ取った作品を二点発表。清潔でリリカルな作風は本人のキャラクターと見事に重なる。
また、先頃個展を終えたばかりの手塚葉子画伯は、精力的に筆が走った作品を描いた。「望月」と題した作品は、実際の月ではなく源氏物語に通う女の後ろ姿をかいたもの。長い黒髪が刷毛の動きで表現されている。天真爛漫な手塚氏の奥底の情念なども想像されて楽しい一点。最後の和田知典画伯は昨年腰を痛めて残念リタイア。全快した今年は気合い十分の作品を持ち込んで来た。郷里に帰った恩恵か、水分をたっぷり含んだみずみずしい作となった。前回までの墨を多用した作品から、色が復活。ツタの鮮やかな色彩が渋いバックに映えて美しい。
みな若いながら荒波をかいくぐりかいてきたのだなぁ、と思えて愛しいことである。次回は、今日これなかった面々のご紹介を。

三谷綾子展ー憧憬ー

秋田から雪を引き連れて三谷綾子画伯がやってきた。ー「憧憬」ーと題された幻想的な一連の作品は、初個展のため三年の歳月をかけて入念に準備されたもの。
三谷画伯は、昭和52年秋田大学教育学部美術科卒業後、油画のみならずパステルや水彩など表現の幅を広げながら、公募展やコンクールに出品してきたという。意外なことに個展は初めて。しかも銀座デビューという事で心強い応援団が次々と駆けつけて下さった。
故郷秋田の風景を一緒に連れて来たかった、と50号の連作に描かれたのは、湯沢にある「郡会議事堂」という明治年間に建てられた洋館。画伯が高校生だった頃は図書館として使われていたという。多感な少女時代にここで多くの文学書や画集を繙いたのであろう。古い洋館の歪んだ窓ガラスの表面に、様々な思いやイメージを託してメインテーマとした。「光輪」は北国の透明な空気や湿度を通して、また「誘い」は樹々の間を流れる雲を通じて、現在と過去が交錯していく不思議な空間となった。
三谷画伯が描く世界は、ダブルイメージという技法を駆使しつつ、その奥にあるものを目指してやまない。普段見慣れた光景が、ガラスの屈曲を通して異化する瞬間、途方もない美のきらめきをまとうーその夢幻の陶酔に誘いこむかのようだ。
彼女にとって、詩は台所で洗い物をしている時にも宿る。磨きあげたベネチアングラスに目をやれば、そこにイタリアの風景が宿り、光が満ちる。南国で生まれたガラスは今、北国の光を吸い込んで輝くが、何重にも重ねられた南国の記憶を捨てた訳ではない。三谷画伯はその記憶に身を寄せ聞き取ろうとしているようだ。 かくして三島由紀夫もジャン・コクトーもストラビィンスキーも彼女の作品のなかでまた生き返りオマージュとして残像を結ぶこととなった。
全力で絵に向かいたい、という思いは初めて絵を描き始めた頃から画伯のなかにあったに違いない。ただ、色々な人生行路のなかで思いにまかせる訳にいかない事もままある。今、ようやく解き放たれて絵筆を握る喜びを得た画伯は、その空白の年月をも力にかえてイメージを膨らませた。人生とは摩訶不思議で、描かない時間が絵を熟成させる、という事もあるのである。
遠く秋田から雪をおして来て下さった方がた、香川の娘婿さんのご家族、恩師故今野先生のご子息、また今展で画伯に出会って下さったご来廊の皆様にスペシャルサンクスを。

不思議処『かなんっ亭」あれこれ

珍味堂は春浅き一日、瓜南直子画伯の住む鎌倉は小町の草深い庵へと出向いた。玄関をあければそこには三つ指でお迎えの瓜南姫と仁王立ちの伴大納言。 普通の方ならそこで後退るとこだが、こちらには春先にでたうまいもんを「かなんっ亭」主人が用意して待つという一枚の招待状がある。まずは伴大納言手ずからいれた八女の銘茶をいただき、どれどれ今日のお品書きは、とみれば経木に手書の下記の品々。念のため書き出してみる。蚕豆焼き/鯛シークヮサー締め/鯵酢/しこ鰯酢/ゆで豚/まぐろ血合煮/菜っぱ煮/小芋煮/ふきのとう胡麻味噌/ごぼう小枝きんぴら/蒸し豚ポン酢/浸し豆/温泉豆腐/粕汁/むかごご飯/漬け物珍味堂のおなかをくすぐってやまない逸品の数々。むろんご飯は三杯で止めておいたが、もうひとつおなかがあったらもう三杯食べていただろう。あーくやしいところで不思議処「かなんっ亭」には、海洋堂ほかの食玩コレクションが多々あるのだが、今日はミニチュアダイニングセットをご紹介する。この台所で上記のお料理が作られていると妄想するとさらに楽しい。それはさて斯くの如く美味佳肴の庵 不思議処「かなんっ亭」だが、ここに予約をいれるのは、かなり難しい。まず電話が通じない。運良く招待状が舞込んできたとしても、草深い路地のどこかで必ず迷う。上等の木の葉のお金とほしたゼンマイを用意して、小町通りのたばこ屋の前で、カランコロンと下駄をならした伴大納言が通りかかるのを待つ。お供えのお神酒があるとさらによろしい。運がよければあなたもかなんっ亭への通路に。しかしけっしてうしろを振り返ってはいけない。鎌倉けもの道はここからがこわい。 若菜摘む 君の隠れし 道の奥   珍味堂

手塚葉子展

七味展メンバーの手塚葉子のソロデビュー展が今日から。
個展に先立ち、アズヴェールホテル&スパATAMIwww.azuveil.comのアートアワードでグランプリをいただいたと報告にあらわれた画伯。
燦然と輝く賞金袋に向かい共に手をあわせつつ、感謝。今展ではその審査に携わった先生方をお迎えできた、やや緊張気味の画伯の画像からまずはご紹介。 アートフルな空間でエステ&スパときけば誰でも垂涎。手塚画伯の絵を見に行くツアーにほぼ頭は妄想状態に突入した。
それはさて、手塚葉子画伯は1979年栃木県に生まれ、2005年に多摩美大大学院日本画専攻を修了し、旺盛に制作活動に邁進する気鋭である。今展でも如何なくそのバイタリティを発揮し、パラフィンやゴム素材などを日本画絵具の上にのせるなど大胆な作品を披露した。
お菓子にコーティングされた砂糖のように半透明の素材の下から絵具や和紙が見え、自由で不思議な躍動感がある。絵具と箔のような金属やロウ、ゴムなどの異質なものを組み合わせることで、画面上に違和感と時間を表現したかったという。
天衣無縫に紡ぎだしたそれらは、描いている時の画伯のときめきやわくわく感を伝えて楽しい。毎日の制作の時間には、お気に入りの音楽を伴奏としていたらしい。そのミュージシャン(画像まん中)の荏原健太氏がお友達とご一緒にご来廊。音楽と絵画がこんな形で出会うとうれしいもの。そのおかげで制作中胃が痛い思いをしないですんだそうだ。
また、小さい頃の画伯を支えてくれたおじいちゃまおばあちゃまもお迎えできて、ご幼少の砌の話など。お母様の手作りお菓子とお茶で楽しくご接待の日々に大忙しの画伯である。

第二回堀文子教室同窓展

昨年よりはじまった多摩美大・堀文子教室同窓四期による展覧会が年明けの初展覧会となった。今回の展覧会に際し、堀先生から以下のような文章を賜った。
第二回同窓展によせて
昨年、昔多摩美術大学で日本画を教えていた当時の学生さんが四十年もたった今初めて同窓展を開く事になり、私も出品のお誘いを受けました。絵は、その人の感性と運命を現すもので教える事は出来ず、各自が自分の法則を探すほかないという私の考えを傅えた若い方達がどんな作品を見せてくれるのか不安でしたが、第一回展は嬉しく心配はふっとびました。一人として同じ絵を描く人がなく、それぞれの生きたしるしを表現していました。私が若い方々をしばりつけなかったあかしを見たようで嬉しかった
来春の第二回展にも誘って下さった皆様と近々お会い出来るのを待っております。 堀 文子
「絵とはその人の感性と運命を現す」とはすごい言葉で、ある意味突き放すようでありながら、その実若輩の私たちの個としての尊厳を認めてくれていた、という事である。「だってそうでしょ、自分だって次にどんな絵を描きたくなるかわからないんだから」とおっしゃる堀先生はまたそれぞれの特性のままやりなさいと私たちの背中を強く押して下さっている。
今回もまた、同窓のみんなにいい機会を与えてくれた。年に一度の同窓会にみんなの今の仕事を持ち寄って披露する、というのはあるようでなかなか出来ない事だ。
先生の後ろ姿が全てを教えている。蜘蛛の巣に夢中で霧を吹きかけ、「きれいでしょ!」と感嘆する先生の映像を、NHKの「日曜美術館」でご覧になった方も多いと思うが、ミジンコや蜘蛛の糸の精妙な造形の美にただただひれ伏すように描く姿は、絵描きとして以上に大切な何かを私たちに指し示している。
その先生が昨年クラスのみんなの作品をご覧になりながら、一人として同じような作品がなかった、といって喜んで下さった。折りにふれお目にかかる機会はあったが、今の仕事を見てもらうチャンスは望むべくもなかったから、昨年はみな一様に緊張したものだった。今回は残念ながらお声だけの参加だったが、乾杯の音頭をとって下さった。以下はその盛会のもようである。全国に散らばってそれぞれに活躍する作家たちが、先生のアトリエにあるホルトの木の下に集うように作品を発表している。是非ご覧いただきたくご紹介するものである。

珍味堂ゆるゆる見参!

断腸亭荷風散人さまの顰みに倣って、珍味堂のあれやこれやを当世はやりのブログたら付録たらゆうものに綴ってみようと思い立ち、構想三年。光陰もただでは過ぎぬが、その間食べた品々の香もはかなく無駄に肉と化す体たらく。ようよう重い腰をあげての産声ー三日坊主の謗りを予感しつつ、まずはゆるゆるとまいろうか。実は(とっても)先頃、珍味堂は都内某所から某所へ宿かえをした。その距離わずか200m。リヤカーでの引っ越しが似合いそうな場所だったが、膨大な書籍とコスプレ衣装の山に手伝い人もうんざり。その労をねぎらわんと、大宴会を催した顛末をご披露して第一日目とする。珍味堂の名をかけての宴会だけに、深山幽谷とはいわぬが山から青竹を伐って流しソーメンの樋を作る事からはじめた念の入れよう。ポンプでくみ上げた滔々と流れる地下水が今日の御馳走である。余った竹に、新宿の隠れが「月とスッポン」の影丸さんが料理を盛り込み、天井までわたした竹の花かごに活けこんで早朝4時からの仕度は整った。おりしも土砂降りの雨、ズボンの裾を絞りながらお客人が登場、雨水のソーメン流しも洒落が効いてる、と思いきやビールの一本も空けぬ間に日が差し込んで絶好のお日よりに。昼間っからの宴会は、ソーメンからはじまって、てんぷらや焼き鳥、はてはおまんじゅうまで流れる竹の樋に忙しいことこの上ない。日が翳ったら障子を立てて珍味堂名物なんちゃってお茶会ーしゅんしゅんと沸く湯の音のなか、お礼心一杯すぎて大変な事になってしまったおなかも静まって、もう うとうと舟を漕ぎだす人もいて、、。呼ぶ水に来る水もあり麺流し

珍味堂

 

迎春

あけましておめでとうございます。
まずは新春歌い初めの歌詞を一部公開いたします。年女の画家たちも多い今年、画廊にも子年の恩恵がありますように!!

ちゅうちゅう画家の片道切符
ちゅうちゅうとれいん 画家を目指し
銀座の画廊へと旅に出た
oh oh
片道切符にぎって

バイバイライス 米より筆と
おひげ抜いたあとの頬が寂しい
oh oh 自給自足のブルース

途中くじけてチーズをゲット
今夜はオープニングパーティよ
やさし友と時を忘れ
ただただたべる

ちゅうちゅうとれいん 画家は行く
心にしみる絵を描くために oh oh
もうどこへも帰れない

恋の濡れねずみ

あなた探して 濡れる頬
銀座の路地の 隅々で
噂きいては 泣いてます
こんなにしっぽも長いのに
私は恋の濡れネズミ
あなた今夜は どこのドブ
銀座ネオンの その下で
どこのどなたと いるのやら
こんなにお米もためたのに
私は恋の濡れネズミ

米俵ブルース

ああ米よ米よ
忘れられない 米俵ブルース
わたし ひとりで彷徨って
霧と戯れ ミッドナイト
酔った私を 支えてくれたああ米俵 米俵の唄はブルース
ああ米よ米よ
波止場の奥の 米俵ブルース
霧笛 ひとつが友達で
淡い夢だけ サイレントナイト
酔った私は あなたのもとへ
ああ米俵 米俵の唄はブルース
Misoana Ross画伯がピアニカで鋭意作曲中!!につき、この後も乞うご期待!

直野恵子展ー今年も大とり

直野恵子の恒例年末大とり個展がはじまった。2000年に村越由子・小林身和子とともにグループ展で初めて悦子画廊デビュー。翌2001年から怒濤の連続個展を決行して、今年七回目になる。 女子美大日本画科を卒業したのは1997年だから、悦子画廊の歴史と重なり二十代の直野恵子も今年35歳という。最初の個展の時は緊張のあまり、顔をあげられず椅子の上でフリーズしていた。せっかく絵を見に来てくれたお客様に、恥ずかしさのあまり「見ないでくださいっ!」と叫んでいたのも今は昔。繊細な画風も時とともに彩りを加えたが、年々の変化をさてなんと呼ぼうか。成長というには遅々として、だが内心の鬱屈を絵によって浄化しているような時はもう過ぎた。一人こもって絵を描く日々はそのままだが、毎年の個展の度に荒波をかぶり少しずつ心に筋力がついてきたのだろう。自虐的なイメージが払拭され、少し遠くから呼びかけるような印象の絵になってきた。
「優しい関係」と題された80号は、窓のように穿たれたものが絶妙のバランスで呼びかけ合い離れ合っている。ほんのいたずら書きのように引かれた線にも、このバランスを心地よいものにするべく十全の注意が払われているのだろう。
「灯送り」は、精霊流しのようなものを描いてみたかった、という意図から生み出された象徴的な作品。宙にういて漂う「灯」はまさしく魂の印。墨の合間に見え隠れする赤い色が、画面したの水に映るのも美しい。
作者は、目にみえるものより、その奥に隠されている意味を考え続けている。それが時にわかりにくかったり、一人相撲になったりするのだが、七転八倒しながらその奥のものを見ようとする意思が、「春望」という作品のような澄んだ光線を感じさせる世界を生み出す。
前の個展が終わって、さぁ今度こそ違ったものを描こう、と決意しても絵をいじっているうちにいつもの自分の作風になってしまうのだ、というがやはり一年一年の軌跡は同じではない。
「見ないで」と叫んでしまうほど内面をさらけだしてやってきた作者に、せめていい風が吹いたり美しい光が注いだりして、一日を豊かにしてくれますように‥‥。

大野麻子展

大野麻子画伯の個展が今日から。
1969年神奈川県藤沢に生まれ、1994年多摩美大大学院美術研究科を修了したのちは、コンクールや個展、グループ展などで精力的に作品を発表している。
当画廊では2002年に初個展、以後2003年、2005年と一年おきに続け今展で四度目になった。
初回は「風のむこうへ」と題し、はるかに続く大地へのあこがれを、二回展では「鳥の族(うから)」というテーマで鳥とその仲間である風や木々を描いて、絵の中に誘ってくれた。
三回目の前回は、日本神話から「海彦山彦」の物語を引用して「海の族」を描いた。大地から吹く風は海にわたると波を起こし、海から来る風は大地に雨をもたらす。『生々流転』ではないが、大野麻子の眼ははるか地球を一巡して、今展ではアララト山にたどり着いた。
いわずとしれた「ノアの方舟」が着地したと伝承される場所である。旧約聖書の創世記にあるこの物語に触発されて、彼女の想像の翼ははばたいた。大波のなかをさすらう方舟の下で海神たちが咆哮し、小さな舟にはヤハウェから許されたノア一族とつがいの動物たちが、肩を接してぎっしり描き込まれている。
画家にとって画面は天地だろう。原典の骨格をかりて、彼女の天地には縦横無尽に波はうねり、風は吹き下ろした。そして雨が止んだ時、時間まで止まったかのように静かに立ち現れる舟と実れる樹々。
これら樹々をとりまく空気は、なにかとりとめもない寂しさも含んで美しい。この世界観がきっと次の創造の糸口になっていくのだろう。
いずれ画家は自分の物語を紡いでいく。


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