昨夜11時池袋発の夜行バスで富山に向かう。雪の黒部をうつらうつら揺られて過ごし、まだ暗い富山駅で、堀氏の出迎えを受ける。
休む間もなく堀氏の毛皮に覆われた流星号に乗り込み、いざ新湊の魚市場へ。もう競りはおわっている時間だったが、底引きの船がそろそろ戻ってくると聞いた立山画廊主が、二階の食堂で待つという。地元の魚市場の食堂!つい展覧会だという事を忘れ、かにみそ熱燗コース。時間はまだ七時というのに、、それとも夜が長いの?
思惑通り、船が帰ってくると地魚満載。昨日まで風で船が出なかったというから、つくづく運がいい。かくして雨晴海岸に蛸が上がる仕儀になった訳である。ちなみに二本欠けているのは悦子が味見したため。そののち生のあばれる蛸を塩でマッサージ、立山画廊主ご母堂が「みきちゃん、今だが!」とふたを開けた鍋で約十分ご入浴のほかほかのムチムチを一気にいただくムサボリビッチ・タコスキーたち、、。その他生バイ貝、ソイ、メバチと日本海の海の幸が。あ~ほんとに何しにきたの~。仕事よ!仕事!武さん箱書きは~と叫んでも誰も振り向かない。
この上は立山画廊主の心尽くしをとことん有り難くお受けして、近所のなまず温泉へ。朝から込み合うこの温泉、富山はつくづく豊かだなあ、と日頃のあくせくを反省。
もちろん午後は、画廊で旅にでたわが子の姿を目を細めて眺める武井画伯のご相伴。箱書き揮毫の画伯の手もとも危なげなく安心したら、あとはおぼろ。どうも昨日慣れないバスで眠れなかった澤田氏に付き合って爆睡したらしい。林画伯は例によって端然としたものだからいつ寝たのやら。
東京展からはじまった青春カムバック編もどうやらこの珍道中を経て終点へ。わずか12時間の滞在とは思えぬ濃い富山滞在だったが、これが病み付きの起点になるかもと、タコスキーたちを前後左右にみながら思った事だった。