山田りえ展ー9度目の個展

待望の山田りえ展華麗にスタート

一年半ぶり、9回目を数える山田りえ展が今日から。
いつも春に開催するりえ画伯の個展だが、近年多忙をきわめる画伯のスケジュールの都合で初の秋季展。悦子から画伯へのラブレターとしてDMには以下の文章を書かせていただいた。
ー草花に宿る命のエネルギーに感応し、我が身と等価のものとして凝視する山田りえの作品には、いわゆる花鳥諷詠の情とはいささか趣きの違う強さが隠されている。花のエゴとでも云おうか、生きて繁殖していこうという天然の意思が伝える圧倒的な存在感が、美しさをも凌駕してそこにあるのである。
誰のためでもなくそこに「在る」ものに思いを寄せ、ミクロの細胞からマクロの宇宙までを内包した世界として「草花」をとらえる―絢爛とした金箔や銀線は、それらを荘厳する向背といえよう。命の不思議とその美しさ。自然界の整然とした秩序に感じ入り、その一部であることの喜びを、山田りえの絵筆は伝えている。
今展では、秋草をはじめ季節を映した作品を配し、皆様を秋の野へと誘う趣向。薄を渡る風に吹かれつつ…。ー
夏の沖縄から帰ってくると一転して画廊は濃い秋色。朱夏から白秋へと舞台は一瞬のうちに早変わり。画廊の空気は一変したが、光ファイバーにも変わって肝心のサイトのアップの仕方が一から出直し。いや~ご迷惑かけます。またまたぺこり
りえ画伯は髪をショートのウェーブにしてさながらマレーネ・ディートリッヒ。久々の大輪薔薇の前で華麗に微笑みを。絵になるお方ではあるね、やはり。これでいて自分のお顔立ちを地味だとおっしゃるのだから自己イメージは不思議。お父様ゆかりの方々に囲まれて婉然と笑む姿は、川島芳子か李香蘭?御多分にもれず魔窟と化した夜の画廊で見事な貴婦人ぶりを披露し、華麗なる山田りえ展の絵画そのものになっていたことをまずはご報告。

宮永匡和展初日

恐怖のクラッシュの後、しばし立ち直れずにいたパソと悦子。前の日記は追々思い出すとして、まず再スタートはポーランド在住、一昨年に続き二度目の登場となる宮永匡和画伯。 今展は恒例「京橋界隈」のイベントとして開催、そのパンフレットのご紹介文を。

ポーランドの古都クラクフに在住し、イコン画の修復・模写を通して得たテンペラの技法で動物や静物を描く。漆黒の地に華麗な装飾を施した金箔、ラテン語で警句を施した画面は静謐さを湛え、東洋と西洋、過去と現在を繋ぐ不可思議な景を紡ぎ出している。ポーランドの他ヨーロッパ各地で個展を開催、東京での個展は2004年に続き二度目。今展では金箔の鎧をつけた犬の衛兵他、古典的な風合いの静物などを中心に16点を発表する。
画歴
1970 大分県生まれ
1995 筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了
1995~1998 JICAポーランド派遣
1998~2003 クラクフ美術アカデミー研究生
2003~2005 クラクフチャルトリスキ美術館研究生
1993,1994 青木繁記念大賞展優秀賞受賞1996 ミシレニツェ国際美術展
2002 イェドヴァプノ国際美術展他ヨーロッパ各地で個展
現在ポーランド・クラクフ市在住

悦部屋画像トップは宮永画伯のご紹介者・野地練馬守様。ギャラリー広田美術の御曹司・廣田さんとご同席。また故加山又造先生のご子息夫人英利子さんとお嬢さんの万葵さんが華やかに。お着物は確か先生の絵になったもの‥上布に刺繍は凄い!帯も加山先生の金地の松。目がくらむような取り合わせながら、さすがは英利子さん、さらりと。夕方にはただいまテンペラの技法習得中の加藤晋画伯や個展を終えたばかりの安住小百合画伯が、テンペラの先生とご一緒に。まずは無事幕開けの様子を。
尚、長い事「悦子の部屋」を留守にして本当に申し訳ありませんでした。また、楽しい銀座の様子をお伝えしますのでよろしくね。

スパニッシュな日々よさようなら

悦子のうちで飼っているのは乳牛なので、牛といえばやさしいメスの目しかしらなかったが、二週間画廊で頑張っていたのは、スペインの男々しいブル。戦いの前の殺気を帯びた赤い目に射られて、おお~と声なき声を漏らした人も多かったはず。
そんな迫力のある存在なのに、背景の黒と赤には絵の具のタッチは見られず、染めたかのようにあっさり。絵の具が一閃するのは目と顔の周辺の少しばかりである。隅から隅まで丁寧に塗ってある絵が多い日本では、このラフさはまさに驚くべきことだが、隅々系の絵が一生伝えられない臨場感を持つことも確か。
牡牛の精気が生々しく伝えられ、狂気の時を予感させるこの作品はまさにラテンの血のもたらすもの。いやらしさもいかがわしさもない純粋な一瞬だ。
フラメンコに魅せられ、踊りを習いにいったことがある。能の序破急と似て、白昼の明るさが一転闇に変調し爆発的なカタルシスを迎える一曲の構成は、人間の色々な感情を解放する祝祭劇そのもの。
踊りは一場だが、人生は何幕も続く。イグナチオの描く作品には、その一幕のなにげない一瞬に光をあてて、かけがえの無い一瞬へと転化させる力がある。光と闇と交錯する一瞬を画布に掬い上げているのだろう。
二週間このドラマたちと共に暮らし、その静かな孤独と、乾いた明るさに、激情はあるが陰湿さのない彼の地の詩人を思いおこした。
まだ見ぬナッチョことイグナチオ・ブルゴス氏は美也子女史によるとサービス精神が旺盛で愉快なお人らしい。9月にニューヨークのM.Y.Art Prospects で開催される彼の新作展を楽しみに待つこととしよう。
準備のため帰国した美也子女史と、先般牛になってくれた神戸の小野さんによる、「Women」像とともに今展のお別れを!

安住画伯最終日

ご近所の藤屋画廊さんで「渺渺展」が開かれていることもあって、日展関係のお客さまが多く見て下さった今展。それに寄与してくれた功労者はなんといっても画伯同級生の加藤晋画伯。加山先生の資料研究にも携わっているので、現役の学生から日展の先生方まで幅広い人脈を誇る。
子育ての間しばらく休んでいた日展に一昨年から復活をはたした安住画伯、ライフワークともいえる人物像を描き注目を集めたことも記憶に新しい。先日も書いたが、故郷宮城の芸術選奨新人賞などを受けいよいよ大海に漕ぎだすか、というところ。
そんな画伯の活躍をわが事のように喜び、忙しい頃になると栄養ドリンクの差し入れ等、柱の陰からそっと応援して下さっているのがいもきん小黒夫妻。ご自分たち去年は新潟の災害の支援で大変だったのに、こよなく美術を愛するお二人はなにかと画伯たちを気づかってくれて有り難いこと。また、安住画伯もそれに応えて、奥深い作品を描いた。久々にゆっくり来廊の昨日は、作品をじっくり鑑賞。心を入れて見ている後ろ姿はいいものだ。感謝!
最終日最後の時間近くなると、万難を排して駆け付けてくれる人々が。先日来三度目のご来廊になる英利子さんはお嬢さんの万葵ちゃんを伴って。同じく加山先生クラスだった山田りえ画伯は、お孫さんにあたる万葵ちゃんに感慨深げ。今、多摩美の芸術学科に在籍しながら、加山又造研究室の重要なメンバーとなっているという。今後の研究が實られることを祈るものである。
また、絵画教室での教え子さんたちもたくさん来てくれ、優秀な教師としての実直な画伯の一面を伺わせてくれた。2001年から数えると5回目になる今展では、精神的にも体力的にも充実したエネルギーを感じた。今、静かな深みをたたえる安住画伯の黒が、奥の方でうねりさざ波を立ち起こすかもという予感も含めて、次の仕事が待たれる事である。

典雅なきもの競演

15日から日本橋高島屋八階ホールで開催中の「加山又造全版画展」のため、会場に詰めていらっしゃる哲也夫人英利子さんが、涼しげな夏の着物でご登場。六月のこの時期しか着られない紗合わせという、紗と絽を合わせた粋な着物には水紋が織り出してあり、金箔仕立ての絽に蝶を刺繍した典雅な帯と合わせて、水辺を飛ぶ蝶という趣向で。すっきりと細面の英利子さんならではの華やかで品のよい着こなしに、加山家の美意識を見る思いが。
また、コレクターの久保田氏夫妻も着物好きな方がた。夫人は画廊回りの際には必ず季節の着物を吟味してご登場、お好みは銀座もとじのテイスト。今日は琉球絣の藍の濃淡が美しい一重にうこんの織り帯という、これまた今の季節ならではの爽やかな組み合わせ。久保田夫人のおっとりとしたお人柄そのものの着こなしもまた素敵。
ご幼少の頃からお母様についてお茶お花全般の心得を学ばれた安住画伯、お着物も板についた堂々の夫人ぶりだが、今展中はマダム系で。
また、知的な雰囲気のシャンソン歌手・若林さんも交えて画廊内はまさに百花撩乱。さしもの日展大御所土屋禮一画伯、加藤晋画伯、武大人など男性群もやや照れ気味?
昨日は、画伯の郷里の母校・古川女子高の東京支部の方々が後輩のためにわざわざ。会期の一日前が、宮城県の芸術選奨新人賞の受賞式だった画伯。見事故郷に錦を飾ってご立派。お父様が同郷の能島浜江画伯も、かねて懇意の間柄。今日はその画像も合わせて。

 

 

織田有紀子画伯最終日

旦那のドクターみっちゃんと愛犬アズキを富士見に残し、優雅なホテル暮らしの日々も今日でおしまい。生まれて初めて描いたという軸装作品とともに過ごした10日間は、いつもとはまた違う緊張感に包まれていたように思う。一筆一筆が効果的な運びになる様考え抜いてかいた作品群は、ヒギンズ教授の指導よろしきを得てレイディに生まれ変わったイライザのよう。かつての野生を奥に秘めつつマイフェアレディは華麗に舞う、、。
日展にも昨年から復帰、画伯世界が、多くの方の目に触れるよう色んな可能性に挑戦すると意欲を語る。
昨日は、泉屋博古館の川口氏のご来廊。山種美術館時代に御縁のあった春彦氏と久方ぶりに出会ったとあって、話が尽きないご様子。牧ちゃんは幼なじみの美恵子さんとご一緒に、また横尾画伯は織田画伯の予備校同期とあって、忙しい中駆け付けてくれた。
最終日の今日は、田沢女史がまつりちゃんとともに。テントウ虫の模様のシャツをきて花の下でハイ、ポーズ。また搬出の時間には、昔からのお馴染み・加藤晋画伯と池田真弓画伯が登場、数寄和の社員の方を手伝いかたがた、軸の巻き方講習なども。
もうこの勢いは誰も止められないー織田画伯の軸装作品への熱い思い入れは、今後更に多くの作品を生み出していくだろう。皆様、楽しみにお待ちあれ!

幼なじみ&旅の仲間

鎌倉ご在住の幼なじみの方たちや旅で知り合った方たちのご来廊。鎌倉・御成小から御成中、七里ケ浜高そして予備校の鎌研を経て、多摩美日本画科卒という絵に描いたような道を歩まれた画伯。さすが地元の御縁が多いが、各時代のご交遊をしのばせる様々な方がお見えになところはお人柄ゆえか。
今日は、小学校からの幼なじみの皆様ー自称ハイミス五人組というらしいーのうち三人の方が。ハイミスとはまた時代がかったいい方だが、見た目はまだまだミス鎌倉で通るお嬢様がた。
手前の方は多摩美の染職科ご出身とのこと。他の科に友人が多いのも画伯の特徴。真ん中の画像の大久保宏美ちゃんは池田画伯の武蔵美のご学友であり、二週続けての登場となった。
鎌倉の海を守る会で知り合った小倉嬢はデザイナー。市民活動の中で、画家の世界だけでは知り得ない色々な方達から薫陶を受けているに違いない。
また、スリランカへの旅の仲間の方々も。本間姉とタム姉と画伯に呼ばれる彼女たち、青年海外協力隊として現地で活動している時に、画伯のお世話をしてくれたのだという。気がつけば今日もいい女たちのエネルギー満載の一日だった。

中野先生と土屋先生

画伯お留守の月曜日、な~んと京都から畠中先生のご来廊、夕方には中野先生がいらっしゃるという御大ラッシュのなか、湯島の画廊羽黒洞でグループ展中の山本隆画伯、仙崎誠画伯、手塚恒治画伯をお迎え。近所の西邑画廊では北村さゆり画伯のグループ展。このまま夜の部に突入というにぎやかな展開。
今日は今日とて日展の土屋先生、森脇先生、武蔵美ーずの先輩・大間々氏、井上氏の他、後輩の松村嬢などの面々も。
また野地練馬守と平塚美術館の郡司学芸員、美術家連盟の方のご来廊を得て美術談義がはずむ。池田画伯のお人柄の由縁であろう。

池田美弥子展の開幕

連休がすぎてから開幕しようね、な~んてB型同士なものだから今年が大型連休だったとも知らず今日の初日を迎えた。あれ~なんだかいつもの銀座と違うって思ったら世間様はまだ休み中だった次第。
おかげでの~んびり余裕の、珍しい初日だった。あたかも美弥子画伯の絵のごとく。去年取材した沖縄・宮城島の民家が描かれた100号Sの「南の木に降りる」は雲間から芭蕉の木がニョキニョキ生えて、彼の地のもつエネルギーを感じさせる作品。当地でであったスコールの激しさを印象的にえがいた「みどりの雨」など、美弥子画伯ならではの楽しい色彩が躍動する作品たちを前に、たゆたう空気にゆらいでいるとここがどこかニライカナイのように思えてくる。
神様の視点から地上の愛しい気配を感じていると、魂の幽体離脱ってこんな感じかなって思う。鳥瞰というか俯瞰の構図に画伯特有のひねりが加わって微妙な浮遊感覚を覚えさせるのだ。
時間がとまったような画廊に誘いこまれるようにいらした今日のお客人たちも、顔を横にしたり斜めにしながらこの感覚を楽しまれた。
画伯の取材地はご存じ牧ちゃんの従妹さんの家。トイレは畑という、今は珍しい昔の島の様子を伝えるところだそうだ。画伯はここに泊まって取材。その牧ちゃんからは初日を寿いで、田芋のドロワカシーとクンブイリチー、手製島らっきょうなど差し入れしていただいた。幸せそうな面々のお顔を今日は。

 

最終日ー黒猫月光氏追悼

16歳という高齢にもかかわらず、常にりえ画伯の身辺にいて画業を見つめ続けていてくれた愛猫・月光氏が昨日天寿を全うされた。
搬入の日も出かけるりえ画伯の側を離れたがらなかったという。最後はりえ画伯のもとで安らかな眠りに。合掌。
偶然とはいえ、今日はりえ画伯お父上ご葬儀の導師を勤められた雪(すすぎ)禅師と、かねて懇意の普門禅庵の見城禅師もご来廊。なにか不思議な御縁を感じる。普門禅庵にはかんのん劇場というホールがあって来月29日には、二胡の許可氏のコンサートが開催されるという。かのヨーヨーマと共演した「シルクロード ジャーニー」というCDは夙に名高い。お問い合わせは042ー378ー1707普門禅庵まで
さて完成度の高い今展の作品、小品という概念をこえる密度に驚いたのは悦子だけではあるまい。食い入るように見つめる画家のうしろ姿が多かったとりえ画伯には報告するとしよう。最終日はりえ画伯同級の松谷画伯と佐藤画伯、またご懐妊中の小林画伯も。
絵を描くことが好きだと心に確認したりえ画伯のさらなる飛躍を願いつつ。

お勝手流台所千家茶会

りえ画伯個展の間隙をついて、台所茶会派の初会が数々の名茶会の舞台となった茅ヶ崎・松籟庵で。
そもそもみそそ画伯と旅興行のつれづれに冗談で話していた台所茶会。炉はイワタニ簡易コンロ・銘「鍋之風」、釜は琺瑯引きの花柄鍋・銘「新婚」、柄杓はレードル・銘「御玉」、主茶碗はどんぶり、銘「永谷園」、茶杓はストローでできたフラッペ用・銘「逢い引き」、 建水は子供用ポリバケツ・銘「幼時遊懐」 、お菓子は鯛焼き・銘 『御頭月』など愚にもつかない事ばかり考えている私たちのいうことを現実にしてくれたのは、またしてもプリンス春彦氏。数々の名茶会の演出家である。
今回はその初会だが特別な趣向が。二月の七味会のメンバーの絵を茶室に掛けてそのメンバーの茶会デビューとしようというもの。かくして初の席亭役を勤めることとなった悦子、半東役のみそそ画伯と後見人の武大人を従えてドキドキの出番となった。
段取りの悪さを春彦さんにカバーしてもらってお勝手流にしては過ぎた道具立てではったが、無事お役目を果たし、あとはこないだの連句の続きを。ああーなんでもやってみるものー他の人にはみせられないがー恐いものが見たい方は是非!ご一緒に。

山田りえ展ー8度目の個展 はじまりはじまり

ぎりぎりの女、といえば悦子だが時として間に合わない私と違って、この方は間に合う。いわずとしれた根性の女・山田りえ画伯。 今年もぎりぎりセーフ!!の当日搬入、最後の一点は新幹線でご持参、見事山田りえの世界に。
越畑画伯との会期の合間に壁を張り替え、9年間の釘あとを消した画廊内は久々にすっきり(見えるとこだけ、だけど)。ハードなスケジュールのため画伯にしては小さめな作品たちだが、内容は濃く白い壁からその存在を強力にアピール。クリアで鮮烈な印象を与えている。
また今回は参考作品として、江戸木版の高橋工房さんから依頼のあった、千代紙の原画を展示。樋口一葉の三作品をモチーフにしたりえ千代紙は、平面のデザインという新たな画伯の可能性を切り開いた見事なもの。依頼を受けてから、たけくらべや十三夜を初めて読み、画想に苦しんだことなど微塵もかんじさせない象徴的で斬新な意匠である。するする読めないといって朗読のテープを買い、耳からも聞くという努力をしていたのは知っていたが、ここまで独自の展開をみせるとは思っていなかった。
一葉女史と同時代人で、その肖像や挿絵を描いた鏑木清方画伯とは仕事の方向は違うが、木版に起こすという千代紙作品への取り組みとして考えると、信如の残した水仙に、美登利の差出しかねた鼻緒の紅葉の友禅の布を絡ませるなどの意匠に、一葉の作品世界への同質の愛惜が感じられる。
初日、まだ作品が届かないうちからきてくれた、女性検事様たちも華やかな画伯の世界を喜んでくださった模様でなにより。ご存じ森検事氏のご同僚という亀山検事と寺尾検事のきりりと美しい立ち姿、ああ一葉女史にも見せたい!時代はかく変わった。
恒例のパーティには、台所部門初参加の鈴木摂子さんが各種お料理ご持参で。銀座で働く薬剤師さんにつき、みそそ画伯の野菜とともに健康度に優れた珍味を。牧ちゃんは昨日みそそ画伯の庭でつんだフーチバでジューシーを。つまりよもぎ炊き込みご飯ですな。茅ヶ崎組の麻子画伯たちはしらすや空豆など季節のものを。連日の激走で疲れたりえ画伯も、これら愛の珍味にいやされたであろう。

みそそな日々よ、さようなら

春は忙しい。水仙が咲き、梅が咲き、椿が咲き、そして桜だ。今年の桜は一気呵成にやってきた。自宅の近くに悦子の標準木があり、ちょっと目を離したすきにみるみる満開。
あわてて花見の準備をーといっても掃除が、、、。おり佳く、みそそ画伯という猫の手というか魔法の手があるのを幸い、深夜の大作戦開始。無事テリー佐名ちゃんご夫妻と牧ちゃん、武大人をお招きしてお花見ができた。牧ちゃんご持参のバイオリンでミニコンサートなど。三線を持たせればニーネーズになるみそそと武両画伯、バイオリンにもチャレンジ。
最近、テリーのカットスタジオに通っている山川くんも久々のご登場。めでたく佐名ちゃんと画伯と写れてうれしそう。
最終日の今日は、最近入籍した青山画伯ご夫妻とムラコ村越画伯もご来廊。お幸せのお裾わけをいただいた。
今展の作品は、忙しく走り続けたことが体力となって、一枚脱皮した印象。よく頑張った、と労いたい。ますます爆走!してみそそな道を極められるよう祈るや切。

越畑喜代美展ー再び春へ

春一番といえば風だが、たんぽぽの綿毛とともにやってくるのがみそそな世界。ようやく水温む、とか、長閑とかいう言葉と季節が一緒になった感じの今日この頃、毎度っ!という声とともに始まったさわやか朝搬入ーこのぎりぎり感がいいのよねっっっっっ!と、独り言。
しかもメインのちび巻物が届いてないぞ!きゃあきゃあ騒ぐわりには手が進まない女どもに目もくれず、淡々と作業を進める子犬便・タッチャンにまずは感謝。
なんとかならなかった事はない、と呪文のように繰り返しながら、われらB型チームが存続できるのはA型様とO型様のおかげです。
それはさて超ミニサイズの大作・みそそな巻物は机の上に鎮座ましましているが、これを繙いた人は必ず「欲しい~!」と叫ぶ。題して「御猫日日図」。画伯愛用のトルクメン族のアンティーク絨緞の上に置かれた中国の文机(しかも酒臭い)の前に座れば、宗次郎の曲とともに悠久の時間が流れはじめる、筈。岩瀬家の御猫様たちの、しどけなくも愛らしい姿態を余すところなく伝えるの図は、右から左への時間軸を得てさらに縦横無尽なものとなった。もう一度もう一度とご開帳をおねだりしたくなるこの超ミニ大作は是非実見でご覧を。
明石と大分からのお客様とともにひょっこりひょうたん島の人形制作者・片岡昌氏をお迎えしたの図も。

 

古市正彦展最終日

大学院卒業から五年目、精力的に各種展覧会やグループ展に出品して来た古市画伯だが、銀座での個展は初めて。そのういういしい緊張感につつまれた画廊内は清々しいほど。
最終日の今日は、その初めから応援してくれたご家族の皆様が揃ってご来廊。母方のおばぁちゃまも、寒さをものともせず88才のお元気なお姿をみせてくれた。小さい頃から象が好きで、絵を初めてからは近所の野毛山動物園によくスケッチにいったという。象のダイナミックな形態に惹かれたのかと思っていたら、疲れていそうで可哀そうだったと思いがけない答えが。もちろんアフリカやインドにいる状態の象は見た事がないからなんともいえないが、象の皮膚の具合をみて動物園にいる姿が幸せなものとは思えなかったのだろう。
学生時代から、何度も描いているモチーフだから、余程心にかかるものがあるのだろう。一緒に悲しみながら滅びながらその先にあるものまで描きたいという愛に似た意欲を感じた。その象の肌にも通じる静物たちもまた。その「もの」に対する執着とも熱狂ともいえるような思いを、溺れずに冷静に描き進めることの出来る人である。いずれ好適なモチーフを得た時に、この特性は花開くだろうと楽しみ。
今日は学生時代の同級生たちが最後に勢揃い。特に富士山に一緒に登ったという小島君と竹内君とは今も仲良しとか。搬出もみんなで手伝ってくれ、打ち上げの会へ。画家への道を一歩踏み出した画伯の顔は次の構想へ向かって輝いていた。健闘を祈るや切。
悦子は明日から、沖縄で美崎光邦展。どんな道中になるやら、、。乞うご期待!ひと足さきにうりずんの風に吹かれてくるさぁ~。

阿部一雅展最終日だがね

阿部画伯の最終日、愛知・旭が丘高校時代の同級生である秋山さんがご来廊。先日までギャラリー巷房で個展をしていたイタリア在住の彫刻家である。また高校も大学も一緒の仲良し・服部画伯もうずら会の合間にお顔を見せてくれ、御同席のいとこさんと三人でリラックス。
また先日ご夫妻で見えられたいとこの土田さんは、搬出を待って作品のお受け取りに。今年は秋に名鉄でも個展を予定している画伯、東京での反応を糧にさらにバージョンアップした展開が待たれるところ。
丹念にほどこした下地に描かれた小動物のミニアチュール的な魅力と、墨絵を思わせる空間把握をどんどん引き出して描いていって欲しいもの。ことに今回は三年ぶりの個展だったので、画伯のいろんなチャレンジが見えたが、次はどの方向に舵を取っていくのか、楽しみな事である。
穏やかな人柄につき、荒振らず淡々と描いていくことのなかで、彼独自の道は定まっていく事とは思うが、東京での個展が一つの契機になってくれれば幸い。
今回「俺たちの旅」のロケ地だった憧れの井の頭公園を朝散策したという阿部画伯、二人のお子のパパになってもまだまだ旅は続く。ふらりいこみゃ~。

阿部一雅展

愛知万博で盛り上がる、名古屋は長久手の里より御上京の阿部一雅画伯の個展が今日から。
画伯は1962年名古屋生まれ。1985年に愛知県立芸大日本画科を卒業後、院展を含め多くの展覧会に出品しつつ、母校の保存模写研究会に所属して、法隆寺金堂や名古屋城本丸御殿の障壁画の復元模写制作にたずさわってきた。
1993年名古屋のギャラリーあおいで初個展、2001年には悦子画廊でデビュー戦を。実直な目線でとらえた風景図や花卉図が多かった先回とくらべ、らんちう、かえる、かに、などの不思議な存在感を示すものたちを描いた今展は、独自の工夫で獲得したマチエールの効果もあって一歩自分の内側に踏み出した印象。
画家にとって自分のモティーフを見つける事はたやすい事ではない。毎回手探りの連続だと思うが、少しでも近付こうとあがく事が個展の効用なのかもしれない。派手な主張のない作風ながら、今回は阿部画伯の粘り強い目線を感じさせてもらうこととなった。
江戸時代から数寄者に盛んに愛玩されていた、という蘭鋳。実は名古屋の弥富はその一大産地でもある。学校帰りの子供のように、その水槽の前で動かず夢中でスケッチを繰り返したという画伯の執念は、えもいわれぬ存在感のある作品に結実して現前にある。人間が愛玩鑑賞のために作り出した摩訶不思議な生き物を水槽のなかに見つつ、美しさとか醜悪さとかいう思惑を越えて、蘭鋳と一体化した至福の一時があったのではないだろうか。と、思わせてあまりある作品となった。
二児のママでもある奥様の典子ちゃんは、画伯の大学の後輩。名古屋から車で日帰り搬入のお手伝いに来てくれた。このクラスの宴会に悦子もよく呼ばれて行っては餌付けの儀式をして泣かせたものだった。典ちゃんの可愛い名古屋弁も一聴の価値あり。豊橋からは一番列車で朋友の中川氏がご来廊。画廊関係では、ただいまご懐妊中のコバッチ身和子画伯が、ようやく安定期に入ったとかでうれしいお目見え。またさいか屋川崎店のマドンナ永澤嬢も久々の御登場、プリンス樋口画伯のいれたコーヒーを楽しんでいかれた。悦子は鬼の霍乱か、展覧会の合間にうっかり風邪にやられ熱のためやや潤んだ目で初日を迎える事に。げほげほっ。

 

平野俊一展 3rd 2005年幕開け初日

北から南から珍味佳肴が集まりいよいよ今年の展覧会初日へ。昨日までの冬眠に別れをつげ、いざ勝負の日々よこんにちわ。
今年最初の企画はご存じ・平野俊一画伯展。SOーRAへと題された気象シリーズの作品が並ぶ画廊内は淑気に満ちて、新春にふさわしい雰囲気。まず深呼吸して自分の居心地のいい場所を見つけよう、、と作品たちは語りかける。気象予報は、自分の未来予報へと繋がる様々な暗示を含んでいる。大気の動きに目をこらし身体全体で気象の息吹を感じようとする画伯の意気込みは、沖縄展いらいさらにグレードアップした。
初日の今日は、画伯手製のコロッケや大好物の田いものディルワカシィ数種と珍味合戦。その模様からまずは御紹介。

明日子画伯最終日&悦誕生日

岡山でも有数の進学高で教鞭を取る日々が日常とすると、コツコツ描きためた絵を発表する展覧会は非日常。明日子画伯のハレの日を祝って弟さん一家が群馬からご上京。
弟さんの林健二氏と奥様靖子さんのご実家・藤巻家、御親族の田村家の皆さんに囲まれうれしそうな画伯。まだよちよち歩きの俊太朗くんは新幹線初乗車とか。
この度は絵にお詳しい一族のお眼鏡にかなってなにより。絵がある生活を一人でも多くの方にという、明日子画伯の願いが込められた作品。その思いに応えて下さったご一族に心からの感謝を。
また、会期中、遠く沖縄の百貨店・リウボウの高田氏のご来廊を得た。ご出張とはいえ有り難いご対面。岡山と沖縄からのお客人とあれば、やはり銀座けもの道ツアーにご案内しなければと、おりから来廊の江戸っ子・うぇぶ大里氏とともに路地裏の名店ものほし寿司に。明日子画伯は連日の濃い毎日に目が白黒しつつ充分ハレの日を楽しまれた。
ハレの日といえば、今日19日は悦子誕生日。馬小屋ならぬ牛小屋で呱々の声をあげて?9年。ほほ~、と自分でもびっくりするお年に。今までこんな危険物を生かしておいて下さった皆様に感謝し、久々に例のアレ、、今年はエツケンサン婆てなことで!

林 明日子展ー今年のラストショー

岡山のマスカット娘・林明日子画伯の個展が今日から。三年前、佐藤美術館の立島学芸員のご紹介で初個展。人物中心の構成だった前回と違い、花を描いて屏風や軸に挑戦した。本をみながら作ったという四曲と風炉先屏風は、初めて作ったとは思えぬ出来。俳句で集まる時、屏風の前でしたかった、と作った動機を語る明日子画伯はあくまでも自然体である。
1969年水戸生まれ。15才から岡山で育ち、岡山大学教育学部で美術専攻し、日本画に目覚める。大学院時代から日展に入選するも、その後ひとりでコツコツ絵を描きためてきた。
岡山は、かの雪舟宗純、浦上玉堂や小野竹喬、池田遥邨などを輩出した地でありながら、京都に近いせいか地元の日本画家は以外に少ないという。今回の屏風制作ではないが、ほぼ独学で日本画の技術を習得、かろやかに風が吹き抜けるような余白を持つ絵を仕上げてきた。
爽やかな香気を漂わす一連の作品、特に「チューリップ・光」にある空気の揺影は特筆すべきもの。白麻紙に裏彩色した地に淡い青と赤を添えて、光のなかで揺れ動く存在を描いた。これは間違いなく林明日子だといえる作品だと思う。まだ拙さも見えかくれする中に、深い実在感をもつこの作品が生まれたことをうれしく感じたことだった。
今、佐藤美術館で会期中の及川聡子画伯と、久々登場の横尾英子画伯に激励されたのちは、初日を言祝ぎ湯島のジャズクラブで大人のひとときを。今日は有名なジャズシンガーがきているらしい、、。


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