最終日はお肉で

去年の初個展で、会期終了後にテリーのスタジオに飾ってもらった一点が、初めて絵が売れた作品となった由美子画伯。最終日にその恩人・テリーと佐名ちゃんが御来廊。
是非、今年の由美子画伯の色が見たいと、仕事のあと駆け付けてくれた。一緒にカットが終わったばかりの小田さんも。最終日の最終コースには、おりしも東北芸術工科大時代の同級生・奈緒ちゃんもご同席。搬出を手伝ってくれた。
その後、同じ方角へ帰る画伯と西船橋まで。な~んと、テリーのお客様がここで焼き肉屋さんを経営しているのだという。これが実に旨かった!。恐るべし!食いしん坊将軍とその奥方たち。肉にかけては悦子もうるさい。「海人」というTシャツがあるが、「肉人」というのがあったら絶対買うもの。
緊張の日々も今日で終わりの由美子画伯、わたし達の食欲に目を白黒させながら、つつましやかにモリモリ。素敵な店主奥様から、スペシャル生肉刺身の差し入れもあり、もう陶然とする舌。いい脂は甘いのだぁ~!まぁ最終日くらいはおいちい生活してもバチは当たらないよね。
それにしてもお疲れさまでした、由美子画伯。こんどはパパも彼氏も連れて来れるよう、心臓を鍛えておくんだよ。

由美子画伯ドキドキの毎日

休み明け第一弾は若手におまかせ!ってなことで由美子画伯は毎日画廊でドキドキの日々を。それでも去年よりは、幾分緊張の度合いがましだったらしく、本物のお母さまもご来廊に。どうも去年は親にも見せられなかったらしい。な~んだか、とってもかわいい!初心さ。
佐藤美術館の立島氏は、卒展で由美子画伯の絵の力強さを見初めたお人。今回も忙しい中駆け付けてくれた。また、郷里新潟の集中豪雨の処理でテンテコ舞いだったという小黒氏も、お忙しいあいまに。遅蒔きながらお見舞いを申し上げる。本当にお疲れ様でした。

 

偽・親子の肖像ーひよこ付き

画家と画廊主といえば、切っても切れぬ仲。その中でも由美子画伯とは同姓のよしみで、な~んちゃって親子像を前にも撮った事が。今から9か月まえの武大人の個展中だったので、武さんに偽・お父さん役で出演してもらったが、奇しくも今日はリターンマッチ。武大人のお嬢様も大きくなってもうお年頃につき堂々の父親ぶり。悦子は偽・隠し子由美子画伯の金髪に刺激され、今度はお揃いの色にと密かに誓う。二枚揃うと、この数カ月の画伯の成長ぶりがしのばれるよう。
今日のひよこちゃんは、辻が花染め作家・田沢たかこちゃんの愛嬢まつりちゃん二才。去年西馬音内の盆踊りで会って以来一年ぶり。こちらも立派なご生育ぶりでなにより。偽・家族の肖像に孫役で登場いただいた。

 

コスプレ?いやいや試着会

インドから新恵画伯がサリーを土産に帰朝。早速、佐藤美術館で日本画講座開講中のりえぞー画伯とあれやこれや吟味を。なにせ今回の品はわざわざ頼んだだけあって、バラナシシルクとよばれる高級品。インドに詳しい新恵画伯が腕によりをかけて選んだ絹のサリー、一体誰がどこに着ていくんだというようなすんばらすぃ~逸品だが、悦子とりえぞー画伯にかかれば派手という文字は死語に近い。これ着たらマハラジャ以外とは歩けないわねえ、とうっとりする悦子に「私、地味な顔だから」とのたまうりえぞー画伯。即座に秒殺しつつ、次々とサリーを巻き付ける。以下、その画像。
由美子画伯も嫌いではないと見えてぐるぐる巻き付けられ、瞬く間にインド少女に。こんな人たちいるよね、、悦子は少しグレコ風に撮られて見た。もちろん、この衣裳はりえぞー画伯の研究材料に。モデルになりたい方は是非ご一報を。

柴田由美子展ーいよいよ二学期

夏休みの日記状態に、提出期限を過ぎてから泣き泣き書く悦部屋。過ぎてしまえば忙しかった日々も一瞬、楽しさしか残らないのが不思議。ていうか、これが懲りない原因か。なんとか日にちの辻褄だけはあってきたようで、、。
それはさて、今日から画廊の二学期。去年、画廊デビューを果たした柴田由美子画伯の二度目の展覧会から、秋の陣がいよいよ。
同じ柴田なので親戚説が飛び交う中に、隠し子説まであったのは大受けだったが、今年26才の彼女、悦子が22才の時に生んでいれば親子でも不思議ではないお年頃。まぁ画廊でお預かりするからには、親子より濃い関係になるかも。
東北芸術工科大学日本画科で岡村桂三郎画伯に師事、あどけない風貌からは想像できないダイナミックで渋い色調の作風の画伯。これら一連の作品には、大地から立ち上る気をとらえ、なんとか空とつなぎたいという意志がある。目の前に広がる世界の豊饒さに目を見張り、驚きとともに描いているようにも思える。天と地の間にあるドラマを、自分の心をなぞるように直裁に語りかけながら朴訥に積み上げて描いているという印象である。
テクニックよりなによりこの初心を得難いものと思う。計らいを捨ててスケッチを重ねたうぶさを宝として、さらに耕してほしい。
そんな画伯の初日、柴田ファミリーのゴットマザー・鎌倉の豊子叔母がいとこの裕美子ちゃんとともに来廊。今日は近くで観劇だとか、山のように御馳走をつくってきてくれた。ユミコちゃん同士だし、これからもよろしくねとご挨拶。また、一段と男っぷりをあげた林教授、金色に輝くゴジラ持参のご子息多聞ちゃんをつれた野地練馬守、テラコッタ作家の加茂幸子画伯など、二学期そうそう濃いメンバーとなった初日だった。

白蓮のうちに宿せる浄夜かな

蓮の絵を愛でる茶会を、とのご所望により句友・紀子さま別邸で一服。昨日ペナン島から帰ったばかりの紀子さまのお手前はいかにも涼しげで、今日の正客・珍味担当役員杉田氏は惚れ惚れとその捌きに見入る。
実はこの蓮茶会、まだ飾る場所がないというご所蔵の杉田氏のために、かねて悦子がお約束していたもの。紀子さま別邸は人形町という便利な場所にあるので、この際甘えて特別に設えていただいた。
浄夜と題された「蓮」の絵の作者は吉川優画伯。画廊とは違う光と室礼の中でしみじみ拝見、美味しいお菓子とお茶をいただきながら至福の数時間を過ごした。杉田氏には、紀子さまじきじきのお茶の手ほどきもあってさらに感激!夏休みならではのゆったりした午後となった事だった

行く夏や同級会のここかしこ

秋田では、お盆の頃には秋風が立つ。季語の季感とあまり時差がない気候なので旧暦ですべて祭りがとりおこなわれる地域だ。七夕の頃の暑さが嘘のように涼しい夜風に吹かれながら、同級会の群れ群れが町にくり出す。
帰省中の若者のにぎやかな一団をかき分け、オジオバ組もいざ出陣。明日は東京に帰る悦子も最後の宴に。小中時代の同級生とは、地元ゆかりの小野小町のお堂のある小町園でどんちゃん。卒業時に書いた寄せ書きの、恥ずかしい一文を皆で読みつつ往時をたどる。
その後、湯沢のゴローさんのとこで、今回の七夕展の打ち上げ。高校時代の同級生・エコちゃんこと柴田栄子さんがいなければ、秋田展は実現しなかった。また、栄子さんの旦那・英助さんの一年先輩が友子さん、という御縁がさらに楽しい輪となって悦子の秋田ライフを深めてくれた。この二人にスペシャルサンクスを。
そう遠くなく半世紀をむかえるこの三人娘もそれぞれの境遇を経て、一年に一度七夕に会うというお幸せを共有する事に。郷里というのは有り難いものと年々思いを深くするが、それもこういう友がいればこそだろう。
今日は湯沢を代表する色男・ゴロー氏の経営するジャズ串揚げバーで名残の宴を。ゴロー氏は秋田艶笑譚や秋田グルメ本などの執筆もする一方、独特の語り口で和ませつつ絶妙のタイミングで串揚げを供す。今日は入りきれないお客さんと対応しつつ、また楽しませてくれた。ここのジャズコレクションも一聴の価値ありーなのでこの機に画像御紹介を。いつもこの顔ではありません、念のため。

湯煙りすっぴん対決!ー秘境泥湯

にぎやかに会期を終え、今日は撤去。拉致されたまま、明日は名古屋への長い旅路を走るイチロウ先生の労をねぎらうために、秋田が誇る秘境中の秘境、泥湯温泉へ。
といっても湯沢から車で40分。悦子んちからだともっと近い。途中、谷底にくらくらしながら三途川という川を越え、硫黄のけむりの中川原毛地獄へ。明治時代まで硫黄鉱山だったこの辺り、まさに草木も生えない土地。車もすれ違えないような道が途切れるところに目指す泥湯が。昨今の秘湯ブームで知る人ぞ知る名所になっているが、実際に来られる人は少ないに違いない、まさにつげヨシハル的温泉である。
時刻ははや夕方。夕餉に向かう泊まり客を後目に、ゆっくり白濁した硫黄泉につかる。ここの露天で、イチロウ君と友子さんの息子コウちゃんのお宝すっぴん御体画像頂戴。その後、川原がそのまま温泉になっている大湯滝で、さわやかにすっぽんぽん!あ~日本に生まれてよかった。夏場はここに暮らしている人がいるくらい、いいお湯。とはいえ脱衣場もないんだけどね。さすが、男チームとは少し離れたところで湯煙美女となった悦子と友子さん。遠巻きから眺めていたイチロウ氏のいう事にゃ、桃が四つぷかぷか浮かんでいたそうな。
すっかりリフレッシュした我々は、湯上がりの一杯を求めてネオンの中へ。という顛末を今日はご報告

イチロウ秋田巡業編

横浜高島屋での展覧会を無事終了。そのまま秋田に拉致される事となったいっちゃん氏。15キロばかり軽くなったワゴン車で、東北道をひた走る。昨日徹夜の悦子のナビはいかにも怪しいが、やっぱり間違え、一旦乗った高速を降りるはめに。確か、この道は10日ばかり前齋藤隆画伯に絵をお返しに行くとき通ったのに~と叫べど、無情にも勘違いだった。
なんだかんだの珍道中も最終目的地に着くもの。今日からお世話になる秋田美人の会湯沢支部会長・友子さんちに深夜イチロウ君を預け、悦子は爆睡。翌朝は日展湯沢展のレセプションのため、長野から織田有紀子画伯が来湯。わずか三時間程の滞在だったが、御本家柴田周一氏と友子さんとで迎える。
七夕祭の本番は5、6、7日。町の中ところ狭しと並ぶ絵灯籠には美人画が描かれ、宵闇が迫る頃には灯がともされて、なんとも妖艶な雰囲気に。
みそそ画伯ゆかりの西馬音内・佐藤氏夫妻や友子さんの着物の生徒さんやら美人だらけの宴会に、イチロウ先生もご機嫌。最終日には秋田から民俗学の先生や博物館の学芸員の方たちも宴会に参加。おおいに盛り上がった。
駆け足だが、その一端を。

イチロウとNieの始末の良い仕事展

横浜高島屋にて今日から一週間、ご存じいっちゃんこと二宮一朗氏とニィちゃんこと一子さんの二人展を開催。怒濤の上にまた怒濤で、アップアップの悦子だが、みなさんに助けられ無事開幕できた。関係各位に改めて御礼を申し上げる次第。
イチロウとNieのコンセプトは、生活の中で見向きもされないものたちの復活戦。いいものが粗末にされ、返り見られなくなっている昨今の状況に、さりげなくしかも強烈にもの申している。着られないまま打ち捨てられた古布を生かして、斬新で着やすい服づくりをするニィちゃんは、すでにカリスマ化していて熱心なファンをもつ。また、流木や、解体された民家の古材を素材にテーブルを作っては、薪を焚いて暖を取った後の灰を釉薬にした器で宴を楽しむという、イチロウ氏のデクノボー的人生から啓発された人も多い。
今回は画廊を離れて、初めての方にお二人を御紹介した。花ちゃんこと花島ちゃんが着ているのは、大漁旗を柿渋で染めた今回のためのニィちゃん作品。みそそ画伯やりえぞー画伯御用達の服なので、ご存じとは思うが何年もかけて洗いさらした生地なので着心地は抜群。街にでれば注目を浴びること間違いなし、だが何よりの効用は元気が出る事。二人が凄いのは、既成の概念から始めないことだから、毎回こちらもチャレンジ。またいい出会いがありますように!!

佐原和人展初日

24才で個展デビューして以来、都市の残像を描く佐原画伯の今年の個展が今日から。 今展と平行して、横浜高島屋にて「イチロウとNieの始末の良い仕事展」を開催するため、身体が二つない悦子、画廊の事は悦子よりよく知るサハラ隊員に預けて出稼ぎに。
佐原画伯とサハラ隊員を一度にやるのは大変なこと。まして今回はお父様の佐原和行画伯も同会期で個展のため、お母さまの御協力も仰げない。この非常時におっとり薙刀で駆け付けてくれたのは、久々登場の綾ちゃん。う~んと、お忘れの向きにはコスプレの部屋の悦日記の中程に、お二人が士官とご令嬢姿で見つめ合う画像が掲載されているによってご参照を。
綾ちゃんは、普段昔着物のくるりさんでお仕事をしているので、今時の若者には珍しいしっとりとした情緒のある才媛。フランス語も堪能なのがトレビアン!な彼女、実はあの共演がきっかけで佐原画伯のパートナーに。コスプレもたまには役に立つのが実証されてなにより。
そんなワケで、私生活も充実の佐原画伯、今回は二人のコラボを象徴する、自作作品をプリントした絹の着物を制作。それを毎日着て御接客の運びに。少しやせたかな?と思われる画伯の腰に帯をタイトに巻き付けお江戸ライフの画伯、なかなか決まっているでしょ。
10月には念願のロンドン展もあるし、益々活躍が待たれる画伯の初日画像を御紹介。5日までよろしくね!悦子は出稼ぎに行きまーす!

コバッチ身和子画伯恩師とともに

暑い、暑い今日この頃。39、5度という信じられない気温が記録された今年の夏。毎年この時分になると壊れるクーラーもなんとか持ちこたえ、猛暑の中を来てくれる方をお出迎え。画伯お仕事仲間の、特許庁の方々も同級生の方々も汗をかきかきご来廊。
最終日の今日は、女子美大時代の恩師・松本俊喬氏を迎えた。変わらず教え子の発表を見に来てくれる有り難さに、接待も濃いめを心掛ける。30代の前半というのは、絵を続けるかやめるか迷う頃。まして女性画家であれば、結婚・子育ての時期にあたるため、この時期をどう乗り切るかが大きな試練となる。
幸いお父上も画家、嫁ぎ先のお母さまも絵に関心がある方という恵まれた環境。なによりも旦那の行地氏が、彼女の制作活動に協力的なのが、有り難い。なんであれ続けて、その時にしか咲かない時分の花を咲かせていくー要はこれに尽きる。
慌ただしい結婚後の数カ月に、個展の準備は大変だったと思うが、この後に必ずや生かされることだろう。前にもまして、描くことに意欲を燃やしているのは、顔色をみればわかる。人物を抽象形で描くというチャレンジは、様々な試行錯誤を経て、鮮やかに画像として立ち上がる。自分の心と格闘しながら紡ぎだすしかない世界を目指すからには、精神的な体力が必要だ。おおらかなご主人との生活の中で、更に豊かな精神性を持たれるよう祈るや切。
今日は同級生と恩師の画像とともに、今展の殊勲賞・ダーリン行地氏、お母さまご恵贈のドンペリヴィンテージの、香り高い泡をお目にかけて、コバッチ身和子画伯の船出を祝福するとしよう。

コバッチ身和子再び!

華麗なる女子美アーンド新婚パワー炸裂の今展、猛暑の中を色んな方にお見えいただいた。
見事減量して病院から帰還の林先生も、夏休みに入られたとの事で御来廊。お互いスリムになった身体を見ながら健闘をたたえ合う。尾長君も甘いもの好きがこうじて糖尿と戦っているが、林先生も甘いもの好きという点では人後に落ちない。もちろん女の子としては甘ものはかかすことのできない必須食品。珍味ばかりではなく甘味も揃う悦子画廊では食べられないお二人もついつい一つ二つ手が伸びる。
そういえば府中美術館の本江館長も甘ものは大好き。チョコレート談義に花が咲く。珍味堂ついでに甘味堂も名のれそうな画廊ではある。あの大虎・いなさんも実はとらやの羊羹(黒砂糖のやつ)とアイスクリームは大好物。ただイメージを裏切るので人前では食べないそう。
今日は、女子美の美女軍団とむらこ村越画伯など甘党の決起集会のようになった画廊だったが、宵闇がせまる頃になれば珍味党も集まる。なんとも十両系というか重量級が揃い踏み。ここに武大人がいればいうことないのだけれど、、。
ということで御姫様状態のコバッチ身和子画伯の艶姿を。ちなみに画伯は、呑めないのに珍味好きという悦子と同じ体質。最近は旦那も巻き込んで珍味を取り寄せているとか。今回も新妻モード全開の手料理を色々作ってくれくれた。

小林身和子画伯二度目の個展

二月に、行地氏と目出度く結婚した小林身和子画伯の二度目の個展。彼のお母さまからドンペリニョンのビンティージをお祝いに頂き、呑めない身和子画伯もわーい!もっとわーい!だった悦子、早速銀子を呼び居合わせた野地練馬守とテイスティング。うまーい!やはり新婚の味か、爽やかな甘さと切れの佳さ。お母さま堪能させて頂きました。有難うございました
結婚後、晴れやかな表情の画伯、安定した暮らしにはまだまだ届かないにせよ、お元気パワーで旦那さんとの生活と絵の両立を乗り切ったとみた。また、時間がある時に今回の仕事を振り返るとして、とり急ぎ、身和子応援団の画像のみアップ。詳細はまたいずれ。

T大人歌手デビューと浜降祭

なんだか、連日大忙し!のため日記掲載が遅れているが。今日はお詫びに秘蔵中の秘蔵お宝写真を。実は密かにT大人歌手デビューを画策している悦子。無事プレデビューの日を迎えた画像を抜かりなく。場所は都内ジャズ倶楽部。演奏するはご存じ銀子の友人T氏のトリオ。ステージママとしてはハラハラだが、一般のお客様の前で堂々の歌唱はお見事の域!次報は今秋の本格デビューまで待て、ですか。
さて、一夜明けて小林身和子画伯の搬入後は、御待ちかね『暁の祭典・浜降祭』へ。なにせ暁だから、深夜二時に宮出し。搬入から初日までのスリリングな何時間を祭り三昧でという野望をもって茅ヶ崎・池田亭へ。池田亭主人義孝氏は仕事のため不参、代わりに美弥子夫人の妹夫妻と松谷画伯のメンバーで。アジアのツアーガイドのような出で立ちの美弥子夫人、地元のケモノ道を知り尽くした人ならではの緻密な案内を。鶴峰八幡の宮だしを振り出しに海まで延々三時間神輿に密着。いよいよ浜降りの前には抜かりなく団子屋でほかほかの団子ゲット!海に入る神輿を追いかけたり追いかけられたりずぶぬれになりながら、同じく頭から潮をかぶっている酒呑亭N氏もゲット!海上がりの珍品なり。
その後、吉田氏邸で心尽くしの祭りの振る舞いを受ける。しかも、御舟様が愛した湯殿で潮を流すという特別な計らいも。アトリエは神韻渺々とした空気に包まれ、呆然とするばかりの我々お祭り探検隊の前には、松露をかたどったエリンギの炊き込みご飯松の実付き。朝の七時に次々に供される御馳走の数々を堪能し、これ以上いたら余りの心地佳さに昼寝してしまうというぎりぎりのところで、今日が初日だということに気がつく。いかん!いかねば!春彦氏と浜降祭の神様たちに感謝して茅ヶ崎を辞す。

月星よ、さらば

炎熱の東京。連日の熱風の中来廊の皆様に御礼を。山あり谷ありの会期中も過ぎてしまえば、一瞬。毎日緊張感のある作品とともにいたせいだろうか、暑さを忘れて毛穴も引き締まる思いを。
お別れに、今回の作品「月星」とのコラボを各種ご紹介。作品との一体感をそれぞれに表現してもらった画像を。
もちろん最初は悦子。また、九月にカナダ展を控えている杉本洋画伯ご夫妻、先日画伯がお邪魔した高円寺のお店のマスター(前衛舞踏家)、俳句仲間の松助・磨女の一同。さらに俳友で俳優の伊藤洋三郎氏とCMディレクターX氏及び女優Y嬢も怪しい姿を。ちなみに洋三郎は先頃団鬼六原作「花と蛇」に出て杉本彩をさんざんいぢめた。その妖気が消えないうちに。またX氏は今、放映中の船越桂氏のCMを撮ってる方。これらの方々と別れを惜しんだ「月星」は、これから次の任務地へと旅立つことに。いざ、さらば!

濃い関係の方々

立山画廊・堀實紀男氏の御来廊。若いながらこの十何年間画伯を側面で支えて来たお方。悦子もさんざんお世話になっている、いわば盟友。今日はわざわざ富山から。同じ日本海の御縁で日展の中村徹画伯とツーショット。う~ん、ここまで男が似合う男も珍しい。
男といえば、ご存じいなさん。今回の画伯の宴では、一夜俳友として歌合戦を付き合ってくれた。かつて酒を呑んでは乱とか泥とか血とかいう字に縁のあったお二人も最近はやや大人になって静かに熱く語る夕べになる、、筈だった。ところが、ある御人が画伯に無礼な言動をするや、いなさん久々の発動。大魔神となって立ち上がった。それを、あの齋藤隆が「まぁまぁ」と止めて事亡きをえたのが秀逸。自分の事より自分が大切にしてる人を侮辱されると人は怒るもの。画伯も歴戦の強者だが、この二人がタッグを組むとさぞや、、あ~考えたくない!画像は嵐の前の柔和な大魔神。画廊新スタッフの産賀さんと齋藤画伯のご友人とともに。
また、横の会のお仲間というか戦友・仲山計介画伯も。悦子同級生の工藤ちゃんと、先日秩父でお世話になった長瀞一番星ミュージアムの方もご一緒に。この方は小泉さんそっくりでしょ。

画伯のご友人たち

持ち歌を全曲歌わないと眠らない画伯との歌合戦は歌唱力より体力勝負。存在感が歌と一体となっている画伯の一曲は、普通の人の十曲分に相当する。ゆえに二十曲くらいある画伯のもち歌を聞き終わる頃には、こちらはニ百曲くらい歌ったような感じに。「あぁ上野駅」から始まって「国境の町」になり「赤いランプの終列車」まで、堂々の名曲めぐりを三日間ほど。
それはさて、昼間の画廊にいらっしゃる方々は、これまた堂々の御歴々。京都からは、樂家十五代当主吉右衛門氏と奥様がいらしたか思うと、読売新聞の前田氏とご同席。美術記者というより若き学究という面持ちの前田氏は中国美術史が御専門とか。墨に取り付かれている画伯を御紹介した一文はお見事だった。樂氏と画伯は以前書展でご一緒した仲。初めて画廊にいらした時はアタッシェケースを下げていらしたので、敏腕の青年実業家と思った悦子が、お仕事は?等とうかつにもお尋ねしたところ、やきものやです、と。京都のやきものや、といえば、、と回路が繋がるまで約3秒。いやはや恥ずかしい。今回はそのアタッシェケースの中身がなんだったか判明した。なんとそれを下げている時は、初代長次郎か三代のんこうの器を伴っている時だという。ご本人とお父様の作品は画廊に展示したことはあるが、まさか初代様までいたことがあるとは。今回は美しい奥様を伴っての御来廊。先日御訪ねした秩父の法性寺ご住持ご夫妻もご一緒に楽しい一時を。
夜には、先日熊谷守一の写真集を出したばかりの写真家・藤森武氏の御来廊。土門拳の弟子にして、若い頃から熊谷画伯や白州正子女史に可愛がられてきた藤森氏は筋金入りの猛者。熊谷画伯が絵を描く姿を撮らせたのは氏が最初にして最後だという。齋藤画伯とも長年のおつきあいとか。いつか三人で句会を約す。居合わせた吉田氏とも料理談義で大いに盛り上がる。ウェブ大里氏とは最近の写真の話など。
また、若手では諏訪敦画伯が表敬に。大野一雄氏などを描く諏訪画伯が、齋藤画伯の絵に反応しない訳はなくひとしきり話し込まれていかれた。彼のウェブにも面談の顛末が。是非御覧あれ。

齋藤隆 秩父路を行く

三年ぶりにご上京の画伯。もとより密着ご接待は覚悟の上だが、この度は、ご接待方々顔見世興行の旅。秩父三十ニ番札所法性寺ご住職ご夫妻は、ご自身達たちも絵を描かれることもあって、かねてから画伯のファン。秩父入りともなれば是非御訪ねしなければとのことで、旧知の浅見画伯と。
また、秩父ワイン社長も酒蔵を改造して美術館にする構想をお持ちだとか。懇意にしているドーベルマン村山氏ご夫妻とともにご挨拶に。コレクションや秘蔵のワインを堪能後改装中の酒蔵を見学。外は37度を越す暑さというのに、さすが土蔵は涼しい。朴訥な中に必死で秩父ワインを育てた気骨を偲ばせる社長夫妻の饗応を受けながら、こういう方たちにこそ画伯の作品を、と思う。
夕方からは長瀞一番星ミュージアムにて名画に囲まれながらの一献。星社長自慢のあれこれは話にはきいていたが、これほどだったとはと感心しながら、銚子から届いたばかりという絶品の目刺で冷酒を。昼間のワインにほろ酔いのうえ、渓流の流れを聞きながらのお酒とくればめくるめかない筈はない。ご主人の星社長が日本橋のお店からわざわざ戻って来て下さった頃には、青木繁の絵の下のソファですやすや。もちろん、人家のない秩父路にもカラオケ屋はある。今日の御宿・新木鉱泉に辿り着いたのは午前三時だったか。誰一人帰ろうと言わないのは、みんな只の御人ではない証拠?
瀬を早む音や蛍の来ては消へ  珍味堂遠見

鬼才!齋藤隆展が今日から

今日から始まる京橋界隈展、悦子画廊では齋藤隆展を開催する。二人展・四人展では御紹介していた画伯の画業も個展では初めて。ようやく十何年かの念願が叶った。
悦子がホントの小娘だった頃、齋藤隆画伯はすでにその鬼才ぶりを注目されている気鋭だった。中村正義画伯が存命中、齋藤画伯もメンバーの「異色作家五人展」という展覧会を、この画家たちが正統なんだから「正統派五人展」にしろ、といい続けたのはあまりに象徴的だが、いかにも絵を描くということだけに人生の焦点を合わせて来た画伯こそ、画家の王道をいくというにふさわしい。
今展に先立って三月にN.YのM.Y.Art Prospectsで開催された「齋藤隆展」の内容に、コンテ時代の大作も加えて画伯の十余年の苦闘を伝えるべく企図したが、企図した本人があらためてこの年月の凄さに気付かされることになった。
リアルタイムで作品を見ていたし、十全に理解していると自負してはいたが、十年たって振り返ると、作品一点一点の歩みがまさに血と汗の結晶だったという事が今さらながら見えて来た。今までの技法を捨てる、というのは言うほど易しくはない。技法が変わることで、描く対象が変わる、極端にいえば世界観まで変わる。仙人というには生臭い人間としてのエゴを抱え、山中深く呻吟したその歴史が、これらの絵だった。
これほどの孤独に耐えた線があっただろうか、と画伯の画業を反芻してみる。定時制高校を一年で中退して以来、家族ごと転々と放浪。折々の時代に、これが齋藤隆だ、としか言えない作品を制作してきた。描かずにはいられない火のような衝動に支えられた作品たちだったと。いわば「動」の時代の線は、画題によらずどれも生々しい。その「殺気」に似た執念による作品は生気があらばこそ。その生気を振払うように、ひと気のない川内村に隠者の如く移り住んでからは、自分の手の皺を見る日々だったと聞く。徹底的に人との交渉を避けて自分と向き合った時に、人は何を見るのだろうか。手の皺に、木の目に、鉄の錆に、枯葉に、蛇の抜け殻に分け入って、その風化していく様相を描く事は、「生と動」のドラマから「死と風化」のドラマへの展開を物語る。墨という素材を得て、画伯はどこか覚悟を決めたのだろう。墨をよく知る人だからこそわかる恐さに立ち向かうために。
今、川内村は青葉に彩られ生き物の力で溢れんばかりの季節だ。長い冬籠りの時期を経て一斉に芽吹く自然の息吹と同化するように、画伯の十五年に及ぶ孤独の作業は「再生」の時期を迎えたように思う。一連の仕事を時代を追うように見ていると、画伯の目線が次を目指しているのがわかる。いよいよ佳境に差し掛かった画伯が一体どこまで連れていってくれるか、楽しいような恐いような、、。
初日の今日、作品とお茶目にコラボしてくれた池田二十世紀美術館の林館長他、三十年来の戦友の方たち、野地練馬守と若い生徒さんたち等、久々の人間に囲まれてニコニコの鬼才の姿を御紹介。

 


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