阿部一雅展最終日だがね

阿部画伯の最終日、愛知・旭が丘高校時代の同級生である秋山さんがご来廊。先日までギャラリー巷房で個展をしていたイタリア在住の彫刻家である。また高校も大学も一緒の仲良し・服部画伯もうずら会の合間にお顔を見せてくれ、御同席のいとこさんと三人でリラックス。
また先日ご夫妻で見えられたいとこの土田さんは、搬出を待って作品のお受け取りに。今年は秋に名鉄でも個展を予定している画伯、東京での反応を糧にさらにバージョンアップした展開が待たれるところ。
丹念にほどこした下地に描かれた小動物のミニアチュール的な魅力と、墨絵を思わせる空間把握をどんどん引き出して描いていって欲しいもの。ことに今回は三年ぶりの個展だったので、画伯のいろんなチャレンジが見えたが、次はどの方向に舵を取っていくのか、楽しみな事である。
穏やかな人柄につき、荒振らず淡々と描いていくことのなかで、彼独自の道は定まっていく事とは思うが、東京での個展が一つの契機になってくれれば幸い。
今回「俺たちの旅」のロケ地だった憧れの井の頭公園を朝散策したという阿部画伯、二人のお子のパパになってもまだまだ旅は続く。ふらりいこみゃ~。

閑話休題ー名古屋力?の考察

東京にひそかに棲息している名古屋な方々も、味噌とうどんの硬さの話になると、君子豹変して「これだがね」と名古屋力全開に。コメ兵も手羽先の「風来坊」も矢場とんも東京進出を果たしているのに、ソウルフードともいうべき味噌煮込みうどんの「山本屋本店」は何故か姿をみないのは麺の硬さのゆえか。
江戸っ子はもちろん蕎麦好きが多いが、煮込みうどんは溶けるくらい煮込んだぐずぐずうどん。大阪だって讃岐だって、コシがあるっていうくらい。
その点「山本屋本店」のはやわな歯では噛み切れない強度。しかも熱々をふたに取ってさましながら食べるという、名古屋らしい合理的なシステムのため、鍋のふたに穴がない。初めて食べた時にはびっくりしたが以後病みつきに。ちなみに「山本屋総本家」というのもあってこちらはうどんに蕎麦粉が入っているらしいので蕎麦アレルギーの方はご注意。
きしめんは早くゆであげるためにあの薄さになったというから、うどんをあの硬さで出すのも時間を惜しむ合理性故か?いずれ強靭な歯をもち、時間を無駄にしないという人間として有利な特性に恵まれた名古屋の方々の力が、万博を機にまたさらにパワーアップするのは間違いないこと。
お正月に山本屋の洗礼を受けたという大野画伯は、阿部画伯と鳥羽のマナティ話を。またバレンタインのチョコご持参でいらした阿部画伯の教え子・松葉さん、犬山でお父様が老舗の洋食店を経営し、弟さんが三月に栄で若乃花の店「若」をオープンするという矢田裕子画伯など、元気いっぱいの名古屋エンヌたちもお迎えした。もちろんみなさん御国言葉などいっさいもらさず、「どえりゃぁうめぇでぃかんわ」などというのは悦子だけであった。

高崎昇平展と合流

おりしも隣のギャラリー朋さんで個展中の高崎氏が、いただいたお酒を持参してご来廊。7時過ぎれば無礼講とばかりに、両画伯を囲んで各種酒精のお味見の会。
京橋コパンダールさんで個展中の武大人は禁酒中のため香りだけの聞き酒。香道の作法に近い手つきで古酒の度数当てを。
函館の典子さんは、三月から勤め先の新聞社の東京支社に転勤とかでお部屋探しに。文化事業部畑で活躍するだけあって絵に関心が深い典子さん。早速新居用の一枚をゲット。まいど~!
次の日には牧ちゃんが、北海の珍味と南国の珍果カニステルをご持参。一日の時差はあったが、昨日の酒の味を思い出しながら、もくもくとシッタカ貝をホジル。毎日誰かが何か持ってきてくれるありがたさに、阿部画伯も悦子も陶然として日記用の画像を撮り忘れるのが難点。かろうじて理性があるうちにアップしとこうっと

阿部一雅展

愛知万博で盛り上がる、名古屋は長久手の里より御上京の阿部一雅画伯の個展が今日から。
画伯は1962年名古屋生まれ。1985年に愛知県立芸大日本画科を卒業後、院展を含め多くの展覧会に出品しつつ、母校の保存模写研究会に所属して、法隆寺金堂や名古屋城本丸御殿の障壁画の復元模写制作にたずさわってきた。
1993年名古屋のギャラリーあおいで初個展、2001年には悦子画廊でデビュー戦を。実直な目線でとらえた風景図や花卉図が多かった先回とくらべ、らんちう、かえる、かに、などの不思議な存在感を示すものたちを描いた今展は、独自の工夫で獲得したマチエールの効果もあって一歩自分の内側に踏み出した印象。
画家にとって自分のモティーフを見つける事はたやすい事ではない。毎回手探りの連続だと思うが、少しでも近付こうとあがく事が個展の効用なのかもしれない。派手な主張のない作風ながら、今回は阿部画伯の粘り強い目線を感じさせてもらうこととなった。
江戸時代から数寄者に盛んに愛玩されていた、という蘭鋳。実は名古屋の弥富はその一大産地でもある。学校帰りの子供のように、その水槽の前で動かず夢中でスケッチを繰り返したという画伯の執念は、えもいわれぬ存在感のある作品に結実して現前にある。人間が愛玩鑑賞のために作り出した摩訶不思議な生き物を水槽のなかに見つつ、美しさとか醜悪さとかいう思惑を越えて、蘭鋳と一体化した至福の一時があったのではないだろうか。と、思わせてあまりある作品となった。
二児のママでもある奥様の典子ちゃんは、画伯の大学の後輩。名古屋から車で日帰り搬入のお手伝いに来てくれた。このクラスの宴会に悦子もよく呼ばれて行っては餌付けの儀式をして泣かせたものだった。典ちゃんの可愛い名古屋弁も一聴の価値あり。豊橋からは一番列車で朋友の中川氏がご来廊。画廊関係では、ただいまご懐妊中のコバッチ身和子画伯が、ようやく安定期に入ったとかでうれしいお目見え。またさいか屋川崎店のマドンナ永澤嬢も久々の御登場、プリンス樋口画伯のいれたコーヒーを楽しんでいかれた。悦子は鬼の霍乱か、展覧会の合間にうっかり風邪にやられ熱のためやや潤んだ目で初日を迎える事に。げほげほっ。

 

富山マイラブー北日本新聞の取材

富山の北日本新聞の取材があった時に居合わせた方は、奇しくも富山に15年住んですっかり富山ファンとなった友部さん親娘。富山に住む友達に聞いてと、堀画伯描く「富山八景」を見に来てくださった。入念に取材した堀画伯の一幅一幅に、美しい富山の風光を見て喜んで下さった。
北日本新聞の記者の方も丹念に見て、早速友部さん親娘の写真入り記事を配信して下さった。北日本新聞の社宅が茅ヶ崎にあるとかで、武井画伯の描く湘南風景もよくご存じの様子。今月20日から始まる茅ヶ崎・ギャラリー俊での武井画伯個展も見て下さるとのこと、うれしい限り。
その後、友部さんに今展を御紹介下さった片山さんが富山からお母様を伴ってご上京。なんでも新聞を読んで、どうしても見たくなってとの事。富山にも巡回するのに、わざわざ東京にきて下さったお心、本当に有り難い事だった。日にちは前後するが、富山を愛する方々を是非ご紹介いたしたく今日の画像を。

これが青春だー悦子編

先日の画伯たちの青春も新宿と阿佐ヶ谷だったが、今日は悦子の青春編。
同じ時期にクロスしていたらしいのが、時代というものか。展覧会とはちょっとはずれてしまうが、お許しを。
ご存じウェブ大里氏の隣にいらっしゃるお方、名を八木氏という。悦子が阿佐ヶ谷と新宿で沖縄のセイヤと今はカナダにいる玉恵たちとそれこそ梁山泊だった頃、仲間のキサオの映画学校の先輩として、兄貴分で関わってくれていた御仁が彼。

悦子初ボーイフレンドの友人でもあってこの時も偶然の出合いに驚いたが、今回は大里氏の昔からの仕事仲間として登場。またしても繋がる友達の輪!てな事で、今日はこのトライアングルの偶然を言祝ぐ日に。
もともとは上海にいる彼等の先輩・福田氏の夫人が悦子と多摩美同級生だったことからわかった事。ともあれ一度には説明できない複雑怪奇な御縁ながら、それぞれの青春の日々を語りつつ、杯を重ねたことだった。
右はその会合の場となった月島の名店・岸田屋。なんとものどかに看板猫が丸まっていたので御紹介を。

 

青春とはなんだ!ー新宿の浪人時代編

今をさること20数年前、この仲間たちは新宿美術学院という予備校で出会った。林信夫氏とフレーマー澤田治孝氏は愛媛の高校から一緒。富山から来た堀敏治氏、平塚の武井好之氏、静岡の鈴木強氏、また鹿児島の内倉ひとみ女史など、錚々たるメンバーが集まったこの時期の新美は伝説的なほど。
特にこのメンバーは堀氏と澤田氏の下宿を根城に、まさに梁山泊状態だったとか。今日は同期の中島広氏も駆け付けて、20年の歳月を飛び越えてまた熱い時間が蘇った。堀氏持参の銘酒・満寿泉の絞りたての杯を片手に青春の日々に戻った雄々しい画伯たちの姿を御紹介。
また湘南からはかわいい丸山友紀画伯も迎え、ニコニコの画像も。また武井画伯の水着軸の前でポーズする二人、モデルは一体どちらでしょう?

湘南VS富山ー絹本軸装対決

新春第二弾は、お待ちかね武大人こと武井好之画伯と富山の堀敏治画伯の一騎討ち展。しかも初めて取り組む軸装絹本による地元風景展といえば、画伯らをしる方々には驚きの企画、のはず。
そもそもなんでこんなリスキーな御仕事の話になったかというと、一年前の偶然の出会いから。昨年の丁度今頃、悦子と共催展を数多く手掛けている僚友・富山の立山画廊堀實紀男氏に武大人を紹介したところ、t武大人は堀さんの扱い画家の堀敏治画伯と予備校時代の親友だったという因縁が。もとより画家に軸装の仕事をしてもらいたかった我々画商連盟にうまうま乗せられ、ついうっかりやりますと応えた画家連盟のお二人、以来塗炭の苦しみを味わう事に。
また表具もそれぞれの御縁の方にお願いし、同世代のバトルというかコラボレーションとなった。搬入にはわざわざ武大人の表装を手掛けた岡崎の文経堂渡邉行之助氏も立ち会い入念な展示を。表具の打ち合わせをしていた訳でもないのに、奇しくも湘南は白に縦の線、富山は黒に横の線と対象の妙となったのは不思議。
画家二人にとっても、20年の歳月を経てお互いの仕事を振り返るいい機会となった事とおもう。堀画伯は多摩美の先輩でもあるので、初日の今日は多摩美ーズ後輩たちも沢山かけつけてくれてお祝いを。また先発隊の湘南組も。
てさぐりで初めての絹本軸装に果敢に挑戦してくれたお二人の挑戦を是非御覧あれ!

平野俊一展 3rd 2005年幕開け初日

北から南から珍味佳肴が集まりいよいよ今年の展覧会初日へ。昨日までの冬眠に別れをつげ、いざ勝負の日々よこんにちわ。
今年最初の企画はご存じ・平野俊一画伯展。SOーRAへと題された気象シリーズの作品が並ぶ画廊内は淑気に満ちて、新春にふさわしい雰囲気。まず深呼吸して自分の居心地のいい場所を見つけよう、、と作品たちは語りかける。気象予報は、自分の未来予報へと繋がる様々な暗示を含んでいる。大気の動きに目をこらし身体全体で気象の息吹を感じようとする画伯の意気込みは、沖縄展いらいさらにグレードアップした。
初日の今日は、画伯手製のコロッケや大好物の田いものディルワカシィ数種と珍味合戦。その模様からまずは御紹介。

東京さ帰っただー林信夫・山田りえ展

雪の秋田からようやく上京、新年そうそうに藤沢さいか屋で開かれている林信夫・山田りえ展へ。
このメンバーとは年末怒濤めくるめく朝までバージョンの忘年会をしたばかり。りえぞー画伯はぎりぎりまで御仕事だったのででれなかったが、今日はその分までお楽しみ。
新春にふさわしい晴れやかな展覧会で御慶御慶。今年はかくありたいものである。まずは、その画像の御紹介から。額屋の澤ちゃん三連発なのは彼も正月返上で、お二人のための御仕事をなさった御労い。また中尾氏には昨年11月お嬢ちゃま誕生とか。五穀豊穣・万年豊作・子孫繁栄・家内安全・商売繁盛、、っと。

雪の秋田からー新年の言祝ぎを

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
悦子は年末ばっちり脂を貯えて冬眠態勢に。その巣穴からとった今年の初画像。庭の若松に雪の御降(さが)りの静かに積もる光景はまるで墨絵。あらたまの松に重ねし白化粧、てな感じ?
目出度いシリーズ第二弾はやはり目出鯛!この御品は、東洋のマイアミ(オキアミ?)と称えられる湘南は茅ヶ崎のプリンス・春彦さん御恵贈の鯛パイ。御下げ渡しの折、ちらっとタレパイ、、という言葉が聞こえたのだが、これは悦子の聞きまつがいというものだろう。あの小川軒が年始限定で出すという幻の御菓子という。サクサクの鯛のおなかには栗の渋皮煮がごろごろという逸品。悦子的には名古屋ぁ~の金の鯱シュークリームと双璧。さすがおいしいもの殿下の名に恥じないもの。
冬眠しつつ、同級会やら秋田美人の会の新年総会やらには必ず出席という悦子、故郷からまたエネルギーをもらってさぁまた戦陣へ

年末スペシャルー愛のキリタンポ鍋

毎年恒例ー救世軍の慈善鍋ではないが、さびしい女たちのためのクリスマスキリタンポパーティが。
もっとも、一番さびしいのは今年の展覧会をすべて終了してしまった悦子かも。。
ともあれ、忘年会もかねて、ささやかに皆でお鍋をかこむ一夜を。委細は画像で。今年ヒットのマツケン様にあやかって、男のかたにはもれなく丁髷のプレゼント!辛い時悲しい時にこの画像をみれば、あなたは幸せに、、。
では皆様、今年もお世話になりました。来年もよろしくうにげぇさびら!(お願いね)。

明日子画伯最終日&悦誕生日

岡山でも有数の進学高で教鞭を取る日々が日常とすると、コツコツ描きためた絵を発表する展覧会は非日常。明日子画伯のハレの日を祝って弟さん一家が群馬からご上京。
弟さんの林健二氏と奥様靖子さんのご実家・藤巻家、御親族の田村家の皆さんに囲まれうれしそうな画伯。まだよちよち歩きの俊太朗くんは新幹線初乗車とか。
この度は絵にお詳しい一族のお眼鏡にかなってなにより。絵がある生活を一人でも多くの方にという、明日子画伯の願いが込められた作品。その思いに応えて下さったご一族に心からの感謝を。
また、会期中、遠く沖縄の百貨店・リウボウの高田氏のご来廊を得た。ご出張とはいえ有り難いご対面。岡山と沖縄からのお客人とあれば、やはり銀座けもの道ツアーにご案内しなければと、おりから来廊の江戸っ子・うぇぶ大里氏とともに路地裏の名店ものほし寿司に。明日子画伯は連日の濃い毎日に目が白黒しつつ充分ハレの日を楽しまれた。
ハレの日といえば、今日19日は悦子誕生日。馬小屋ならぬ牛小屋で呱々の声をあげて?9年。ほほ~、と自分でもびっくりするお年に。今までこんな危険物を生かしておいて下さった皆様に感謝し、久々に例のアレ、、今年はエツケンサン婆てなことで!

林 明日子展ー今年のラストショー

岡山のマスカット娘・林明日子画伯の個展が今日から。三年前、佐藤美術館の立島学芸員のご紹介で初個展。人物中心の構成だった前回と違い、花を描いて屏風や軸に挑戦した。本をみながら作ったという四曲と風炉先屏風は、初めて作ったとは思えぬ出来。俳句で集まる時、屏風の前でしたかった、と作った動機を語る明日子画伯はあくまでも自然体である。
1969年水戸生まれ。15才から岡山で育ち、岡山大学教育学部で美術専攻し、日本画に目覚める。大学院時代から日展に入選するも、その後ひとりでコツコツ絵を描きためてきた。
岡山は、かの雪舟宗純、浦上玉堂や小野竹喬、池田遥邨などを輩出した地でありながら、京都に近いせいか地元の日本画家は以外に少ないという。今回の屏風制作ではないが、ほぼ独学で日本画の技術を習得、かろやかに風が吹き抜けるような余白を持つ絵を仕上げてきた。
爽やかな香気を漂わす一連の作品、特に「チューリップ・光」にある空気の揺影は特筆すべきもの。白麻紙に裏彩色した地に淡い青と赤を添えて、光のなかで揺れ動く存在を描いた。これは間違いなく林明日子だといえる作品だと思う。まだ拙さも見えかくれする中に、深い実在感をもつこの作品が生まれたことをうれしく感じたことだった。
今、佐藤美術館で会期中の及川聡子画伯と、久々登場の横尾英子画伯に激励されたのちは、初日を言祝ぎ湯島のジャズクラブで大人のひとときを。今日は有名なジャズシンガーがきているらしい、、。

美崎氏怒濤!!の大団円

「怒濤!」と「めくるめく!」という言葉の頻度が異様に多い当画廊。だって本当なんだもん。二年ぶり三回目の美崎光邦陶展もご多分にもれず。
中央大学法科卒というエリートコースを捨て、青春の放浪の日々に陶芸に出会った美崎氏。美大に通う訳でもなく、各地の窯場で修業しほとんど自力で作陶、伝統工芸展や日本工芸展で受賞を重ねてきた。
ほとんど狂気に近いほど密度の高い仕事を手掛けながら、50才を過ぎた今展では、初心に帰っておおらか世界を追求。また新しい可能性をかいまみせてくれた。今日も、その新しい仕事を見るべく、色んな方のご来廊を得た。
放浪した揚句、阿佐ヶ谷に住むようになったころのお友達・吉葉さんご夫婦が御登場、早速お買い上げいただいた。
また毎日器に花を生けてくれていた寺田ローマ氏がトレードマークの黒づくめのスーツで現れると、我が画廊のプリンス・ター坊藤井隆之も御登場。お二人で美崎氏の作品について専門家らしい熱い意見の交換を。
夜は夜とて、男の中の男(らしい)いなさんが、美崎氏の器に花を活けるる楽しみをかたり(つつ呑み)、美崎氏のポン友・巨匠室町勝広氏が苦闘時代をかたり(つつ呑み)、美崎氏は愛する二人の友に囲まれ呵々大笑し(つつ呑み)、小娘悦子の想像もつかない世界へと旅だっていくのだった。先生たち身体壊さないで(つつ呑み)してくださいね。さらば!青春。また会う日まで!!

青春の友来る!

美崎氏の放浪時代の友・南平妙子さんがご来廊。なんとあの奥野ビルでギャラリーをはじめたという。「APS」という現代美術を御紹介するところとか。丁度居合わせた美崎氏奥様とは20年ぶりのご対面。若き日々の交遊が、またこんな近いところでまた復活し、話題はつきない。さらに父祖の地富山で御縁のNHKのプロデューサー亀山氏や、阿佐ヶ谷時代の友よりこさんがわざわざ山形からお嬢さんを伴ってご登場。この時間帯画像にはないが、美人が各種ご来廊、ハーレム状態の美崎氏の画像はあえて撮らなかったが、昔からのご友人のお嬢様の画像だけは外すわけにはいかない。画家界きっての清純派井手尾節子画伯は美崎氏の作品の持ち主でもあるのでご一緒に。
悦子は今朝5時起きで母の用意のハタハタを三匹もたいらげて12時の開廊に間に合わせたが、これなら秋田通勤も夢ではないかも?
留守中にご来廊の寺田氏が活けた花の画像も是非ご覧あれ!

悦子急遽秋田へ

美崎展も無事初日を迎えてほっとする間もなく、秋田の祖母入院の報があり、急遽帰郷の段に。
幸い大事にいたらず、一日集中治療室で寝顔をみつつ久々に小春の日差しを浴びた。
友は有り難いもので、急の帰郷にもかかわらず秋田美人友の会のメンバーがすぐ集まってくれ、病院まで車の送り迎えを。友子さんも栄子さんも普段は息つく暇もない方々なのに、奇跡的にその時間帯だけoff。
この際だから秋田の典型的なお茶呑みセットのご紹介を。まずかかすことの出来ないガッコ(漬け物)は大根の柿漬け。そして湯沢銘菓クラタの上生菓子。樺細工や川蓮塗りのお茶っこ呑み道具も床しい。
また小笠原流師範の友子邸のいっちゃんセットによる室礼も御紹介。こんなに大事にしてもらえて、デクノボーの器も幸せなこと。是非ご参考に。
秋田美人予備軍の二人は悦子の姪たち。東京のねえちゃんは日本一貧乏な画商というワケであんまり尊敬してもらえてないので、このへんでサービスのツーショット。果して自分たちの画像みれるかな?まずは久々の秋田より中継の一幕。美崎先生すぐ帰るよー。

美崎光邦陶展・初日

美崎光邦氏の三度目の個展が今日から。高知・安芸市や九谷など各地で修業後、27才で尾鷲に築窯。以来25年独特の陶風を紡いできた。伝統工芸展奨励賞や日本伝統展秩父宮賞受賞など、華麗なる陶歴をほこる方ながら、ご本人はいたって質朴、苦行僧のような風来坊のようなたたずまいで風にふかれている。
今回も風雪流れ旅を物語る新しいモチーフを得て、画廊に小さな青空をもたらしてくれた。52才という年齢から原点にもどっての作陶という。一か所に留まらず、次の「あなた こなた」を捜すためのふりかえりなのだろう。 しばしこの壷中に遊んでみようか。
今日は中央大法学部時代の先輩・岩原氏の来廊を得て夕方から恒例の酒宴。あとは朧、あとは朧~てなとこで。

 

直野恵子展ー四年目の反逆

女子美の三年の頃から悦子画廊に遊びにきていた直野画伯。創画会をベースとしつつ、2000年に文月展という三人展でムラコ村越画伯、コバッチ小林画伯とともに悦子画廊デビュー。翌2001年、意を決してソロでビュー。詩的情趣のある白い画面に、繊細なドリッピングをほどこした画風を本領としてきた。
四年目となる今展では、思うところがあったらしく赤を基調とした「破壊の衝動」という作品をDM作品として制作している。白の画面では納まりきらない情動を表現したかったというのも生きている証拠。この生すぎるテーマを絵にするには、まだ昇華されていない部分はあるが、少しでも前に進もうという意欲にまずは敬意を。
この傾向ばかりではないが、今年は特に赤を強調した作品構成。いよいよ30代にはいり、いままでの作風から一歩脱皮した表現を模索しているのだろう。もともと大人しそうにみえながら我が道を変えない頑固なたち。自分の表現したい世界にこだわって一歩一歩を歩んできた。その愚直ともいえる歩みこそ、ナオノ画伯の真骨頂だろう。今までの静かな祈りに、激しい希求をにじませた表現はなにか悲しみに似た、凝縮した空気を醸し出している。
今日は『直野に何が起こった!」と、DMで人を驚かせた彼女の、以外と元気な画像を。画伯近隣の皆様や、中学時代の同級生・永田嬢や北海道かえりの柴田由美子画伯、ご存じ牧ちゃん、Web大里っちなどに励まされるの図。

LABO展ー16th沖縄出張帰り展

昨日まで展覧会の同級生・分島氏の娘花音(かのん)ちゃんが16才ーてことは生まれた年に始まったのかLABO展は。と思うと感慨深いものが。昨年の15thのDMではその期間の事件一覧を載せて振り返ったが、花音ちゃんの姿をかりて年月をみると、う~ん一言では言い尽くせぬ人生模様が浮かぶんだなぁ。
なんて走馬灯をまわしてる場合ではない。LABO恒例怒濤の当日搬入だ。前の会期を深夜に終えてよしよしと自分の頭をなでてから数時間後の午前7時。子犬タクシーたっちゃんのピンポンダッシュ!で初日が開ける。
とはいえ、16thにつきほとんどおまかせの展示。一時間前にはすべて準備完了で、悦子は秘密のおでかけ。うふふ、、。帰るころにはパーティの準備も完了して、まさに上げ膳据え膳状態。
みそそ旦那たっちゃんが家で炊き上げたご飯が釜ごと据えられたテーブルには、アンダンス~(肉ミソ)やらトシ君手製ラフティやらゴーヤやら、数度にわたる取材と称した沖縄行きがもたらした食文化の粋が。炊きたてあきたこまちにアンダンス~をのせて食せば蘇る極彩色の世界!
そう、1か月前台風のなか沖縄三越で搬入したのもこのメンバーだった。それ以後もう何か月もたったような気でいたが、それぞれに過激な日々を乗り越えて今日の再会となった次第。久々ご登場のいもきん小黒氏やトシ君の御仕事関連の松井氏西村嬢、吉村君、大里っちなどご常連ほか、祭日にもかかわらず沖縄文化の研究にいらした方々が多数。


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