今日から始まる京橋界隈展、悦子画廊では齋藤隆展を開催する。二人展・四人展では御紹介していた画伯の画業も個展では初めて。ようやく十何年かの念願が叶った。
悦子がホントの小娘だった頃、齋藤隆画伯はすでにその鬼才ぶりを注目されている気鋭だった。中村正義画伯が存命中、齋藤画伯もメンバーの「異色作家五人展」という展覧会を、この画家たちが正統なんだから「正統派五人展」にしろ、といい続けたのはあまりに象徴的だが、いかにも絵を描くということだけに人生の焦点を合わせて来た画伯こそ、画家の王道をいくというにふさわしい。
今展に先立って三月にN.YのM.Y.Art Prospectsで開催された「齋藤隆展」の内容に、コンテ時代の大作も加えて画伯の十余年の苦闘を伝えるべく企図したが、企図した本人があらためてこの年月の凄さに気付かされることになった。
リアルタイムで作品を見ていたし、十全に理解していると自負してはいたが、十年たって振り返ると、作品一点一点の歩みがまさに血と汗の結晶だったという事が今さらながら見えて来た。今までの技法を捨てる、というのは言うほど易しくはない。技法が変わることで、描く対象が変わる、極端にいえば世界観まで変わる。仙人というには生臭い人間としてのエゴを抱え、山中深く呻吟したその歴史が、これらの絵だった。
これほどの孤独に耐えた線があっただろうか、と画伯の画業を反芻してみる。定時制高校を一年で中退して以来、家族ごと転々と放浪。折々の時代に、これが齋藤隆だ、としか言えない作品を制作してきた。描かずにはいられない火のような衝動に支えられた作品たちだったと。いわば「動」の時代の線は、画題によらずどれも生々しい。その「殺気」に似た執念による作品は生気があらばこそ。その生気を振払うように、ひと気のない川内村に隠者の如く移り住んでからは、自分の手の皺を見る日々だったと聞く。徹底的に人との交渉を避けて自分と向き合った時に、人は何を見るのだろうか。手の皺に、木の目に、鉄の錆に、枯葉に、蛇の抜け殻に分け入って、その風化していく様相を描く事は、「生と動」のドラマから「死と風化」のドラマへの展開を物語る。墨という素材を得て、画伯はどこか覚悟を決めたのだろう。墨をよく知る人だからこそわかる恐さに立ち向かうために。
今、川内村は青葉に彩られ生き物の力で溢れんばかりの季節だ。長い冬籠りの時期を経て一斉に芽吹く自然の息吹と同化するように、画伯の十五年に及ぶ孤独の作業は「再生」の時期を迎えたように思う。一連の仕事を時代を追うように見ていると、画伯の目線が次を目指しているのがわかる。いよいよ佳境に差し掛かった画伯が一体どこまで連れていってくれるか、楽しいような恐いような、、。
初日の今日、作品とお茶目にコラボしてくれた池田二十世紀美術館の林館長他、三十年来の戦友の方たち、野地練馬守と若い生徒さんたち等、久々の人間に囲まれてニコニコの鬼才の姿を御紹介。