武井好之展  島紀行Ⅷ

9月1日(月)~9日(火)

武井好之の沖縄取材も10年をこえた。那覇と東京で交互に展覧会を開催し、那覇では「沖縄百景」と題して各地を丹念に取材した作品100点を地元の方に観賞いただき、東京では珊瑚礁に囲まれた沖縄の島影を抽象化して描いた大作で意気を見せた。島に向かう初心はそのままに、スケッチブックにためこまれた素材たちは熟成し今まさしく旬を迎えている。 本展に先駆けて発売された沖縄島唄界の巨匠・大城美佐子先生のベスト版CDのジャケットに、先年の個展での肖像が採られたことも、10年の集積の賜物といえよう。 会期中は、作品とともにこの名盤に収録された曲を終日流しゆるやかな島時間も味わっていただく趣向。   R0025594 R0025599 R0025584 R0025589 R0025590 R0025593 R0025585 R0025586 R0025587 R0025598 R0025603 R0025604 R0025582

武井好之展ー沖縄百景・那覇リウボウII

本土が軒並み炎暑記録を更新するなか、沖縄はゆうゆうと32°をキープし涼しい顔。昨年の沖縄百景に続く第二弾となった、沖縄は那覇りうぼう美術サロンでの今展で武井好之は一年の歳月をかけて取材した二十数点を発表した。
知る人ぞ知る地から、日常の生活の場までその筆は休むことなく描き続ける。その迫力は海の青に集約して現れているが、それぞれの景に島への敬愛が満ちているため見る人の心になにがしかの郷愁を呼び起こすようだ。
「子供の頃、浜のこの辺までくると裸足で海にかけたのよ」と石垣島からの人がいう。道の向こうにわずかに見える海に人は駈けるーまるで希望と置き換えてもいいような心のはずみをそこに見て。
武井好之がここまで打ち込んで描こうとしているものが何なのか、「百景」を描き終えるまでその道筋を楽しみに伴走してみようと思っている。

 

武井好之展ー島紀行Ⅲ

武井好之の島紀行Ⅲが始まった。武井の沖縄か、沖縄の武井かといわれるほどこの地に打ち込んで七年。当画廊から出発した島紀行展は沖縄での展覧会の往還を含めるとほぼ毎年開催されている。
出会いの衝撃をそのままに描いた島紀行・初回展「夏至南風カージーベー」では島を渡る風にたくして環礁や島の風俗などをみずみずしい感性で表現し、見る人を驚かせたものだった。その後、島の人々を連続的に描くシリーズや沖縄百景シリーズなど次々と意欲作を発表している武井が本展では初心の感動に寄り添うように環礁シリーズに挑んできた。
七年の歳月が武井好之に何を与えたのか、東京沖縄の往還を通して出会ったものの集積がここに昇華されているといってもよい力のこもった作品群だ。画廊の横一面に広がる景は伊是名の海岸線。陸地部分は省略して珊瑚礁の広がる海岸から海を俯瞰した構図は大胆で、今までにない強いインパクトを絵に与えている。非常に繊細で克明に海岸線の構造を追いながら、抽象画のような印象をもたらすこの作品で武井は新境地を拓いた。
月探査機「かぐや」から見た地球が美しいように、地球が水で覆われた惑星であるということをしるには距離が必要だ。セスナ上からこの視点を得た武井は、これをどう自分の表現で描くかを課題としてきた。美しいものをそのまま写しても感動までは伝わらない。自分のどこでどう表現するか、画家としてはここが一番肝要な部分である。
武井好之は海岸線の複雑な構造と波形をリアルに追いかけることでーいわば天然の地形の抽象性を利用してーある人には具象的なものに見え、ある人には抽象的なものに見えるスタイルを画面のなかに作り上げた。作品Izenaには明確にその意図が感じられ、ストレートにその造形の不可思議さに引き込まれるが、長く見ていると抽象に見える波形の上に風が流れ、下には珊瑚礁が隠されている様相が次第にあきらかになってくるのである。大げさにいえば具象のなかに抽象がかくれ、抽象のなかに具象がみえる、というなにか哲学的な摂理をこの美しい環礁にみた驚きが感じられる画面といえばいいのか。
この作品をはじめ、Ukibaru など上空から雲、陸地、海岸、珊瑚礁、海底と順に視線を奥に送ると、薄い水の膜が地表を覆っているに過ぎないこの星の、奇跡的な美しさが肩の力を抜いた柔らかなタッチで描かれていて見飽きる事がない。
この海の青さを表現するのに、日本画の絵具だけでは無理だと判断し、ありとあらゆる試行をしたのだという。まさしく絵にも描けない沖縄の海の青。ヨーロッパでも青の絵具は中世から大変貴重なものだったときく。粉っぽく沈みがちな岩絵具では到底あらわせないこの色をどう出すかも今展の命題だった。水や空気を描くというのは大変な力量がいる仕事だが、この色をさけて島は描けない。無事、快晴の沖縄の海となった次第は画像を見て下さった方には納得の沙汰ではなかろうか。
はやくも武井好之には那覇・りうぼう夏の陣が待ち受けている。


武井好之展ー島紀行VI
武井好之展ー島紀行Ⅲ
武井好之展ー島紀行

武井好之展ー沖縄百景・那覇リウボウ

武井好之展が沖縄リウボウデパートで始まった。

沖縄百景と銘打っての第1弾で、二十余景を描いている。2003年、初めて沖縄を取材した折りに出会った環礁を描いた4メートルの大作を始め、主に沖縄本島の各地に取材した力作の数々に、会場を訪れるご見物衆は驚きを隠せない様子だ。

日本画というジャンルの絵画をほとんど目にする機会がない沖縄の人々にとって、岩絵の具の透明感は不思議な質感らしい。

ほぼ岩絵の具の宣教師となった武井好之は、今回画材店・ウエマツ社長上田さんのご協力を得て沖縄用のグルーを開発してもらった。高温多湿の風土に合う膠の開発は沖縄に日本画を普及するにあたっての急務だった。武井の要望に応えて上田さんはでんぷん由来のかびないグルーを開発、今展の作品はすべてこれを使用している。

また、会期中の二日間別会場で岩絵の具講習会を開催し、日本画の楽しさに触れてもらおうと生徒も募っている。この教室が二度三度繰り返されるなかで、地元の方々に浸透していってほしいという武井の願いがいつの日か叶えられるよう心から祈るものである。

25日にはテレビ沖縄のニュースで今展の模様が放映され、27日には地元ラジオ局タイフーンFMのマジカルミステリーツァーに出演、楽しいオンエアとなった。この模様はポッドキャストで聞けるとのことなので是非武井のホンワカトークを聞いていただきたい。

今展は31日まで沖縄県那覇のリウボウ美術サロンで開催されている。武井と柴田によるどすこい夏場所はまだまだ続く。

 

永江俊昭陶芸展

沖縄八重山、その中でも最も南に位置する波照間島に産する土を使い、様々な技法を駆使してその魅力を最大に引き出そうと制作する永江俊昭。沖縄に魅せられ、歌の師匠の元に通いつめるうち、島で昔制作されたという陶の話を伝聞し、窯跡を探し当てることから彼の「波照間焼」は始まった。その経緯については彼が用意したステイツメントに詳しいから下に記す。

古来「神の島」ともいわれ、神行事、古謡が多く残る沖縄においても有数な歴史を誇る島であります。
その波照間島でも昔は、家屋用に琉球赤瓦を島内で焼き、島内に窯を築き、瓦の他にも甕などを焼成していた様子です。しかしその窯も今は無くなり、瓦はじめ陶器を製作することもなくなりました。
かつて八重山では、有名な「新城(パナリ)焼」というものが新城島で焼かれていましたが、波照間島においてはあえて「波照間焼」というものは存在していなかったようで、この度、波照間の土を使い、波照間の素朴な雰囲気を残しながら懐石食器、茶道具、壷類、雑器に至るまでを製作すべく「波照間焼」を興しました。
目の細かい、焼き締まりのいい素晴らしい土質で、焼き上がると赤色に発色します。ただ、耐火温度が低く薄造りには不向きですが、洗練された中にも野趣に富み、波照間島独自の空気を映す作品作りを心がけております。
また、波照間の海には、ダイバー達の間で時に「波照間ブルー」と呼ばれ、ダイバーたちが憧れる美しい海があります。その海の深い青色を表現すべく「波照間青釉」と称した青い釉薬の作品をはじめ、焼き〆陶、刷毛目粉引き等の技法を用い作品作りをしております。 永江俊昭

1984年芦屋市滴翠美術館陶芸研究所から始まった永江俊昭の陶歴は李朝陶磁への傾倒から、中国古陶磁、古唐津、京焼きへと進み、更に刷毛目、粉引き、三島、織部とその枠を広げて来たわけだが、波照間の土を発見することによって新たな境地に導かれたといえよう。
古陶の完成された世界から、自らが興す未知数の世界へ。この大きな転換を問うべく今展の次第となった。おおらかで神話的な島の風光に魅せられる人は多いが、すでに捨てられて顧みられなくなった窯あとを探し、土の在処を問うて歩いた熱意と「波照間焼」という名で自らが可能性を切り開くという自負によって、永江俊昭は世に「波照間」を知らしめ、さらに島との密接な関係性を築くこととなったのである。
その恩人である八重山民謡の師・後冨底周二先生のお兄様ご夫妻と今展の総合プロデュースを引き受けてバックアップして下さった小林社長、そしてそのファミリーの皆様が初日に駆けつけて下さった。心から感謝を申し上げたい。

高石久仁子展発進!

高石久仁子展が今日から。多摩美大学院を卒業後、数々のグループ展を経て昨年悦子画廊デビュー。今回が個展二回目にあたる。まさに体当たりで絵にぶつかるような迫力が日本画離れしているが、細心に金箔や銀箔を施し、絵具を塗っては洗い落とす作業を繰り返して求めるマチエールを作り上げているのが特徴。
画家たちの作品と一週間ともにすごしていると、絵と画廊の空気がなじんできて、やはりその画家ならではの「色」と「匂い」がある、と気付かされる。その特有の空気をなんといえばいいのだろう。
一年間、画室で呻吟したたまものーその宝物たちは見事に画家たちの今を映し出す。前述の作画における大胆さと細心さは、高石本人のたたずまいと見事に重なって「ここがこう見えるんだ」と言葉より前に本人を語りだすのである。
今展には三浦海岸や沖縄・久高島の漁村を取材した大作の他、身辺の草花を描いて高石ワールドを展開してみせた。少し寂れた、しかも人の気配のする海辺を丹念に取材して、骨太の存在感を表現しつつ、その光景の残光のような余韻を繊細にとらえたいのだ、と語りかけてくる。
取材地の久高島では、泊まった民宿でおばぁにつかまり結局手伝いをして帰ることになったそうだ。観光地・沖縄ではない、どことなく生活の匂いのする島の陰影が作品として誕生するきっかけはこの一事に集約されるように思う。どこにいってもどこか寂しい鄙びた情景が彼女の供だ。明るい光線は影も濃いというではないか。人とかかわり人が好きで、それと同じくらい人と離れたいと願うのはそうおかしなことではない。
乱暴なまでに筆をふるいながら、その背景にせつないくらいの心くばりを忍ばせて、自分の描きたい絵を描く高石の旅はこれからがますます楽しみになりそうだ。また、旅の残滓を発酵させてわたしたちの前に広げてみせてくれるに違いない。

 

武井好之展―島紀行II

十月の沖縄での二人展を終えるやいなや、今展の制作にかかった武井画伯。実質1か月の時間をどう遣繰りしたのか、奇跡のように新作が揃った。
今展にあたりDMにご紹介した文は以下の通り。

沖縄の海と島影をセスナ機上から見て以来、魅せられたように通い、取材を重ねて来た武井好之。あれから はや四年の歳月が立つ。 二年前に「島紀行」と題して個展を開催。瑞々しい海と、沖縄という文化に遭遇した喜びに満ちた展覧会だった。
柳田國男や折口信夫が研究し、岡本太郎が驚き、鎌倉芳太郎が記録したかの地は、美しい自然のみならず、豊かな「人間」の宝庫でもある。今回の「島紀行」では、島を島たらしめている「人」を描くという。
回を重ねた沖縄行も、琴線に触れる「人」やものに出会う「戦い」であり、七転八倒のアプローチである。この島 の魅力と不思議に絡めとられつつ、彼しか描けない何かを捜しているに違いない。
今展にあたり、 親しく沖縄学をご指南いただいている 那知ひとし氏より檄文を賜った。謹んでご紹介する次第である。
柴田悦子

はじめに言葉があり
この次にあるのが文字だという。文字はホモ・サピエンスの最大の発明だと。
これが文明をリードして数千年。
知恵ある人々はなにかを知った ことばの前にあったもの。
それは想い。
おのおの一人一人がもっている目に見えないスピリッツ。
会いたいなぁと思った瞬間にかかってくる電話。
WHY?
瞬間に7回半この地球を駆け巡るあなたの情(こころ)。
これを凝縮せよ。
明日を生きる絵の誕生。
那知ひとし
沖縄の人を一万人描く!と高らかに宣言した画伯は、大城美佐子先生や平良敏子先生を出発点にして、長い旅路を歩き始めた。
沖縄の会期中には会場でスケッチを重ね、東京でも在住のネエネエを描き、スケッチブックは4冊になった。
だが、まだ100人に届かない。
計算すると沖縄県民の100人に一人を描く勘定になるという。
わずか10分のスケッチの間、その人の人生に触れ思いを託す。
この積み重ねの記録が、画伯の目指すところだろう。
一万人の先に何が見えてくるのか、私も伴走者として見極めてみたい。
初日の今日は忘年会もかねていたため大変な盛況。
沖縄から来てくれた仲本セイヤ氏や、NHKの収録を終えた美崎光邦夫妻、ハヤブサCGの池下章裕画伯など懐かしいお顔ぶれなどに加え、沖縄の「島思い」に勤めていたアイちゃんの三線演奏で画廊はムンムンの熱気で沖縄気分。
フルメンバーの台所部隊がくりだす、これでもかの御馳走パンチにみんなへろへろ。そんなようすを実況で。

武井好之展ー島紀行VI
武井好之展ー島紀行Ⅲ
武井好之展ー島紀行

武井・井手尾二人展ー那覇リウボウ

武大人こと武井好之画伯が、初めて沖縄上空をセスナで飛んだ時、隣にいたのは悦子ではなく、今回の相方・井手尾摂子画伯だった。セスナの体重制限は200キロ。悦子がのると重量オーバーになるので泣く泣く搭乗を断念したのだが、その200キロ以内(内訳は不明)コンビが今展のメンバー。
あれから4年。それぞれに沖縄と縁を深め、取材を重ねて今展に臨んだ。「うるまの人と花を描く」と題した展覧会は、武井画伯が「人」、井手尾画伯が「花」を主に担当し、沖縄を美しい島たらしめている魅力の根源を描こうというもの。実際、武井画伯は知り合う島の人々から多くの啓示をもらい、井手尾画伯は島の花の生命力を知って目を見張るような新鮮な喜びを得た。この展覧会は島と二人のコラボレーションともいえるが、ともあれラリーのスタートは切られ、会場のリウボウ美術サロンにはモデルになって下さった方々や知り合いの方々を大勢お迎えした。
土曜日には、井手尾画伯ご縁の朗読の会の方が、彼女が描いた沖縄の花にまつわる民話を朗読して下さり、花と風土との深い結び付きを感じさせてくれた。
また今回も合宿所を提供のセイヤ取締役はじめ、お仲間を呼んで歓迎会をセットして下さった上間氏ご夫妻、仲田氏など多くの方のお力添えをいただいたことを感謝したい。もちろん唄者大城美佐子先生と島思いのスタッフの方々にもスペシャルサンクスを。
尚、この展覧会は形を少し変えて12月に里帰りをする。多分忘年カチャーシーナイトを開催することとなるのでユタシクウニゲエサビラ~。

船橋氏、沖縄より

連休を八重山の鳩間島ですごしたという船橋氏が、大城美佐子先生に見立ててもらった着物で御登場。嘉手苅林昌先生の唄に感動してこの道にはまってしまったという船橋氏、とうとうステージ用の衣裳まで。
画伯の武蔵美同級生の方々はじめ、M腹氏、山川氏、吉岡氏などお集りの衆の前で、鳩間島の海辺でお稽古したという鳩間節をご披露。
大城先生のとこで踊りの手ほどきをうけている池田画伯はもとより武蔵美-ズの面々も嫌いではない道、カチャーシーにすぐなるとこがさすが美大出身者。そんなにぎやかなご様子をご紹介。船橋氏はウチナーを描いた100号の絵にぴったりはまって、いい調子。

池田美弥子展の開幕

連休がすぎてから開幕しようね、な~んてB型同士なものだから今年が大型連休だったとも知らず今日の初日を迎えた。あれ~なんだかいつもの銀座と違うって思ったら世間様はまだ休み中だった次第。
おかげでの~んびり余裕の、珍しい初日だった。あたかも美弥子画伯の絵のごとく。去年取材した沖縄・宮城島の民家が描かれた100号Sの「南の木に降りる」は雲間から芭蕉の木がニョキニョキ生えて、彼の地のもつエネルギーを感じさせる作品。当地でであったスコールの激しさを印象的にえがいた「みどりの雨」など、美弥子画伯ならではの楽しい色彩が躍動する作品たちを前に、たゆたう空気にゆらいでいるとここがどこかニライカナイのように思えてくる。
神様の視点から地上の愛しい気配を感じていると、魂の幽体離脱ってこんな感じかなって思う。鳥瞰というか俯瞰の構図に画伯特有のひねりが加わって微妙な浮遊感覚を覚えさせるのだ。
時間がとまったような画廊に誘いこまれるようにいらした今日のお客人たちも、顔を横にしたり斜めにしながらこの感覚を楽しまれた。
画伯の取材地はご存じ牧ちゃんの従妹さんの家。トイレは畑という、今は珍しい昔の島の様子を伝えるところだそうだ。画伯はここに泊まって取材。その牧ちゃんからは初日を寿いで、田芋のドロワカシーとクンブイリチー、手製島らっきょうなど差し入れしていただいた。幸せそうな面々のお顔を今日は。

 

シーサーの御縁

毎回いろんな方との御縁をつないでくれるシーサー君たち。この度は沖縄料理店が御縁で、という方達をご紹介。三月にオープンしたばかりのお店からシーサーの注文がありました、と宮城君に聞いていたもののどこともしらないでいたところ、悦子の地元阿佐ヶ谷の沖縄物産店「沖縄倉庫」の岩元氏がご来廊の折に、新しく開店した取り引き先に宮城と銘の入ったシーサーがあると教えてくれた。早速、飛行機に乗り遅れて上京を断念した宮城君に聞いてみたところ、ピンポーン!!まさか、地元だったとはね、、。

それが下の画像の「瀬戸海人」。阿佐ヶ谷駅から数分、沖縄に魅せられた広島出身の若いオーナー・汐濱氏が元気いっぱいのスタッフたちとやっている。今回は宮城君の作品を画廊以外のお客さんにも見てもらいたいと思い、夜沖縄料理のお店にご挨拶回りをしていたので連日うちな~料理だったが、「瀬戸海人」の味はまた格別。新鮮な瀬戸の魚とのコラボにオーナーのやる気を感じた事だった。
また、新宿の「ナビィとかまど」でハガキをみました~、と来てくれたのが美容師の角くんとみちるちゃん。カットにきたお客様全部にご紹介してくれたらしく、次から次へと若い美人がご来廊してくれた。みちるちゃんお買い上げはなんとツタンカーメン模様のシーサーカーメン。なんと夢にもみてしまう程のお気に入りぶりで目出度くゲットの図。ありがたい事として特に記すものである。

 

宮城忍琉球獅子展

三月はなんだか沖縄月間というような様相を呈している画廊。28日には沖縄から宮城忍君が二年ぶりにご上京の運びに。

絵や彫刻にも果敢に挑戦し続けている宮城君の今年の作品は、web大里氏の手によってUPされているのでご覧あれ。昨年の沖縄旅行の折に宮城君のアトリエも訪ねている大里氏は、360度回る画像も作ってくれたりと、宮城君の潜在能力にエールを送ってくれている。
初日の今日は、開廊前に黒川氏をお迎えしシーサー談義。氏は同じ宮城でも、忍君の先輩格の光男氏のシーサーを持っているという。いわゆる漆喰シーサー界の表宮城といわれている方である。我等の裏宮城は、その度はずれた間抜けたシーサーの顔にファン(特に男の)が多い。黒川氏はさすが世界美術全集の編集長だったお方だけに、一番強そうな一頭(匹?)を御指名。裏口を守るという任務を与えた。
また、いつも楽しみにしてくれている渡邉夫妻も。定年の記念にする!といってご主人が気に入ったシーサーの前を離れないのもうれしいこと。沖縄からは沖縄芸大で日本画を教ている同級生の香川君が来てくれてなにより。前日、大小19個の段ボールと新聞紙に埋もれていたことも今は昔。白鳥は水面下をみせない、いやみせられない、、、。

 

美ら島展の後にはシーサーが

今回の美(ちゅ)ら島展に参加していただいた画伯たちの中で、まだ悦部屋に登場いただいていなかった清水操画伯の御紹介。画伯の島通いは十数年に及ぶ筋金入り、院展で長年沖縄の海を描く作品群を発表している。その色の美しさに魅せられて是非今展にとお願いしたいきさつと地元の方達に見て頂きたいと承知していただいた事は九月にも書いた。
バーバーナイルを描いた「時の扉」という作品がそのご家族の手もとに納まった事はもちろん、大城先生をしてこの絵からは唄が聞こえるといわしめた「島唄」など、深くその地に身を寄せた人しか表せない作品たちが地元の方々の心に届いたことをうれしく思う。今日は誰も南の島々を描く人のいなかった頃、海の底の色を出そうと試行錯誤した話など。
最近沖縄に行ったばかりという、森氏夫妻も今日は一人娘のまつりちゃんとご来廊。森氏は大城先生ご来廊時に、島唄を先生に御披露した勇気ある御人。久々ご登場のりこちゃんとともに。
そして、搬出の時間には麒麟画伯が。よくこの長い旅に付き合ってくれた、と画伯たちに心からの感謝を。種が風にのって海をこえるように、島の海に落とした一滴の水が東京湾に届くように、旅から何かが始まれば幸いである。

 

島歌唄者の女神ー 初日の画廊に降臨

去年九月に沖縄で開催した「美ら島を描く展」の里帰り展。思えば台風で荷が届かず、やきもきした事も今は昔。最終日三日前に届き、モデルの大城美佐子先生にも十分くらいしかお見せできなかった、武井好之画伯の「大城美佐子像・海、地」の二点もようやく陽の目をみることに。
この度の「美ら島を描く展」に先駆けて一昨年の暮れに画廊で開催した武井好之画伯の「島紀行展」以来、画伯たちのお供で何度となく沖縄を訪れた。
「美(ちゅ)ら島」と発音する時、沖縄の美しい海や空とともに出会った人の顔が浮かぶ。市場や深夜の酒場で出会ったおじいやおばあたちは人生を楽しむ達人というべき人たちだ。「この島の生気を描く展覧会がしたい!」と思った時から、違う気候や歴史を持ち独特の文化を育ててきた地への途方もないアプローチが始まった。
山ほど宿題をかかえたまま走りだした今展に、惜しみなく力添えをしてくれたのもまたウチナーの方々である。合宿所兼案内役をかって出てくれたセイヤ氏の他、地元にいる親戚・友達を総動員してくれた牧ちゃんネーネー、モデルを引き受けて下さったばかりか、お店のお客様まで 会場に案内してくれた大城美佐子先生に、改めて御礼もうしあげる次第である。
ともすれば一方通行の展覧会になりがちな中に、少しでも画伯たちの感じた「美ら島」が島の人たちに届いたとしたならば、望外の幸せというものでろう。身の丈を忘れての旅がもたらしてくれた得難い人々との出会いを宝として、また励まずばなるまい。
今回はさらに島唄の唄者として、神様とも称される大城美佐子先生を画廊にお迎えすることが出来た。しかも在京のお弟子さん船橋氏が三線を抱えてきて下さったので、コンサートでもお店でも聞けないマイクなしの島唄を聞く、夢のような一夜となった。東奔西走のなか、わざわざこのためにだけ来て下さったという。「いこうね~」と軽くおっしゃったそのままに、いつ始まったともいつ終わったともわからぬ子守唄のような至福の時間だった。この夜、先生の唄と泡盛に酔って魂を落とした幸せな男が何人いただろう。女神の由縁である。

沖縄速報ー美崎光邦展

「めくるめく!怒濤!!」の沖縄展ようやく終了。南京豆の畑が広がる八街の窯で、まだ見ぬ沖縄を思い作ったコバルトブルーや赤や黄のガラス釉。今までの美崎氏のイメージを一新する作品たちだ。
迎えてくれたのは、今回の会場・リウボウ美術サロンの高田氏はじめ、うるわしの三人姉妹ともいうべきスタッフの小橋川嬢・松茂良嬢・末吉嬢。このメンバーを加え、大城美佐子先生のお店「島思い」で初日から濃い歓迎会となった。その後、感激のまま一週間過ごすこととなった美崎氏、途中からなにを見ても涙が止まらなくなった。この時期にしては生憎の天気だったが、その雨もよいの雲すら美しいと眺めて飽きない様子。
どうやら、知的な構築で支えてきた制作から熱い情動から湧き起こる意欲へと、モチベーションの大転換が起きつつあるらしい。
合宿所と化したセイヤ宅で、購ったカラカラを自慢しつつ早速泡盛の試し飲み。次に来る時には美崎流カラカラと杯が出来てるに違いない。今回の旅で得た感興が、発酵して作品に染み出してくる日が待たれることである。
ところで当地では三月三日の桃の節句より盛り上がる四日のサンシンの日。朝から夜までラジオで中継する舞台に大城先生も出演するというので、夜読谷まで聞きに行く。お店とはまた違う先生の迫力ある歌声に背筋が伸びる思い。15日から画廊で始まる「美ら島を描く展」初日にはわざわざ上京していただけるとか。まずはご報告。

無敵の後発隊・那覇を行く

色々な組み合わせの画伯たちと取材同行したが、こんな濃いのはない、と思われる武大人VSりえぞー画伯。台風で鹿児島に足止めされていた作品も無事届いたギャラリーにご到着あそばした。連日の御仕事疲れもものともせず、早速モデルになってもらった大城美佐子先生のお店にご挨拶を。
すっかり那覇の裏道にも通じた武大人、昨日までここに居たかのような雰囲気で先導を。またりえぞー画伯はどこに居ても堂々となさっているお方につき、な~んにも心配いらない。大城先生のところで別動隊の牧ちゃん、セイヤと合流、今宵も楽しく盛り上がる。
NHKの取材があり、ニュースで紹介されたせいか、翌日の会場は日本画というものを見ようと大勢の人が押しよせ、十人十色の画家の個性に驚いている様子。日本画の、しかも若い画家たちの作品が沖縄で発表される機会は稀だという。『見なれない表現だが、きれいだ。イメージが変わった』というご意見が多かったのは有り難いこと。生きて動いている日本画の佳さが伝われば今展の甲斐はある。
新潟からは池田美弥子画伯の御両親もお迎えしてうれしいこと。悦子の好物の珍味みやげつき(珍味堂の噂は鳴り響いているに違いない)。沖縄で食べる新潟の枝豆、大変おいしゅうございました。御礼を。
このように、色々な人と出会わせてくれた、二年越しのー美ら島を描く展ー、開けたのはひとえに沖縄のベースとして、画家たちのサポートをしてくれたセイヤ役員のおかげ。もうこなくていい、と言われそうだが、これでようやく一歩が記せたところにつき、まだまだよろしくねっ!そしてありがとう!沖縄ぬカヌシャマヨ~!

運命の出会いとナイトライフ

世の中にはこんな出会いがあるものだ。今回、出品の作品に清水操画伯の「時の扉」という絵がある。1950年代から那覇の理容業界の草分けとして繁盛したバーバーナイルを描いた作品だ。最近まで現存したということで、展覧会にきた人たちも口々になつかしがっていた。その中に一人涙くんでいらっしゃる方がいたので、お声をかけると初代の時にここで修業した人だった。そのお方から娘さんに連絡が入って早速ご主人とご一緒に見にこられたのが、以下の画像。
清水画伯はこの絵を描かれたあと、一度お訪ねしたというが、その時にはもう店はなかったそうだ。もちろん、東京以外では発表していない作品につき、今回ここに出さなければ、この絵と家族の方が出会うことはなかっただろう。
20年近く沖縄を取材しながら、沖縄の方に絵を見てもらった事がない、と悦子の出品依頼に応えてくれた画伯だが、今回このような邂逅のドラマにつながってなにより。
さて、先発組の画伯たちのナイトライフは、琉球放送の常務様のお導きで、う~んと濃いものに。まずは琉球松をふんだんに使った「松の家」というお店で10年もののしゃこ貝などおいしい沖縄料理。しかるのち懐しのフォーク大全集を奏でる店で、トシ君久々の熱唱。みそそ画伯も大きいギターをかかえて演奏に参加。なんでみんなこの辺の歌を知っている?P.P.Mのコピーバンドの皆さんもいて、那覇の夜は70年代に戻ったかのよう。因縁めいているが、トシ君画伯が今回描いた那覇風景は、この店が二月まで営業していたところだそう。マスターもびっくりしていたが、期せずして呼ぶものがあるのかなぁとこのシンクロニティの不思議を思う。

牧ちゃんの沖縄里帰り

悦子画廊沖縄担当取締役・セイヤとともに今回の沖縄展をおおいに盛り上げてくれた恩人に牧ちゃんがいる。この度は沖縄に同行してくれて、八年ぶりの帰郷を待ち構えるご親族やお友達をことごとくご紹介してくれた。
琉球新報に工藤甲人先生が書いてくれた展評を読んで、日本画に興味をもって見にきてくれた方たちもいらしたが、圧倒的に油絵が多い土地柄。細やかな日本画の色感と本土の若い画家の作風がどういう反応を引き起こすか、本音をいえばドキドキ。
そんな悦子に後目に牧ちゃんは「まかせなさい!」とばかりどんどん人を会場に案内してくれた。台風で届かない作品もあるが、どのコーナーをみてもそれぞれの画家が自分の美ら島を遺憾なく表現した自信作。初めて見る日本画に、どの人も驚いている様子だが概ねいい反応で、ほっと一息。
人気者の牧ちゃんを訪ねて、幼なじみの皆さんはじめ親戚の方々が集まっていたところで、「あなた、昨日カチャーシー踊ってたでしょ」と悦子にお声が。なんで知ってるの?と振り向けば、大城美佐子先生の店のお方が、にっこり。なんと、彼女もまた同郷の先輩とか。全然牧ちゃんのしらないとこで繋がっていた御縁にまたびっくり。
悦子関連では、生年月日が一緒の関口利江子ちゃんがたまたま帰省していて、久々のご対面。彼女はユタの家系とのこと、霊感は東京ではあまり発揮してないそうだが、この会期に沖縄にいるという偶然はやはりすごいかも。
また、平野家では御両親と四日市の叔父さまご夫妻が揃ってご来廊。トシ君画伯とはすれ違いながら、沖縄を楽しんでいかれた。この後NHKの取材があり、ニュースで画伯の絵が大アップで御紹介されることに。盛り沢山の日々はいよいよこれから。

美ら島を描くー日本画展(沖縄)

ニューヨークへ帰る里佳画伯と別れ、悦子はみそそ画伯と次の展覧会開催地・沖縄へ。現地で夕方トシ君キリン画伯たちと集合して搬入大作戦!
なにせ世間は台風一色。わが身柄だけはなんとか無事に那覇に着いたが、作品の一部がまだ届いていないというアクシデントはいかんともしがたい。う~ん、沖縄ではなく、またもや泥縄。いや、なんとかならなかったことはない!と、このまま泥縄作戦突入。
作品が出来なかったことを考え、多めに作品を送っていたのが幸いして、会場は一見泥縄とは思えぬ仕上がり。見よ、この堂々の泥縄ぶり。初日会場にはモデルになってくれた歌姫・大城美佐子先生や、そのお弟子さんたちがご来場。花をそえて下さった。また、夜の部は後で御紹介するが、とりあえず無事開幕のお知らせまで。


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