伊藤文夫 陶展

10月6日(月)~14日(火)

一昨年に引き続き、伊藤文夫さんのおおらかで品格のある作品をご紹介します。
福島県須賀川市の山中に築窯した割竹式登窯から生み出された自然釉の焼締めをはじめ、日常を豊かに彩る南蛮や粉引きの数々をご覧下さい。
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永江俊昭 作陶展

2914年9月12日(金)~19日(金)

日本最南端、八重山諸島波照間焼きの器たちと日本伝統の茶道具や懐石の器との取り合わせをお楽しみいただけるよう、真夏の登り釜を焚きました。

永江俊昭
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東風坊託孤窯 永江俊昭陶展

『登り窯初窯展」~季節の取り合わせと懐石の器~
2012年4月24日(火)~5月1日(火)

この度は
波照間焼をはじめとして
唐津、織部、志野、三島、呉須赤絵などの茶陶と、
色々な食の器をつくりました。
永江俊昭

永江俊昭陶芸展

沖縄八重山、その中でも最も南に位置する波照間島に産する土を使い、様々な技法を駆使してその魅力を最大に引き出そうと制作する永江俊昭。沖縄に魅せられ、歌の師匠の元に通いつめるうち、島で昔制作されたという陶の話を伝聞し、窯跡を探し当てることから彼の「波照間焼」は始まった。その経緯については彼が用意したステイツメントに詳しいから下に記す。

古来「神の島」ともいわれ、神行事、古謡が多く残る沖縄においても有数な歴史を誇る島であります。
その波照間島でも昔は、家屋用に琉球赤瓦を島内で焼き、島内に窯を築き、瓦の他にも甕などを焼成していた様子です。しかしその窯も今は無くなり、瓦はじめ陶器を製作することもなくなりました。
かつて八重山では、有名な「新城(パナリ)焼」というものが新城島で焼かれていましたが、波照間島においてはあえて「波照間焼」というものは存在していなかったようで、この度、波照間の土を使い、波照間の素朴な雰囲気を残しながら懐石食器、茶道具、壷類、雑器に至るまでを製作すべく「波照間焼」を興しました。
目の細かい、焼き締まりのいい素晴らしい土質で、焼き上がると赤色に発色します。ただ、耐火温度が低く薄造りには不向きですが、洗練された中にも野趣に富み、波照間島独自の空気を映す作品作りを心がけております。
また、波照間の海には、ダイバー達の間で時に「波照間ブルー」と呼ばれ、ダイバーたちが憧れる美しい海があります。その海の深い青色を表現すべく「波照間青釉」と称した青い釉薬の作品をはじめ、焼き〆陶、刷毛目粉引き等の技法を用い作品作りをしております。 永江俊昭

1984年芦屋市滴翠美術館陶芸研究所から始まった永江俊昭の陶歴は李朝陶磁への傾倒から、中国古陶磁、古唐津、京焼きへと進み、更に刷毛目、粉引き、三島、織部とその枠を広げて来たわけだが、波照間の土を発見することによって新たな境地に導かれたといえよう。
古陶の完成された世界から、自らが興す未知数の世界へ。この大きな転換を問うべく今展の次第となった。おおらかで神話的な島の風光に魅せられる人は多いが、すでに捨てられて顧みられなくなった窯あとを探し、土の在処を問うて歩いた熱意と「波照間焼」という名で自らが可能性を切り開くという自負によって、永江俊昭は世に「波照間」を知らしめ、さらに島との密接な関係性を築くこととなったのである。
その恩人である八重山民謡の師・後冨底周二先生のお兄様ご夫妻と今展の総合プロデュースを引き受けてバックアップして下さった小林社長、そしてそのファミリーの皆様が初日に駆けつけて下さった。心から感謝を申し上げたい。

藤井隆之陶芸展

2002年のデビュー以来、3度目になる当画廊での藤井隆之個展がはじまった。1973年広島で生まれ、東京芸大工芸科で陶芸を専攻した藤井隆之は研究生の頃からその卓抜な彩色の技術で定評があったが、個展デビューするやその人気に火がつき、瞬く間に若手陶芸家として最も作品が手に入れにくい作家の一人となった。
伝統工芸展や高島屋・三越・京王など各百貨店で作品を目にした方々からの熱い視線を、今回はより強く感じることに。初日開廊を待ち構えてドアの前に何人もの列ができたのも驚きだが、なかなか届かない作品を待ち構えて、何度も足を運んで下さったお客さまに改めてお礼を申し上げたい。また遠方からいらして下さった方がたにも。
本人はしばらく窯から離れられず不眠不休の作陶生活のなか、初日のにぎわいをしらないが、誠実に手抜きのない作品を仕上げてくれた。蓮の大鉢のたっぷりした量感と品のいいマットな色調は見事の一言。また最近手がける黄磁の彫りの切れのよさは、この分野での未知数の可能性を示すもの。さらに透明釉と無釉の間の半透明ともいうべき微妙な釉も加わって、35歳という年齢をこえた卓抜な風格を感じさせる作品も。

さまざまに挑戦し、一つ一つの完成度に拘るあり方は、学生の頃も今も変わらず、深化し続けている。今展では吹き染めの絵に一段と美しさが加わり、爽やかな一陣の風が作品の回りにただようようだった。陶器というジャンルをこえて美しいものがそこにある、という存在感を示せる作家はそう多くはあるまい。
藤井隆之の目指す頂点の美に、一歩一歩歩むだけだ。その作家の最前線の仕事を今、この場で大勢の方と共有しているーその思いが今回特に強かった。リアルタイムに窯から出て来たばかりのほかほかした作品を展示する喜び。それを見る喜び。手にする喜び。陶が生きている、と感じる瞬間だった。
作品にオーラのようなものがある、とすればそれはこのライブ感ではないだろうか。エネルギーにあふれ生きている、という感触こそ、作品の美しさと相まってここまで人を夢中にさせる訳だと思う。よかれ悪かれ作家の手から生み出されたものは正直に作品に反映される。藤井隆之の無窮を追い求める魂が、作品という一個の塊となった。そんな展覧会だった。また、大きくなって帰ってきてほしいと心から願うものである。

ニノミヤイチロウ展

久々画廊に登場のニノミヤイチロウ氏。とはいえ、夏の秋田合宿巡業でも、名古屋から遠征してくれ実質的には「まいど!」てな感じ。今回はみそそ画伯の座敷を受け継ぎ、さらにバージョンアップして銀座お座敷クラブ初代会長の面目を新たに。
パソコンのパスワード探しの方はますますミステリーサークルに呑込まれていき、とうとう光ファイバーに替える一大決心を。しかし工事はまだ先、というアナログ状態の悦部屋…。いっちゃん先生の悠然としたお顔を見ていると、それもまたいいかぁ、と思えるから不思議。 今回のDMに彼が記していた「かぜまち」という言葉がいたくこの状況を表している。
イチロウ氏、今年上半期の<現金>収入が十万エソ(ンではありません)。いい風が吹いて漁や猟に出る日のために、削りに削ったデクノスプーンを籠一杯にしてご登場。檜やケヤキの端材で見事な生活の道具を作ってきた。丹念に漆で拭いたスプーンは木のなりに違って、自分の一本を捜す楽しさが。
風待ちのお人の周りには、やはり風待ちの皆様が添うもの。米CBSのジャックさんも慣れぬ日本語で「コンニチワ」とふらり。もちろん、ご常連の方々も引きも切らず。今年は、そのご常連のお子さんたちが、別のチームを組んでご来廊ー親子二代のお客様をお迎えするニノミヤイチロウ氏だけが、いささかも年を取っていないように見えるのは、私の老眼のせいだけではない。これが、なかなかやってこない「風」を待つ極意、あるいは効用というものだろう。

沖縄速報ー美崎光邦展

「めくるめく!怒濤!!」の沖縄展ようやく終了。南京豆の畑が広がる八街の窯で、まだ見ぬ沖縄を思い作ったコバルトブルーや赤や黄のガラス釉。今までの美崎氏のイメージを一新する作品たちだ。
迎えてくれたのは、今回の会場・リウボウ美術サロンの高田氏はじめ、うるわしの三人姉妹ともいうべきスタッフの小橋川嬢・松茂良嬢・末吉嬢。このメンバーを加え、大城美佐子先生のお店「島思い」で初日から濃い歓迎会となった。その後、感激のまま一週間過ごすこととなった美崎氏、途中からなにを見ても涙が止まらなくなった。この時期にしては生憎の天気だったが、その雨もよいの雲すら美しいと眺めて飽きない様子。
どうやら、知的な構築で支えてきた制作から熱い情動から湧き起こる意欲へと、モチベーションの大転換が起きつつあるらしい。
合宿所と化したセイヤ宅で、購ったカラカラを自慢しつつ早速泡盛の試し飲み。次に来る時には美崎流カラカラと杯が出来てるに違いない。今回の旅で得た感興が、発酵して作品に染み出してくる日が待たれることである。
ところで当地では三月三日の桃の節句より盛り上がる四日のサンシンの日。朝から夜までラジオで中継する舞台に大城先生も出演するというので、夜読谷まで聞きに行く。お店とはまた違う先生の迫力ある歌声に背筋が伸びる思い。15日から画廊で始まる「美ら島を描く展」初日にはわざわざ上京していただけるとか。まずはご報告。

美崎氏怒濤!!の大団円

「怒濤!」と「めくるめく!」という言葉の頻度が異様に多い当画廊。だって本当なんだもん。二年ぶり三回目の美崎光邦陶展もご多分にもれず。
中央大学法科卒というエリートコースを捨て、青春の放浪の日々に陶芸に出会った美崎氏。美大に通う訳でもなく、各地の窯場で修業しほとんど自力で作陶、伝統工芸展や日本工芸展で受賞を重ねてきた。
ほとんど狂気に近いほど密度の高い仕事を手掛けながら、50才を過ぎた今展では、初心に帰っておおらか世界を追求。また新しい可能性をかいまみせてくれた。今日も、その新しい仕事を見るべく、色んな方のご来廊を得た。
放浪した揚句、阿佐ヶ谷に住むようになったころのお友達・吉葉さんご夫婦が御登場、早速お買い上げいただいた。
また毎日器に花を生けてくれていた寺田ローマ氏がトレードマークの黒づくめのスーツで現れると、我が画廊のプリンス・ター坊藤井隆之も御登場。お二人で美崎氏の作品について専門家らしい熱い意見の交換を。
夜は夜とて、男の中の男(らしい)いなさんが、美崎氏の器に花を活けるる楽しみをかたり(つつ呑み)、美崎氏のポン友・巨匠室町勝広氏が苦闘時代をかたり(つつ呑み)、美崎氏は愛する二人の友に囲まれ呵々大笑し(つつ呑み)、小娘悦子の想像もつかない世界へと旅だっていくのだった。先生たち身体壊さないで(つつ呑み)してくださいね。さらば!青春。また会う日まで!!

青春の友来る!

美崎氏の放浪時代の友・南平妙子さんがご来廊。なんとあの奥野ビルでギャラリーをはじめたという。「APS」という現代美術を御紹介するところとか。丁度居合わせた美崎氏奥様とは20年ぶりのご対面。若き日々の交遊が、またこんな近いところでまた復活し、話題はつきない。さらに父祖の地富山で御縁のNHKのプロデューサー亀山氏や、阿佐ヶ谷時代の友よりこさんがわざわざ山形からお嬢さんを伴ってご登場。この時間帯画像にはないが、美人が各種ご来廊、ハーレム状態の美崎氏の画像はあえて撮らなかったが、昔からのご友人のお嬢様の画像だけは外すわけにはいかない。画家界きっての清純派井手尾節子画伯は美崎氏の作品の持ち主でもあるのでご一緒に。
悦子は今朝5時起きで母の用意のハタハタを三匹もたいらげて12時の開廊に間に合わせたが、これなら秋田通勤も夢ではないかも?
留守中にご来廊の寺田氏が活けた花の画像も是非ご覧あれ!

美崎光邦陶展・初日

美崎光邦氏の三度目の個展が今日から。高知・安芸市や九谷など各地で修業後、27才で尾鷲に築窯。以来25年独特の陶風を紡いできた。伝統工芸展奨励賞や日本伝統展秩父宮賞受賞など、華麗なる陶歴をほこる方ながら、ご本人はいたって質朴、苦行僧のような風来坊のようなたたずまいで風にふかれている。
今回も風雪流れ旅を物語る新しいモチーフを得て、画廊に小さな青空をもたらしてくれた。52才という年齢から原点にもどっての作陶という。一か所に留まらず、次の「あなた こなた」を捜すためのふりかえりなのだろう。 しばしこの壷中に遊んでみようか。
今日は中央大法学部時代の先輩・岩原氏の来廊を得て夕方から恒例の酒宴。あとは朧、あとは朧~てなとこで。

 

イチロウ秋田巡業編

横浜高島屋での展覧会を無事終了。そのまま秋田に拉致される事となったいっちゃん氏。15キロばかり軽くなったワゴン車で、東北道をひた走る。昨日徹夜の悦子のナビはいかにも怪しいが、やっぱり間違え、一旦乗った高速を降りるはめに。確か、この道は10日ばかり前齋藤隆画伯に絵をお返しに行くとき通ったのに~と叫べど、無情にも勘違いだった。
なんだかんだの珍道中も最終目的地に着くもの。今日からお世話になる秋田美人の会湯沢支部会長・友子さんちに深夜イチロウ君を預け、悦子は爆睡。翌朝は日展湯沢展のレセプションのため、長野から織田有紀子画伯が来湯。わずか三時間程の滞在だったが、御本家柴田周一氏と友子さんとで迎える。
七夕祭の本番は5、6、7日。町の中ところ狭しと並ぶ絵灯籠には美人画が描かれ、宵闇が迫る頃には灯がともされて、なんとも妖艶な雰囲気に。
みそそ画伯ゆかりの西馬音内・佐藤氏夫妻や友子さんの着物の生徒さんやら美人だらけの宴会に、イチロウ先生もご機嫌。最終日には秋田から民俗学の先生や博物館の学芸員の方たちも宴会に参加。おおいに盛り上がった。
駆け足だが、その一端を。

芸大恩師・先輩・同級生一同に

 展覧会も終盤を迎えた今日、芸大工芸科の御大たちが次々と。先日も茅ヶ崎・ギャラリー俊で御目にかかった教授の佐伯守美先生はじめ高橋誠先生、豊福誠先生、先輩の望月集氏などにぎやかに祝ってくださった。
 同級生の中田君や荒木君など同期の方々も丹念に今年の仕事をみて質問を。さすが、全員作家だけあって、専門的な質問や意見が飛び交い、なかなか濃い夜になった。
 陶芸科の1クラスは5人とか。ほぼ6年間、窯のこともろくろのこともお酒のことも同時に教わったに違いない。そんな年月が偲ばれる熱い男たちだった。あと何十年かたったら、この夜のメンバー全員人間国宝だったりして、、。

第二弾ー器編

ようやく到着した第二弾の作品紹介。その陶板編。

1段め左より陶板ー水上円舞ー。陶板ー竹林の親子。陶板ー森のマイペースな人たち。

2段め左より吹染蓮図大壷。吹染竹之子図大鉢。吹染ホウズキ図四方鉢。

藤井隆之作陶展

2002年の初個展以来、悦子画廊では二回目になるターボウこと藤井隆之氏の作陶展が今日から。
五月五日・子供の日生まれの氏の、博多人形のような童顔からは想像できない手練の作品が、二年ぶりに画廊で披露された。待ちきれないお客さまが開廊前から並ぶなか、残りの作品の仕上げで氏は窯の前を離れられない。留守を預かる悦子があたふたしている一時間の間に初日に並んだ作品のほとんどが売約に。
前代未聞というか、阿鼻叫喚というか、もちろんうれしい悲鳴には違いないが、しばし呆然とする。
すでに学生時代から、その才能を注目されていた氏は、大成功だった初個展後も謙虚にこつこつ精進を重ね、また素晴らしい深みを湛えた彩磁を仕上げた。ろくろの腕も、陶の上とは思えない色の発色も、日夜問わぬ努力の賜か、格段の冴えを見せている。前夜、一人で展示をしながら、この二年間に氏が窯の中で割った器の数が思われて粛然とした事だった。
このように見事に開花した才も、時間との戦いにはやや苦戦。完成度を求めるあまり、予定していた作品の半分はニ日後に仕上がるという。多分徹夜を続ける氏のために、窯のなかの神様に祈る。
氏とは多摩美ーズ後輩・藤井美加子画伯の弟として知り合った。日本画が大好きで工藤甲人先生を尊敬するという氏の、焼き肉をおいしそうに頬張る姿にほだされて初個展を引き受けたいきさつも今は昔。
見よ、かつての童子は見事若武者に変貌を遂げてここに作品を残した。洗練を加えた蓮の連作は先人の仕事と比してもひけをとらないばかりか、余人の立ち入れない世界に突入しつつある。初日を祝って駆け付けてくれた方たちに感謝しつつ画像を。

ニノミヤイチロウ展  最後の力ーさらばデクノボー

今回もすんばらすぃーデクノボーシリーズを展開してくれた一朗クン。24時間一緒の合宿生活も今日でおしまい。
大阪のなるとん竹村記者も久々に上京、最近ご購入のマンションにとデクノ皿などをお買い上げ。景品の食器など使わないようにとよ~く言い聞かす(でもああいうのって壊れないんだよね)。
俳句のお友達、洋三郎、松助、磨女も来てくれ最後の宴。一朗クンの幼稚園からのお友達やら、大学時代の先輩・大見伸画伯やら遊見賢一画伯やら、軍艦島の写真で有名な雑賀雄二氏やら、最後のお客人のご接待に今日もおおわらわ。
無事、今年もデクノボーの神様が降臨して下さってにぎやかな日々となったことだった。昨日は銀子のカボチャの馬車、今日はランチアデルタの福田君の馬車でご帰還し、後は自宅合宿所でお疲れの一杯かな。やれやれ~!皆様にもデクノボーの力を!

ニノミヤイチロウ展 ブラボー!ライブな日々よ

芸の道は深いもの。デクノボーの神様一朗君は音楽の道にも造詣が深い。中学時代はトランペット、高校時代はフォークギター、愛知芸大時代は彫刻科のくせして音楽学部のオーケストラでバイオリンを弾いていたらしい。息子の楽君にも正しく遺伝して、14才にして大人のミュージシャンを泣かせるジャズギターを弾いているという。
当然、お友達にも音楽系が多いのだが、今日はフォークの下村誠氏とブルースシンガーの高谷氏がくしくもご一緒に。絵描き系を代表して沖縄帰りの武大人もプロに混じって、歌のお披露目となった。
今日いらした方は超ラッキー!それぞれの熱唱に画廊はライブハウス状態。下村氏のジャニス、高谷氏のキングクリムゾンの声帯模写も最高で大受け。武大人のドラムス(缶による)もいい感じだし、みんな終電は大丈夫か?という時間まで大騒ぎ。
カリヤ淳子氏と下村氏は泡盛テンコ盛に意識不明状態。昨日に引き続き北海道物産を山ほど携えて、沖縄の牧ちゃんがきて皆様のアテンド役をしてくれ大助かり。
沖縄旅行組の松谷画伯と池田美弥子画伯はキジムナーを連れてきてるせいか笑いっぱなし。池田ダーリン義孝氏は少し遅れたため歌手の部デビューには間にあわず、残念。
芸は身を助けるとはよくいったもの。あれ、芸は身を滅ぼすだっけ?

ニノミヤイチロウ展 延々と宴また宴

しばしの休息のあととはいえ、怒濤の宴会展。今日も昼過ぎからお供えの御馳走をたずさえた方たちがぞくぞくと。
お重が飛び交い(凄すぎ!)、お供えからおろされたお神酒が瞬く待に神隠しに。ふと気絶から目覚めると人が増えている。まぁ何人きても器には事欠かないし、檜や松のデクノちゃぶ台は売るほどあるので、くるしゅうないのだが。
創画会帰りの神彌佐子画伯、秦テルヲ展の合間をぬって練馬守野地氏の来廊の他、歌手の久恵ちゃんはコンサートでゲットしたお友達岡本氏、淳子ちゃんとご一緒に。カメラマンの坂野氏ご夫妻は毎回登場の御常連。
先日も来廊の吉村君は、地元下北沢のマドンナゆうちゃんをエスコートして。後から朋友キムケン氏も合流、いろんな奇遇の御縁が錯綜してえらいことになっていく。久保田の千寿をたずさえて来た久恵ちゃんのお友達花島ちゃんは、その登場を久しく待たれていたせいで名前が「せんじゅ」になってしまった。
また、磯野ちゃんも仕事場の後輩の洋子ちゃんとともに来廊。茅ヶ崎南郷生まれの磯野ちゃん、毎年茅ヶ崎ハスキーズギャラリーで個展しているという淳子ちゃんと意気投合。悦子も「NO WAR展」でダーちゃんの作品をつくった、あのかりや淳子と知ってびっくり。
久恵ちゃんはギターデュオ足立兄弟のお友達だとか。いっちゃんがあちこちいって知り合ってくる人と、悦子の知り合いが重なることにいちいち驚いてはいられないが、一年に一度しか会わないのになんとも不思議なこと。
デクノスプーンを様々に表現した画像を今日は。

ニノミヤイチロウ展 デクノボーの生活 Vol.6

神様がくれた休日は瞬く間に過ぎ、またもややくざな日々が。
真面目に事務処理とお掃除にあけくれるはずが、ふと気付くと沖縄行きのチケットを握りしめて機上の人になっていた悦子。今回のお休みはシーサー作家の宮城君がくれたもの。やはりご挨拶に行かねば…。ついでに、沖縄三越での展覧会もきめてきちゃおっと!な~んて理由は山ほどあるもの。もともと、沖縄取材の武大人同行で行くはずだった日程、連休のせいでチケットがとれず次の週に延期になったもの。すっかりその気になっているこの体、どうしてくれるのっ!って感じ?
デクノボーの本家が名古屋からくる前に、すでにデクノボー化している悦子、本部の朝日食堂の肉が食べたいばかりに痛風気味のセイヤを拝み倒し、はるばる北部まで遠征。銀子のために西平さんちの黒砂糖をゲットし、ついでに海まで。いつ見てもこの世とは思えぬほど美しい海でしばしマナティとなる。これよ、これ。これが休みというものよ~。ハードな日々のおかげで、久々にナイスバディをとりもどしつつある悦子だが、の~んびりだらだら快楽原則に忠実なほうが本来の姿。南方の太陽にエネルギーをいっぱいもらって帰る。
奇跡的というか、泥縄というか西山美智子ちゃんのお知恵を借りつつ画廊のお片付けを済まし、デクノボー本家・一朗クンとの合宿が今日から。
ぼーっとしてたら、星占いのあかりちゃんから電話があり、星のめぐりが変わったから動いたほうがいいと言われたという。その直後に悦子から展覧会の依頼電話があったらしい。トラックいっぱいのデクノボーセットとともに、東へ西へ居心地のいい空間をつくりにあらわれるいっちゃん。ラテン地区から帰ったばかりの悦子も時差を考えず楽にいられるありがた~いお方。
画廊はさすが休み明けだけあって、珍しい方もぞくぞく登場。手術後はじめて来廊の中村会長、うれしい生還におもわずハグハグ。ニューヨークの坂東優氏はしぶ~く登場するも、画廊のにぎやかさに思わずあとじさりしたところを、同じくしぶ~い系のいなさんにつかまる。福生の荒居氏、芸術新潮カメラマンの松藤氏、秋田の栄子ちゃん、いもきん小黒氏、テリー&佐名ちゃんも仕事後来てくれデクノボーの生活を。その他、本江氏間島氏などデクノボー系とは縁遠い方々も、デクノボーの神様にお参り。デクノボーの初日にふさわしい、にぎやかな幕開けになったことだった。


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