落合浩子展ー画伯、帰洛の途へ
昨夜は、巨匠橋本カメラマンによる作品撮影が夜半まで。終電コースは慣れっこの悦子と違い、画伯は大変だったと思うが、巨匠の入念なライティングの技を目の当たりにして感心することしきり。
巨匠のお仕事ぶりに誘われたか。WEB大里氏も御登場、お二人の会話を聞いて池波正太郎の小説を読んでいるよう、と江戸人情話に弱い画伯はうるうる。
京都の大沼憲章画伯や、テンペラの山本靖久画伯などの御来廊もあって慣れない東京で奮戦中の画伯、おおいに励まされる。激励といえば、落合画伯ファンのいなさんも駆け付けてくれたが、あがったのか恥ずかしかったのか、二人でうどんと蕎麦の好みの硬さの話を。頼むから絵の話をしてくれ~!来年は必ず落合展評を書く、と豪語していたので公表しておく。ちなみに、いなさんはハードボイルドな外観を裏切る柔らかもの好き。アルデンテという語は彼の辞書にはない。
今日は、画伯お父様のご友人松尾氏とお母さまのご友人浜口さんのご子息が御同席。悦子俳句友達純ちゃんと一緒に展覧会最後の一時を。最後に現れたみそそ画伯とともに江戸っ子なみに蕎麦をたぐられた画伯は新幹線で無事帰洛ーお疲れ様でした。以下、エールを。
胸中に確かなモチーフをもっている希有な画家・落合浩子。その画想を繙けば大学時代の上田正昭氏(日本の中の朝鮮文化ー共著者)による古代朝鮮の壁画の講義から啓発されたイメージに遡る。
それら埋もれた画想が彼女の中で発酵し、風化していく山河草木とそのあわいを生きる人間の残像として景を結び、画中に微光を帯びさせてきたのだろう。
震災を経験した俳人・永田耕衣 の句に「白梅や天没地没虚空没」がある。深い虚無と、それにもかかわらずほのかな白さをあたりに漂わす白梅の美しさとがオーバーラップして印象的な句だが、落合画伯もまたかかる経験をへて、画境に深みを加えつつあるのだろう。
削ぎ落とした色と形ではあるが、豊かさをたたえた画面。その「月光」に似た光を浴びて安らいだ十日間だった。じっくり歩を進めてさらなる域を開いてほしい画家である。