羅漢工房は、仏像や伎楽面など文化財の修理と出土漆製品や土器などの埋蔵文化財を主に手掛ける浦野氏が立ち上げた会社である。
翌年、屏風や襖絵などの文化財の復元修理や模写に携わった分島氏が入社し、それぞれの分野をいかした作品づくりをしていこうと、共通する漆の師をもつ二人の共同作業による作品制作が始まったのだという。
漆芸家・村井養作氏のもとで、浦野氏は1987年から変わり塗りを、また分島氏は1992年から蒔絵を学び、今展では下塗りまでを浦野氏が、蒔絵を分島氏が受け持つ形で制作した。
工房として発表する初めての作品展となった今展のテーマは厨子と龕(がん)。お母さまを亡くした分島氏が長年暖めていた思いから構想は始まったのだという。本来は正倉院の玉虫厨子にみられるように、神仏を納める函といった意味合いのものだが、彼等の意図はそれに留まらず、大切なものとの「対話装置」として企図したもの。
古典作品の復元模写を通して培った美意識と技術を生かし、現代の感覚で作品を創造するというチャレンジに二年を費やした二人は、今、満身創痍ながら大きな喜びにつつまれているようだ。
おおげさにいえば、彼等の今までの人生の集大成ともいえる作品は、それぞれの生き方を反映して美しく凛然と画廊にあって訪れる人の目を奪い、驚かせている。
厨子の中の宇宙は、それが空洞であることでさらにその奥行きをひろげ、華麗に施された外側の装飾にいっそうの荘厳さをあたえている。
一体ひとは函を開ける時、心のなかに何を思うのだろうか。そして、この宇宙になにを置きたいと念じるのだろうか。この厨子を見る人たちの背中に、そんな問いかけをしてみたくなる。
今日はお二人の漆の師・村井先生のご来廊を得た。また、卒制も買い上げてくれたという分島氏奥様のご両親、虫好きのお仲間で、10代から兄弟のような親交という伊東弥寿彦氏とお母さまもご来廊。長い間、そしてきっと今もお世話になっているに違いない方たちに、今回の成果を見て頂く両氏の恍惚と不安の表情を御紹介
怒濤の初日ー羅漢様たちの饗宴
案の定、初日だというのにぎりぎりの時間に滑り込む悦子。画廊の前には心配そうに佇む浦野羅漢とそのいとこさんで北海道でギャラリーどらーるを営む坂本氏の姿が。
大車輪で開幕した画廊には続々と今回の羅漢様たちのためにお祝いにかけつけてくれた。中野でシルクラブという呉服ギャラリーを経営なさっている西村氏はいきなりのお買い上げ。浦野羅漢の地元加須からは内田様ご夫妻も迎え、分島羅漢もアドレナリンが出っぱなしのご様子。
浦野羅漢は縄文時代出土漆製品や仏像修理を、分島羅漢は瑞巌寺の障壁などの復元模写を中心に、数多くの文化財を手掛けて来たエキスパート。かねて旧知のふたりが、羅漢工房として、初めて作品を発表する今展。はやくもそのただならぬ技量と美学に注目が集まりつつある。
怒濤の初日はやはり怒濤だけあって、お二人の広い交際範囲を示すかのように各界の方が多数ご来廊。詳しくはあとで述べるとして、今日は画像でその一端を。
めくるめく搬入作戦ー初日にたどりつくか?
明日からの第一回羅漢工房展。搬入日にいたる道のりは遠かった。まず、23日の宮永画伯搬出日の中越地震。震源地であのような事になっていたとは露しらず、赤帽さんの待つ前で梱包作業。なんとか絵を支えつつ無事送り出した頃、羅漢工房ではまさに展示台の制作中。埼玉は加須という関越に近い場所だったため150年の古民家に住む浦野家はゆれにゆれていたらしい。
浦野氏は最後の作品の仕上げに徹夜作業、分島氏は初めての展覧会に興奮気味で一睡もできず搬入の日を迎えたという。
浦野氏夫人田鶴子さん、両氏の元同僚・伊東尚子ちゃんなど三人のお手伝いで侃々諤々、喧々囂々、阿鼻叫喚、疾風怒濤の搬入作戦は無事終了。これで悦子が明日の朝ちゃんと起きれれば初日が迎えられる、と一息ついた頃、初日と間違えてご来廊のご家族連れが。
こういうところがさすが多摩美ーズてなことで、同級生には超うけそうなお方の名は永本君。奥方と一粒種のお嬢ちゃまの御披露目も。悦子は卒業以来会ってなかったが、分島氏の初展覧会とあって勇み足もヤムを得ず。
一足早く同僚会と同級会となって、早くも初日前に宴が催されることになった次第で、ますます明日ちゃんと起きられるか危ぶまれる事となった。お父さんの事が心配そうな、分島画伯令嬢・花音(かのん)ちゃん16才とともに今日のご報告。
宮永展最終日
ポーランドから婚約者アガタさんを伴って帰国の画伯は、来年の結婚をひかえてご郷里へご挨拶に。お留守を預かる悦子は、色んな方と初顔合わせ。とはいえ、みなさんすでにウェブページを閲覧済みーコスプレページ見ました、といわれると身もすくむ思いだが、話は早い。
是非ページにご登場を、ということで横浜の吉田ご夫妻を御紹介。やはり、ポーランドで画伯の親切なアテンドを受けて、東京での初個展のお祝いに。また山形からはやはりテンペラ画家のサイトユフジ氏が。画像はないが福岡教育大時代の恩師でニ紀展の滝純一先生や、諏訪中央病院の蒲田先生ご夫妻など遠方から多数のお客さまをお迎えした。
最終日の画廊は、駆け込みのお客様が次々といらしたが、群馬からは若林加代子ちゃんがわざわざ。画伯は不在だったが、作品を鑑賞しつつ最後の宴。なにせ初日ワイン15本が空になった今展、さしもの悦子酒蔵も在庫薄。とはいえ、珍味役員杉田氏が千葉の焼きハマを買ってご来廊とあれば、秘蔵のお酒を出さない訳にはいかない。俳句仲間の誠子さんやななめちゃんなど、イケル口の面々もいて加代子ちゃんもうれしそう。名残はつきないが、重厚華麗な作品たちともお別れ。日本に残る事になったポーランド生まれのワンコたちよ、画伯にかわるご主人様のところで可愛がってもらうのよ~!
ありがたや父母の恩
大分は国東半島のご出身の宮永画伯。遠方のため上京かなわぬご両親にかわって、お父様の恩師・溝辺先生ご夫妻と、お母さまの幼なじみという水谷さん親娘のご来廊。
豊後水道の豊かな恵みに育まれすくすく大きくなったとおぼしき画伯も、お父様お母さま御縁の方々の前では、幾分身を縮めてご対応を。
お父様のこどもの頃の恩師である溝辺先生、初めて赴任した頃の国東は、ほんとに鄙びたところだったらしく教え子宅に下宿しての通勤だったという。今でこそ磨崖仏で有名な場所になったが、その頃は行ったこともなかったというから、時代といえば時代。今は空港も側に出来て便利この上ないとか。
九州男児とはいえ、武張ったところがなく実に礼儀ただしい画伯の性格は、こののどかな自然がつちかったのかも。
また、日曜日の昨日は、結婚式かえりの面々がくしくも画廊で鉢合わせ。福岡からはテリーの若いお弟子・原口綾花ちゃん、金沢芸大出身のお二人、金沢の稲熊君と姫路の北川君はともに彫刻家。宮永画伯の同級生河野君ともども、若い方たちの会話もはずんでなによりなにより。
どのくらい大きいか、というと
ポーランド関連のお友達が大勢駆け付けてくれて大にぎわいだった昨日に引き続き、悦子関係の方では京都のマカロン落合画伯ご夫妻、ムラコ村越画伯、武大人画伯、府中美術館館長の本江邦夫氏などの方々が次々のご来廊。多摩美の教授でもある本江氏を囲んで、宮永画伯の御縁の現役多摩美ーズ・片山真妃ちゃんや卒業生が学校では聞けない色々なお話を。
また、養清堂画廊で個展中の筆塚稔尚氏や、同じく版画家の遠藤竜太氏も、国際版画トリエンナーレのあるクラカウ御縁のお方。かの地で、宮永画伯にマージャンを仕込まれたという。
さて、宮永画伯アガタさんがどのくらい大きいか、という話も以下の画像で一目瞭然。大きいちゃんクラブとちっちゃいちゃんクラブの共演をとくと御覧あれ。なんか、サウンド・オブ・ミュージックみたいでしょ。
宮永匡和展ーN.Yの後はポーランド
イザベル画伯の搬出に、沖縄展の荷物の整理、宮永画伯の搬入と大車輪で働いた昨日。なんとかセーフに漕ぎ着けて、怒濤の初日と相成った次第。
N.Yの里佳画伯から、沖縄展、またN.Yのイザベル画伯ときて今日からはポーランド・クラクフ在住のテンペラ画家、宮永匡和画伯と海越えの企画は続く。
台風22号が東京に上陸した日、奇跡的に成田に到着した画伯とパートナーのアガタさん。嵐のなか作品満載の車で高速を飛ばして来てくれたご両人、宮永画伯194cm、アガタさん180cmというビックなカップルにつき、目の前に壁ができたよう。今年34才になるという画伯は、いかにものびのび育った好青年。大分で1970年に生まれ、福岡教育大学から筑波大学大学院芸術科修了。その後JICAの派遣でポーランドに行き、古都クラクフの美術アカデミーを卒業した。日本ではニ紀展に出品し、1992年に大賞を受賞している。主にヨーロッパでで発表し、地元大分のみさき画廊さんで日本初個展。東京では悦子画廊がデビュー戦という。
アガタさんは鹿児島大学に留学して日本文化を専攻した才媛。今はカールスバーグというビール会社に勤めている。
今展では101匹ワンちゃんならぬ14匹の犬が勢揃い。几帳面に左をむき整列している。なぜか画伯に面差しが似ていて、飼い主はアガタさん?ってちゃちゃを入れたくなる感じ。
初めての東京個展という事で、ポーランドで画伯の親身なアテンドを受けた方々が多数お見えになった。劇団木山事務所の方々や、日本に留学中のポーランドのお嬢さんたち、クラカフ国際版画トリエンナーレで受賞し、個展もなさった片山憲二画伯ご一家など大勢の方々がお祝いに駆け付けてくれた。悦子関係では、ご存じテリー&佐名ちゃんご夫婦、宮永画伯を悦子に御紹介下さった野地練馬の守、佐藤美術館学芸王子・山川君、ウェブリニューアルで大忙しのマスター大里っち、銀子、トシ君キリン両画伯などのご来廊。とり急ぎ、大にぎわいの初日の模様を緊急アップ!!来て下さった皆様、有難うございました。
イザベル・ビゲロー展
最終日の沖縄、八時三十八分に怒濤の梱包作業を終えて九時発の東京便に乗れたのは、まさしく奇跡だった。翌朝はイザベルの初日、いない訳にはいかない。泥縄とはいえ根性の帰還作戦だった。
すでに留守中、スタッフの美智子ちゃんが搬入を済ませてくれていて、完璧な準備態勢だったが無事初日が終わった時にはさすがにほっとしてへなへな~。
ニューヨークから届いたばかりの作品は、バーチャル展で御覧のようにビビットな色彩なのに、落ち着いた印象を与える平面。パネルにオイルで描いたというが、一見型染めの布を思わせる質感をもつ。また、龍安寺の石庭の印象を強くイメージさせるRed rocks と題された三点は、微妙に描き方捉え方をずらしながら面から線へと作品を抽象化させている。また、琳派的表現としての波や草への意匠的チャレンジも、イザベル画伯独特のマチエールとあいまって、なんとも不思議な空気を醸し出している。
2000年末初めて日本で個展をした折には、微妙な陰影を柔らかな色調のトーンで描いていたイザベル画伯、約四年の歳月の折々、送ってくれる個展のカードに「八ツ橋」のシルエットなどを認め、来日が彼女の中にひき起こした一種のカルチャーショックをうれしく思ったものだったが、今展でいよいよ本格的に自分のモティーフとして取り込んでいるのを確認し、粛然と対峙させていただく事となった。
伝統的な日本画の様式を当たり前のように享受し、あたかも自分のもののように感じながら、伝統的といわれる画題を伝統的な様式で、しかも自分のものとして描く人が今日本にはいない。本物が凄すぎて描けないのかもしれないが、海の向こうから王手!っと言う感じでイザベル画伯の「石」が届いた時、何か忘れていた宿題を目の前に出されたような感じがしたのが面白い。
もちろん違和感もあるし、表層的すぎると思わなくはないが、画伯の表現したかった世界は、ある種静謐な詩的イメージだろうから、その印象を第一義に味合わうとにわかに赤い石が奥行きをもち始めた。フラットな平面に心を寄せていくと、その磨かれた表面のにじんだような線が動き出すー前作の陰影シリーズの影のように。石たちを彩る赤も静かにその吸引力を強めていくかのようだ。一度この前で座禅でもしてみようか。
板東里佳画伯との御縁で、ギャラリー上田の上田恵社長を画廊にお迎えした。御同席は戦う精神科医・ドクター山下。この日は名誉の負傷を追って現れ、ここでは語れないその顛末などを夜中まで。また、現代美術の宴三君も共感をもって鑑賞してくれた。以下画像でご紹介。
無敵の後発隊・那覇を行く
色々な組み合わせの画伯たちと取材同行したが、こんな濃いのはない、と思われる武大人VSりえぞー画伯。台風で鹿児島に足止めされていた作品も無事届いたギャラリーにご到着あそばした。連日の御仕事疲れもものともせず、早速モデルになってもらった大城美佐子先生のお店にご挨拶を。
すっかり那覇の裏道にも通じた武大人、昨日までここに居たかのような雰囲気で先導を。またりえぞー画伯はどこに居ても堂々となさっているお方につき、な~んにも心配いらない。大城先生のところで別動隊の牧ちゃん、セイヤと合流、今宵も楽しく盛り上がる。
NHKの取材があり、ニュースで紹介されたせいか、翌日の会場は日本画というものを見ようと大勢の人が押しよせ、十人十色の画家の個性に驚いている様子。日本画の、しかも若い画家たちの作品が沖縄で発表される機会は稀だという。『見なれない表現だが、きれいだ。イメージが変わった』というご意見が多かったのは有り難いこと。生きて動いている日本画の佳さが伝われば今展の甲斐はある。
新潟からは池田美弥子画伯の御両親もお迎えしてうれしいこと。悦子の好物の珍味みやげつき(珍味堂の噂は鳴り響いているに違いない)。沖縄で食べる新潟の枝豆、大変おいしゅうございました。御礼を。
このように、色々な人と出会わせてくれた、二年越しのー美ら島を描く展ー、開けたのはひとえに沖縄のベースとして、画家たちのサポートをしてくれたセイヤ役員のおかげ。もうこなくていい、と言われそうだが、これでようやく一歩が記せたところにつき、まだまだよろしくねっ!そしてありがとう!沖縄ぬカヌシャマヨ~!
運命の出会いとナイトライフ
世の中にはこんな出会いがあるものだ。今回、出品の作品に清水操画伯の「時の扉」という絵がある。1950年代から那覇の理容業界の草分けとして繁盛したバーバーナイルを描いた作品だ。最近まで現存したということで、展覧会にきた人たちも口々になつかしがっていた。その中に一人涙くんでいらっしゃる方がいたので、お声をかけると初代の時にここで修業した人だった。そのお方から娘さんに連絡が入って早速ご主人とご一緒に見にこられたのが、以下の画像。
清水画伯はこの絵を描かれたあと、一度お訪ねしたというが、その時にはもう店はなかったそうだ。もちろん、東京以外では発表していない作品につき、今回ここに出さなければ、この絵と家族の方が出会うことはなかっただろう。
20年近く沖縄を取材しながら、沖縄の方に絵を見てもらった事がない、と悦子の出品依頼に応えてくれた画伯だが、今回このような邂逅のドラマにつながってなにより。
さて、先発組の画伯たちのナイトライフは、琉球放送の常務様のお導きで、う~んと濃いものに。まずは琉球松をふんだんに使った「松の家」というお店で10年もののしゃこ貝などおいしい沖縄料理。しかるのち懐しのフォーク大全集を奏でる店で、トシ君久々の熱唱。みそそ画伯も大きいギターをかかえて演奏に参加。なんでみんなこの辺の歌を知っている?P.P.Mのコピーバンドの皆さんもいて、那覇の夜は70年代に戻ったかのよう。因縁めいているが、トシ君画伯が今回描いた那覇風景は、この店が二月まで営業していたところだそう。マスターもびっくりしていたが、期せずして呼ぶものがあるのかなぁとこのシンクロニティの不思議を思う。
牧ちゃんの沖縄里帰り
悦子画廊沖縄担当取締役・セイヤとともに今回の沖縄展をおおいに盛り上げてくれた恩人に牧ちゃんがいる。この度は沖縄に同行してくれて、八年ぶりの帰郷を待ち構えるご親族やお友達をことごとくご紹介してくれた。
琉球新報に工藤甲人先生が書いてくれた展評を読んで、日本画に興味をもって見にきてくれた方たちもいらしたが、圧倒的に油絵が多い土地柄。細やかな日本画の色感と本土の若い画家の作風がどういう反応を引き起こすか、本音をいえばドキドキ。
そんな悦子に後目に牧ちゃんは「まかせなさい!」とばかりどんどん人を会場に案内してくれた。台風で届かない作品もあるが、どのコーナーをみてもそれぞれの画家が自分の美ら島を遺憾なく表現した自信作。初めて見る日本画に、どの人も驚いている様子だが概ねいい反応で、ほっと一息。
人気者の牧ちゃんを訪ねて、幼なじみの皆さんはじめ親戚の方々が集まっていたところで、「あなた、昨日カチャーシー踊ってたでしょ」と悦子にお声が。なんで知ってるの?と振り向けば、大城美佐子先生の店のお方が、にっこり。なんと、彼女もまた同郷の先輩とか。全然牧ちゃんのしらないとこで繋がっていた御縁にまたびっくり。
悦子関連では、生年月日が一緒の関口利江子ちゃんがたまたま帰省していて、久々のご対面。彼女はユタの家系とのこと、霊感は東京ではあまり発揮してないそうだが、この会期に沖縄にいるという偶然はやはりすごいかも。
また、平野家では御両親と四日市の叔父さまご夫妻が揃ってご来廊。トシ君画伯とはすれ違いながら、沖縄を楽しんでいかれた。この後NHKの取材があり、ニュースで画伯の絵が大アップで御紹介されることに。盛り沢山の日々はいよいよこれから。
美ら島を描くー日本画展(沖縄)
ニューヨークへ帰る里佳画伯と別れ、悦子はみそそ画伯と次の展覧会開催地・沖縄へ。現地で夕方トシ君キリン画伯たちと集合して搬入大作戦!
なにせ世間は台風一色。わが身柄だけはなんとか無事に那覇に着いたが、作品の一部がまだ届いていないというアクシデントはいかんともしがたい。う~ん、沖縄ではなく、またもや泥縄。いや、なんとかならなかったことはない!と、このまま泥縄作戦突入。
作品が出来なかったことを考え、多めに作品を送っていたのが幸いして、会場は一見泥縄とは思えぬ仕上がり。見よ、この堂々の泥縄ぶり。初日会場にはモデルになってくれた歌姫・大城美佐子先生や、そのお弟子さんたちがご来場。花をそえて下さった。また、夜の部は後で御紹介するが、とりあえず無事開幕のお知らせまで。
里佳画伯帰国の途に
今年も果敢なチャレンジに裏打ちされた美しい世界を見せてくれた里佳画伯。毎年、作品の函を開ける度に意表をつく美しさにびっくりさせられるが、今年はまた格別だった。
見る度に吸い寄せられ、また魅了される、という経験はそう多くある事ではない。今回の雲のシリーズは、彼女の石版画に神秘という魅力を添えた。まずはその勇気と努力を称えたい。
また、画伯の視点が台所の窓から、大きなソラへと広がっていく軌跡を追いながら、微細な点が極大へと繋がる奇跡を祈るものである。
最終日の今日は、里佳画伯の身近な皆様の御紹介ーご夫君優氏の甥御さんである荒井氏ご兄弟と、里佳画伯のご学友・松澤氏。久々登場の鈴木強画伯は特別出場ということで。
上田社長宅でお茶会デビュー
帯広帰りの里佳画伯を待って、画材店ウエマツの上田社長宅でお茶会。屋上というか屋根の上に庭園がある風流な邸宅に設えたお茶席はモダンと数寄の極みだった。
まさしくニューヨークに住む里佳画伯にぴったりのお茶会デビュー、まずは持参の着物に着替えてから。社長夫人・紀子さんのやさしい導きのもと、悦子が先例をと躙り口からおしとやかにお席入り、、の筈がいきなり頭をごつん!。とんだお正客にいきなりなごやかになった茶席、あとは知るべし。
楽しく午前中いっぱいお茶を堪能して、ご用意のお昼までするするいただき、初めてのお宅とは思われないほどの寛ぎ感をまるで不思議に思わなかった。一重にご主人夫妻のこころ遣いのたまものだろう。とりどりの野草に彩られたお庭を眺めながら、里佳画伯のはじめての茶会が幸せなものだった事をうれしく思った事だった。
また着物姿の懍としたたたずまいの里佳画伯はことの他美しく天はニ物を与えたもうたとひとしきり感心。是非その姿を皆様にも。
都会のモダンな空間でありながら、ぽっかり浮かんだような時間をくれた茶席だった。時間を忘れ、おいしいお茶を堪能させて下さった上田社長ご夫妻に心からの感謝を!
舟越桂氏ご来廊
今日から三日ほど板東優氏の帯広のご実家にご挨拶に出向かれた里佳画伯。お留守を守る間に優氏の彫刻のお仲間・舟越桂氏がご来廊。
里佳画伯は生憎のお留守だったが、丹念に作品をご覧いただく。ご自身も版画に取り組まれている舟越氏は、里佳画伯のご苦心と精進ぶりが判るのだろう。さかんに感心されていた。
たまたま居合わせたスタッフの産賀さんは、舟越氏のメイン画廊・西村画廊の荻田君のお姉様。よく話にでる舟越氏と今日は初対面。荻田君は悦子の元いた画廊の後輩なので、不思議ではない出会いなのだが、これで弟に自慢できると感激の面持ちでツーショット。
またご存じいなさんと林田パパといういい男軍団も居合わせて、里佳画伯お留守の画廊で悦子がネズミに引かれないようお守り。しかも沖縄に送り出す荷物の梱包のいうおまけ付き。いつもながら丁度いい所に顔をだしてくださる皆様に心からの御礼を!
ニューヨークの風・板東里佳展
最後に摺り上げた一枚を携えて、ニューヨークから帰国した里佳画伯。徹夜仕事を続けて作品を運んで来てくれるフレーマー佐竹氏を待つ間、テリーに髪をカットしてもらうことに。 前日余裕の悦子は別にして、締め切り作品をもって登場のみそそ画伯といい、時差ぼけ中の里佳画伯といい、みんな寝ていない状況ながら、ご飯となれば元気は別。テリーのスタジオ近くの焼き鳥屋さんで、搬入前の歓迎式典。
もともと美人の里佳画伯、テリーのカットでさらにバージョンアップして初日の舞台に。そういえば初めて会った17年前もショートで凛々しかったけど、その時と変わらぬ美しさはリトを摺るという力仕事の賜?
今年三月にニューヨークで会った時に手掛けていた、「雲シリーズ」が試行錯誤を経て見事に摺り上がった今展。中でも圧巻は、「When the Saints go Marchin’In」だろう。最後まで手掛けていただけあって、モノクロの画面に華やかな色を感じさせる作品となった。突き抜けたような悲しみに似た美しい光の先に遠く宇宙がみえる。同じく「Jacob’s Ladder」もまた雲を通して降り注ぐ光を描いているが、神を信じない人にもなにか恩寵を感じさせる自然のドラマに果敢に挑戦した意欲作だ。
海に近いブルックリンに住んでいるから、このドラマに立ち会う機会が多いとはいえ、日々の暮らしの中で空を見上げることは以外に少ない。日常の光景をモチィーフに普遍の美を紡ぎ出す里佳画伯ゆえの視点なのだろう。
「Chain light」シリーズも、アトリエの窓のブラインドから差し込む光の揺影から画想を。また、時ならぬ四月の雪に残る車の轍を描いた作品は、まさしく天からの贈り物。日々、刻々と変わる事象から啓示を受け取り、透明感ある里佳画伯の世界へ昇華させる感性は類い稀なものだと思う。
また、夫君板東優氏の故郷・帯広の「千年の森」を描いた「Afternoon Shadow」は青の陰影に乾いた抒情を湛える。この青もまた年々深みを加えて素晴らしい発色。里佳画伯の、この一年の精進がこれら作品の上に読み取れてうれしい。
久々日本上陸の里佳画伯を迎えて画廊には、お馴染みのメンバーが。もちろん里佳画伯の高校時代の同級生、ご存じスーパーりこちゃん、住宅関係の本で最近ベストセラー作家の仲間入りをしたノリちゃんも忙しい中駆け付けてくれた。ニューヨークで里佳画伯にお世話になった間島画伯とトシ君画伯は、偶然にも予備校仲間。世間は本当に狭いよね。みそそ画伯のトマトを堪能した後は、最後にかけつけたWeb大里っちの案内で、勝どきの老舗へ。これぞ日本の魚!編を里佳画伯とともに。
みそそ夫人、よろしくてよ~
年々歳々透明に深みを増していくみそそ画伯の画風。近年、空間に奥行きが出て来て可愛いばかりでない風格をみせている。外にみせない努力の賜と思うが如何?
忠実に自分の血の中を流れる美意識の記憶と向き合う姿勢が、みそそ画伯流文人画とでもいいたいような世界を作りあげている。画品とは最近聞かない言葉だが、彼女の作品の底流にこの言葉はこっそり隠されていると思う。あからさまに出来ない事のなかに真実が隠されているように、密かに祈りをこめた一筆のなかに、それはある。
会話をするように彼女の絵と向きあってみれば、何処からともなく風が吹いてくる。自由自在に心を遊ばせる、その心地佳さを一本の猫じゃらしに託す、という技は誰でも持てるものではない。無心な子供心と老成した美意識を合わせもつみそそ画伯ならではの世界だろう。
今回は、去年のひよこ編から一変、臈長けた大人編のみそそ夫人を御紹介して最終日を締めくくろうと思う。いざ!大物のひよこへジャンプ!
久々の湘南チームとお着物日
今回のDM作品「いざよい ほろよい」のテーマはお月見。初めての秋の個展に付き、名月の色々にチャレンジしたみそそ画伯。もちろんいざよいは十六夜。悦子世代には拓郎の♪ゆかたのきぃみは~すすきのかんざしぃ~というフレーズが浮かんでくるが、最近はサザンか。
みそそ画伯的お月見のおともは猫じゃらし。満月を過ぎてやや遅い月の出を待って、どうぞ一献。えのころ草もうなずいているではないかってな感じ?この風情には是非きものを、と画伯にも着物で登場いただいた。一重の絣に木綿の帯の浴衣仕立てであるが、なんとのう女っぽいのがよいかも。
ここんとこ忙しさのあまりご無沙汰の湘南チームも今日はお揃いで。自由が丘のもみの木画廊で個展中の中尾画伯も駆け付けてまさに佳境の珍味堂。両青山画伯に大野画伯、新婚の小林画伯夫妻も酒盗と手に海の香りをたっぷり運んできてくれた。まずは月見の宴の顛末を。
メロン派?ピーチ派?
初日に銀子がもってきてくれたメロン。まだ食べごろは先らしいとのことでじっ~と我慢。H田パパはどうも食べごろを逸するのが心配らしく毎日メロンのお尻を嗅いで行く。座布団の上に恭しく鎮座ましましているので尚更目につく様子。
かたや今日は同級生のかっちゃんがお母さまとご来廊の手みやげにダロワイヨのピーチタルトを。メロンかピーチかは、その甘さといい柔らかさといい双璧。さんざん迷って両方頂くことに。お金はなくても食べ物には困らないみそそ画伯のご人徳に感謝!
また、彫刻の池田氏夫妻、美術年鑑の由井社長、みそそ画伯の若きコレクターめぐちゃんなどのご来廊をいただいた.
越畑喜代美画伯ー深夜の搬入を越えて
例年朝搬入のスリリングな初日。今年はちょいと時間を早めて深夜零時の搬入計画。搬入隊の子犬タクシー社長たっちゃんが、さくさく展示を進めるなか、みそそ画伯と悦子はB型気質をフルに発揮して、たっちゃんの仕事をさらに増やしてあげる。
四月京王、7月鶴見画廊と個展をこなしスケジュールは売れっ子状態のみそそ画伯。途中沖縄への取材や、イチロウ君のお世話もこなしながら、なんとか今日の晴れの日を迎えた。究極の泥縄コースは相身互いながら、ドキドキな日々に身も細る思い。あ~なんとかこぎ着けてなにより。
昨日悦子は、平塚の工藤先生とこへ残暑見舞い。その後武大人宅で打ち合わせ方々、奥様の手作り餃子を御馳走になる。
悦子画廊の誇る画家の登場を得て、いよいよ秋本番へ、GO!初日にいらしてくれた皆様は以下の通り。有難うね!!
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